-
なぜ聖書を読むべきですか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第1章
なぜ聖書を読むべきですか
わたしたちの住む今の世界はあまりにも多くの問題を抱えています。そして,それに対する解答があまりにも少なすぎます。定常的な飢えの状態にある人が幾億人もいます。麻薬類を常習する人の数は増大しています。崩壊する家庭の数も増えています。近親相姦や家庭内の暴力行為は日常の事柄となっています。わたしたちの吸う空気や飲む水はしだいに有毒なものになりつつあります。その一方で,犯罪の脅威にさらされる度合いも高まっています。こうしたさまざまな問題がいつか解決されると思われますか。
1 (前書き部分を含む)今日のどんな問題は人類に確かな導きの必要なことを示していますか。
加えてわたしたちは,物事の決定が非常に難しい時代に住んでいます。例えば,多くの人は,堕胎は生まれ出ようとする者に対する殺人であるとして,それに頑強に反対しています。他方,女性は自分の体に対して権限を持ち,そのような問題は各人が決定すべきものだと,同じように強く感じている人々もいます。同性愛,姦淫,婚前交渉などを全くの不道徳行為とみなす人は多くおり,その一方では,そうした事柄を個人の選択の問題であると考える人たちもいます。だれが正しく,だれが正しくないかを,だれが明言すべきなのでしょうか。
2,3 今日多くの人は聖書をどのようにみなしていますか。
2 聖書は道徳の問題に関して指針を与えています。犯罪,飢え,汚染などの問題に対する有効な解決策についても述べています。問題点は,大多数の人がもはや聖書をそうした事柄に関する権威とみなしていないところにあります。かつて人々は聖書の述べるところに敬意を抱いて耳を傾けました ― 少なくとも西欧世界においてはそうでした。聖書は人間によって書き記されたものであるとはいえ,過去において,キリスト教世界の大多数の人々は,それを神の言葉として受け入れ,その内容は神ご自身の霊感によるものであると信じていました。
3 しかし今日では,日常の慣習,思想,道徳観などほとんどすべての事柄について,そして神の存在そのものについても懐疑的になることがもてはやされています。とりわけ人々は聖書の価値を疑おうとしています。たいていの人は,それを時代遅れで現実にそわないものと考えているようです。現代のいわゆる知識人で,それを神の言葉とみなしている人はほとんどいません。大多数の人はむしろ,ある学者の次のような言葉,つまり,「聖書の伝承がいかに形成されたかについて言えば,それは人間の働きの所産である,というのがわたしの説明である。それは人が自分の信条を述べたものである」と書いたジェームズ・バーの言葉にうなずくことでしょう。1
4,5 聖書が神の霊感によるものかどうかを知るのはなぜ大切なことですか。この本の目的は何ですか。
4 あなたもこのような見方をしておられますか。あなたは,聖書が神の言葉であると考えておられますか。それとも,人間の言葉にすぎないものと見ておられますか。この問いにどのようにお答えになるとしても,次の点を考えてください。もし聖書が人間の言葉にすぎないものであるとすれば,人類の抱える種々の問題に対して何ら明快な答えはないことになります。人間はただ,何とかして毒物汚染による自滅を避け,あるいは核戦争で吹き飛ばされてしまわないようにと,可能なかぎりの模索を続けてゆかなければならないことになるでしょう。しかし,聖書が神の言葉であるならば,それこそまさに,この難しい時代を切り抜けるためにわたしたちが必要とするものなのです。
5 本書は,聖書が本当に神の言葉であるという証拠を提出します。それをよく検討して,人類の抱える問題に対する唯一の確かな答えが聖書にあることをあなたが理解されること,それがわたしたちの願いです。しかし,聖書に関する幾つかの事実にまず注意していただきたいと思います。それだけを見ても,聖書が調べてみる価値のある本だということが分かるからです。
全時代を通じて最大のベストセラー
6,7 聖書に関するどんな目ざましい事実はわたしたちの注意を引きますか。
6 まず,聖書はベストセラーであり,全歴史を通じて最も広く頒布されてきました。ギネスブック世界記録集,1988年版によると,1815年から1975年までの間だけで,推定2,500,000,000冊もの聖書が出版されました。これは膨大な数字です。全歴史を通じ,頒布数において聖書に近づいた本は一冊もありません。
7 さらに,聖書ほど数多くの言語に翻訳された書物はほかにありません。聖書は今,その全体または部分を1,800以上の異なった言語で読むことができます。アメリカ聖書協会の報告によると,現在では,世界人口の98パーセントの人が聖書を読めるようになっています。これほど多くの言語に翻訳することに伴う膨大な努力について考えてみてください。これほどの努力の注がれてきた書物がほかにあるでしょうか。
影響力のある本
8,9 聖書が人に影響を及ぼしてきたことをどんな言葉が示していますか。
8 新ブリタニカ百科事典は,聖書のことを,「一まとまりの書物として史上おそらく最大の影響力を有してきたもの」と呼んでいます。2 19世紀のドイツの詩人ハインリヒ・ハイネはこう述べました。「わたしは自分の受けた啓発を,一冊の本……つまり聖書に全く負っている。それは聖なる書と呼ぶにいかにもふさわしい。神を見失った人はこの書の中でそれを再発見できる」。3 ほぼ同時代の米国の奴隷解放運動家ウィリアム・H・シュアードはこう言明しました。「人間の今後の進歩の希望は,聖書の影響力が絶えず増大してゆくことにかかっている」。4
9 アメリカの第16代大統領アブラハム・リンカーンは,聖書のことを「神が人間に賜った最大の贈り物」と呼び,「それがなかったなら我々は正邪を識別し得なかったであろう」と述べています。5 英国の法律家ウィリアム・ブラックストン卿は,聖書が与えてきた影響に注目してこう述べました。「自然の法則と啓示された律法[すなわち聖書] ― 人間のすべての法律はこれら二つを土台としている。人間のいかなる法律もこれら二つに逆らう愚を犯してはならない」。6
敵意を受け,また愛されてきた本
10 聖書への敵対心はどのように表わされてきましたか。
10 同時にわたしたちは,全歴史を通じて聖書ほどに激しい反対を,時には敵意をさえ浴びせられてきた本はほかにないという点にも注目しなければなりません。中世からこの20世紀に至るまで数多くの聖書が公衆の前で焼かれました。そして,聖書を読んだり配布したりすることは,近年においても科料や投獄による処罰の対象とされてきたのです。過去の時代にはその種の“犯罪”のゆえに人々はしばしば拷問や死に処せられました。
11,12 ティンダルは聖書に対する愛をどのように表わしましたか。
11 その反面で表明されてきたのは,聖書によって鼓舞された献身的態度です。多くの人は容赦ない迫害に面しながらも聖書を読もうとする努力をあきらめませんでした。16世紀の英国人ウィリアム・ティンダルの場合を取り上げましょう。ティンダルはオックスフォード大学で教育を受けたのち,ケンブリッジ大学の教授として信望を得ていました。
12 ティンダルは聖書を愛しました。しかし当時,宗教上の権威者たちは,聖書をすでに死語となっていたラテン語のままにしておくことに執着していました。そのため,自国の人たちが聖書を読めるようにと願ったティンダルは,聖書の英訳を決意しました。しかしそのようなことは違法とされたために,ティンダルは大学での安楽な職を辞して,大陸に身を移さなければなりませんでした。亡命者としての不自由な生活を送りながら,やがてティンダルはギリシャ語聖書(「新約聖書」)を,そしてヘブライ語聖書(「旧約聖書」)の一部を自国語に翻訳しました。しかし結局ティンダルは捕らえられ,異端者として有罪の宣告を受け,絞首刑に処せられて,その遺体は火で焼かれたのです。
13 聖書を真に特異な本としているのはどんな点ですか。
13 ティンダルは,聖書を読むため,あるいは他の人がそれを読めるようにするために自分のすべてのものを犠牲にした無数の人々の一人です。ほかのどんな本にしても,これほど多くの普通の男女を鼓舞して,これほどまでの勇気を抱かせたものはありません。こうした点においても,聖書はまさしく他に例のない本です。
神の言葉であるという主張
14,15 聖書の筆者は何度もどんな主張をしていますか。
14 聖書はまた,その多くの筆者たちの行なっている主張の点でも特異な本です。およそ40人の人々が聖書のいろいろな部分の筆記に携わりました。その中には,王・羊飼い・漁師・文官・祭司がおり,また少なくとも一人の将軍と一人の医師とがいました。しかしそれら筆記者たちは,自分独自の考えではなく,神のお考えを書き記したという同じ主張を繰り返し行なっています。
15 例えば,聖書には次のような表現がよく出て来ます。「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」,また,「主権者なる主,万軍のエホバはこのように言われた」。(サムエル第二 23:2。イザヤ 22:15)仲間の福音宣明者にあてた手紙の中で,使徒パウロはこう書いています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです」― テモテ第二 3:16,17。
16 聖書はどのような疑問に答えていますか。
16 人間の言葉ではなく神の言葉であるというその主張にふさわしく,聖書は,神だけが答えることのできる疑問に対する答えを提出しています。例えば,なぜ人間の諸政府は永続する平和をもたらすことができないでいるのか,どうしたら人は人生から最大の満足を得られるのか,地球とそこに住む人類にはどのような前途があるのかなどの点を説明しているのです。物事を深く考える人として,あなたもこうした点を,またこれと似た他の多くの事柄を何度となく思い巡らされたことでしょう。聖書が神の言葉であり,それゆえに他のものが与えることのできない権威ある答えを与えているという可能性について,少なくとも検討してみることはいかがでしょうか。
17,18 (イ)この本では聖書に浴びせられるどんな非難について考察しますか。(ロ)ほかにどんな事柄を取り上げますか。
17 この本に提出されている証拠を注意深く調べてごらんになることをお勧めいたします。幾つかの章の中では,聖書に対してしばしばなされる批判について考察します。聖書は非科学的なものですか。聖書の内容は矛盾していますか。聖書に記されているのは真実の歴史ですか,それともただの神話ですか。聖書に記録されている数々の奇跡はほんとうに起きたのですか。これらの問いの答えとなる,論理にかなった証拠が提出されています。その後に,聖書が神の霊感によるものであることに関して強力な論拠を取り上げます。すなわち,聖書の預言,聖書に含まれる深い知恵,そして聖書が人の生活に対して持つ目ざましい感化力についてです。そして最後に,あなたご自身の生活に聖書がどのような影響を与え得るかについて考えていただくことにしましょう。
18 しかし今,聖書がどのようにして今日まで伝わってきたかをまず調べましょう。この驚くべき本の歴史でさえ,それが単に人間に由来するものではないことの証明となります。
-
-
生き抜くための聖書の闘い聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第2章
生き抜くための聖書の闘い
幾筋もの撚り糸のようになって,聖書がまさしく神の言葉であることを証しする一連の証拠があります。ひと筋ひと筋は強じんですが,そのすべてが合わさるとき,それは断ち切ることのできないものとなります。この章とそれに続く章の中では,ただひと筋の証拠についてのみ考察します。すなわち,一冊の書物としての聖書の歴史についてです。実際のところ,この目ざましい本が今日まで生き延びてきたのは奇跡以外の何ものでもありません。幾つかの事実について,ご自身で考えてみてください。
1 聖書に関する細かな事実としてどのような点がありますか。
聖書は単なる一冊の本ではありません。それは全部で66冊の書から成る一つの豊かな書庫であり,ある書は短く,ある書はかなり長く,法律・預言・歴史・詩文・助言,そして他の多くのものを含んでいます。これらの書のうちの最初の39冊は,キリストの誕生する幾世紀も前に,忠実なユダヤ人もしくはイスラエル人によって ― そのほとんどがヘブライ語で ― 書かれました。その部分は一般に旧約聖書と呼ばれています。終わりの27冊はクリスチャンたちによってギリシャ語で書かれ,新約聖書として広く知られています。聖書そのものの内面的証拠や古代以来の大方の伝承から判断すると,これら66冊の書物は,およそ1,600年の期間をかけて書かれました。エジプトが支配的な強国であったころから,ローマが世界の覇者であった時代にまでいたる期間です。
聖書だけが生き残った
2 (イ)聖書が書き始められたころイスラエルはどのような状況にありましたか。(ロ)同じ時代に書かれたものとしてほかにどのような書物がありましたか。
2 今から3,000年以上昔,聖書が書き始められたころ,イスラエルは中東の数ある国の中で単なる小国にすぎませんでした。周囲の諸国民が,困惑を感じさせるほどさまざまな男神女神を奉じていた中で,イスラエルにとってはエホバだけが神でした。その時代にイスラエル人だけが宗教文書を作ったわけではありません。他の国民も,それぞれの宗教や国民的価値観を反映する書物を書きました。例えば,メソポタミアの,ギルガメシュに関するアッカド語の伝奇や,ウガリット語(今日の北シリア地方で使われていた言語)で書かれたラス・シャムラ叙事詩などは広く知られていたことでしょう。その時代の膨大な量の文書の中には,エジプト語で書かれた「イプ・ヴェルの訓戒」や「ネフェル・ロフの預言」,また多くの神々へのシュメール語の賛歌や,アッカド語による預言的文書なども含まれていました。1
3 同じ時代に中東地域で書かれた他の宗教文書と比べると聖書にはどのような違いがありますか。
3 しかし,これら中東の書物すべては共通の運命をたどりました。それらは忘れ去られ,記録のために用いられた言語さえやがて廃れてしまいました。それらの書物の存在したことを考古学者や言語学者が知り,またその読み方を発見したのは,近年になってからのことにすぎません。それに対し,ヘブライ語聖書のうち最初に書かれた書物はまさにこの時代にまで生き残り,今なお広く読まれています。学者はときに,聖書の中のヘブライ語の書物は何らかの形でそれら古代の文学書に由来している,と主張します。しかし,それらの文書の多くが忘れ去られてしまった中でヘブライ語聖書が生き残っているという事実は,聖書が他の書物とはっきり異なるものであることを物語っています。
み言葉の守り手たち
4 イスラエル人の直面したどのような深刻な問題は聖書が生き残るのを危うくしたと考えられますか。
4 間違えないでください。人間的な見地からすれば,聖書が生き残ったのは決して当たり前のことではありませんでした。聖書を生み出した人々の社会は,非常に難しい試練や厳しい圧迫にさらされましたから,聖書が今日まで生き残ったのはまさに驚くべきことなのです。キリスト以前の時代,ヘブライ語聖書(「旧約聖書」)を生み出したユダヤ人は比較的小さな国民でした。ユダヤ人は,覇権をめぐって抗争する政治上の強国にはさまれて不安定な状況にありました。イスラエルは,フィリスティア人,モアブ人,アンモン人,エドム人など相次いで興り立つ近隣諸国民に対しても自らの生存をかけて戦わなければなりませんでした。ヘブライ人が二つの王国に分裂していた期間に,残忍なアッシリア帝国は北の王国をほとんど完全にぬぐい去りました。また,南の王国はバビロニア人により滅ぼされてその民は流刑に処され,わずかな残りの者たちだけが70年後に帰還しました。
5,6 一つの民族としてのヘブライ人の生存そのものを危険にするどのような企てがなされましたか。
5 イスラエル人に対して民族皆殺しの企てがなされた記録も幾つかあります。遠くモーセの時代に,ファラオは,イスラエル人に生まれ出る男の子すべての殺害を命じました。その命令が完全に守られていたなら,ヘブライ民族は絶滅していたことでしょう。(出エジプト記 1:15-22)ずっと後,ユダヤ人がペルシャの支配下にあったころ,ユダヤ人に敵対した人々は策謀をめぐらしてユダヤ人の根絶を謀る法律を通そうとしました。(エステル 3:1-15)ユダヤ人が今日でも行なうプリムの祭りはそのたくらみが失敗したことを祝うものです。
6 さらに後代,ユダヤ人がシリアの支配下にあった時代に,シリアの王であったアンティオコス4世はユダヤ国民のギリシャ化に力を入れ,ギリシャ人の習慣やギリシャの神々に対する崇拝を強要しました。しかしそれも失敗に終わりました。周囲のほとんどの国民が次々に世界史の舞台から姿を消した中で,ユダヤ人はぬぐい去られたり他民族と同化したりすることなく生存し続けました。そして,聖書のヘブライ語部分は彼らと共に生き続けました。
7,8 聖書が生存し続けることは,クリスチャンの遭遇した数々の患難によってどのように脅かされましたか。
7 聖書の第二の部分(「新約聖書」)を生み出したクリスチャンたちも圧迫を受けた人々でした。その指導者イエスは普通の犯罪者のようにして殺されました。イエスの死後まだ間もないころ,パレスチナ地方のユダヤ人官憲はクリスチャンを抑圧しようとしました。キリスト教が他の土地にも広がった時,その時代のユダヤ人は,クリスチャンを追い回して宣教の業を妨害しようとしました。―使徒 5:27,28; 7:58-60; 11:19-21; 13:45; 14:19; 18:5,6。
8 当初は寛容であったローマ官憲の態度はネロの時代に変化しました。タキツスは,この凶暴な皇帝によってクリスチャンに加えられた「この上ない責め苦」について誇らかに述べています。そしてネロの時代以後,クリスチャンになるということは死罪に当たることとされました。2 西暦303年,皇帝ディオクレティアヌスは聖書に真っ向から敵対する行動を取りました。a キリスト教を一掃しようとしたディオクレティアヌスは,クリスチャンの聖書すべてを焼き捨てるように命じました。3
9 ユダヤ人やクリスチャンを根絶やしにしようとするたくらみが成功していたなら,どのような事態の生じていたことが考えられますか。
9 こうした圧迫や集団虐殺のたくらみは聖書が生き残る上で真の脅威となりました。ユダヤ人がフィリスティア人やモアブ人と同じ運命をたどっていたなら,またキリスト教を一掃しようとする,初めはユダヤ人の,次いでローマ官憲の企てがそのとおりになっていたなら,だれが聖書を書き,またそれを保存したでしょうか。幸いにも,聖書の守り手たち ― 初めはユダヤ人,次いでクリスチャンたち ― がぬぐい去られることはなく,聖書は生き続けてきました。しかし,聖書が生き続けることに対してではないまでも,その完全な保存に対して別の重大な脅威がありました。
写本 ― 誤りを避け得ないもの
10 聖書はもともとどのようにして保存されましたか。
10 後に忘れ去られた前述の古代文書の多くは,石に刻み込まれるか,あるいは耐久性のある粘土板に印刻されていました。聖書の場合はそうではありません。聖書はもともとパピルス紙や羊皮紙に,つまりもっと朽ち果てやすい材料に書き付けられました。そのため,もともとの筆者による手書き原稿ははるか遠い昔に消失しました。では,聖書はどのようにして保存されてきたのでしょうか。幾千も数えきれないほどの写本が丹念な手書きによって作られました。印刷術が考案されるまでは,これが書物を複製するための普通の方法でした。
11 写本を手で書き写す場合どのような事は避けられませんか。
11 しかし,手で書き写すことには危険が伴います。広く名を知られた考古学者で大英博物館の館長であったフレデリック・ケニヨン卿はその点をこう説明しています。「人間の手と頭脳はいまだ,長大な文書の全体を全く誤りなく書き写せるようにはなっていない。……間違いが入り込むことは避け得なかった」。4 ある写本に間違いが入り込み,その写本が後の写本の底本になると,同じ間違いが繰り返される結果になりました。長い期間にわたって幾度も写本がなされると,数多くの人間的な誤りが紛れ込むことになりました。
12,13 ヘブライ語聖書の本文を保存する務めを担ったのはどんな人々でしたか。
12 写本が幾千となく作られてきたことを考えるとき,そのような複写再生の過程によっても聖書の内容が見分けのつかないほどに変わってしまわなかったことを,どうしたら確認することができるでしょうか。ヘブライ語聖書つまり「旧約聖書」の場合を考えてみましょう。西暦前6世紀の後半,ユダヤ人がバビロンへの流刑から帰還した時,ソフェリムすなわち「書記(書士)たち」として知られるヘブライ人の学者たちの一群が,ヘブライ語聖書本文の守護者となりました。公の場や私的な崇拝の際に使用するための聖書写本を作ることがその人々の仕事でしたが,それらは,高潔な動機を抱く,専門知識を備えた人々であり,その仕事の質は最高度のものでした。
13 ソフェリムの後を継いで西暦7世紀から10世紀ごろに活動したのはマソラ学者でした。この名称は「伝承」という意味のヘブライ語から来ており,本質的にはこれらの人々も,伝統的ヘブライ語本文を保存する務めを担った書記たちでした。マソラ学者は細心の仕事をしました。例えば,書記は,書き写すための原本として内容の正しさを十分に証明された写本を使用しなければなりませんでしたし,記憶に頼って書くことはいっさい許されませんでした。一文字一文字確かめながら書かねばなりませんでした。5 ノーマン・K・ゴットワルド教授はこう記しています。「職務を果たす際の彼らの注意のほどはラビの要求事項の中にも示されており,新しく作られた写本はすべて校正され,欠陥のある写本は直ちに廃棄されることになっていた」。6
