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見張りの者と共に仕えるものみの塔 2000 | 1月1日
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目ざめている“見張り番”
12 今日,エホバの見張りの者級,すなわち“見張り番”を構成しているのはどんな人々ですか。その人たちはどんな態度を取ってきましたか。
12 ですから,「終わりの時」が始まったとき,エホバは再び見張りの者を登場させ,ご自分の目的の成就に関連した種々の出来事に人々の注意を促されたのです。(ダニエル 12:4。テモテ第二 3:1)今日に至るまで,その見張りの者級,つまり油そそがれたクリスチャンである神のイスラエルは,預言的な見張りの者に関するイザヤの次の描写のとおりに行動しています。「彼は注意を集中して厳密な注意を払った。それから,ライオンのように呼ばわりはじめた,『エホバよ,わたしは昼間ずっと物見の塔の上に立っております。わたしは夜ごとに自分の見張り所に就いております』」。(イザヤ 21:7,8)これは,自分の任務を真剣に受け止めている見張りの者です。
13 (イ)エホバの見張りの者は,どんな知らせをふれ告げてきましたか。(ロ)大いなるバビロンは倒れたと,なぜ言えますか。
13 この見張りの者は何を見たでしょうか。その点についても,エホバの見張りの者,証人級は,こう告げ知らせました。「彼女は倒れた! バビロンは倒れた。その神々の彫像を神[エホバ]はことごとく地に砕かれた!」(イザヤ 21:9)第一次世界大戦後のその時期に,それまでの権力の座から引き降ろされるのは,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国です。(エレミヤ 50:1-3。啓示 14:8)ですから,当時“大戦”と呼ばれたその戦争がキリスト教世界で始まったのも何ら不思議ではありません。両陣営の僧職者は,自分たちの側の優秀な若者たちを説きつけて最前線に送り込むことにより,火に油を注ぎました。なんと不面目なことでしょう。1919年,大いなるバビロンは,当時聖書研究者として知られていたエホバの証人が無活動の状態を脱して,今なお続いている世界的な証言活動に乗り出すのを阻むことはできませんでした。(マタイ 24:14)そのことは,大いなるバビロンが倒れたしるしとなりました。これは,西暦前6世紀,イスラエルの解放が古代バビロンの倒れたことを物語るしるしとなったのと同じです。
14 エホバの見張りの者級は,どんな雑誌を顕著なかたちで用いてきましたか。その雑誌を用いた活動をエホバはどのように祝福しておられますか。
14 見張りの者級は以前からその任務を,熱意と,正しいことをしたいという強い願いとをもって遂行してきました。1879年7月,聖書研究者は本誌の刊行を始めました。当時は,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という名称でした。1879年から1938年12月15日号までの各号には,表紙に「『見張りの者よ,夜はどうなのか』。―イザヤ 21:11」a という言葉が掲げられていました。「ものみの塔」誌は,120年にわたって忠実に,世界の出来事を見守り,その預言的な意味に注意を払ってきました。(テモテ第二 3:1-5,13)神の見張りの者級と,その仲間である「ほかの羊」は本誌を用いて,キリストの王国によってエホバの主権の正しさが立証される時の迫っていることを精力的にふれ告げてきました。(ヨハネ 10:16)証しのためのこの手だてはエホバの祝福を受けてきたでしょうか。「ものみの塔」誌の発行部数は,1879年の創刊号の6,000部に始まって,世界の132の言語で2,200万部余りにまで伸びています。そのうち121の言語では,同時出版になっています。この地上で最も広く頒布されている宗教誌が,まことの神エホバの名を大いなるものとする雑誌であるというのは,なんと適切なことでしょう。
漸進的な清め
15 1914年よりも前から,どんな漸進的な清めが始まっていましたか。
15 キリストの天からの支配が1914年に始まるまでの約40年間に,聖書研究者は,幼児洗礼,人間の魂の不滅性,煉獄,地獄の火の責め苦,三位一体の神など,キリスト教世界の非聖書的な教理の多くから自由にされました。しかし,誤った考えすべてを一掃するまでには,さらに時間がかかりました。例えば1920年代に,多くの聖書研究者は十字架と冠をかたどった飾りピンを身に着けていましたし,クリスマスその他の異教の祝日を祝っていました。しかし,崇拝が清いものであるためには,偶像礼拝の名残すべてを捨てなければなりません。クリスチャンの信仰,また生き方の唯一の基盤は,神の言葉 聖書でなければなりません。(イザヤ 8:19,20。ローマ 15:4)神の言葉に付け加えたり,そこから何かを取り去ったりすることは間違いです。―申命記 4:2。啓示 22:18,19。
16,17 (イ)見張りの者級は何十年かの間,どんな間違った考えを抱いていましたか。(ロ)「エジプト」の「祭壇」また「柱」については正しくどのように説明できますか。
