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「あなたはただ喜びに満ちるように」ものみの塔 2007 | 1月1日
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アブラハムの胤のほかの成員
7 七週の祭りはどのようなものでしたか。
7 イエスはエデンで約束された胤であり,この方を通してエホバは「悪魔の業を打ち壊す」ことを行なわれます。(ヨハネ第一 3:8)しかしアブラハムに話された時,エホバはアブラハムの「胤」がただ一人ではないことを示されました。それは「天の星のように,海辺の砂の粒のように」なる,と言われました。(創世記 22:17)こうして「胤」の他の成員が登場することは,喜びあふれるもう一つの祭りによって予表されていました。ニサン16日から50日目に,イスラエルは七週の祭りを祝いました。これに関する律法はこう述べています。「七番目の安息日の後の日まで五十日を数えるべきである。そしてあなた方は新しい穀物の捧げ物をエホバにささげなければならない。あなた方の住む所からパン二つを振揺の捧げ物として携えて来るように。それは上等の麦粉十分の二エファでこしらえたものとすべきである。それはパン種を入れて焼き,エホバへの熟した初物とする」。b ―レビ記 23:16,17,20。
8 西暦33年のペンテコステの時にどんな際立った出来事がありましたか。
8 イエスが地上におられた時,七週の祭りはペンテコステ(「50番目」という意味のギリシャ語)として知られていました。西暦33年のペンテコステの時,大いなる大祭司である復活したイエス・キリストは,エルサレムに集まっていた小グループである120人の弟子たちの上に聖霊を注ぎました。こうしてそれらの弟子たちは,神の油そそがれた子たち,またイエス・キリストの兄弟たちとなりました。(ローマ 8:15-17)この人々が,新しい国民である「神のイスラエル」です。(ガラテア 6:16)この国民の始まりは小さなものでしたが,最終的に14万4,000人を数えるようになります。―啓示 7:1-4。
9,10 ペンテコステに行なわれた事柄は油そそがれたクリスチャンたちの会衆をどのように予表していましたか。
9 油そそがれたクリスチャンたちの会衆は,毎年のペンテコステの日にエホバの前で揺り動かされた,種を入れた二つのパンによって予表されていました。そのパンが種を入れたものであったことは,油そそがれたクリスチャンが,パン種に例えられる受け継いだ罪をまだ持っていることを示しています。それでも,イエスの贖いの犠牲に基づいてエホバに近づくことができました。(ローマ 5:1,2)なぜ二つのパンなのでしょうか。これは,油そそがれた神の子たちがやがて二つのグループから,つまり最初は生来のユダヤ人から,後に異邦人から取られることを指し示していたのかもしれません。―ガラテア 3:26-29。エフェソス 2:13-18。
10 ペンテコステの時にささげられた二つのパンは,小麦の収穫の初穂で作られていました。それに対応する点として,霊によって生み出されたクリスチャンたちは,「ある意味で被造物の初穂」と呼ばれています。(ヤコブ 1:18)これらはイエスの流された血に基づいて罪を許される最初の人々であり,それによって天での不滅の命を授けられることが可能になり,イエスの王国でイエスと共に支配します。(コリント第一 15:53。フィリピ 3:20,21。啓示 20:6)そのような立場に就くそれらの人々は,近い将来「鉄の杖で[諸国の]民を牧し」,また『サタンがその足の下に砕かれる』のを見るでしょう。(啓示 2:26,27。ローマ 16:20)使徒ヨハネはこう述べています。「これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであ(る)」。―啓示 14:4。
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「あなたはただ喜びに満ちるように」ものみの塔 2007 | 1月1日
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b パン種を入れたこの二つのパンを振揺の捧げ物としてささげる際,祭司は多くの場合,そのパンを自分の両手のひらに載せて腕を挙げ,そのパンを左右に揺り動かしました。この動作は,犠牲の品をエホバに差し出すことを象徴していました。―エホバの証人の発行した「聖書に対する洞察」,第1巻,992ページをご覧ください。
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