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サモア2009 エホバの証人の年鑑
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大会によって強められる
1957年6月,アメリカ領サモアのパゴパゴで初の巡回大会が開かれることになり,兄弟たちの期待は高まっていました。そのプログラムを楽しむために,サモアから船でやって来た伝道者たちもいました。兄弟たちは一般の人たちもぜひ招きたいと思い,大会があることを英語とサモア語で広く宣伝しました。その結果,サモアとアメリカ領サモアの合計60人の伝道者は,金曜日の最初のプログラムに106人が出席するのを見て,胸を躍らせました。
この大会では,昼休みに思いがけないことが起きました。サモアならではの習慣や,物見遊山でやって来た人たちのためです。ロン・セラーズはこう書いています。「サモアの習慣では,食事は重要な位置を占めています。人々は食事の時に,通りがかった人に声をかけて招き入れるのが普通です。兄弟たちが大会の昼食時に,好奇心の強い見物人を大勢招いたため,給食部門は予想外の負担を強いられました。出席する兄弟姉妹に足りる分しか用意していなかったからです」。
そうではあっても,食事の機会は,その様子を見る人たちに良い証言となりました。サモアでは特別な催しの際,男性が女性や子どもよりも先に食事をするのが普通です。外国人や聖職者はたいてい他の人たちとは別に座り,食事の最良の部分にあずかります。しかしその大会で見物人は,外国から来た宣教者たちが地元の家族と一緒に楽しそうに食事をする様子を目にしました。エホバの民の間の愛と一致は,だれの目にも明らかでした。
そのような大会は,励ましや訓練を与える機会となっただけでなく,すぐ後に続く厳しい試みに伝道者たちを備えさせるものともなったのです。
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サモア2009 エホバの証人の年鑑
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当時,サモアの兄弟たちは,アメリカ領サモアやフィジーで開かれる,合同の大会からも益を得ました。しかし,出席にはかなりの努力と犠牲が求められました。例えば,フィジーの地域大会に行くには,旅費や食費が必要になる上,サモアを最長で1か月離れることになるのです。
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