14 どんな発見によって,ソフェリムやマソラ学者による聖書本文の伝達の正確さを確認できるようになりましたか。
14 ソフェリムやマソラ学者による聖書本文の伝達はどれほど正確になされましたか。1947年になるまで,この疑問に答えるのは容易なことではありませんでした。入手し得る完全にそろった最古のヘブライ語聖書写本は西暦10世紀のものであったからです。しかし1947年,幾つもの非常に古い写本の断片が死海付近の洞くつから発見され,ヘブライ語聖書の数多くの書の断片もその中に含まれていました。キリスト時代以前の写本断片も多数ありました。学者たちは,本文伝達の正確さを確認するために,それら断片と現存していた写本とを比較しました。その比較の結果はどうでしたか。
15 (イ)イザヤ書の死海写本とマソラ本文との比較の結果はどうでしたか。(ロ)死海付近で発見された幾つかの写本に,ある程度本文上の変異があることについてどんな結論を下せますか。(脚注をご覧ください。)
15 発見された最古の書物の一つは完全にそろったイザヤ書でした。その写本とわたしたちが今日持つマソラ聖書との同一性には驚くべきものがありました。ミラー・バロウズ教授はこう書いています。「[近年発見された]聖マルコ修道院所属のイザヤ書巻とマソラ本文との相違の多くは書写上の誤りとして説明し得る。そうした点を別にすれば,概して,中世の写本に見られる本文との著しい一致が認められる。これほど古い写本に認められるこのような一致は,伝統的本文の全般的な正確さに対する再保証となる」。7 バロウズ教授はさらにこう付け加えています。「1,000年もの間に生じた本文の改変がこれほどわずかであったというのは驚くべきことである」。b
16,17 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書の本文はどうして確かなものと言えますか。(ロ)フレデリック・ケニヨン卿はギリシャ語聖書の本文についてどんな証言をしていますか。
16 クリスチャンによってギリシャ語で書かれたいわゆる新約聖書の部分について言えば,その写字生たちは,高度の訓練を受けた専門的ソフェリムというよりは,むしろ素養のあるアマチュアと言うべき人々でした。しかしそれらの人々は,官憲当局者からの処罰という脅威のもとで作業をしたために,自分たちの仕事を真剣に受け止めていました。わたしたちが今日手にしている聖書本文が原筆者たちの手になるものと本質的に同一であることについて次の二つの保証があります。まず,聖書のヘブライ語部分に比べれば,時代的に見て最初に書かれたものにずっと近い写本が残っています。実際のところ,ヨハネ福音書のある断片は2世紀の前半,つまりヨハネがその福音書を記したとみなされる時代から50年以内のものです。第二に,現存している写本の数の豊富さそのものが本文の確かさに関する圧倒的な論証となります。
17 この点に関しフレデリック・ケニヨン卿はこう証言しました。「聖書の本文は実質的に見て確かなものであると明言してさしつかえない。新約聖書について特にこのことが言える。新約聖書の写本の数,また初期の翻訳やごく初期の教会著述家たちによる引用句の数はきわめて多く,疑問のあるいかなる章句についてもその真正の読み方がこれら古代の権威ある文献のいずれかにほぼ確実に保存されている。このようなことは世界の他のどんな古代文書に関しても例を見ない」。10
聖書を記した人々とその言語
18,19 聖書がもともと書かれた言語だけにとどめておかれなかったことについてどのようなことが言えますか。
18 聖書を書くために当初用いられた言語そのものも,ある意味で聖書が生き残るための一つの障害となりました。初めの39冊の書の大部分はイスラエル人の言語であったヘブライ語で書かれました。しかしヘブライ語が広く用いられるようになったことはありません。聖書がその初めの言語のままであったなら,ユダヤ国民やその言語を読める少数の外国人のわくを超えて広く感化力を及ぼすことは決してなかったでしょう。しかし西暦前3世紀,エジプトのアレクサンドリアに住むヘブライ人のために,聖書のヘブライ語部分をギリシャ語に翻訳することが始められました。ギリシャ語は当時一種の国際語となっていました。こうしてヘブライ語聖書はユダヤ人以外の人々も容易に読むことのできるものとなりました。
19 聖書の第二の部分が書かれるようになった時にも,ギリシャ語は依然として非常に広い範囲で用いられていました。そのため聖書の最後の27冊の書はその言葉で書かれました。しかしすべての人がギリシャ語を理解できたわけではありません。そのため,聖書のヘブライ語部分とギリシャ語部分双方の翻訳がやがてその時代の他の日常語で,つまりシリア語・コプト語・アルメニア語・グルジア語・ゴート語・エチオピア語などで登場するようになりました。ローマ帝国の公用語はラテン語で,ラテン語への訳が非常に多く作られたため,“欽定訳”のような権威ある公認の翻訳が定められなければなりませんでした。それは西暦405年ごろに完成され,「ウルガタ訳」として知られるようになりました。(“ウルガタ”とは“一般的な”または“普通の”という意味です。)
20,21 聖書が生存し続けるのに障害となったものは何でしたか。それを克服できたのはなぜですか。
20 こうして聖書は数々の障害を乗り越えて,西暦紀元数世紀後の時代にまで生き残りました。聖書を生み出したのは,他からさげすまれ,迫害された少数派の人々であり,敵対的な世界にあってその存在は終始脅かされていたのです。また,写本の過程でひどくゆがめられてしまう可能性も十分にありましたが,そのような事は起きませんでした。さらに聖書は,特定の言語の人々だけのものになるという危険からも守られてきました。
21 聖書が生存し続けることはなぜそれほど難しかったのでしょうか。聖書そのものは,「全世界が邪悪な者の配下にある」ことを述べています。(ヨハネ第一 5:19)この点を考えると,真理を広めることにこの世が敵対するであろうことは容易に想像でき,実際そのとおりになってきました。それでは,同様の困難には遭遇しなかった他の無数の文書が忘れ去られてしまった中で,なぜ聖書は生き残ったのでしょうか。聖書はその点にも答えて,「エホバのことばは永久に存続する」と述べています。(ペテロ第一 1:25)聖書が真に神の言葉であるならば,いかなる人間の力もそれを破壊することはできないはずです。この20世紀に至るまで,まさにそのとおりになってきたのです。
22 西暦4世紀の初めにどのような変化が起きましたか。
22 しかしながら,西暦4世紀に,やがて聖書に対する新たな攻撃となり,ヨーロッパの歴史に深遠な影響を及ぼす結果となったある事柄が起きました。ディオクレティアヌスが聖書の写本すべてを抹殺しようとしてからわずか10年後に,ローマ帝国の政策は変わり,“キリスト教”は合法化されました。その12年後の西暦325年には,ニケアで開催された“キリスト教の”公会議をローマの皇帝が主宰しました。そのような一見望ましく思われる事態の進展がどうして聖書にとって脅威となったのでしょうか。次の章でその点を調べましょう。
[脚注]
a 本書では「紀元」,「紀元前」の代わりに,「西暦」,「西暦前」が使用されています。
b 死海付近で発見されたすべての写本が現存の聖書本文とこれほどに一致しているわけではありません。あるものは本文上かなりの変異を示しています。しかしそれらの変異は,本文の本質的な意味がゆがめられたことを意味するものではありません。アメリカ・カトリック大学のパトリック・W・スケハンによると,大部分は「それ自体の全体的論理に基づく[聖書本文の]補正」であり,「それによって形式的には拡張されていても実質的には同じままである。……全体を貫く姿勢は,神聖なものとみなされる本文に対する明白な敬意,すなわち(あえて表現すれば)伝達されてきた聖書の本文そのものによって聖書を説明しようとする姿勢」です。8
別の注解者はさらにこう述べています。「あらゆる不確実性があるにしても,一つの重要な事実が残る。すなわち,我々が今日手にしている本文は,全体において,ほとんど3,000年昔の人々をも含むその著者たちの実際の言葉を公正に代表している。旧約聖書が我々に伝えている音信の真実性については本文の改変という面で重大な疑念を抱く必要は少しもない」。9
[19ページの囲み記事]
聖書の本文は十分に確立されている
聖書の本文がいかによく確立されているかは,ギリシャやローマの古典など,古代から今日に伝わる他の文書類と聖書の場合とを比較してみるだけでよく理解できます。実際のところ,これら古典書の多くはヘブライ語聖書が完成した後に書かれました。ギリシャ人やローマ人に対して民族皆殺しの企てがなされたというような記録はありません。それらの書物は迫害に直面しながら保存されてきたわけでもありません。しかし,F・F・ブルース教授の次の注解に注目してください。
「カエサルの『ガリア戦記』(紀元前58年から50年の間に書かれた)については幾つかの写本が現存しているが,そのうち良質のものは九つか十だけで,最古のものでもカエサルの時代よりおよそ900年も後のものである。
「リビウス(紀元前59年-紀元17年)のローマ史の書142のうち,現在残っているのは35だけである。それらが今日に知られるのは多少とも重要度のある20そこそこの写本による。そのうちの一つ,第3巻から第6巻の断片を含むものだけが特に古くて4世紀からのものである。
「タキツスの『歴史』(紀元100年ごろ)の14の書のうち,現存しているのは四つ半だけである。同著者による『年代記』の16の書については,十がそっくり残り,二つは部分的に残っている。彼の二大歴史書のこれら現存する部分の本文は二つの写本,すなわち9世紀のものと11世紀のものに全く依存している。……
「ツキディデス(紀元前460年-400年ごろ)の歴史書は八つの写本によって今日に伝わっているが,それらはいちばん古くても紀元900年ごろのものであり,そのほかには紀元後まもないころのパピルス小片が二,三あるだけである。
「ヘロドトス(紀元前488年-428年ごろ)の歴史書についても同じことが言える。しかし,ヘロドトスやツキディデスの著作の写本で多少とも我々に有用な最古のものは原著年代より1,300年以上も後代のものであるからそれらの書の信ぴょう性には疑問がある,というような論議に対して,古典学者たちはだれも耳を傾けようとはしない」―「書物と羊皮紙文書」,180ページ。
上記の点と,聖書にはそのさまざまな部分について幾千もの写本があるという事実とを比べてみてください。しかもクリスチャン・ギリシャ語聖書の古い写本は,もともとの書が書かれてから100年以内の時期にまでさかのぼり得るのです。
[13ページの図版]
ヘブライ人は小さな国民にすぎず,絶えず自分たちより強い国民からの脅威にさらされていた。古代のこの彫刻は幾人かのヘブライ人がアッシリアの捕虜として引かれて行く様子を描いている
[14ページの図版]
印刷術が考案されるまで聖書は手で書き写された
[16ページの図版]
ネロはクリスチャンになることを死罪に当たるものとした
[21ページの図版]
イザヤ書の死海写本に関する研究は,この書が1,000年以上の期間にわたって実質的に少しも変えられなかったことを証明した
[23ページの図版]
ディオクレティアヌス皇帝は聖書を抹殺しようとしたが,それはできなかった
-
-
聖書の偽りの友聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第3章
聖書の偽りの友
この章では,非キリスト教世界の多くの人が聖書を神の言葉として受け入れようとしない主要な理由について取り上げます。歴史的に見て,キリスト教世界は,聖書を信じ,かつその守り手である,と公言してきました。しかしキリスト教世界に属する多くの宗教組織は,中世における十字軍や少数民族の組織的虐殺から,この時代のユダヤ人大虐殺<ホロコースト>にいたる,歴史上最も忌まわしく恐るべき行為に関与してきました。キリスト教世界の行なってきた事柄は人が聖書を退けるべき理由となりますか。真実のところ,キリスト教世界は聖書の偽りの友となってきました。実際,キリスト教世界が西暦4世紀に登場した後にも,聖書を生き長らえさせるための戦いは決して終わらなかったのです。
1,2 (前書き部分を含む)(イ)多くの人が聖書を神の言葉として受け入れようとしないのはなぜですか。(ロ)1,2世紀にどんな立派な業が成し遂げられていましたか。しかしどんな危険な事態も進展していましたか。
第1世紀の終わりまでに,聖書のすべての書は書き終えられていました。その時以降クリスチャンは,完成した聖書を書き写し,それを配布する面で先頭に立ちました。それと共に,当時広く通用していた他の言語に聖書を翻訳することにも忙しく携わりました。しかし,クリスチャン会衆がこのような称賛すべき業を忙しく進めていた間に,聖書が生存し続ける上で大きな脅威となるある事柄が形を取りはじめていました。
2 物事のそのような進展は聖書そのものの中に予告されていました。ある時イエスは,自分の畑に良質の小麦の種をまいた人のたとえ話をされました。ところが,「人々が眠っている間に」,敵対する者が来て雑草の種をまいていったのです。種はどちらも芽を出しましたが,しばらくは雑草が小麦を覆い隠してしまいました。このたとえ話でイエスが示されたのは次の点でした。つまり,イエスの業は真のクリスチャンという実を結ぶはずですが,イエスの死後に偽りのクリスチャンが会衆内に侵入して来ます。やがて,本物と偽物とを見分けるのが難しくなる日が来ることでしょう。―マタイ 13:24-30,36-43。
3 使徒ペテロによると,雑草のような“クリスチャン”は聖書を信じる態度にどのような影響を与えますか。
3 使徒ペテロは,これら雑草のような“クリスチャン”がキリスト教や聖書に対する人々の見方にどのような影響を及ぼすかを率直に警告して,こう述べていました。『あなた方の間に偽教師が現われるでしょう。実にこれらの人々は,破壊的な分派をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった所有者のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらすのです。さらに,多くの者が彼らのみだらな行ないに従い,そうした者たちのために真理の道があしざまに言われるでしょう』― ペテロ第二 2:1,2。
4 1世紀においてさえ,イエスやペテロの預言はどのように成就していましたか。
4 1世紀においてさえ,これらイエスやペテロの預言は成就しはじめていました。野心的な人々がクリスチャン会衆内に侵入して,不一致の種をまきました。(テモテ第二 2:16-18。ペテロ第二 2:21,22。ヨハネ第三 9,10)その後の2世紀間に,聖書の真理の純粋さはギリシャ哲学によって腐敗させられ,多くの人は誤って異教の教えを聖書の真理として受け入れるようになってしまいました。
5 4世紀の初め,コンスタンティヌスはどんな政策上の変更を行ないましたか。
5 4世紀に,ローマ皇帝コンスタンティヌスは“キリスト教”をローマ帝国公認の宗教としました。しかしながら,コンスタンティヌスの知っていた“キリスト教”は,イエスが宣べ伝えた宗教とは大いに異なっていました。そのころまでに,イエスの予告のとおり「雑草」が生い茂っていました。とはいえ,このような時代全体を通じて,真のキリスト教を代表し,聖書を霊感による神の言葉としてそれにつき従おうと努力した人々のいることを確信できます。―マタイ 28:19,20。
聖書の翻訳は妨げられる
6 キリスト教世界はいつ明確な形を取りはじめましたか。キリスト教世界の宗教はどんな点で聖書のキリスト教と異なっていましたか。
6 キリスト教世界が今日わたしたちの知るような形を取りはじめたのはコンスタンティヌスの時代からです。すでに根を張っていた変質したキリスト教は,その時代以降もはや単なる宗教組織ではありませんでした。それは国家の一機構となり,その指導者たちは政治において重要な役割を演じるようになりました。背教した教会はやがて,その政治力を聖書のキリスト教に全く反するようなかたちで用いて,聖書そのものに対する新たな脅威を持ち込むようになりました。どのようにでしょうか。
7,8 教皇が聖書を翻訳することに反対を表明したのはいつごろでしたか。それはどんな理由によりましたか。
7 ラテン語が日常語としては廃れるにつれ,聖書の新しい翻訳が必要になりました。しかし,カトリック教会はもはやそのことを好意的には見ませんでした。1079年,後にボヘミア王となったウラティスラウスは,聖書を自分の民の言語に翻訳する許可を教皇グレゴリウス7世に求めました。それに対する教皇の答えは否でした。教皇はこう述べました。「それについてしばしば熟慮する者にとって明らかなことであるが,聖書をある場所においては秘めておくべきことを全能の神がよみしてこられたのは理由のないことではない。これは,聖書がすべての者にはっきり明らかなものになることによって,聖書があまり重んじられなくなったり不敬に扱われたりするようなことのないためである。さもなければ,凡庸な学識しかない者によって誤って解釈されて,とがにつながりかねない」。1
8 教皇は,聖書をすでに死語となっていたラテン語のままで保存することを望んでいました。聖書の内容は「秘めて」おくべきもので,一般人の言葉に翻訳すべきものではないとしたのです。a ヒエロニムスによる5世紀のラテン語ウルガタ訳は,だれもが聖書に接することができるようにという目的で作られたものでしたが,いまやそれは聖書を隠しておくための手段と化してしまいました。
9,10 (イ)聖書を翻訳することに対するローマ・カトリックの反対はどのように進展してゆきましたか。(ロ)聖書を広めることに対する同教会の反対にはどんな目的がありましたか。
9 中世の時代が進むにつれ,聖書を日常的地方語に訳すことに対する教会の態度はいっそう厳しいものになりました。1199年,教皇インノケンティウス3世は,ドイツ,メッツの大司教にあてて強硬な手紙を書き,大司教は見つけ得るかぎりのドイツ語聖書を焼き捨てました。3 1229年,フランス,トゥールーズの司教区会議は,「平信徒」がいかなる部分にせよ日常語で書かれた聖書を所有することをいっさい禁ずる布告を出しました。4 1233年,スペイン,タラゴナの管区長会議は,「旧新約を問わず」聖書のすべての書を焼却のために提出することを命じました。5 1407年,大司教トマス・アランデルにより英国のオックスフォードに召集された聖職者会議は,英語にであれ他のいかなる現用語にであれ聖書を翻訳することを明確に禁じました。6 1431年,同じく英国で,ウェルズの司教スタッフォードは,聖書を英語に翻訳することを禁じ,そのような翻訳を所持することをも禁じました。7
10 これら宗教上の権威者たちは,聖書を滅ぼし去ろうとしていたわけではありません。聖書をいわば化石のようにし,ごくわずかな人しか読めない言葉のままにしておこうとしたのです。こうしてそれら権威者たちは,自分たちが異端とみなすもの,しかし実際には自分たちの権威に対する挑戦となるものを阻止することを願ったのです。もしこれがそのとおりになっていたなら,聖書はただ知的好奇心を満たすだけの物となり,一般の人々の生活に感化を及ぼすものとなることはほとんど,あるいは全くなかったことでしょう。
聖書の擁護者となった人々
11 フリアン・エルナンデスがスペイン語の聖書をスペインにひそかに持ち込もうとしたことはどんな結果になりましたか。
11 しかし幸いなことに,このような布令に従うことを拒んだ誠実な人々が数多くいました。とはいえ,そのようにして布令を破ることには危険が伴いました。人々は,聖書を所有したという“犯罪”のためにひどい苦しみに処せられました。一例として,フリアン・エルナンデスというスペイン人の場合を考えてください。フォックスの「クリスチャン殉教史」によると,フリアン(もしくはフリアーノ)は「大量の聖書をドイツから自国に運び込むことを企画し,それを樽の中に隠してラインワインのようにこん包し」ました。フリアンは裏切りに遭って,ローマ・カトリックの異端審問にかけられました。それらの聖書を受け取るはずであった人々は「ひとり残らず拷問を受け,そのほとんどはさまざまな刑の宣告を受け,フリアーノは火刑に処せられ,20人は焼き串の上で火あぶりにされ,他の数人は終身の投獄刑になり,幾人かは公衆の面前でむち打たれ,多くの人がガレー船に送られ」ました。8
12 どうして中世の宗教上の権威者たちは聖書のキリスト教を正しく代表していなかったと言えますか。
12 恐ろしいほどの権力の乱用です! このような宗教上の権威者たちは明らかに,聖書のキリスト教を正しく代表してはいませんでした。聖書そのものは次のように述べて,このような人々がだれに属しているかを明らかにしています。「神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです。互いに愛し合うこと,これが,あなた方が初めから聞いている音信なのです。カインのようであってはなりません。彼は邪悪な者から出て,自分の兄弟を打ち殺しました」― ヨハネ第一 3:10-12。
13,14 (イ)中世に見られたどんな特筆すべき事実は,聖書が神からのものであることを示していますか。(ロ)聖書に関しヨーロッパではどんな状況の変化が起きましたか。