16 この原則の重要性を裏書きする一つの例があります。1886年にC・T・ラッセルが,「世々に渉る神の経綸」と呼ばれるようになった書籍を刊行したとき,その本には,人類が経た幾つかの時代をエジプトの大ピラミッドと関連づけた表が掲載されていました。ファラオ・クフのこの記念碑は,イザヤ 19章19,20節で述べられている柱であると考えられていました。その聖句には,こう記されています。「その日,エジプトの地の中にはエホバへの祭壇が,そしてその境界のそばにはエホバへの柱があるであろう。そして,それはエジプトの地で万軍のエホバへのしるしと証しのためのものとなる」。そのピラミッドは聖書とどんな関係があるというのでしょうか。一例として,当時の理解では,その大ピラミッド内部の,ある通路の長さが,マタイ 24章21節の「大患難」の始まる時を指し示しているとされました。聖書研究者の中には,自分たちが天に行く日はいつなのかといった事柄を見定めようとして,そのピラミッドの各部の寸法を測ることに夢中になった人たちも現にいました。
17 このいわゆる“石に刻まれた聖書”は,数十年にわたって重視されていました。しかし,そのように重視されたのは,「ものみの塔」誌(英語),1928年11月15日および12月1日の各号で,エホバは聖書に示されている証しの確証として,異教徒のファラオによって建てられ,悪霊的な占星術のしるしの付された石碑など必要とはされない,という点が明示されるまでのことでした。イザヤの預言は,霊的な意味で適用されることが明らかになったのです。啓示 11章8節で,「エジプト」はサタンの世の象徴とされています。「エホバへの祭壇」という表現は,油そそがれたクリスチャンがこの世で一時的居留者として過ごしている間にささげる,受け入れられる犠牲を思い起こさせます。(ローマ 12:1。ヘブライ 13:15,16)「[エジプトの]境界のそば」にある柱は,油そそがれたクリスチャンから成る会衆を指しています。その会衆は,「真理の柱また支え」であり,「エジプト」で,つまり彼らがまさに去ろうとしている世において証しとして立っているのです。―テモテ第一 3:15。
18 (イ)エホバは誠実な聖書研究者のために,引き続きどのように物事をはっきりさせてこられましたか。(ロ)クリスチャンは,ある聖書的な説明が理解しにくい場合でも,どんな態度を取るのが賢明ですか。
18 エホバは年月の経過と共に,ご自分の預言の言葉に関するさらに明確な理解を与えることを含め,引き続き真理をいっそうはっきりさせておられます。(箴言 4:18)わたしたちは近年,とりわけ次のような事柄を,深まった理解に基づいてもう一度調べてみるよう勧められてきました。すなわち,終わりが来るまでは過ぎ去ることのない世代,羊とやぎのたとえ話,嫌悪すべきものと,それがいつ聖なる場所に立つのか,新しい契約,変ぼう,エゼキエル書の神殿の幻といった事柄です。時々,そのような最新の説明は理解しにくいかもしれませんが,そのように説明された理由はいずれ明確になります。クリスチャンは,ある聖句に関する新しい説明を十分に理解できないとしても,預言者ミカの語った,「わたしは,……わたしの救いの神を待ち望もう」という言葉に謙虚な態度で和するのはよいことです。―ミカ 7:7。
19 油そそがれた残りの者と,その仲間であるほかの羊は,この終わりの日にライオンのような勇気をどのように示してきましたか。
19 思い起こしてください。見張りの者は,「ライオンのように呼ばわりはじめた,『エホバよ,わたしは昼間ずっと物見の塔の上に立っております。わたしは夜ごとに自分の見張り所に就いております』」と述べられています。(イザヤ 21:8)油そそがれた残りの者はライオンのような勇気を出して,偽りの宗教を暴露し,自由に至る道を人々に示してきました。(啓示 18:2-5)そして,「忠実で思慮深い奴隷」として,聖書や雑誌その他の出版物を,すなわち『時に応じた食物』を,非常に多くの言語で用意してきました。(マタイ 24:45)彼らは,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」を集める業に率先してきました。これらの人も,人を贖うイエスの血によって清められ,「昼も夜も」神に「神聖な奉仕」をささげる点でライオンのように勇猛であることを示しています。(啓示 7:9,14,15)エホバの油そそがれた証人から成る,今なお残っている小さな集団と,その仲間である大群衆によって,昨年はどんな実が生み出されたでしょうか。その点については,次の記事で取り上げられます。
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見張りの者と共に仕えるものみの塔 2000 | 1月1日
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19 油そそがれた残りの者と,その仲間であるほかの羊は,この終わりの日にライオンのような勇気をどのように示してきましたか。
19 思い起こしてください。見張りの者は,「ライオンのように呼ばわりはじめた,『エホバよ,わたしは昼間ずっと物見の塔の上に立っております。わたしは夜ごとに自分の見張り所に就いております』」と述べられています。(イザヤ 21:8)油そそがれた残りの者はライオンのような勇気を出して,偽りの宗教を暴露し,自由に至る道を人々に示してきました。(啓示 18:2-5)そして,「忠実で思慮深い奴隷」として,聖書や雑誌その他の出版物を,すなわち『時に応じた食物』を,非常に多くの言語で用意してきました。(マタイ 24:45)彼らは,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」を集める業に率先してきました。これらの人も,人を贖うイエスの血によって清められ,「昼も夜も」神に「神聖な奉仕」をささげる点でライオンのように勇猛であることを示しています。(啓示 7:9,14,15)
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