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イエスはどんな容姿の人でしたか目ざめよ! 1998 | 12月8日
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聖書とイエスの風貌
イエスは「神の子羊」でしたから欠陥がありませんでした。したがって,イエスは立派な外見の方であったに違いありません。(ヨハネ 1:29。ヘブライ 7:26)また,一般の芸術で描写されているように,いつも憂うつそうな表情をしておられたのでないことは確かです。イエスが生涯中に多くの苦しみを経験されたのは事実ですが,イエスの全体的な気質は,「幸福な神」であられるみ父を完全に反映しておられました。―テモテ第一 1:11。ルカ 10:21。ヘブライ 1:3。
イエスは長髪だったのでしょうか。ナジル人だけが,髪の毛を切ることや,ぶどう酒を飲むことを禁じられていました。しかし,イエスはナジル人ではありませんでしたから,イエスも他のユダヤ人の男性と同様に,髪の毛をきちんと切っておられたに違いありません。(民数記 6:2-7)イエスはまた,人と交わる際にぶどう酒を適度に楽しまれました。このことは,イエスが陰気な人ではなかったことを裏づけています。(ルカ 7:34)実際,イエスはガリラヤのカナの婚宴で,奇跡によりぶどう酒をお作りになりました。(ヨハネ 2:1-11)また,イエスの苦しみに関する預言が証ししているように,ひげを生やしておられたことでしょう。―イザヤ 50:6。
イエスの肌の色や顔だちについてはどうでしょうか。それは恐らくセム系のものだったと思われます。それらの特徴は,ユダヤ人であった母親のマリアから受け継いでおられたでしょう。マリアの祖先はヘブライ人の家系のユダヤ人でした。ですから,イエスは一般的なユダヤ人と同じ顔だちをしておられたに違いありません。
使徒たちの間でさえ,イエスは身体的に特に目立つ人ではなかったようです。というのは,ユダは,イエスを敵に渡すのに,口づけをしてどれがイエスかを知らせなければならなかったからです。このように,イエスは群衆に容易に溶け込むことができました。また実際にそうされました。少なくとも1度,イエスはだれにも気づかれずに,ガリラヤからエルサレムまで旅をしておられます。―マルコ 14:44。ヨハネ 7:10,11。
しかし,イエスは弱々しい人だったに違いないと判断する人もいます。なぜでしょうか。まず,イエスは苦しみの杭を運ぶのに助けてもらう必要がありました。また,イエスは,杭につけられていた3人の中で一番早く亡くなられました。―ルカ 23:26。ヨハネ 19:17,32,33。
イエスは弱々しい人ではなかった
伝承とは対照的に,聖書はイエスを男らしくない弱々しい人として描いてはいません。むしろ聖書は,イエスがまだ少年だったころ,「知恵においても,身体的な成長においても,また神と人からの恵みの点でもさらに進んでいった」と述べています。(ルカ 2:52)イエスは30年の大部分を,大工として働かれました。それは,細身の人や力の弱い人の職業ではなかったようです。特にその当時は,今あるような,労力を節約できる機械などなかったからです。(マルコ 6:3)さらにイエスは,牛や羊や両替人たちを神殿から追い出し,両替人の台を倒しました。(ヨハネ 2:14,15)このことも,イエスが男らしい,身体的に強健な人だったことを示しています。
イエスは地上の生涯における最後の3年半の間に,伝道旅行で何百キロも歩かれました。それでも,弟子たちがイエスに「少し休みなさい」と勧めたことは1度もありませんでした。むしろ,イエスのほうが,たくましい元漁師を含むご自分の弟子たちに,「さあ,あなた方は自分たちだけで寂しい場所に行き,少し休みなさい」とおっしゃいました。―マルコ 6:31。
実際,マクリントクおよびストロング共編の「百科事典」(英語)には,「福音書の記述全体は,[イエスの]身体が丈夫で活力にあふれていたことを示している」とあります。
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イエスはどんな容姿の人でしたか目ざめよ! 1998 | 12月8日
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a もちろん,聖書研究において,イエスが描かれている挿絵を用いることに害はありません。ものみの塔協会の出版物には,そうした挿絵がよく用いられています。しかし,神秘的な感情を引き起こしたり,見る人に畏敬の念を抱かせたり,非聖書的な考え,象徴,崇拝などを促進する意図はありません。
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