13 しかし,ただ聖書を所持するためにこれほど衝撃的な仕打ちを受けようとも,その危険を恐れない男女がいたということはまさに注目に値します。そして,そのような例はわたしたちの時代にいたるまで幾たびも繰り返されてきました。聖書が人に抱かせる深い専心の思い,辛抱強く苦しみに耐え,拷問を加える人たちに仕返しすることなく非業の死にも甘んじて服する態度,これらも聖書が神の言葉であることの強力な証拠なのです。―ペテロ第一 2:21。
14 ついに,ローマ・カトリックの権力に対する16世紀のプロテスタントの反抗の後,ローマ・カトリック教会自体も,聖書をヨーロッパの日常諸言語に翻訳して出版しないわけにはいかなくなりました。しかし,そのような時代になっても,聖書はカトリックよりもプロテスタントの運動と結び付いていました。ローマ・カトリックの司祭エドワード・J・シウバはこう記しています。「プロテスタントによる宗教改革のより悲しむべき帰結の一つとして正直に認めなければならないものは,忠信なるカトリック教徒の間で聖書がなおざりにされていたことであろう。完全に忘れ去られたことは決してないまでも,大部分のカトリック教徒にとって聖書は閉じられたままの本であった」。9
高等批評
15,16 聖書に対する妨げという点でプロテスタントも責めを免れないのはなぜですか。
15 しかし,聖書に対する妨げという点ではプロテスタントの諸教会も責めを免れません。年月がたつにつれ,プロテスタントのある学者たちは,この書物に対して別の攻撃をしかけました。つまり,知能的な攻撃です。18世紀から19世紀にかけて,学者たちは,高等批評として知られる聖書研究の手法を発展させました。高等批評家たちは,聖書の多くの部分は伝説や神話で成り立っていると教えました。イエスは実在しなかった,と唱える学者たちさえ出ました。これらプロテスタントの学者たちは,聖書を神の言葉としたのではなく,人間の言葉,しかも雑然たる寄せ集めであるとしました。
16 このような考えのうちの極端なものはもはや信じられてはいませんが,高等批評はいまだに神学校で教えられており,プロテスタントの牧師たちが聖書の多くの部分を公然と否認するのを聞くのは珍しいことではありません。例えば,オーストラリアの一新聞は聖公会のある司祭の言葉を引用しましたが,それによると,聖書中の多くの部分は「全くの間違いで,歴史記述の一部も間違っており,詳細事項のあるものは明らかに歪曲されている」とのことです。このような考え方は高等批評の結果です。
「あしざまに言われる」
17,18 キリスト教世界の振る舞いはどのように聖書にそしりをもたらすものとなってきましたか。
17 とはいえ,人々が聖書を神の言葉として受け入れる上で最大の障害となってきたのは,おそらくキリスト教世界の振る舞いでしょう。キリスト教世界は,聖書につき従っていると公言しています。しかし現実の振る舞いは,聖書に,またクリスチャンの名そのものに大きなそしりをもたらすものとなってきました。使徒ペテロが予告したとおり,真理の道は「あしざまに言われる」結果になりました。―ペテロ第二 2:2。
18 例えば,教会は聖書の翻訳を禁じましたが,その一方で,教皇は中東のイスラム教徒に対する大々的な軍事行動の主唱者となっていました。それら一連の軍事行動は“聖十字軍”と呼ばれるようになりましたが,それに関して聖なるところなどは少しもありませんでした。“人民の十字軍”と名づけられた最初の遠征は,その後の基調を定めるものとなりました。まずヨーロッパから出る前,説教師たちにかき立てられた無規律な軍隊は,ドイツ国内のユダヤ人に襲いかかり,町から町へとユダヤ人を虐殺してゆきました。なぜそのようなことを行なったのですか。歴史家ハンス・エバーハルト・マイヤーはこう述べています。「ユダヤ人はキリストの敵であって処罰に価するとの論議は,貪欲という真の動機を隠そうとする薄弱な言い訳でしかなかった」。10
19-21 三十年戦争,またヨーロッパからの布教活動や植民地の拡大は,どのように聖書にそしりをもたらすものとなりましたか。
19 16世紀におけるプロテスタントの反抗は,ヨーロッパの多くの土地からローマ・カトリックの権力を排除しました。その結果の一つは三十年戦争(1618-1648年)です。「世界総史」によると,それは「西ヨーロッパの歴史上最も悲惨な戦争の一つ」でした。その戦争の根本原因は何でしたか。「プロテスタントに対するカトリックの,そしてカトリックに対するプロテスタントの憎しみ」でした。11
20 このころまでにキリスト教世界はヨーロッパ以外の土地にも拡大しはじめ,地上の他の場所に“キリスト教文化”を運び込んでいました。それは軍事力を伴う拡大であり,残虐さと貪欲さを特色としていました。アメリカ大陸で,スペイン人の征服者<コンキスタドール>たちは,その土地に元々あった文明を短時日のうちに滅ぼし去ってしまいました。一歴史書はこう述べています。「一般的に言って,スペインの統治者たちは土着の文明を破壊したが,西欧の文明を導入したわけでもない。金に対する渇望こそ,それらの人々を新世界に引き付けた主要な動機であった」。12
21 プロテスタントの宣教師たちもヨーロッパから他の大陸へと出かけて行きました。その活動の結果の一つは,植民地化の拡大でした。プロテスタントの宣教努力に対し今日広く受け入れられている見方の一つは以下のとおりです。「多くの場合,宣教のための事業は,民に対する支配の正当化や目隠しのために用いられてきた。布教と産業技術と帝国主義との相互関係は広く知られている」。13
22 20世紀に,キリスト教世界はキリスト教の名にどのようにそしりをもたらしましたか。
22 キリスト教世界の諸教派と国家との緊密な結び付きは今日までずっと継続してきました。過去二回の世界大戦は主として“キリスト教”の国家間で行なわれました。僧職者たちは戦線のそれぞれの側において,敵と戦って殺すよう自国の若者たちを激励しましたが,それは同じ宗教に属する人々同士である場合が少なくありませんでした。「教会が世界平和を願うのであれば」という本はこう述べています。「確かに[諸教会にとって]少しも誉れにならないことであるが,今日の戦争の機構が拡大したことは,キリスト教の大義のために専心しているはずの国々に最大の破壊をもたらす結果となった」。14
神の言葉は生き残る
23 キリスト教世界の歴史は,聖書が神の言葉であることをどのように示していますか。
23 キリスト教世界のこのような長く,嘆かわしい歴史をたどってみたのは,二つの点を明示するためでした。まず第一に,このような一連の出来事は聖書預言の成就です。クリスチャンと唱える多くの人が聖書に,そしてキリスト教の名にそしりをもたらすであろうことは予告されていましたが,実際そのとおりになったという事実は,聖書の真実さの立証となります。しかしながら,キリスト教世界の振る舞いは聖書に基づくキリスト教を正しく代表するものではないという点を見失うことのないようにしなければなりません。
24 真のクリスチャンを明らかにし,同時にキリスト教世界が非キリスト教的であることを明示するものは何ですか。
24 真実のクリスチャンを識別する方法については,イエスご自身がこう説明されました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)さらにイエスはこう言われました。「わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」。(ヨハネ 17:16)どちらの点からしても,キリスト教世界は聖書のキリスト教を代表してはいないことをあらわにしています。聖書の友であると唱えてはいますが,実際には偽りの友となってきました。
25 あらゆる患難を乗り越えて聖書がこの時代まで生き残ってきたのはなぜですか。
25 第二の点はこうです。すなわち,キリスト教世界が全体として聖書に逆らう非常に多くの事柄を行なってきたことから考えると,そうした中で聖書が今日まで生き残り,数多くの人々の生活に今なお良い感化を与えている事実はまさしく注目に値します。聖書は,それを翻訳することに対する激しい反対や,現代主義の学者たちからの猛攻撃,またその偽りの友となったキリスト教世界の非クリスチャン的な振る舞いに面しながら生き残ってきました。なぜでしょうか。それは,聖書が他のどんな書物とも異なっているからです。聖書が死滅することはあり得ません。それは神の言葉であり,聖書そのものがこう述べています。「草は枯れ,花はしぼむ。しかし,わたしたちの神の言葉は永久に存続する」― イザヤ 40:8,新英訳聖書。
[脚注]
a 聖書が日常的地方語に翻訳された例も幾らかありましたが,多くの場合それらは非常に凝った装飾を施した写本として丹念に作られ,決して一般的な使用のためのものではありませんでした。2
[34ページの拡大文]
プロテスタントの主流諸教会は,聖書に対する知能的な攻撃の主要な部分にかかわってきた
[26ページの図版]
キリスト教世界の歴史は,実際には,コンスタンティヌスがその時代の“キリスト教”を合法化した時に始まった
[29ページの図版]
教皇グレゴリウス7世とインノケンティウス3世は,聖書を人々の日常の言葉に翻訳させないようにしたカトリック教会の中でも特に顕著な人物であった
[33ページの図版]
キリスト教世界の衝撃的な振る舞いのために多くの人は聖書が本当に神の言葉であるかどうかを疑うようになった
[35ページの図版]
第一次世界大戦の際これらロシア兵たちは仲間の“クリスチャン”の殺りくのために出陣するに先立って宗教的な図像に身をかがめた
-
-
「旧約聖書」はどれほど信じられますか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第4章
「旧約聖書」はどれほど信じられますか
これから先の数章では,現代の批評家たちが聖書に加える批判の幾つかを取り上げます。聖書は内面的に矛盾しているとか,“非科学的”であると批判する人々もいますが,そのような点についてはもっと後の章で取り上げます。ここではまず,よく挙げられる批判,つまり聖書は神話や伝説を集めたものにすぎない,と言われている点について検討してください。聖書に反論する人々には,そのように批判するだけの確かな根拠がありますか。まず初めに,ヘブライ語聖書,すなわちいわゆる「旧約聖書」について調べましょう。
1,2 エリコに対する攻囲はどのようになされましたか。その事についてどんな疑問が出されていますか。
古代のある都市が攻囲されています。攻撃者たちはヨルダン川を渡って集結し,今その都市の高い城壁に向かって陣を敷きました。しかし,何と奇妙な戦術なのでしょう。その侵入軍は六日のあいだ毎日その都市の周りを行軍したのです。何の音も立てません。一緒に進む祭司の一団が角笛を吹いているだけです。七日目になると,その軍隊は沈黙のまま都市の周りを七回行進します。突然,祭司たちが角笛を力のかぎりに吹き鳴らし,軍勢も沈黙を破って,どっとときの声を上げます。すると,そびえ立っていた城壁が砂煙をあげて崩れ落ち,その都市は無防備の状態になります。―ヨシュア 6:1-21。
2 これは,ヘブライ語聖書の6番目の書であるヨシュア記に描かれているエリコ陥落の模様です。それは今から3,500年も昔の事でした。しかし,それは実際にあった事なのでしょうか。多くの高等批評家たちは自信ありげにそれを否定するでしょう。a ヨシュア記とそれに先立つ聖書の五つの書とは,そこに伝えられている出来事のあった時より幾世紀も後に書かれた伝承物語から成っている,というのがその主張です。多くの考古学者もやはり否定の答えをするでしょう。イスラエル人がカナンの地に入った時,エリコは存在してさえいなかったのではないかというのです。
3 聖書が真実の歴史を載せているかどうかを調べるのはなぜ大切ですか。
3 これは重大な批判です。聖書をお読みになれば,そこに記されている教えが実際の歴史と緊密に結び付いていることに気づかれるでしょう。神は現実の人間男女・家族・国民を扱われ,神の命令は歴史上実在の民に与えられました。聖書の史実性に疑いを投げかける現代の学者たちは,聖書の音信の意義や信頼性にも疑いを投げかけていることになります。聖書がほんとうに神の言葉であるならば,その歴史は信頼でき,単なる伝説や神話を含んではいないはずです。そのような批判をする人たちには,聖書の歴史的真実性に挑戦する十分な根拠があるのでしょうか。
高等批評 ― どれほど信頼できるか
4-6 ヴェルハウゼンの高等批評の学説にはどんな点が含まれていますか。
4 聖書の高等批評は,18世紀から19世紀にかけて本格的になりました。19世紀の後半に,ドイツの聖書批評家ユーリウス・ヴェルハウゼンは一つの学説を普及させました。すなわち,ヨシュア記を含む聖書の最初の6冊の書は西暦前5世紀に,つまりそこに記述されている出来事よりおよそ1,000年も後に書かれた,という説です。もっともヴェルハウゼンは,それより以前に書かれた資料がその中に含まれている,と述べてはいました。1 この学説は1911年出版のブリタニカ百科事典第11版に載せられ,一部こう説明していました。「創世記は捕囚後の作であり,捕囚以後の祭司資料(P)と,語法・文体・宗教的観点の面でPとは著しく異なるそれ以前の非祭司系諸資料とから構成されている」。
5 ヴェルハウゼンとその学徒は,ヘブライ語聖書の初めの部分に記されている歴史のすべてを,「文字通りの歴史記述ではなく,過去の時代に関する民間伝承である」としました。2 そして,初期の時代に関する記述はイスラエルの後代の歴史を反映したものにすぎない,とみなしました。例えば,ヤコブとエサウとの反目は,実際に起きたというよりは,後代におけるイスラエルとエドム両国民の間の反目を反映したものである,というのです。
6 同じような見方で,これら批評家たちは,モーセは契約の箱を作るようにという命令を受けたりはせず,荒野におけるイスラエル人の崇拝の中心であった幕屋も実在はしなかった,とみなしました。また,アロン系の祭司職の権能が十分に確立されたのもエルサレムがバビロニア人に滅ぼされるほんの数年前であったとしています。その滅びは批評家たちの考えでは,西暦前6世紀初めのことでした。3
7,8 ヴェルハウゼンは自分の学説に対してどのような“証拠”を有していましたか。それは確かなものでしたか。
7 それらの人々は,このような考えのためのどんな“証拠”を有していましたか。聖書の初期の書の本文は幾つかの異なる資料文書に分け得る,と高等批評家たちは唱えています。一般的に見て,聖書の章句のうち,神を表わすヘブライ語(エローヒーム)を専ら用いている部分はすべてあるひとりの筆者によって書かれ,神を指してエホバという名を用いている部分はすべて別の筆者によるに違いない,というのがそれらの人々の用いる基本原理の一つです。同一の筆者がこれら二つの用語を使うはずはないという見方です。4
8 同じように,あるひとつの出来事が同一の書に繰り返して記録されている場合,古代セム語の文書にはそのような繰り返しの例がほかに幾つもあるにもかかわらず,それはいつでも複数の筆者が作業をした証拠であると解釈されています。さらに,文体が変化していれば,それは必ず筆者が変わったからであると想定されています。しかし,現代語の文筆家の場合でも,作品の時期や扱う主題に応じて文体を変えて書く例は少なくありません。b
9-11 現代の高等批評にはどのようなはっきりした弱点がありますか。
9 このような説には現実の証拠が何かあるでしょうか。少しもありません。ある解説者はこう述べています。「批評は,最善の場合でも,思弁的また仮説的で,常に修正されたり誤りを証明されたりしがちであり,何か別のものと置き換えられねばならないことの多いものである。それは一種の知的演習であり,その種の演習とは切り離せないあらゆる疑念や推測を免れ得ないものである」。5 とりわけ聖書の高等批評は極端なまでに「思弁的また仮説的」です。
10 グリソン・L・アーチャー(2世)は,高等批評の論理に別の欠点のあることを示しています。その問題点についてアーチャーはこう述べます。「ヴェルハウゼン学派は純然たる仮定(それは彼らがあえて論証さえしていない点であるが)のもとに出発した。すなわち,イスラエルの宗教は他のすべての場合と同じく人間に由来するものにすぎず,単なる進化の所産として説明されるべきである,という仮定である」。6 言い換えると,ヴェルハウゼンとその学徒は,聖書は単なる人間の言葉であるという仮定に出発し,それをもとに論議を展開しているのです。
11 すでに1909年,ユダヤ百科事典はヴェルハウゼンの学説に関してさらに二つの弱点を次のように指摘しました。「ヴェルハウゼンが同時代の聖書批評家たち全体をほとんどそっくりとりこにした論議は,次の二つの仮定に基づいている。第一に,儀式形式は宗教の発展に伴って漸次複雑化する; 第二に,より古い文献資料は儀式形式の発展におけるより早い段階のものを扱っているはずである。最初の仮定は原始諸文化に見られる証拠に反し,後の仮定も,インドの場合など,種々の儀式規範からの証拠に裏付けを見いだせない」。
12 考古学に照らして見た場合,現代の高等批評はどのような立場にありますか。
12 高等批評の説が正しいか正しくないかを試してみる方法はないのでしょうか。ユダヤ百科事典はさらにこう述べていました。「ヴェルハウゼンの見解はほとんど全面的に文字の上での分析に基づいており,正規の考古学的観点に基づく考察によって補われることが必要であろう」。その後の年月,考古学はヴェルハウゼンの学説を確証する方向に進みましたか。新ブリタニカ百科事典はこう答えています。「考古学的批評は,[聖書の伝える歴史の]最古の時期に関してさえ,その基本的歴史事項の信頼性を立証し,ペンタチュークの記述[聖書の中の最も初期の書に見られる歴史的記録]はずっと後代の出来事を反映したものにすぎないとする学説の真正さを疑わせる方向に進んできた」。
13,14 土台のもろさにもかかわらずヴェルハウゼンの高等批評が今日なお広く受け入れられているのはなぜですか。
13 このような弱点があるにもかかわらず,高等批評が今日の知識人の間でこれほど受け入れられているのはなぜでしょうか。なぜなら,高等批評はそれらの人々の望む事柄を論じているからです。19世紀のある学者はこのように説明しました。「私としては,ヴェルハウゼンのこの本を他の多くの人々以上に歓迎した。旧約聖書の伝える歴史に関する差し迫った難問が,すべての宗教の歴史についても当てはめなければならない人類進化の原理に調和したかたちでついに解決されると思われたからである」。7 明らかに,高等批評は進化論者としてのこの学者の先入主と一致していたのです。そして確かに,これら二つの説は同様の目的を果たしています。進化論が創造者の存在を信じる必要を除き去ってしまうのと同じように,ヴェルハウゼンの高等批評も,聖書が神の霊感によるものであることを信じなくてもよいようにしてくれるのです。
14 この,合理論の20世紀に,聖書は神の言葉ではなく人間の言葉にすぎないという考えは,知識人にとってもっともなものと思えることでしょう。c それらの人々にとっては,預言をそのとおり真実のものとして受け入れるよりは,成就の後に書かれたものとするほうがずっと信じやすいのです。奇跡に関する聖書の記述についても,それが現実に起きた可能性を考えるより,ただの神話・伝説・民間伝承として片づけてしまうことのほうを好むのです。しかし,そのような見方は一種の偏見であり,聖書を真実のものではないとする確かな理由とはなりません。高等批評には重大な欠陥があり,聖書に対するその攻撃も,聖書が神の言葉ではないことを論証する点で成功してはいません。
考古学は聖書を裏付けるか
15,16 聖書の中に述べられている古代のどんな支配者の実在が考古学によって確証されましたか。
15 考古学は,高等批評と比べれば,ずっと強固な基礎のある研究分野です。考古学者は,過去の文明の遺跡を発掘することによって,古代の事物に関するわたしたちの理解を多くの面で深めさせてくれました。したがって,考古学上の記録が聖書に記されている事柄と調和している場合が幾度となくあるのも不思議ではありません。しばしば考古学は,聖書に対する批判の反証ともなってきました。
16 一つの例を挙げましょう。ダニエル書によると,ペルシャの手に落ちる前のバビロンの最後の支配者はベルシャザルという人でした。(ダニエル 5:1-30)聖書以外にはベルシャザルに関する言及が全くないように見えたため,聖書は間違っており,このような人物は実際には存在しなかったという非難のなされたことがあります。しかし19世紀に,楔形文字を刻み込んだ幾つかの小さな円筒がイラク南部の数か所の遺跡から発見されました。その刻文には,バビロン王ナボニドスの長男の健康を願う祈りの言葉の含まれていることが明らかになりました。その息子の名は何でしたか。ベルシャザルです。
17 たいていの碑文がベルシャザルを皇太子と呼んでいるのに対し,聖書が彼を王としている点をどのように説明できますか。
17 ですから,ベルシャザルは実在したのです。しかし,バビロンが陥落した時ベルシャザルは王でしたか。その後に発見された文書資料のほとんどは,ベルシャザルを王の息子,つまり皇太子としていました。しかし,「ナボニドスの詩的記述」と呼ばれる楔形文字文書が,ベルシャザルの実際の地位にいっそうの光を投じました。それはこのように伝えていました。「彼[ナボニドス]は『宿営』を自分の一番上(の息子),長子に託し,国中いたるところの軍隊に対してその(指揮)に服することを命じた。彼は(すべての事を)ゆだね,王権をこれに託した」。8 そのようなわけで,ベルシャザルには王権が託されていました。このことは事実上,ベルシャザルを王位に就かせていたのです。d ベルシャザルとその父ナボニドスとの間のこの関係は,バビロンにおけるあの最後の宴会の際になぜベルシャザルがダニエルを王国の第三の支配者とすることを申し出たのかという点の説明ともなります。(ダニエル 5:16)ナボニドスが第一の支配者でしたから,ベルシャザル自身はバビロンの第二の支配者であったのです。
