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見守り,待ち続けた人ものみの塔 2008 | 4月1日
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確信を抱き,注意深く見守る
エリヤは,エホバが干ばつを終わらせるために行動されることを確信していましたが,いつ行動を起こされるのかは知りませんでした。では,その間にエリヤは何をしたでしょうか。43節にこう記されています。「彼は従者に言った,『どうか,上って行ってもらいたい。海の方を見なさい』。それで,彼は上って行って,見て,それから,『全然何もありません』と言った。するとエリヤは,『戻ってみなさい』と七度言った」。エリヤは少なくとも二つの点でわたしたちの模範となっています。一つはエリヤが確信を抱いていたこと,もう一つは注意深く見守ったことです。順に考えてみましょう。
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見守り,待ち続けた人ものみの塔 2008 | 4月1日
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次に,エリヤがどれほど注意深く見守っていたかに注目しましょう。エリヤは従者をまた遣わします。それも一度や二度ではありません。七回もです。従者は何度も行ったり来たりさせられて嫌になったかもしれませんが,エリヤはしるしを見たいと切に願い,あきらめません。そして,ついに七度目に,戻って来た従者がこう報告します。「ご覧なさい,人のたなごころのような小さな雲が海から上って来ます」。(44節)従者が腕を伸ばして手のひらを見せ,雲の大きさを説明する様子を想像できますか。大海の水平線上に現われたのは小さな雲です。b 従者は特に感動していなかったかもしれません。しかしエリヤにとって,その雲には重要な意味がありました。急かすようにしてこう命じます。「上って行って,アハブに言いなさい,『車につなぎなさい! そして,大雨があなたを引き止めることがないよう,下って行きなさい!』」
そうです,エリヤは優れた模範を残しています。わたしたちも,神がご自分の明言した目的を果たすために行動を起こそうとしておられる時代に生きています。エリヤは干ばつの終わりを待ちましたが,今日の神の僕たちも,腐敗した世界的な事物の体制の終わりを待っています。(ヨハネ第一 2:17)わたしたちもエリヤのように,エホバが行動される時まで,事態を注意深く見守っていなければなりません。神のみ子イエスは追随者たちに,「ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」と助言しました。(マタイ 24:42)ここでイエスは,終わりがいつ来るのか弟子たちには全く何も分からないであろう,と述べていたのでしょうか。そうではありません。終わりを迎える前の世界の状態について,イエスは詳しく語っているからです。わたしたちは皆,「事物の体制の終結」の詳細なしるしについて知ることができます。―マタイ 24:3-7。c
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