裏付けとなる他の証拠
18 考古学はダビデの治世の結果としての平和と繁栄を確証するどのような情報を与えていますか。
18 確かに考古学上の多くの発見は,聖書の歴史的正確さを実証してきました。例えば,聖書は,ソロモン王が父ダビデの王権を継いだ後,イスラエルが大いに繁栄したことを伝えています。こう記されています。「ユダとイスラエルは,おびただしさの点で海辺にある砂粒のように多くて,食べたり飲んだりして,歓んでいた」。(列王第一 4:20)このような記述を裏付けるものとして次の一文があります。「考古学上の証拠によって明らかにされた点であるが,西暦前10世紀およびそれ以後,ユダでは人口の爆発的増加があった。それは,ダビデのもたらした平和と繁栄によって多くの新しい町の建設が可能になった時期である」。10
19 イスラエルとモアブとの戦闘に関して考古学はさらにどのような情報を与えていますか。
19 後にイスラエルとユダは別個の国家となり,イスラエルは隣接するモアブの地を征服しました。ある時モアブはメシャ王のもとに反乱を起こし,イスラエルはユダおよび隣接するエドム王国と同盟を結んでモアブに対して戦いました。(列王第二 3:4-27)注目すべきことに,1868年,ヨルダンで一つのステラ(文字などを彫り込んだ石板)が発見されましたが,それにはこの戦闘に関するメシャ側の説明がモアブの言葉で刻み込まれていました。
20 アッシリア人によるイスラエルの滅びについて考古学は何を物語っていますか。
20 その後,西暦前740年,神は反抗的な北のイスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされることを許しました。(列王第二 17:6-18)この出来事に関する聖書の記述について考古学者キャスリーン・ケニヨンはこのように注解しています。「これらのうちのある箇所は誇張表現ではないかとの疑念を持つ人もいるかもしれない」。しかし,そうでしたか。ケニヨンはさらにこう述べています。「イスラエル王国の滅亡に関する考古学上の証跡は,聖書の記録から得られるものよりさらに鮮烈であると言ってよい。……サマリアやハツォルなどイスラエル人の町々の徹底的な抹消,およびそれに伴うメギドの破壊の跡は,[聖書の]筆者が誇張してはいなかったという真実の考古学上の証拠である」。11
21 ユダがバビロニア人に屈服させられたことに関して考古学はどのように細かな点を明らかにしていますか。
21 さらに後の時代に関し,聖書は,エホヤキン王統治下のエルサレムがバビロニア人に攻囲されて撃ち破られたことを述べています。その出来事については,考古学者の発見した楔形文字の書板で,バビロニア年代記と呼ばれるものにも記録されていました。それにはこう記されています。「アッカド[バビロン]の王は……ユダ(イアフドゥ)の都市を攻囲し,王はアッダルの月の第二日にその都市を攻め取った」。12 エホヤキンはバビロンへ連れて行かれて投獄されました。しかし聖書によると,後にエホヤキンは獄から釈放され,食物の支給を受けるようになりました。(列王第二 24:8-15; 25:27-30)この点もバビロンで発見された行政上の文書によって裏付けられており,「ユダの王ヤウキーン」への食物の支給量が記載されています。13
22,23 全体的に見た場合,考古学と聖書の歴史記述とにはどのような関係がありますか。
22 考古学と聖書の歴史記述との関係について,デービッド・ノウエル・フリードマン教授はこう述べています。「しかし全体的に見ると,考古学は聖書記述の歴史的確実性を裏付ける方向に進んできた。族長たちから新約の時代にいたる大まかな年代的あらすじは,考古学上のデータと相互関係にある。……今後の発見は,現在の穏当な見解,すなわち,聖書の伝承は批判的もしくは科学的な意味での歴史ではないまでも,実際の歴史に根ざしており,忠実に伝達されてきた,という見解をさらに支持してゆくであろう」。
23 次いで,聖書に対する信頼性を失わせる高等批評について,同教授はこう述べています。「現代の学者たちによる聖書歴史の再構築の試み ― 例えば,族長時代のことは分立王朝時代の反映であるというヴェルハウゼンの見解,またモーセや出エジプト記の史実性を否定してイスラエル人の歴史を再構成しようとするノートやその学徒たち ― は,考古学上のデータに照らしても聖書の記述に照らしても耐え得るものではなかった」。14
エリコの陥落
24 エリコの陥落に関して聖書はどんなことを述べていますか。
24 これは,どんな場合にも考古学と聖書とが一致するという意味ですか。そうではありません。多くの不一致点もあります。その一つは,この章の初めで述べた,エリコの劇的な征服に関する記述です。聖書によると,エリコは,ヨシュアがイスラエル人をカナンの地に導き入れたさい最初に征服された都市でした。聖書の年代記述によると,その都市が陥落したのは西暦前15世紀の前半です。征服された後,エリコは火で焼き尽くされ,そののち何百年ものあいだ人の住まないままに放置されました。―ヨシュア 6:1-26。列王第一 16:34。
25,26 エリコの発掘の結果,考古学者たちはどんな二つの異なる結論に至りましたか。
25 第二次世界大戦の前,エリコの遺跡とみなされていた場所がジョン・ガースタング教授によって発掘されました。同教授は,その都市が非常に古い時代からのものであり,破壊と再建を何度も繰り返してきたことを発見しました。ガースタングは,そのような破壊の一時期に城壁が地震によるかのようにして崩れ落ち,その都市が火で完全に焼き尽くされているのを見つけました。ガースタングは,そのことが西暦前1400年ごろ,すなわちヨシュアによるエリコの破壊の年代として聖書が示しているのとあまり隔たっていない時期に起きたものと考えました。15
26 大戦後に別の考古学者キャスリーン・ケニヨンがエリコでさらに発掘を行ないました。ケニヨンは,ガースタングの判定した城壁の倒壊がガースタングの考えたよりも数百年早かったという結論に達しました。ケニヨンは,エリコの大々的な破壊を西暦前16世紀と判定し,前15世紀つまりヨシュアがその地に侵入したと聖書の述べている時期にエリコに都市は存在しなかった,と述べました。ケニヨンは,西暦前1325年にその地で起きたとみなし得る別の破壊に関する想定可能な形跡についても報告し,次のように述べました。「エリコの破壊とヨシュアの指揮下になされた侵攻とを結び付けるとすれば,これ[後のほうの年代]が考古学の示唆する年代である」。16
27 聖書と考古学との食い違いのゆえに過度に当惑させられるべきでないのはなぜですか。
27 これは,聖書に間違いがあるという意味でしょうか。決してそうではありません。考古学は過去への窓をのぞかせてはくれますが,それは必ずしもくもりのない窓ではないことを銘記しておかなければなりません。いたって不鮮明な場合もあるのです。一注解者はこう述べています。「考古学上の証跡は残念ながら断片的なものであり,それゆえに限界がある」。17 このことは,イスラエル史の初期について特に当てはまります。その時期の考古学上の証跡が明瞭でないためですが,エリコに関してはとりわけ明瞭さが欠けています。遺跡の侵食がひどく進んでいるためです。
考古学の限界
28,29 考古学の限界として学者たちもどんな点を認めていますか。
28 考古学者自身も,その学問の限界を認めています。例えば,ヨハナン・アハロニはこう説明しています。「歴史的あるいは歴史地理的解釈という点になると,考古学者は厳密な科学の領域から離れ,包括的な歴史概念をとらえようとして自分の価値判断や仮説に頼ることになる」。18 アハロニは,今日の考古学者が自分たちの行なう年代決定に関してこれまで以上に自信を持ち得ると考えてはいますが,それでも,種々の発見物に関してなされる年代判定についてさらにこう述べています。「したがって,すべての年代が絶対的なものとは言えず,程度の差こそあれ疑問の対象となり得ることを常に覚えておかねばならない」。19
29 「旧約聖書の世界」という本は,「考古学の手法はどの程度まで客観的また真に科学的だろうか」と問いかけつつ,次のように答えています。「考古学者は,事実について解釈する時よりも,それを掘り起こしている時のほうが客観的な見方をしている。しかし,彼らの人間的先入観は“発掘”の手法にも影響を与えるであろう。地層を掘り進む際,それに伴って自分たちの前にある証拠を破壊してゆかざるを得ず,自分たちの“実験”を繰り返してみることが決してできない。この点は種々の学問分野の中で考古学を特異なものにしている。さらにこれは,考古学上の調査報告をきわめて一方的で落とし穴に満ちた仕事にしがちである」。20
30 聖書を研究する人々は考古学をどのように見ますか。
30 こうして,考古学は非常に有用ではありますが,それと同時に,人間の他のすべての努力と同じように誤りを免れることができません。わたしたちは考古学上の学説を興味を抱いて検討するとしても,決してそれを,論議の余地のない真理とみなすべきではありません。考古学者が自分たちの発掘結果を聖書と相いれないようなかたちで解釈するとしても,それによって自動的に聖書は間違っており,考古学者のほうが正しいとみなす必要はありません。その解釈は変わり得るものであることが知られてきました。
31 エリコの陥落に関して近年どんな新しい見解が提出されていますか。
31 1981年,ジョン・J・ビムソン教授はエリコの破壊の跡について検討しなおしましたが,それには興味深いものがあります。ビムソンは,キャスリーン・ケニヨンによれば西暦前16世紀半ばに起きたとされる,火災によるエリコの破壊の跡についてつぶさに調べました。ビムソンによると,その破壊の形跡は聖書の記述するヨシュアによるその都市の破壊のさまと適合しているだけでなく,カナンの地の考古学的全体像がイスラエル人の侵入した時代のカナンに関する聖書の描写と完全に適合しています。そのためビムソンは,考古学的な年代判定に間違いがあるのではないかと考え,その破壊が実際には西暦前15世紀の中ごろ,ヨシュアの生存していた時代に起きたのではないか,という見方を提唱しました。21
聖書は真実の歴史を伝える
32 一部の学者たちの間にどのような傾向が観察されていますか。
32 この例は,考古学者相互の間にしばしば見解の相違のあることを示しています。したがって,考古学者たちの中に,聖書と一致した見方をする人とそうでない人とがいるとしても不思議ではありません。とはいえ,ある学者たちは,すべての細かな点についてではないとしても,聖書の全体的な史実性に敬意を払うようになっています。ウィリアム・フォックスウェル・オールブライトは次のように書いて,一つの学派の見方を代表しました。「イスラエルの宗教史については,全体的景観においても個々の事実に照らした細部においても,その正確さを再認識することが全般的な流れとなってきた。……要約すれば,我々は今や再び,聖書の初めから終わりまでを,宗教史に関する権威ある文書として扱うことができる」。22
33,34 歴史的に正確であるという証拠をヘブライ語聖書そのものがどのように提出していますか。
33 事実,聖書はそれ自身が正確な歴史書としての特性を備えています。それぞれの出来事は明確な時や日付と結び付けられており,その点で古代の他の多くの神話や伝説と異なっています。聖書に記録されている出来事には,多くの場合,その時代の碑文による裏付けがあります。聖書と古代の何らかの碑文との間に相違が見られる場合でも,その食い違いは,古代の支配者が自分の敗北を記録することを好まず,自分たちの成功を大げさに描こうとしたことに帰せられる場合が少なくありません。
34 実際,それら古代の碑文の多くは,歴史の記録というよりは,公の宣伝という性格を帯びています。それと比べ,聖書の筆者たちは,まれなほどの率直さを示しています。モーセやアロンなど民族の先祖として主要な人物が,人間的なあらゆる弱さや強さを持つさまで描かれています。大王ダビデの数々の失敗さえ正直に述べられています。国民全体の過ちも繰り返し明らかにされています。このような包み隠しのない態度は,ヘブライ語聖書が真実に即した信頼できるものであることの証しであり,神への祈りの中で,「あなたのみ言葉は真理です」と言われたイエスの言葉に重みをそえるものとなっています。―ヨハネ 17:17。
35 合理論の思考家たちは何を行なえませんでしたか。聖書を研究する人々は聖書が霊感によるものであることを証明するためどんな点に目を向けますか。
35 オールブライトはさらにこう述べました。「いずれにせよ,聖書は,実質的内容においてそれ以前のすべての宗教文書を大いにしのぎ,その音信の率直簡明さ,またあらゆる土地のあらゆる時代の人々に訴えるその普遍性[包容力の広さ]という点で以後のすべての文書を同じく感動的なほどにしのいでいる」。23 後の章でも取り上げる点ですが,この『他をしのぐ音信』こそ,学者たちの証言にまさって,聖書が神の霊感によるものであることの証明となるものです。しかしここでは,ヘブライ語聖書が真実の歴史であることを現代の合理論の思考家たちが反証し得なかったこと,むしろ聖書そのものは記述の正確さに関するあらゆる証拠を提出している,という点に注目しておきましょう。同じことが,クリスチャン・ギリシャ語聖書つまり「新約聖書」についても言えるでしょうか。その点を次の章で考えましょう。
[脚注]
a 「高等批評」(または「歴史的批判法」)とは,聖書の各書について,その著者,用いられた資料,書かれた時期などに関する細部の事項を知ろうとする聖書研究の手法を表わす語です。
b 一例として,英国の詩人ジョン・ミルトンは,その高雅な叙事詩「失楽園」を,「ル・アレグロ」と題する別の詩とは大いに異なる文体で書きました。また,ミルトンの手になる政治関係の冊子はさらに別の文体で書かれています。
c 今日の知識人の大多数は合理論に傾いています。辞書によると,合理論とは,「宗教的真理を確立する基礎として理性に頼ること」です。合理論者は,いっさいの事柄を人間的な次元で説明しようとし,神による働きの可能性を考慮に入れようとはしません。
d 興味深いことに,1970年代にシリア北部で発見された古代支配者の彫像は,ある支配者が厳密には下位の称号しか持たない場合でも,その支配者が王と呼ばれる例のあったことを示しています。それはゴザンの支配者の彫像で,アッシリア語とアラム語の刻文がありました。アッシリア語の刻文はその人物をゴザンの総督と呼んでいましたが,それと並行するアラム語の刻文では王と呼んでいました。9 ですから,ベルシャザルがバビロニアの公式の碑文の中では皇太子と呼ばれ,ダニエルのアラム語の書の中では王と呼ばれていても,それは前例のないこととは言えないでしょう。
[53ページの拡大文]
古代の一般の歴史書とは異なり,聖書はモーセやダビデなど尊敬された人物の人間的失敗を率直に記録している
[44ページの囲み記事]
考古学の役割
「考古学は,古代の道具や器類,城壁や建造物,武器や装飾品について,その標本を見せてくれる。それらの多くは年代順に配列でき,聖書の中にあるぴったり適合する語句や文脈とはっきり結び付けることもできる。このような意味で,聖書はその地方における古代の文化環境を文字のかたちで正確に保存していると言える。聖書に記されている物語の細部は著者の想像による空想的産物ではなく,世俗的な物事から奇跡に至るまで,記録されている出来事の生じた世界を忠実に映し出しているのである」― 聖地考古学百科事典。
[50ページの囲み記事]
考古学のできる事柄とできない事柄
「考古学は,聖書の真実さを決定的に証明するわけでも否定するわけでもない。しかし考古学には,かなり重要な別の働きがある。つまり,聖書によって想定される有形の世界をある程度再現してくれることである。例えば,どんな材料で家が建てられたか,『高き所』とはどんな場所だったのかなどが分かると,聖書本文に対する理解が大いに深まる。第二に,考古学は,歴史の記録を充実させる。一例として,モアブ碑石は列王第二 3章4節以下の扱う物語を逆の側から伝えている。……第三に,考古学は,古代イスラエルの近隣にいた人々の生活と思想について明らかにしてくれる ― それ自体興味深いことであるが,さらに,古代イスラエルの思想が形成された時代に世界の人々の抱いていた概念を照らし出してくれる」―「エブラ ― 考古学における啓示」。
[41ページの図版]
ミルトンは,いつも同じ文体で書いたのではなく,いろいろなスタイルで文を書いた。高等批評家は,ミルトンの著作を複数の筆者によるものとするだろうか
[45ページの図版]
「ナボニドスの詩的記述」は,ナボニドスが王権を自分の長子に託したことを伝えている
[46ページの図版]
モアブ碑石は,モアブとイスラエルとの衝突について,メシャ王の側から伝えている
[47ページの図版]
バビロニアの公式記録は,エルサレムの陥落に関する聖書の記述を裏付けている
-
-
「新約聖書」― 歴史ですか,それとも神話ですか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第5章
「新約聖書」― 歴史ですか,それとも神話ですか
「今日,新約聖書は世界の文学書の中で最もよく調査研究された書物と言えよう」。ハンス・キュングは自著「クリスチャンであることについて」の中でこのように述べましたが,この言葉は当を得ています。過去300年ほどの間,クリスチャン・ギリシャ語聖書に対しては単なる調査研究以上のことがなされてきました。聖書のこの部分は,他のどんな文学書より徹底的に解剖され,詳細に分析されてきました。
1,2 (前書き部分を含む)(イ)過去300年ほどの間,クリスチャン・ギリシャ語聖書についてどんなことがなされてきましたか。(ロ)ある研究者はどんな奇妙な結論に達しましたか。
研究者たちの達した結論の中には奇妙なものもあります。19世紀にドイツのルートビヒ・ノアクは,ヨハネによる福音書を,西暦60年ごろ,愛された弟子によって書かれたものと結論しましたが,ノアクによると,その弟子とはユダのことでした。フランス人ジョウゼフ・エルネスト・ルナンは,ラザロの復活について,それは,奇跡を行なうというイエスの主張を証拠だてようとしてラザロ自身が仕組んだ一種のまやかしではないかとの見方をし,一方ドイツの神学者グスタフ・フォルクマルは,歴史に登場したイエスは自分がメシアであるとの主張を行なわなかったのではないか,と唱えました。1
2 他方,ブルーノ・バウアーは,イエスなる人物は全く実在しなかった,とまで言いました。「初期のキリスト教において真に創造的勢力となったのは,フィロン,セネカ,グノーシス派などであったと,バウアーは主張した。結局のところイエスは歴史に実在した人物ではなかったし,……キリスト教の創始は2世紀末ごろで,ストア派が優勢であったころのユダヤ教に由来している,というのが彼の述べるところであった」。2
3 多くの人は聖書について今なおどんな見方をしていますか。
3 今日このような極端な考えを提唱する人は多くありません。しかし,現代の学者たちの著作を読めば,いまなお多くの人が,クリスチャン・ギリシャ語聖書には伝説・神話・誇張が含まれている,と信じていることが分かるでしょう。それは本当でしょうか。
クリスチャン・ギリシャ語聖書はいつごろ書かれたか
4 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書がいつごろ書かれたかを知るのはなぜ重要ですか。(ロ)クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれた時期についてどんな見方が提出されていますか。
4 神話や伝説が形成されるには時間がかかります。それで,聖書のこの部分はいつごろ書かれたのか,という点が重要な問題になります。歴史家マイケル・グラントによると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中の歴史的記述が始まったのは「イエスの死後30ないし40年後」です。4 聖書考古学者ウィリアム・フォックスウェル・オールブライトは,「福音書はすべて西暦70年以前に書き終えられており,またイエスの磔刑後20年以内に書き得なかったような事柄は何も含まれていない」という,C・C・トリーの結論を引用しています。それらの書を記すことは「西暦80年ごろまでに」終了していた,というのがオールブライト自身の見解です。他の人々は多少異なった推定をしてはいますが,「新約聖書」は第1世紀の終わりまでには書き終えられていた,という点で大方の見方は一致しています。
5,6 クリスチャン・ギリシャ語聖書を書くことはそこに述べられている出来事からあまり時を置かずになされたという事実から,どんな結論を下せますか。
5 これはどういう意味になるでしょうか。オールブライトはこう結論しています。「我々が断言できるのは次の点である。すなわち20年から50年というのはごくわずかな期間であり,イエスの述べた事柄の実質的な内容だけでなくその具体的な言葉づかいにさえ,留意すべき改変を許すほどのものではない」。5 ゲーリー・ハーバマース教授はさらにこう述べています。「福音書はそれが叙述している時代にごく接近しているのに対し,古代の歴史書は何世紀も前に生じた出来事について述べている場合が多い。それでも現代の歴史家たちは,そのような太古の時代の出来事についてさえその次第を見事にたどり出すことができている」。6
6 言い換えると,クリスチャン・ギリシャ語聖書の歴史記述の部分には,少なくとも一般の歴史書に劣らぬだけの信ぴょう性がある,ということになります。初期キリスト教に関連した種々の出来事が起きてから,それらが書に記録されるまでの期間はたかだか数十年であり,確かにこれは,幾つもの神話や伝説が形成されて広く受け入れられるほどの時間ではありません。
目撃者による証言
7,8 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれて流布されたころにはどんな人たちがまだ生存していましたか。(ロ)F・F・ブルース教授の注解にそってどんな結論を下すべきですか。
7 その記述には目撃者の証言を扱っている箇所が多いという事実を考えてみると,上記の点はいよいよ真実です。ヨハネによる福音書の筆者はこう述べています。『これ[イエスの愛した弟子]が,これらの事について証しし,またこれらのことを書いた弟子である』。(ヨハネ 21:24)ルカによる書の筆者はこう述べています。「初めからの目撃証人また音信に仕える者となった人々がわたしたちに伝えた」。(ルカ 1:2)使徒パウロも,イエスの復活を目撃した人々に関してこう述べました。「その多くは現在なおとどまっていますが,死の眠りについた人たちもいます」― コリント第一 15:6。
8 この点に関して,F・F・ブルース教授は次のような鋭い所見を述べています。「ある人々は,イエスの言葉や行動をでっち上げと見るような書き方をしているが,そのような早い時期にそれを行なうことは決して容易ではなかったはずである。そのころにはイエスの弟子たちがまだ多数各地にいて,どんな事が起きてどんな事は起きなかったのかを思い出せたからである。……弟子たちとしては,あえて不正確な記述は(事実を故意に操作するようなことはもとより)行なえなかったはずである。そのような事をすれば,誤りを暴き出そうとしている人々によって直ちに論ばくされてしまったであろう。むしろ,初期の使徒たちの伝道における強力な点の一つは,聴き手がすでに知っている事柄に,確信を込めて訴えることであった。彼らは,『私たちはこれらのことの証人です』と語っただけでなく,『あなた方も知っているとおり』とも述べたのである(使徒 2:22)」。7
その本文は信頼できるものか
9,10 クリスチャン・ギリシャ語聖書に関してどんなことを確信できますか。
9 これら目撃者による証言が正確に記録されたとしても,後にそれが改変されるようなことはなかったでしょうか。別の表現をすれば,原本が完成した後に神話や伝説が持ち込まれるようなことはなかったでしょうか。すでに見たとおり,クリスチャン・ギリシャ語聖書の本文は,古代の他のどんな文学書より良好な状態にあります。聖書のギリシャ語本文の学者であるクルト・アーラントおよびバルバラ・アーラントは,古代から今日まで保存されてきた約5,000に上る写本を挙げており,その中には西暦2世紀のものさえあります。8 このような膨大量の証拠から全体的に言えるのは,伝えられてきた本文が基本的に確かなものである,という点です。加えて,幾つもの古代訳があり ― 最も古いものは西暦180年ごろ ― それらも本文の正確さの証明に役立っています。9
10 ですから,どのように見ても,原筆者がクリスチャン・ギリシャ語聖書を書き終えた後,伝説や神話がその中に入り込むようなことはなかったことを確信できます。わたしたちが手にしている本文は,元々の筆者のペンになるものと実質的に同じであり,その記述の正確さは,同時代のクリスチャンたちがそれを受け入れていたという事実によって確証されます。では,聖書を古代の他の歴史書と比較することによって,その史実性をさらに確認できるでしょうか。ある程度まではできます。
文書資料による証拠
11 聖書以外の文献証拠は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の歴史記述をどの程度裏付けていますか。
11 イエスとその使徒たちの生涯に起きた事柄に関して聖書以外の文献証拠が非常に限られていることは事実です。これは十分に理解できることです。第1世紀においてクリスチャンは比較的小さなグループであり,政治には関与しなかったからです。それでも,一般の歴史資料から得られる証拠があり,それは聖書に記されている事柄と一致しています。
12 ヨセフスはバプテスマを施す人ヨハネについてどんなことを述べていますか。
12 例えば,ヘロデ・アンテパスが当時話題となった軍事上の敗北を喫した後のことですが,ユダヤ人の歴史家ヨセフスは西暦93年にこう記しています。「一部のユダヤ人にとって,ヘロデ軍の壊滅は,別の名をバプテストともいったヨハネにヘロデが行なった事柄に対する神からの復しゅうと思えた。それはまさしく公正な復しゅうであった。ヨハネは善良な人であり,義なる生活を送るように,また仲間には公正を,神に対しては篤信を実践するようにとユダヤ人に説き勧めた人であったのに,ヘロデはこれを殺したからであった」。10 こうしてヨセフスは,バプテスマを施す人ヨハネが義にかなった人で,悔い改めを宣べ伝えたがヘロデにより処刑された,と述べる聖書の記述を確証しています。―マタイ 3:1-12; 14:11。
13 ヤコブやイエス自身の史実性をヨセフスはどのように裏付けていますか。
13 ヨセフスは,イエスの異父兄弟であったヤコブについても述べています。聖書によると,このヤコブは,当初はイエスに従わなかったものの,後にエルサレムの主要な長老のひとりになった人です。(ヨハネ 7:3-5。ガラテア 1:18,19)ヨセフスは,ヤコブが捕縛されたことに関する文書証拠として,こう記しています。「[大祭司アンナスは]サンヘドリンの裁き人たちを召集し,キリストと呼ばれたイエスの兄弟でヤコブという名の男,および他の数人をその前に連れて来た」。11 このように書くことによって,ヨセフスは,「キリストと呼ばれたイエス」が歴史に実在した人物であったことをも確証しています。
14,15 タキツスは聖書の記録にどんな裏付けを与えていますか。
14 他の初期著述家たちも,ギリシャ語聖書の中で述べられている事柄に言及しています。例を挙げれば,福音書が述べるとおり,パレスチナ各地を巡るイエスの伝道が広範な反響を呼んだこと; イエスがポンテオ・ピラトから死の宣告を受けた時,その追随者たちはうろたえて落胆したこと; その後まもなくその同じ弟子たちが大胆に行動し,自分たちの主はよみがえらされたとの音信でエルサレム中を満たしたこと; 幾年もたたないうちにキリスト教はローマ帝国の全域に広まったこと,などがあります。―マタイ 4:25; 26:31; 27:24-26。使徒 2:23,24,36; 5:28; 17:6。
15 これらの点の真実さに関する証しは,ローマの歴史家タキツスから得られます。タキツスはキリスト教に対してすこぶる敵対的な人物でした。西暦100年代に入ってしばらく後にタキツスは,クリスチャンに対するネロの残忍な迫害について書き,こう付け加えています。「この名の起こりとなったクリストゥスは,ティベリウスの治世中,行政長官ポンティウス・ピラトゥスによる宣告のもとに死刑に処せられ,こうしてこの有害なる迷信はしばし食い止められたが,やがて再び盛り返して,この疫病の発生地であるユダヤばかりか,[ローマ帝国の]首都にまで及ぶ結果となった」。12
16 聖書に記されているどんな歴史上の出来事についてスエトニウスも言及していますか。
16 聖書の筆者は使徒 18章2節で,「[ローマ皇帝]クラウディウスがユダヤ人すべてにローマ退去を命じた」ことに触れています。2世紀のローマの歴史家スエトニウスもこの追放令に言及しています。自分の著作,「神格化されたクラウディウス」の中でこの歴史家は次のように述べています。「クレストゥスの扇動によってユダヤ人が絶えず騒動を引き起こしていたため,彼[クラウディウス]はユダヤ人をローマから追放した」。13 ここで言われているクレストゥスがイエス・キリストを指し,ローマで起きていた事柄が他の都市の状況と同様であったとすれば,その暴動は実際にはキリスト(つまり,キリストの追随者たち)の扇動によるものではなかったことになります。それはむしろ,クリスチャンの忠実な伝道活動に対するユダヤ人の側の暴力的な反応であったにすぎません。
17 2世紀の殉教者ユスティヌスが用いることのできたどんな史料は,イエスの奇跡や死に関する聖書の記述を裏付けていましたか。
17 殉教者ユスティヌスは,2世紀半ばにイエスの死に関してこう記しています。「これらの事が確かに起きたということは,『ポンテオ・ピラトの事績』からも確かめられる」。14 さらに殉教者ユスティヌスによると,その同じ記録はイエスの行なった奇跡についても言及していました。その点についてユスティヌスはこう述べています。「彼がそれらの事を行なったということも,『ポンテオ・ピラトの事績』から知ることができる」。15 確かに,このような「事績」つまり公式記録はもはや存在していません。しかし,2世紀にそのような記録が存在していたことは明らかです。だからこそ殉教者ユスティヌスは,自分が述べている事柄の真実さを確かめるためそれらを調べてみるよう,自分の読者に促すことができたのです。
考古学上の証拠
18 ポンテオ・ピラトの実在性について考古学はどんな裏付けを提出していますか。
18 考古学上の発見も,ギリシャ語聖書に記されている事柄の例証もしくは裏付けとなってきました。例えば,1961年,カエサレアにあるローマ時代の劇場の廃虚にあった碑文から,ポンテオ・ピラトの名が発見されました。16 これが発見されるまで,このローマ人の支配者の実在性に関しては,聖書そのものを別にすれば,ほんの限られた証拠しかありませんでした。
19,20 ルカの述べる(「ルカ」と「使徒」の中で)どんな聖書中の人物が考古学によって確認されましたか。
19 ルカによる福音書は,バプテスマを施す人ヨハネが宣教を開始したのは「ルサニアがアビレネの地域支配者であった時」である,と述べています。(ルカ 3:1)ある人々はこの記述に疑いを抱いていました。ルサニアという人物がアビレネを支配していたが,その人は西暦前34年つまりヨハネの誕生するはるか前に死んだと,ヨセフスが述べているためです。しかし,考古学者がアビレネで発掘した碑文には,ティベリウスの治世中に四分領太守(地域支配者)であった別のルサニアについて述べられていました。ティベリウスはヨハネが宣教を開始した時にローマでカエサルの地位にありました。17 ルカが述べていたのは,こちらのルサニアのことであったに違いありません。
20 使徒たちの活動の書には,パウロとバルナバが宣教者としての活動のためキプロスへ遣わされ,その地で執政官代理でセルギオ・パウロという名の「そう明な人」に出会ったことが記されています。(使徒 13:7)19世紀の半ば,キプロスでの発掘調査によって掘り出された碑文は西暦55年のもので,それにはまさにこの人物のことが述べられていました。この点について,考古学者G・アーネスト・ライトはこう述べています。「それは,この執政官代理について述べる聖書以外のただ一つの資料であるが,ルカがこの人物の名前と称号を正しく記していたのは興味深いことである」。18
21,22 聖書の記録しているどんな宗教的慣行が考古学上の発見によって確証されましたか。
21 パウロは,アテネに滞在していた際,「知られていない神に」献じられた祭壇を見た,と述べています。(使徒 17:23)ローマ帝国の領土内の各地から,無名の神々のために献じられたことをラテン語で記した祭壇が発見されています。ペルガモンで発見されたものにはギリシャ語による銘刻がありました。アテネにあったものもそのようになっていたことでしょう。
22 その後,エフェソスにいた際,パウロは銀細工人たちからの激しい反対に遭いました。銀細工人たちは女神アルテミスの宮や像をこしらえて収入を得ていたためです。エフェソスは『偉大なアルテミスの神殿を守護する者』と言われていました。(使徒 19:35)このような記述と調和する点として,古代エフェソスの遺跡からは,焼成土器<テラコッタ>や大理石製のアルテミス像が数多く発見されています。19世紀には巨大な神殿の廃虚も発掘されました。
真実さの響き
23,24 (イ)クリスチャン・ギリシャ語聖書に記されている事柄の真実さに関する最も強力な証拠はどこに見いだせますか。(ロ)聖書の記録そのものの中に見られるどんな特徴はその真実さの証しですか。例を挙げてください。
23 こうして歴史と考古学とは,ギリシャ語聖書の歴史記述の面の正確さを例証し,またある程度まで確証しています。しかしここでも,そこに記されている事柄が真実であるという最も強力な証拠は,聖書そのものの中にあります。それを読めば分かるとおり,そこに神話めいたところはありません。そこには真実さの響きがあるのです。
24 一つの点として,その記述は極めて率直です。ペテロについて記されている事柄を考えてください。水の上を歩こうとしてうまくできなかった時のあわてた様子が細かに書かれています。その後,この大いに尊敬されていた弟子に向かって,イエスは,「わたしの後ろに下がれ,サタンよ!」と言われました。(マタイ 14:28-31; 16:23)さらに,たとえ他のすべての人がイエスを見捨てたとしても,自分は決してそのようなことはしないと勇んで言い張ったばかりなのに,ペテロは,自分が夜の見張りを務めているべき時間に眠りこみ,その後,自分の主を三度も否認しました。―マタイ 26:31-35,37-45,73-75。
25 聖書の筆者は使徒たちのどんな弱さを率直に明かしていますか。
25 しかし,弱さを明らかにされているのはペテロだけではありません。その率直な記録は,自分たちの中でだれが一番偉いのかと使徒たちが口論したことについても,包み隠さず記しています。(マタイ 18:1。マルコ 9:34。ルカ 22:24)使徒のヤコブとヨハネの母が,イエスの王国で最も恵まれた立場を自分の息子たちに与えてくれるようにとイエスに願い出たことも省略されてはいません。(マタイ 20:20-23)バルナバとパウロの間で『怒りが激しくぶつかった』こともありのままにしたためられています。―使徒 15:36-39。
26 イエスの復活にちなむどんな細かな点は,それが真実であればこそ含められたものですか。
26 注目に値する別の点として,ルカによる書は,イエスの復活を最初に知ったのは「彼と共にガリラヤから来ていた女たち」であったと述べています。このような点が細かに述べられるのは,男性中心のその1世紀の社会にあって非常に珍しいことであったと言えます。実際,その記録によると,それら女たちの言っていることは使徒たちには「たわ言のように思え」ました。(ルカ 23:55-24:11)仮にギリシャ語聖書に記される歴史が真実なものでないとしたら,それは創作されたものであることになります。しかし,これら尊敬された人物の弱みをこうしてあからさまに示すような物語をわざわざ作り出したりするでしょうか。それが真実であったからこそ,こうした細かな点も含められているのです。
イエス ― 実在の人物
27 一歴史家は,イエスが歴史に実在したことについてどのように証言していますか。
27 聖書に描かれているイエスの人物像は理想化された創作である,とみなしてきた人たちが多くいます。しかし,歴史家マイケル・グラントはこう述べています。「当然のことであるが,歴史資料となる他の古代文献に当てはめるのと同様の判断基準を新約聖書にも当てはめるとすれば,我々は,歴史上の人物として実在性が決して疑問視されたことのない多数の非キリスト教要人の存在を否定しないのと同様に,イエスの存在についてもそれを否定することはできない」。19
28,29 四福音書がイエスの人格像の描写の面で一致しているのはなぜ意味あることと言えますか。
28 単にイエスの実在性だけでなく,聖書に見られるイエスの性格の描写にも決定的な真実さがこもっています。普通と異なる人物像を想像し,一冊の本全体にわたりその人物について一貫した描写を行なうのは易しいことではありません。現実には存在しなかった人物について,四人の別個の筆者が同一の人物像を描き,その性格描写を終始一致させるというのはほとんど不可能なことです。四福音書に描き出されているイエスが明らかに全くの同一人物であるという事実は,それら福音書の真実さに関する説得力のある証拠です。
29 マイケル・グラントは,ある文からの引用として,いかにも適切な次の問いかけをしています。「疑いなく評判の悪い女も含め,あらゆる種類の女性の間で自由に身を処し,感傷にふける様子もぎこちないところもなく,上品ぶりもせず,しかもあらゆる点で純一清廉な性格を保持する魅力ある若い男性像が,例外なくすべての福音書伝承を通じて不思議なほどしっかりと描き出されているのはなぜだろうか」。20 そのような男性が実際に存在し,聖書が述べているとおりに行動していたというのが,それに対する唯一の答えです。
人々が信じないのはなぜか
30,31 すべての証拠にもかかわらず,多くの人がクリスチャン・ギリシャ語聖書を歴史的に正確なものとして受け入れないのはなぜですか。
30 ギリシャ語聖書は真実の歴史を伝えていると言える圧倒的証拠があるのに,なぜある人々はその真実性を否定するのでしょうか。聖書のある部分は本当であると認めていながら,そこに述べられているすべてのことを受け入れようとしない人が多くいるのはなぜでしょうか。その主な理由は,現代の知識人が信じたくないと思う事柄が聖書の中に含まれているからです。例えば,聖書は,イエスの到来が預言の成就であり,またイエス自らも預言を語られたことを述べています。さらに,イエスが奇跡を行なったこと,またイエスの死後の復活についても述べています。
31 この懐疑主義的な20世紀において,これらは信じ難いこととされるのです。奇跡に関して,エズラ・P・グールド教授はこう述べています。「ある批評家たちが自らを正当化してどうしても承認しない点がある……すなわち,奇跡などは生じないというのである」。21 なるほどイエスはいやしを行なったかもしれないが,それは心身相関的なもの,もしくは“精神主義的超克”であったにすぎない,と考えている人たちもいます。他のタイプの奇跡については,作り事であるとか,何か実際にあった事がゆがめて伝えられているのだとして片づけるのが大方の見方です。
32,33 イエスが大群衆に食事をさせた奇跡を,ある人々はどのような説明で片づけようとしていますか。しかし,なぜそれは論理にかなった見方ではありませんか。
32 そのような一例として,イエスが幾つかのパンと二匹の魚だけで5,000人を上回る群衆に食事をさせた場合のことを考えてみましょう。(マタイ 14:14-22)19世紀の学者ハインリヒ・パウルスは,実際に起きたのは次のようなことであろうとしています。イエスと使徒たちは,自分たちの周りに集まっている非常に大勢の人々が空腹になっているのに気づいた。そこでイエスは,群衆の中の裕福な人たちに手本を示すことにした。自分と使徒たちが持っていたわずかばかりの食物を出し,それを人々に分け与えた。やがて,食物を持っていた他の人々がその手本に倣い,自分たちにあったものを分け与えるようになった。こうしてついに全群衆が満ち足りた。22
33 もしこれが真相であったとすれば,それは,良い手本が及ぼす力の目ざましい証しであったと言えます。しかしその場合,これほど興味深く,意味深い話をあえてゆがめて,超自然的な奇跡のように見せなければならない理由がどこにあるのでしょうか。実際のところ,奇跡を奇跡以外のものとして説明しようとするこうした試みすべては,問題の解決というより,新たな問題を生み出すことになります。さらに,そのような論法はみな,一つの誤った前提に基づいています。すなわち,奇跡というものはあり得ないと想定することから始まっているのです。しかし,どうしてそのように考えなければならないでしょうか。
34 聖書に含まれているのが,正確な預言,また真実の奇跡の記録であるとすれば,それは何の証明となりますか。
34 最も道理にかなった基準に照らして考えれば,ヘブライ語聖書もギリシャ語聖書も共に真実の歴史を伝えていると言えますが,同時にそれらはどちらも預言や奇跡の例を載せています。(列王第二 4:42-44を参照してください。)では,預言がまさに真実のものであったとしたらどうでしょうか。そして,奇跡がそのとおり実際に起きたものであるとすればどうでしょうか。であるとすれば,聖書の記述の背後に確かに神がおられたことになり,聖書は人間の言葉ではなく,まさしく神の言葉であることになります。預言に関連した点は後の章で取り上げることにして,まず奇跡に関する事柄から考えましょう。過去の時代に奇跡が確かに起きたと信じるのは,この20世紀において道理にかなったことと言えるでしょうか。
[66ページの拡大文]
実際に起きた事でないとすれば,イエスの復活を最初に知ったのが女性であったことをなぜ聖書に記したりするだろうか
[56ページの囲み記事]
不備なことが明らかになった現代の聖書批評
現代の聖書批評の不確かさを示す例として,ヨハネの福音書に関してレイモンド・E・ブラウンの述べる次の言葉について考えてください。「前世紀の終わりから今世紀の初めにかけて,学者たちはこの福音書について極端に懐疑的な見方をした時期があった。ヨハネによる書はずっと後代のもの,2世紀後半の作とさえみなされた。それはヘレニズム世界の産物で,歴史的な価値は全くなく,ナザレのイエスのパレスチナとはほとんど何も関係がない,と考えられていた。……
「その種の見方で,その後相次いでなされた考古学また文献および本文上の予想外の発見の影響を受けずにすんだものは一つもなかった。それらの発見は,正統的とみなされるほどになっていた批判的見解の当否を知性的な理由に基づいて疑うことを促し,ヨハネによる書に対する極めて懐疑的な分析の根拠がいかにもろいものであったかを認めさせてくれた。……
「この福音書の書かれた時期は1世紀の終わりないしはそれより早い時代に引き戻された。……この点で最も予期外のことは,ゼベダイの子ヨハネとこの福音書との関連性をあえて再び唱えるようになった学者たちがいることかもしれない」。3
伝統的に信じられてきたとおりヨハネがこの書を記したということが,どうしてそれほど受け入れ難いこととされなければならないのでしょうか。それが批評家たちの先入的観念と相いれない,ということ以外の理由はありません。
[70ページの囲み記事]
聖書に対する別の角度からの攻撃
テモシー・P・ウェバーはこう書いています。「高等批評の到達した結論は,何にせよ[聖書の内容は]自分たちには理解できないのではないかという懸念を多くの平信徒に抱かせた。……A・T・ピアソンは次のように述べて,多くの福音主義者たちの欲求不満を言い表わしている。『ローマ教会と同じように,[高等批評も]ただ学者だけが聖書を解釈できるとみなして,神の言葉を事実上一般人から取り去っている。ローマ・カトリックは人とみ言葉との間に司祭を持ち込んだが,高等批評は信者と聖書との間に学識ある解説者を持ち込むことになった』」。23 こうして,現代の高等批評は聖書に対する別の角度からの攻撃であることが暴かれています。
[62ページの図版]
ペルガモンにあるこの祭壇は,明らかに,「知られていない神々に」献じられたもの
[63ページの図版]
かつては非常に壮麗であったアルテミス神殿の廃虚; エフェソスの人々が大いに誇りにしていたもの
[64ページの図版]
聖書は,ペテロがイエスとの関係を否認したことを正直に伝えている
[67ページの図版]
聖書はパウロとバルナバの間で『怒りが激しくぶつかった』ことをありのままに記録している
[68ページの図版]
四福音書の描くイエスの人物像が終始一貫していることは,それらの書が真実のものである強力な証拠
[69ページの図版]
現代の批評家の多くは,奇跡などあり得ないという考え方に立っている
-
-
奇跡 ― それは本当に起きましたか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第6章
奇跡 ― それは本当に起きましたか
西暦31年のある日のこと,イエスとその弟子たちは,パレスチナ北部の都市ナインに向けて旅をしていました。その都市の門に近づいた時,とある葬式の行列が進んで来るのに出会いました。死んだのは若者でした。その母親はやもめであり,その若者は彼女の独り息子でした。母親は全くの独り身となってしまったのです。こう記されています。「[イエス]は哀れに思い,『泣かないでもよい』と言われた。そうして,近づいて棺台にお触りになった。それで,担いでいた者たちは立ち止まった。それからイエスは言われた,『若者よ,あなたに言います,起き上がりなさい!』 すると,死人は起き直り,ものを言い始めたのである」。―ルカ 7:11-15。
1 (前書き部分を含む)(イ)ナインの近くでイエスはどんな奇跡を行なわれましたか。(ロ)聖書の中で奇跡はどれほど重要な役割を果たしていますか。しかし,それが本当に起きたことをすべての人が信じていますか。
心温まる物語です。しかし,これは本当にあった事なのでしょうか。このような事柄がかつて実際に起きたということを信じにくいとする人たちが多くいます。しかしながら,奇跡は,聖書の記録の中で欠くことのできない部分を成しています。聖書を信じるとは,奇跡が起きたと信じることでもあります。事実,聖書の真理の全体は,きわめて重要な一つの奇跡,すなわちイエス・キリストの復活の奇跡に立脚しています。
ある人々が信じないのはなぜか
2,3 奇跡は起こり得ないことを論証しようとしてスコットランドの哲学者デービッド・ヒュームが用いた論法の一つは何ですか。
2 あなたは奇跡を信じますか。それとも,この科学の時代に奇跡を,すなわち超人間的介入のしるしとしての並外れの出来事を信じるのは道理にそわないことである,と感じられますか。奇跡を信じておられないとしても,その点であなたが最初の人ではありません。今から2世紀前,スコットランドの哲学者デービッド・ヒュームもその同じ問題にぶつかりました。あなたが奇跡を信じない理由は,ヒュームの場合と同様であるかもしれません。
3 奇跡という概念に対するヒュームの反論には,三つの主要な点がありました。1 第一に,ヒュームは,「奇跡というものは自然の法則に反する」と書いています。人間は遠い昔から自然の法則に依存してきました。物体が落下すること,太陽が毎朝昇り,毎晩沈むことなどを人間は学んできました。自然界の物事は常にそのような一般的に知られているパターンに従うであろう,ということを本能的に理解してもいます。自然の法則にそわない事柄は決して起きないはずです。この“論証”は,奇跡というものの可能性を否定する点で,「完全無欠であり,体験などに基づくどのような論議にも対応し得る」とヒュームは感じました。
4,5 奇跡の可能性を否定するためにデービッド・ヒュームが提出した他の二つの論点は何ですか。
4 ヒュームの提出したもう一つの論点は,人がたやすくだまされるという点です。とりわけ宗教に関連した事柄になると,奇跡や不思議な現象を信じたいと思う人たちがいます。奇跡とされたものの中には,実際にはまやかしであったものが多くあります。奇跡があったとされているのは多くの場合,人がまだ無知であった時代のことである,というのが三番目の論点です。人々の教育水準が高くなるにつれ,奇跡があったという話は少なくなります。「そうした度はずれな事柄は我々の時代には決してあり得ない」というのがヒュームの言い方です。これによって,奇跡など決して起こらなかったことが証明されるとヒュームは感じました。
5 今日に至るまで,奇跡を否定するたいていの論議は,概してこのような論法に従っています。では,ヒュームの反論を一つずつ検討してみましょう。
自然の法則に反するか
6 「自然の法則に反する」という理由で奇跡という概念に反論するのはなぜ論理にそうことではありませんか。
6 奇跡は「自然の法則に反する」,したがって真実のものではあり得ない,という反論についてはどうでしょうか。表面的には,これは説得力があるように見えます。しかし,述べられていることの真の意味をよく考えてください。多くの場合,奇跡とは通常の自然法則外で起きる事柄,と定義できるでしょう。a それはあまりにも予期外の事象に思えるため,それを見る人は,超人間的な介入を目撃したものと確信します。ですから,実際のところこの反論は,『奇跡は奇跡的であるから起こり得ない』と言っていることになります。そのような結論を急ぐ前に,現実の証拠を考慮してみることはどうでしょうか。
7,8 (イ)今日知られている自然の法則について言えば,科学者たちは,どんな事が起こり得るかという点について,なぜ以前より広い見方をしていますか。(ロ)神の存在を信じるとすれば,普通を超えた事柄を行なう力についてどんなことも認めるべきですか。
7 実際のところ,今日の教育ある人々は,一般的に知られている自然の法則がどこでも常に当てはまると主張する点では,デービッド・ヒュームほどに積極的ではありません。科学者たちは,一般によく知られる縦,横,高さの三次元だけでなく,それ以外の別の次元が宇宙内にいろいろ存在するのではないか,という点を好んで考察します。2 また,ブラックホール,つまり巨大な星であったものが内部に向かって崩壊し,その密度がほとんど無限大にまでなったものの存在についても理論付けがなされています。その付近における空間の構造は極めてゆがみ,時間そのものも停止してしまう,とされています。3 科学者たちはまた,ある種の条件下で時間が進行するのではなく逆戻りする可能性についても論じています。4
8 ケンブリッジ大学数学科のルーカス栄誉教授職にある,スティーブン・W・ホーキングは,宇宙がどのように始まったかの論議の中でこう述べました。「古典的な一般相対性理論において……宇宙の始まりは,無限の密度と時空のゆがみという特異性でなければならない。そのような条件のもとで,既知の物理法則はみな崩壊してしまうであろう」。5 それで,通常の自然法則に反する事柄は決して起こり得ないという見方に,現代の科学者たちは同意しません。普通と異なる条件下では,普通と異なる事象が起こり得ます。もとより,全能の神の存在を信じるとすれば,その神は,ご自身の目的にまさにかなう時に,普通を超えた ― つまり奇跡的な ― 事柄を生じさせる力を持たれる,ということをも認めるのが当然でしょう。―出エジプト記 15:6-10。イザヤ 40:13,15。
まやかしの奇跡についてはどうか
9 まやかしの奇跡があるのは事実ですか。答えの意味を説明してください。
9 分別のある人であれば,まやかしの奇跡があることを否定しないでしょう。例えば,奇跡的な信仰治療によって病気をいやす力があると唱える人たちがいます。医師ウィリアム・A・ノーランは,自分の特別研究計画として,そのようないやしについて調査しました。同医師は,米国の福音信仰治療家やアジアのいわゆる心霊療法家によって治療されたとされる数多くの例について追跡調査をしました。結果はどうでしたか。見いだしたものは,失望とごまかしの事例ばかりでした。6
10 ある奇跡がまやかしであったということは,奇跡はすべてごまかしであるという意味になると思われますか。
10 そのようなごまかしがあるということは,本当の奇跡というものがあり得ないという意味ですか。必ずしもそうではありません。偽造された銀行券が出回っていることを耳にする場合がありますが,それは,すべての紙幣が偽造されたものであるという意味ではありません。病気をかかえる人たちの中には,いかさま医師や詐欺的な医者を信じ込んで,多額の金銭をつぎ込む人もいます。しかしそのことは,すべての医師が詐欺的であるという意味ではありません。ある画家は“昔の巨匠たち”の作品を模写することに熟達しています。しかしそのことは,すべての絵画が偽物であるという意味ではありません。同じように,奇跡と唱えられたある事柄が明らかなまやかしであったとしても,本当の奇跡があり得ない,という意味にはなりません。
『奇跡は今日起こらない』
11 奇跡という概念に対するデービッド・ヒュームの第三の反論は何でしたか。
11 第三の反論は,「そうした度はずれな事柄は我々の時代には決してあり得ない」という言葉で表現されました。ヒューム自身は奇跡を見たことがなかったために,奇跡が起き得るということを信じませんでした。しかし,そのような推論は整合性を欠いています。物事を考える人であればだれでも認めなければならない点ですが,このスコットランド人の哲学者の時代以前に生じた「度はずれな事柄」で,その生涯中には繰り返されなかった事柄がいろいろあります。どんな事でしょうか。
12 今日観察される自然の法則では説明できないどんなすばらしい事柄が過去に起きましたか。
12 その一つは,地上における生命の始まりです。次いで,ある種の形態の生物には意識作用が賦与されました。やがて人間が,知恵・想像力・愛する能力・良心の機能などを賦与されたものとして登場しました。このような並々ならぬ事柄がどのようにして起きたかを,今日作用している自然法則に基づいて説明できる科学者は一人もいません。それでも,そのような事が確かに起きたという生きた証拠が現実に存在します。
13,14 デービッド・ヒュームには奇跡と思えるであろうどんな事柄が今日普通に行なわれていますか。
13 デービッド・ヒュームの時代以後に起きた「度はずれな事柄」についてはどうでしょうか。時間をさかのぼって,今日の世界についてヒュームに話すことができたとしましょう。ハンブルクにいるビジネスマンが幾千キロも離れた東京のある人と,声を張り上げもせずに話ができること; スペインでのサッカー試合を地上のあらゆるところで,現にいま行なわれているとおりに見られること; さらに,ヒュームの時代の外洋航海船よりもずっと大きな乗り物が地表から浮かび上がり,500人もの人を運んで何千キロも離れた所へわずか数時間で飛べることなどを説明している場面を考えてください。ヒュームの反応を想像できますか。『あり得ない! そんな度はずれな事は我々の時代に決して起こらない』と言うに違いありません。
14 しかし,そのような「度はずれな事柄」がわたしたちの時代に現に起きています。どうしてでしょうか。人間は,ヒュームがその概念すら持ち合わせなかった科学上の諸原理を応用して,電話・テレビ・飛行機などを製造できるようになったのです。では,過去の折々に,わたしたちがまだ理解していない方法で,神が,わたしたちには奇跡的に見える事柄を成し遂げられたことを信じるのは,それほど難しいことなのでしょうか。
どうしたらそれと分かるか
15,16 奇跡が過去に本当に起きたとすれば,わたしたちがそれについて知ることのできる唯一の方法は何ですか。答えを例えで説明してください。
15 言うまでもなく,奇跡が起こり得たということは,それが実際に起きたという意味ではありません。聖書時代に神が地上の僕たちを通して本当の奇跡を行なわれたかどうかを,この20世紀のわたしたちがどのようにして知ることができるでしょうか。そのような事の証拠としてあなたはどんなものを期待されますか。原始生活をしていた未開部族の人が生まれ育ったジャングルから大都会へ少しのあいだ連れて来られた場合のことを考えてください。故郷に戻った時,その人は文明の驚異について自分の仲間にどのように話すでしょうか。自動車がどのような仕組みで走り,どのような仕掛けでポータブルラジオから音楽が流れて来るかを説明することはできないでしょう。そのようなものが存在する証明としてコンピューターを作ってみせることもできないでしょう。できるのは,自分の見てきたものについて話すことだけです。
16 わたしたちはその人の仲間の部族民と似た立場にいます。神がかつて実際に奇跡を行なわれたとすれば,わたしたちがそれについて学ぶ唯一の方法は目撃者たちから聞くことです。それら目撃者たちは,その奇跡がどのような仕組みで起きたかを説明できないでしょう。それを再現してみせることもできないでしょう。できるのは,自分が何を見たかを話すことだけです。もとより,その目撃証人が欺かれている可能性もあります。また,そのような人はとかく大げさに話したり,誤り伝えたりもしがちです。それで,わたしたちがそれらの人々の証言を信じるためには,それら目撃証人が真実を語っており,そのような証人としてのレベルが高く,しかも良い動機を抱いていることを実証してきた,などの点をよく知る必要があるでしょう。
最もよく証言のなされている奇跡
17 (イ)聖書の中で最もよく証言がなされているのはどの奇跡ですか。(ロ)イエスが死に至った状況はどのようなものでしたか。
17 聖書の中で最もよく証言のなされている奇跡は,イエス・キリストの復活です。それで,これを言わばテストケースにして調べてみましょう。まず,どのようなことが記されているかを考えてください。イエスはニサン14日の晩に捕縛されました ― それは,わたしたちの今日の週単位の数え方では木曜日の晩に当たります。b イエスはユダヤ人の指導者たちの前に連れ出され,それら指導者はイエスを冒とくの罪で告発して,死罪に定めました。ユダヤ人の指導者たちはイエスをローマ人総督ポンテオ・ピラトの前に引いて行き,ピラトは彼らの圧力に屈して,刑執行のためにイエスを引き渡しました。金曜日の午後 ― ユダヤ暦ではまだニサン14日 ― イエスは苦しみの杭に釘づけにされ,数時間後に息を引き取りました。―マルコ 14:43-65; 15:1-39。
18 聖書によると,イエスの復活に関する知らせはどのようにして広まりましたか。
18 ローマ人の一兵士は,イエスが死んだことを確かめようとしてその脇腹を槍で突き刺し,その後イエスの遺体はある新しい墓の中に葬られました。明くるニサン15日(金曜日-土曜日)は安息日でした。しかし,ニサン16日の朝 ― 日曜日の朝 ― 幾人かの弟子たちがその墓に行ってみると,そこは空になっていました。じきに,イエスが生きた姿で現われたという話が伝わりはじめました。そのような話に対する当初の反応は,今日普通に予期されるものと全く同じ,つまり,とても信じられないという反応でした。使徒たちでさえそれを信じようとはしませんでした。しかし,生きているイエスを自分の目で見た時,それら使徒たちも,イエスが本当に死からよみがえらされたのだ,ということを受け入れざるを得ませんでした。―ヨハネ 19:31-20:29。ルカ 24:11。
空になった墓
19-21 (イ)殉教者ユスティヌスによると,イエスの復活について宣べ伝えるクリスチャンに対してユダヤ人はどのように対応しましたか。(ロ)ニサン16日のイエスの墓の状態についてどんな事は真実であったと確信できますか。
19 イエスは復活したのでしょうか。それとも,これはただの作り話ですか。当時の人々が恐らく尋ねたであろうことの一つは,イエスの体はまだ墓にあるか,という点だったでしょう。イエスが復活などしていない証拠として埋葬場所にその遺体が現にまだあるではないかという点を反対者たちが指摘できたとしたら,イエスの追随者たちは大きな障害に面したことでしょう。しかし,反対者たちがその点を挙げたという記録はありません。むしろ,聖書によると,反対者たちは,その墓を守るように割り当てられていた兵士たちに金を渡して,「『夜中にその弟子たちが来て,自分たちが眠っている間に彼を盗んでいった』と言え」と命じたのです。(マタイ 28:11-13)ユダヤ人の指導者たちがこのような行動を取ったことの証拠は聖書以外にもあります。
20 イエスの死のおよそ1世紀後,殉教者ユスティヌスは「トリュフォンとの対話」と呼ばれる著作を残し,その中でこう述べています。「あなた方[ユダヤ人]は,選び出して任命した者たちを世界中に送り出し,こうふれ告げさせている。すなわち,不信心で無法な異端がイエスというガリラヤ人の欺まん者から生じ,我々はこれを杭にかけたが,その弟子たちは夜中に,その横たえられた墓から彼を盗み出した,と」。7
21 さて,トリュフォンという人はユダヤ人で,「トリュフォンとの対話」はユダヤ教に対してキリスト教を擁護するために書かれました。したがって,クリスチャンがイエスの体を墓から盗み出したのだというような非難をユダヤ人が行なっていなかったとしたら,殉教者ユスティヌスは上記のように,彼らがそうした訴えをしていると述べたりはしなかったことでしょう。でなければ,容易に虚偽を立証されてしまうような事柄にはかかわらないようにしたはずです。ユダヤ人が実際にそのような使者を送り出していたからこそ,殉教者ユスティヌスはこのように述べたのです。西暦33年ニサン16日にその墓が空になっていたからこそ,そして,墓の中のイエスの死体を指摘して復活が起きなかった証拠とすることができなかったからこそ,ユダヤ人はそのような使者を送り出したりしたのです。ですから,墓は空になっていたのです。何が起きたのでしょうか。弟子たちが死体を盗み出したのでしょうか。それとも,イエスの復活が本当に起きた証拠としてそれは奇跡的に除き去られたのでしょうか。
医者ルカの結論
22,23 高い教育を受けた1世紀の人でイエスの復活について調べたのはだれでしたか。その人はどのような情報源を用いることができましたか。
22 高い教育を受けた1世紀の人で,これらの証拠を注意深く検討したのは,医者ルカでした。(コロサイ 4:14)ルカは,今日聖書の中に含められている二つの書を書きました。一つは,福音書つまりイエスの宣教活動の足どりをたどった記録です。もう一方は,「使徒たちの活動」と呼ばれ,イエスの死後の時代におけるキリスト教拡大の歴史です。
23 自分の記した福音書の導入部分で,ルカは,今日のわたしたちはもはや入手できないものの,ルカは手に入れることのできた多くの証拠について述べています。ルカは,自分が調べた,イエスの生涯に関する種々の文書資料について語っています。また,イエスの生涯,その死と復活の目撃証人たちとじかに話したことについても記しています。そして,こう述べています。『私は,すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりました』。(ルカ 1:1-3)明らかに,ルカの調査は徹底的でした。ルカは歴史の記述者として信頼できる人でしたか。
24,25 多くの人は歴史の記述者としてのルカの資格をどのように見ていますか。
24 多くの人が,この点で肯定の証言をしています。1913年にさかのぼりますが,ウィリアム・ラムジ卿は,自分の行なったある講義の中でルカの著作の史実性について述べました。その結論はこうです。「ルカは第一級の歴史家である。史実の扱い方に信頼性があるだけではない。真の歴史感覚を備えていたのである」。8 さらに近年の研究者たちも同様の結論に達しています。「生きた言葉注解双書」は,ルカに関する書巻の紹介部でこう述べています。「ルカは歴史家(しかも正確な記述者)であり,かつ神学者でもあった」。
25 旧約聖書ギリシャ語の教授であった,北アイルランドのデービッド・グディング博士は,ルカについてこう言明しています。「彼は,旧約史家の伝統にしたがい,またツキディデス[古代世界の歴史家として非常に高い評価を受けている人]の伝統にならう古代歴史家である。それらの人々と同じように,ルカも,資料の調査に,情報の選択に,またその情報の処分に多大の労苦を払ったであろう。……ツキディデスは,歴史記述の正確さのため,このような組織的手法にさらに情熱を込めたが,ルカがその点で後れを取っていたと考えるべき理由はどこにもない」。9
26 (イ)イエスの復活についてルカはどのように結論しましたか。(ロ)どんな事に強められてルカはこのように結論したと考えられますか。
26 この立派に資格を備えた人ルカは,イエスの墓がニサン16日になぜ空になっていたかについてどんな結論を下していますか。福音書の中でも使徒たちの活動の書の中でも,ルカは,イエスが死人の中からよみがえらされたことを現実に起きた事として伝えています。(ルカ 24:1-52。使徒 1:3)ルカはその事について全く何の疑問も抱いていませんでした。復活の奇跡に対するルカのこの信仰は,自分自身の幾たびもの経験によって強められていたのかもしれません。ルカはその復活の目撃証人ではなかったと思われますが,それでも,その記録にあるとおり,使徒パウロによって行なわれた数々の奇跡を確かに目撃していたのです。―使徒 20:7-12; 28:8,9。
彼らは復活後のイエスを見た
27 復活したイエスを見たと述べている人の中にどんな人たちがいますか。
27 古来,福音書のうちの二つは,イエスをじかに知り,その死を見,復活後のイエスを実際に見たと述べるふたりの人によるものである,とされてきました。それは,かつて収税人であった使徒のマタイと,イエスの愛された使徒ヨハネです。別の聖書筆者である使徒パウロ自身も,よみがえったキリストを見たと述べています。さらにパウロは,イエスが死後に再び生きているのを見た他の人たちの名を挙げ,ある時にはイエスが一度に「五百人以上の兄弟に」現われたことについても述べています。―コリント第一 15:3-8。
28 イエスの復活はペテロにどのような影響を与えていましたか。
28 パウロが目撃者の一人として挙げているのは,イエスの肉親,つまり異父兄弟ヤコブです。ヤコブは子供時代からイエスのことをよく知っていたはずです。もう一人は使徒のペテロです。歴史家ルカは,このペテロが,イエスの死のほんの数週間のちに,イエスの復活について恐れることのない証言を行なったことを記録しています。(使徒 2:23,24)聖書に収められている手紙のうちの二つは,古来,使徒ペテロによるものとされていますが,その最初の手紙の中で,ペテロは,イエスの復活に対する信仰が,以来多年を経た後にも,自分にとって依然強力な動機の源となっていることを示しています。こう記しています。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父がたたえられますように。神はその大いなる憐れみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新たな誕生をわたしたちに与えてくださったのです」― ペテロ第一 1:3。
29 わたしたちは復活の目撃証人とじかに話すことはできませんが,それでもどんな強力な証拠を手に入れることができますか。
29 ですから,ルカの場合には,死んだ後のイエスを見,またそのイエスとじかに話をしたと言う人々から話を聞くことができましたが,わたしたちの場合も,それらのうちのある人々が書き記した言葉を読むことができるのです。そして,それらの人々が欺かれていたのか,あるいはわたしたちを欺こうとしているのか,また,それらの人々は復活したキリストを本当に見たのかを,わたしたち自身で判断できます。はっきり述べると,これらの人々が欺かれていたということは全く考えられません。その中には,イエスの死に至るまでその親密な友であった人たちが多くいました。そのある者は,苦しみの杭の上でのイエスのもだえを目撃しました。兵士が加えた槍による傷から血と水が流れ出るのも見ました。イエスが紛れもなく死んだ事実を,その兵士も,それらの人々も知っていました。その後に,イエスが生きているのを見,実際にイエスと話をしたと,それらの人々は述べています。そうです,それらの人たちが欺かれていたはずはありません。では,これらの人々は,イエスは復活したと語って,わたしたちを欺こうとしているのでしょうか。―ヨハネ 19:32-35; 21:4,15-24。
30 初期の時代にいた,イエスの復活の目撃証人たちが偽りを述べていたとは考えられないのはなぜですか。
30 これに答えるには,こう自問してみればよいのです。これらの人々は,自分の述べている事柄を自ら信じていただろうか。確かに,何の疑いもなく信じていました。目撃証人であると唱えた人々を含め,クリスチャンにとって,イエスの復活はまさしく信仰の基盤をなしていました。使徒パウロはこう述べています。「もしキリストがよみがえらされなかったとすれば,わたしたちの宣べ伝える業はほんとうに無駄であり,わたしたちの信仰も無駄になります。……キリストがよみがえらされなかったのであれば,あなた方の信仰は無駄になります」。(コリント第一 15:14,17)これは,復活したキリストを見たと虚偽の申し立てをしている人の言葉のように聞こえますか。
31,32 初期クリスチャンたちはどのような自己犠牲を払いましたか。このことは,これらクリスチャンがイエスの復活について語る際に真実を述べていた強力な証拠であると言えるのはなぜですか。
31 その時代にクリスチャンであることが何を意味したかを考えてください。富・名声・権力の点で利得となるものは何もありませんでした。実際は,まさにその逆でした。初期クリスチャンの中には,信仰のために「自分の持ち物が強奪されても,喜んでそれに甘んじた」人々が多くいました。(ヘブライ 10:34)キリスト教が求めたものは,自己犠牲と迫害を忍ぶ生涯であり,それは辱めと苦痛の死という殉教に終わる場合が少なくありませんでした。
32 クリスチャンの中には富裕な家庭の出の人もいました。その父がガリラヤ地方で手広く漁業を営んでいたと思われる使徒ヨハネもその一人でした。前途を嘱望されていた人たちも多くいます。例えばパウロです。キリスト教を受け入れた時,パウロは広く名の知られたユダヤ教教師ガマリエルの門弟であり,ユダヤ人の支配者たちからも目をかけられるようになっていました。(使徒 9:1,2; 22:3。ガラテア 1:14)しかし,それらの人々すべてがこの世の提供するものを後にして,イエスが死から復活した事実に基づく音信を広めることのために一身をささげたのです。(コロサイ 1:23,28)虚偽に基づいていると自ら知っている事柄のために,どうしてそれほどの犠牲を払ってまで苦しみに耐えたりするでしょうか。あえてそのような事を行なうとは考えられません。それらの人々は,真実に根ざしていると自分たちが知っていた重要な事柄のために,苦しみや死をさえ辞さなかったのです。
奇跡は本当に起きた
33,34 復活が本当に起きたということから,聖書に記されている他の奇跡についてどのように言うことができますか。
33 確かに,論証のためのこうした証拠には絶対の説得力があります。イエスは,西暦33年ニサン16日に,本当に死からよみがえったのです。そして,この復活が起きたのですから,聖書に記されている他のすべての奇跡についても,それは起こり得たと言うことができます。それらの奇跡についても目撃者たちの確かな証言があるからです。イエスを死からよみがえらせたその同じ力ある方が,イエスを導いてナインのやもめの息子をよみがえらせることができるようにされました。その方はまた,イエスに力を与えて,それより小さな ― といってもやはりすばらしい ― 数々のいやしの奇跡を行なわせることもされました。大勢の人々に奇跡的に食事をさせたことの背後におられたのも,また,イエスが水の上を歩くことができるようにされたのも,同じ方です。―ルカ 7:11-15。マタイ 11:4-6; 14:14-21,23-31。
34 こうして,聖書が奇跡について述べているということ自体は,決して聖書の真実さを疑う理由とはなりません。むしろ,聖書の記された時代に数々の奇跡が行なわれたことは,聖書が真実に神の言葉であるという強力な証拠でもあります。しかし,聖書に対しては他の非難もなされています。聖書の内容は矛盾しているから,神の言葉ではあり得ない,と言う人たちが多くいます。そのような見方は正しいですか。
[脚注]
a ここで「多くの場合」と言うのは,聖書に記されている奇跡の中には,地震や地滑りなどの自然現象がかかわっていたのではないかと考えられるものもあるからです。しかし,それらもやはり奇跡とみなされます。なぜなら,まさに必要とされた時にそれが起き,それゆえ明らかに神の導きによるものとみなし得るからです。―ヨシュア 3:15,16; 6:20。
b ユダヤ暦の一日は,夕方の6時ごろから次の夕方の6時ごろまででした。
[81ページの拡大文]
キリスト教に敵対した人々は,弟子たちがイエスの体を盗み出したと唱えた。これが真相であったとすれば,イエスの復活を基盤とする信仰のためにクリスチャンたちが死をさえ辞さなかったのはどうしてだろうか
[85ページの囲み記事]
今日奇跡が起きないのはなぜか
『聖書に出ているような奇跡が今日起きないのはなぜか』という質問がしばしばなされます。奇跡はその時代における目的を果たしたが,今日神は信仰によって生きることをわたしたちに望んでおられる,というのがその答えです。―ハバクク 2:2-4。ヘブライ 10:37-39。
モーセの時代には,モーセの資格証明として奇跡がなされました。エホバがモーセを用いておられること,律法契約が本当に神からのものであること,そしてイスラエル人がそれ以後神の選ばれた民となったことを,それらの奇跡は示しました。―出エジプト記 4:1-9,30,31。申命記 4:33,34。
1世紀においては,イエスの資格証明のため,またその後には,まだ経験の浅かったクリスチャン会衆の資格証明のために奇跡が行なわれました。それらの奇跡は,イエスが到来の約束されていたメシアであること,イエスの死後,クリスチャン会衆が神の特別な民として,生来のイスラエルに取って代わったこと,それゆえにモーセの律法はもはや拘束力を持たないことなどを立証するのに役立ちました。―使徒 19:11-20。ヘブライ 2:3,4。
使徒たちの時代以後,奇跡は過去の時代のものとなりました。使徒パウロはこう説明しています。「預言の賜物があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます。わたしたちの知識は部分的なものであり,預言も部分的なものだからです。全きものが到来すると,部分的なものは廃されるのです」― コリント第一 13:8-10。
今日わたしたちは完全に整った聖書を手にしています。そこには神からのすべての啓示と助言が含まれています。わたしたちは預言の成就について知っており,神の目的についても進んだ理解を得ています。それゆえに奇跡の必要はもはやありません。とはいえ,奇跡を可能にしたのと同じ神の霊は今日でも存在しており,その働きの結果は奇跡と同じく神の力の強力な証しとなっています。この点については,後の章でさらに取り上げます。
[75ページの図版]
太陽が毎朝昇ることなど自然の法則の信頼性を,奇跡が起こり得ないことの証拠と見る人が多くいる
[77ページの図版]
命あるものの住みかとしての地球の創造は,一度限り起きた「度はずれな事柄」
[78ページの図版]
現代科学の驚異について200年前の人にどのように説明できるだろうか
-
-
聖書には矛盾がありますか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第7章
聖書には矛盾がありますか
聖書の内容には矛盾がある,という非難がしばしば聞かれます。多くの場合,このように主張する人は自分で聖書を読んだことがありません。人から聞いたことをただ繰り返しているのです。しかし,本当に矛盾ではないかと思える箇所を見つけて困惑している人たちもいます。
1,2 (前書き部分を含む)(イ)聖書に対してしばしばどんな非難がなされていますか。(ロ)相違のある聖書の章句を比較する際,どんなことを銘記しておくべきですか。(ハ)二人の聖書筆者が同一の出来事について記す場合,その記述の方法に時に相違がある理由としてどんなことが挙げられますか。
聖書が真実に神の言葉であるならば,その全体は調和していて,矛盾など含んでいないはずです。では,ある章句が他の箇所と矛盾しているように見えることがあるのはなぜでしょうか。それに答えるために,聖書は神の言葉ではあっても,幾世紀もの期間をかけて多数の人によって書き記されたものであることを銘記しなければなりません。それら筆者たちは,経歴も資質も文章の書き方もさまざまに異なる人々であり,そうした違いすべてがその記述に反映されているのです。
2 さらに,二人あるいはそれ以上の筆者が同一の出来事について記す場合,一人は幾つかの細かな点を含め,別の人はそれらを省略することがあります。加えて,書く人が異なれば,同じ主題でも違った形で論じられることになるでしょう。ある人は年代順に書いてゆくかもしれず,またある人はそれと異なる形式に従うかもしれません。この章では,聖書の中の矛盾とされている箇所の幾つかを取り上げ,上記のことを考慮に入れつつ,問題とされる点をどのように調和させることができるかを考えましょう。
他の人の証言に左右されない証人たち
3,4 自分の下男が病気にかかっていた士官について,マタイとルカの記述にどんな表面上の矛盾がありますか。それらの記述をどのように調和させることができますか。
3 “矛盾”とされる点のあるものは,同一の出来事について二つないしはそれ以上の記述がなされている場合に生じています。一例として,マタイ 8章5節では,イエスがカペルナウムに来られた時,「ひとりの士官がそのもとに来て,懇願し」,自分の下男の病気を治してほしいとイエスに頼んだことが記されています。それに対し,ルカ 7章3節では,この士官が「ユダヤ人の年長者たちを[イエス]のもとに遣わし,来て自分の奴隷を無事に切り抜けさせてくださるようにと頼んだ」と記されています。この士官がじかにイエスに話したのでしょうか,それとも,年長者たちをそのもとに行かせたのでしょうか。
4 明らかにこの人はユダヤ人の長老たちを行かせた,というのが答えでしょう。ではなぜマタイは,その人自身がイエスに懇願したと述べているのでしょうか。なぜなら,事実上はこの人が,ユダヤ人の長老たちを介してイエスに頼み事をしたからです。長老たちはただその人の代理者として働いたのです。
5 実際の作業は明らかに他の人々によって行なわれたのに,ソロモンが神殿を建てたと聖書に述べられているのはなぜですか。
5 これの例証となる点として,歴代第二 3章1節にはこう記されています。「ついにソロモンは……エホバの家を建て始めた」。その後こう記されています。「こうしてソロモンはエホバの家……を完成した」。(歴代第二 7:11)ソロモンはその神殿を初めから終わりまで自分で建てたのですか。もちろんそうではありません。実際の建設作業は大勢の職人や労働者によってなされました。しかし,ソロモンはその作業の組織者,また責任者でした。ですから聖書は,ソロモンがこの家を建てたと述べています。これと同じような意味で,マタイの福音書は,軍司令官がイエスに近づいたと述べているのです。しかしルカは,その人がユダヤ人の長老たちを通してイエスに近づいたことを記して,さらに細かな点を伝えています。
6,7 ゼベダイの息子たちの願い事に関する二つの異なった福音書の記述をどのように調和させることができますか。
6 これと似た例がほかにもあります。マタイ 20章20,21節にはこう記されています。「ゼベダイの息子たちの母がその息子たちと共に[イエスに]近づき,敬意をささげながら何事かを彼に求めた」。この母親が求めたのは,イエスが王国に入る時,自分の息子たちに最も恵まれた立場が与えられるように,ということでした。この同じ出来事について述べるマルコの記述はこうなっています。「ゼベダイの二人の息子,ヤコブとヨハネが[イエスに]歩み寄って来て,こう言った。『師よ,わたしたちの求めるのがどのようなことでも,それをしていただきたいのですが』」。(マルコ 10:35-37)イエスにこの願い事をしたのはゼベダイの二人の息子たちでしたか,それともその母親でしたか。
7 明らかに,この願い事をしたのは,マルコが述べているとおりゼベダイの二人の息子たちです。しかしその二人は,母親を通してそれを行ないました。母親は息子たちの代弁者でした。このことは,ゼベダイの息子たちの母が行なったことを聞いた他の弟子たちが,母親に対してではなく,「その二人の兄弟」に対して憤慨した,というマタイの記録によっても裏書きされます。―マタイ 20:24。
8 同一の出来事に関する二つの別個の記述が互いに相違点を持ちながら,なおかつ両方とも真実であり得るのはなぜですか。
8 二人の人が,それぞれに目撃した同じ出来事について語るのを聞いたことがありますか。もしそうでしたら,人はそれぞれ自分の印象に残った点を強調することに気づかれたでしょうか。一方の人はある点を省略し,もう一人の人はそれを含めるかもしれません。しかし,二人とも真実を告げているのです。イエスの宣教に関する四つの福音書の記述について,また二人以上の聖書筆者が伝える他の歴史上の出来事についても同じことが言えます。ある筆者が細部を記録にとどめ,別の筆者がそれを省いていても,それぞれは正確な情報を記しているのです。記述されているすべての点を考察することによって,どういう事が起きたのかをより深く理解できます。このような差異は,聖書の記述が,他に左右されることなくそれぞれ独立してなされたことの証明です。しかもそれらが基本的に一致していることは,それが真実のものであることの証しです。
文脈をよく読んでください
9,10 カインがどこから妻を得たかに関して文脈を調べることはどのように理解の助けになりますか。
9 明らかな矛盾と思える箇所も,ただ前後の文脈を見れば解決される場合が少なくありません。一例として,しばしば指摘される,カインの妻に関する疑問について考えてください。創世記 4章1,2節にこう記されています。「やがて[エバ]はカインを産んで,こう言った。『わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した』。後に彼女は再び子を産んだ。彼の兄弟アベルである」。よく知られているとおり,カインはアベルを殺しました。しかしそれに続く部分に,カインには妻と子供たちのいたことが記されています。(創世記 4:17)アダムとエバには二人の息子しかいなかったとすれば,カインはどこから妻を得たのでしょうか。
10 問題の答えは,アダムとエバの子供は二人だけではなかった,という点にあります。文脈を追うと,アダムとエバは大きな家族を成していたことが分かります。創世記 5章3節には,アダムがセツという名の別の息子の父となったことが述べられており,それに続く節に,「[アダム]は息子や娘たちの父となった」と記されています。(創世記 5:4)ですから,カインはだれか自分の妹の一人,あるいは,めいの一人と結婚したことさえ考えられます。人類史の初期で,人間がまだ完全な状態に非常に近かった時代には,そのような結婚も,それによって生まれ出る子供たちに対して,今日起きるような危険をもたらさなかったものと思われます。
11 ヤコブと使徒パウロとの食い違いとしてどんな点を指摘する人がいますか。
11 使徒パウロとヤコブとの間に食い違いがあると一部の人々の唱えている点についても,文脈を考慮することがその部分の理解に役立ちます。エフェソス 2章8,9節でパウロは,クリスチャンは業ではなく信仰によって救われる,と述べています。こう記されています。「あなた方は信仰によって救われているのです。……業によるのではありません」。それに対しヤコブは,業の重要性をはっきりと述べて,こう書いています。「霊のない体が死んだものであるように,業のない信仰も死んだものなのです」。(ヤコブ 2:26)これら二つの陳述はどのように調和するのでしょうか。
12,13 ヤコブの言葉は使徒パウロの言葉と矛盾せず,むしろそれを補っていると言えるのはなぜですか。
12 パウロの言葉の前後の文脈を考えてみると,これらの陳述は一方が他方を補う関係にあることが分かります。使徒パウロは,モーセの律法を守ろうとするユダヤ人の努力について論じていました。ユダヤ人は,その律法を細部まですべて守れば,それによって自分たちは義なる者になれる,と考えていました。パウロは,それが不可能であることを指摘していたのです。わたしたちは生まれながらに罪の傾向を持つ者ですから,自らの業によっては,義にかなった者,それゆえ救いに価する者となることはできません。わたしたちは,ただイエスの贖いの犠牲に対する信仰によってのみ救いを受けることができるのです。―ローマ 5:18。
13 それに対してヤコブは,行動による裏付けがないなら,信仰それ自体では無価値であるという肝要な点をさらに述べているのです。イエスに対する信仰を抱いていると唱える人は,自分の行動によってそれを実証することが必要です。活動の伴わない信仰は死んだ信仰であり,救いをもたらすものとはなりません。
14 生きた信仰は業によって実証されなければならないという原則にパウロが全く同意していたことはどんな言葉に示されていますか。
14 使徒パウロもこの点に全く同意しており,クリスチャンが自分の信仰の表明として携わるべき幾つかの業について何度も触れています。一例として,ローマの人々にあててパウロはこのように書きました。「人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をする」。「公の宣言」をする,つまり自分の信仰について他の人々に語ることは,救いのために欠かすことができません。(ローマ 10:10。コリント第一 15:58; エフェソス 5:15,21-33; 6:15; テモテ第一 4:16; テモテ第二 4:5; ヘブライ 10:23-25もご覧ください。)とはいえ,クリスチャンの行なうどんな業,ましてモーセの律法を全うしようとするいかなる努力も,永遠の命に対する権利をクリスチャンに勝ち取らせるものとはなりません。それは,信仰を働かせる者に対する「神の賜物」なのです。―ローマ 6:23。ヨハネ 3:16。
観点の相違
15,16 ヨルダン川の東について述べた際,モーセとヨシュアはそれぞれ「こちら側」,『向こう側』と表現していますが,その両方が正しいと言えるのはなぜですか。
15 ある場合,聖書の筆者たちは同一の出来事について異なった観点で書き,あるいはその記述を異なった方法で提出しています。このような相違を考慮に入れると,一見矛盾に見える他の多くの問題をたやすく解決できます。一つの例は民数記 35章14節の場合です。その箇所でモーセは,ヨルダン川の東側の地域を「ヨルダンのこちら側」と呼んでいます。それに対しヨシュアは,ヨルダン川の東の地について述べた際,それを「ヨルダンの向こう」と呼んでいます。(ヨシュア 22:4)どちらが正しいのでしょうか。
16 実際のところ,どちらも正しいと言えます。民数記の記述によれば,イスラエル人はその時まだヨルダン川を渡って約束の地に入っていませんでしたから,その時のイスラエル人にとってヨルダンの東は「こちら側」でした。しかし,ヨシュアはすでにヨルダンを渡っていましたから,地理的には川の西側,カナンの地にいました。したがって,ヨシュアにとって,ヨルダンの東は『向こう側』でした。
17 (イ)創世記の初めの2章について,ある人々はどんな点が矛盾であるとしていますか。(ロ)食い違いのようにみなされるのはどんな基本的理由によりますか。
17 さらに,叙述の構成の仕方が表面上の矛盾の原因となる場合もあります。聖書は,創世記 1章24節から26節で,動物が人間より前に創造されたことを示しています。ところが,創世記 2章7,19,20節は,動物より前に人間が創造されたと述べているように見えます。なぜこのような相違があるのでしょうか。なぜなら,創造に関するこれら二つの記述は,それぞれ別個の観点で論じているからです。初めのほうは,天と地,およびその中のすべての物の創造について描写しています。(創世記 1:1-2:4)二番目の記述は,人類の創造,および人類が罪に陥った経緯を中心としています。―創世記 2:5-4:26。
18 創世記の初めの数章の,創造に関する二つの記述の表面上の食い違いをどのように調和させることができますか。
18 最初の記述は時間的順序で構成されており,六つの連続する“日”に分けられています。二番目の記述は,重要な項目の順に書かれています。短い序文の後,論理にそってまっすぐアダムの創造について述べます。アダムとその家族のことが,その後に続く部分の中心主題であるからです。(創世記 2:7)次いで他の情報が必要に応じて導入されています。記述から学べるとおり,創造された後のアダムはエデンの園で生活することになっていました。それで次に,エデンの園を設けることが述べられています。(創世記 2:8,9,15)エホバは,「野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物」に名前を付けることをアダムに命じます。ですから今,それら動物の創造はアダムが登場するずっと以前に開始されていたものではありましたが,エホバ神がそれらすべての生き物を「地面から形造っておられた」ということに言及すべき時になりました。―創世記 2:19; 1:20,24,26。
記述を注意深く読んでください
19 エルサレムの攻略に関する聖書の記述にはどんな混乱があるように見えますか。
19 注意深く記述を読み,そこに与えられている情報を筋道立てて考えるだけで一見矛盾と思えるものを解決できる場合もあります。イスラエル人によるエルサレムの攻略について見る場合がその例です。エルサレムはベニヤミンの相続地の一部として挙げられていますが,ベニヤミン部族はそこを攻略できなかったことが記されています。(ヨシュア 18:28。裁き人 1:21)さらに,ユダがエルサレムを攻略できなかったとも書かれていて,エルサレムがユダ部族の相続地の一部であったように扱われています。その後,ユダはエルサレムを撃ち破り,そこを火で焼きました。(ヨシュア 15:63。裁き人 1:8)しかし,それから何百年も後にダビデもエルサレムを攻略したと記録されています。―サムエル第二 5:5-9。
20,21 関係する細かな点すべてを注意深く調べると,ヘブライ人によるエルサレム市略取の歴史に関してどんなことが明らかになりますか。
20 一見このすべては混乱しているように見えるかもしれませんが,実際には何の矛盾もありません。事実,ベニヤミンの相続地とユダの相続地との境界線はヒンノムの谷に沿っており,まさに古代のエルサレム市のところを通過していました。後にダビデの都市と呼ばれるようになった部分は,ヨシュア 18章28節が述べるとおり,実際にはベニヤミンの領土内にありましたが,エブス人の都市であったエルサレムは一部ヒンノムの谷を越えて広がり,こうしてユダの領地内にまで入り込んでいたことが考えられます。そのためにユダもこれらカナン人の住民に対して戦わなければならなかったのでしょう。
21 ベニヤミンはこの都市を攻略できませんでした。一時期ユダは確かにエルサレムを攻略して火で焼きました。(裁き人 1:8,9)しかし,ユダの軍勢は明らかにそのまま転戦して行き,元の住民の一部が再びその都市を取得したようです。その後そこは一つの抵抗拠点として残り,ユダもベニヤミンもそこの住民を立ち退かせることができませんでした。このようなわけで,数百年後にダビデがその都市を攻略するまで,エルサレムにはエブス人が住み続けたのです。
22,23 イエスの苦しみの杭を処刑場まで運んだのはだれでしたか。
22 もう一つの例は福音書の中に見られます。イエスが死刑のために引かれて行った時のことについて,ヨハネの福音書には,『イエスは自分で苦しみの杭を負いつつ出て行かれた』と記されています。(ヨハネ 19:17)しかし,ルカの書では,「さて,イエスを引いて行くさい,彼らは,キレネ生まれで,田舎から来たシモンという者を捕まえて苦しみの杭を負わせ,イエスの後ろからそれを運ばせた」となっています。(ルカ 23:26)イエスは,死刑のためのその刑具を自分で運んだのでしょうか。それともシモンがイエスのためにそれを運んだのでしょうか。
23 明らかに,初めは,ヨハネが指摘しているとおり,イエスが自分で苦しみの杭を担いました。しかし後には,マタイ,マルコ,ルカが証言しているとおり,キレネのシモンが徴用され,処刑場までの残りの道,イエスに代わってそれを運んだのです。
他に左右されることのない証拠
24 聖書の中に一見不一致と思える箇所を幾つか見つけても,それによって驚くことがないのはなぜですか。そのことからどんな結論を下すべきではありませんか。
24 確かに,聖書の中には,明らかに不一致に見え,調和させにくく思えるものも幾つかあります。しかし,それらを明確な矛盾と決め込むべきではありません。単にすべての情報が与えられていないというだけの場合が多いのです。聖書には,わたしたちの霊的な必要を満たすのに十分な知識が備えられています。仮に,そこに言及されているすべての出来事について詳細をことごとく伝えていたとしたら,聖書は非常に大きく扱いにくい書庫となり,今日わたしたちが手にするような,扱いやすく,携帯に便利な書物とはならなかったことでしょう。
25 イエスの宣教活動の記録についてヨハネは何と述べていますか。このことは,聖書がすべての出来事について詳細をことごとく述べていない理由を理解するのにどのように役立ちますか。
25 イエスの宣教活動について述べた際,使徒ヨハネは,次のような,やや誇張ながらいかにももっともな書き方をしました。「実に,イエスの行なわれた事はほかにも多くあるが,仮にそれが事細かに記されるとすれば,世界そのものといえども,その書かれた巻き物を収めることはできないであろうと思う」。(ヨハネ 21:25)族長たちから1世紀のクリスチャン会衆の時代に至る,神の民の長大な歴史の一部始終を事細かに記録することはなおさら不可能なことでしょう。
26 聖書にはどんな肝要な事実を確信させるのに十分な情報が収められていますか。
26 実際のところ,聖書は奇跡とも言えるほど見事な凝縮となっています。そこには,それが単なる人間の作品以上のものであることを納得させるに十分な情報が収められています。そこに含まれている多少の差異は,その筆者たちが他の人の証言に少しも左右されない独立した証人たちであったことの証明です。他方,後の章でさらに詳しく取り上げる点ですが,聖書の記述の驚くほどの一致は,それが疑問の余地なく神からのものであることの実証です。聖書は,神の言葉であり,人間の言葉ではありません。
[89ページの拡大文]
聖書の中に表面的に食い違いと思える箇所が含まれていることは,筆者たちが他の人の証言に少しも左右されない独立した証人たちであったことの証明となる
[91ページの拡大文]
記述をただ注意深く読むだけで,聖書は矛盾しているとの非難に答えられる場合もある
[93ページの囲み記事]
“食い違い”は矛盾であるとは限らない
神学者ケニス・S・カンツァーは,同一の出来事に関する二つの報告が,矛盾しているように見えても,両方とも真実であり得るということを,一つの例を挙げて説明したことがあります。こう書いていました。「しばらく前のことだが,わたしたちの親しい友人の母親が死亡した。共通の友人で信頼する別の人から最初にその死について聞いたのだが,わたしたちの友人の母親は街角に立ってバスを待っていた際,そこを通った別のバスにはねられて致命傷を負い,数分後に死亡したということだった」。
その少し後に,カンツァーはそれとはかなり異なる別の報告を聞きました。こう述べています。「わたしたちは,亡くなった婦人の孫から,この婦人が衝突事故に巻き込まれ,自分の乗っていた車から放り出されて即死した,と聞かされた。その少年には,自分の述べていることは事実だという確信があるようだった。
「かなり後になって……これら二つがどのように調和するのかを調べてみた。少年の祖母はバスを待っていた時に他のバスにはねられて非常な重傷を負ったことが分かった。そこを通りかかった自動車に拾われて病院へ急行したが,あまりに急いだために,婦人を病院へ運んでいたその車が別の車と衝突した。婦人は車から投げ出されて即死したのであった」。
そうです,同一の出来事に関する二つの説明が,互いに食い違っているように見えても,共に真実である場合があります。聖書についても同様の例がときに見られます。他の人に影響されない独立した証人たちは,同じ出来事について別の面を細かに描写することがあります。しかしそれらは矛盾ではなく,相互に補い合うのであり,すべての記述を考え合わせれば,どのような事が起きたかをいっそう深く理解できるのです。
-
-
科学は聖書の誤りを証明しましたか聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第8章
科学は聖書の誤りを証明しましたか
1613年,イタリアの科学者ガリレオは,「太陽黒点についての手紙」として知られる論文を発表し,その中で,太陽が地球の周りを回っているのではなく,地球が太陽の周りを回っているという証拠を提出しました。これによってガリレオは,“甚だしい異端の嫌疑”でついにローマ・カトリックの異端審問に引き出されるまでになった一連の出来事の引き金を引く結果になりました。結局ガリレオは,“自説撤回”を余儀なくされました。地球が太陽の周りを動いているという考えは,なぜ異端とみなされたのでしょうか。そのような考えは聖書の述べている事柄に反すると,ガリレオを告発した人々が主張したためでした。
1 (前書き部分を含む)(イ)地球は太陽の周りを動いていると唱えたガリレオはどのようになりましたか。(ロ)聖書は科学の教科書ではありませんが,それを現代の科学と比較するときどんなことを見いだせますか。
今日,多くの人が,聖書は非科学的であると唱えています。その証拠としてガリレオの経験したことを挙げる人たちもいます。しかし,これは妥当な見方なのでしょうか。その問いに答えるに当たり,聖書が,預言と歴史と祈りと律法と助言の書,また神に関する知識の書であることを銘記しておかなければなりません。聖書は,科学の教科書であるとは唱えていません。とはいえ,科学上の問題に触れている場合,聖書の述べている事柄はことごとく正確です。
わたしたちの住む,惑星としての地球
2 聖書は宇宙空間における地球の位置についてどのように描写していますか。
2 一例として,わたしたちの住む惑星としての地球について聖書が何と述べているかを考えてください。ヨブ記の中にこう記されています。「神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる」。(ヨブ 26:7)これとイザヤ書の次の言葉とを比較して考えてください。『地の円の上に住む方がおられる』。(イザヤ 40:22)このような記述から描き出せる『無の上に掛かる』丸い地球のイメージ,それは,宇宙飛行士の撮影した,何もない空間に浮かぶ球体としての地球の映像をはっきり思い起こさせます。
3,4 地球における水の循環はどのようになっていますか。聖書はそれについて何と述べていますか。
3 地球における驚くべき水の循環についても考えてください。どのような事が起きているかをコンプトン百科事典はこう説明しています。「水は……海洋の表面から大気中に蒸発する。……地球の大気中を定常的に進む気流は湿り気を内陸部に運ぶ。その空気が冷却するとき,水蒸気は凝縮して微小な水滴を形成する。それは雲としてごく普通に観察される。それら微小な水滴はしばしば結合して雨滴となる。大気が十分に冷たければ,雨滴の代わりに雪片が形成される。いずれの場合でも,何百ないしは何千キロも離れた海洋から運ばれて来た水分が地表に降り注ぐことになる。その水は地表で集まって流れとなり,あるいは地面に染み込み,こうしてまた海に戻る旅を開始する」。1
4 乾いた陸地での生物の生存を可能にしているこの目ざましい仕組みについては,聖書の中で,約3,000年も昔に,非常に簡明な言葉で巧みに描写されていました。「すべての流れは海へ注ぐが,海はあふれることがない。その流れが出た所に戻って行き,また再び流れ出る」― 伝道の書 1:7,新英訳聖書。
5 地球の山脈の歴史に関する詩編作者のことばはどのような点で最新の知識と驚くほど一致していますか。
5 さらに目ざましいのは,山脈の歴史に対する聖書の洞察でしょう。地質学の一教科書はこのように述べています。「前カンブリア期から今日に至るまで,造山とその破壊の過程が絶え間なく続いてきた。……幾つもの山々が今では消滅した海の底から生じただけでなく,形成されてからずっと後に水没し,そののち再び隆起した例も多い」。2 このことと,詩編作者の次の詩的な言い回しとを比較してみてください。「あなたは水の深みを衣のようにして[地]を覆われました。水は実に山々の上に立っていました。山々は隆起し,谷あいの平原は沈下しはじめました ― あなたがそのために基を置かれた場所へと」― 詩編 104:6,8。
「初めに」
6 聖書のどんなことばは宇宙の起源に関する現在の科学上の理論と一致していますか。
6 聖書はその巻頭の節でこう述べています。「初めに神は天と地を創造された」。(創世記 1:1)科学者たちは観察の結果に基づいて,物質宇宙には確かに始まりがあった,という理論を立てるようになりました。宇宙は恒常的に存在してきたのではありません。天文学者ロバート・ジャストローは,宗教的には不可知論の見方をしていますが,このように書いています。「細かな点は異なるにしても,天文学上の説明と聖書の創世記にある記述の本質的な要素は同一である。すなわち,人間の出現に至る一続きの出来事は,時の流れのある特定の瞬間に,突如,こつ然として,光とエネルギーのひらめきのうちに始まった」。3
7,8 この問題における神の役割を認めてはいなくても,多くの科学者は,宇宙の起源についてどんなことを認めなければならなくなっていますか。
7 確かに,多くの科学者は,宇宙に始まりがあったことを信じてはいても,『神が創造した』という言葉を受け入れてはいません。とはいえ,科学者の中にも,すべての事象の背後に何らかの理知の働きの証拠を無視しがたいと考えるようになっている人たちもいます。物理学の教授フリーマン・ダイソンはこう述べています。「宇宙について調べ,その構成の細部を考究すればするほど,宇宙は何らかの意味で我々の到来を予知していたに違いないという証拠を,わたしは認めざるを得なくなる」。
8 ダイソンはさらに次のことを認めています。「18世紀ではなくこの20世紀の思考と言い回しの習慣によって訓練された科学者として,わたしは,宇宙の成り立ちが神の存在を証明しているとは主張しない。ただ,宇宙の成り立ちは,その運行の面で知能が重要な役割を果たしているとする仮定と一致している,と主張するだけである」。4 ダイソンの注解は,現代のいかにも懐疑主義的な態度を反映しています。しかし,その懐疑主義的な面を別にして考えれば,現代の科学と,「初めに神は天と地を創造された」と述べる聖書との間に注目すべき一致のあることが認められるでしょう。―創世記 1:1。
健康と衛生
9 伝染性の皮膚病に関する聖書の律法はなぜ実際的な知恵の反映であると言えますか。(ヨブ 12:9,16前半)
9 聖書が別の分野,つまり人の健康や衛生の面にも配慮していることを考えてください。もしあるイスラエル人の皮膚にきずが生じ,らい病の疑いがあるならば,その人は他の人々から隔離されました。「その災厄が身にある日の間いつも,彼は汚れた者である。彼は汚れた者であって,他から離れて住むべきである。宿営の外がその住むべき所となる」。(レビ記 13:46)病毒で汚染された衣服さえ焼却されました。(レビ記 13:52)これは,当時としては,感染が広まるのを防ぐ有効な方法でした。
10 ある土地に住む多くの人は,衛生に関する聖書の助言に従うだけでどんな益を得られると考えられますか。
10 別の重要な律法は,人間の糞便の処理に関するもので,それは宿営の外で埋められなければならないことになっていました。(申命記 23:12,13)この律法はイスラエルを多くの病気から救っていたに違いありません。今日でさえ,ある土地では,人間の排せつ物の不適当な処理が原因で健康上の深刻な問題が引き起こされています。そうした土地の人々は,何千年も昔に聖書の中に書かれていた律法に従うだけでも,もっと健康的に暮らすことができるでしょう。
11 精神面の健康に関する聖書のどんな助言は実際的なものであることが知られてきましたか。
11 聖書の高い衛生基準は,精神面の健康の問題をも含んでいました。聖書の箴言の一節はこう述べています。「穏やかな心は身体の命であり,ねたみは骨の腐れである」。(箴言 14:30)近年における医学調査は,わたしたちの身体の健康が確かに精神的態度に影響されることを実証しています。例えば,ジョンズ・ホプキンズ大学のC・B・トーマス博士は,16年間にわたり一千人以上の卒業生を対象に,各人の心理的特性と罹病率との関連について研究しました。同博士は一つの点を指摘しています。すなわち,最も病気にかかりやすいのは,ストレスがあると怒りっぽくなり,過度に気をもむタイプの卒業生たちでした。5
聖書は何と述べているか
12 カトリック教会は,どんな理由で地球に関するガリレオの説を異端であるとしましたか。
12 聖書が科学的な分野でも正確なものであるならば,なぜカトリック教会は,ガリレオが教えたこと,つまり地球が太陽の周りを動いているということを,非聖書的であるとしたのでしょうか。それは,幾つかの聖句に対する権威者たちの解釈の仕方のためでした。6 それは正しかったのですか。その人々が引用した二つの聖句を読んで考えましょう。
13,14 カトリック教会はどんな聖句について誤った適用をしましたか。説明してください。
13 一つの聖句はこうです。「日は昇り,日は沈む。こうしてそれはその場所へと急ぎ,そこからまた昇る」。(伝道の書 1:5,エルサレム聖書)同教会の論議によると,「日は昇り,日は沈む」という表現は,地球ではなく太陽が移動していることを意味している,ということでした。しかし今日でも,わたしたちは,日が昇り,また沈むという言い方をしますが,実際に移動しているのは太陽ではなく地球であることをわたしたちのほとんどが知っています。このような表現を使う時,わたしたちは,人間の目に映る太陽の見かけの動きについて述べているにすぎません。聖書の筆者もこれと全く同じことをしていたのです。
14 もう一つの聖句はこうです。「あなたは地球をその土台の上に据えられました。永久に揺らぐことはありません」。(詩編 104:5,エルサレム聖書)これは,創造されてから後の地球は決して動くことがない,という意味であると解釈されました。しかし実際のところ,この節が強調しているのは地球の恒久性であって,それが不動であることを言っているのではありません。聖書の他の節も確証しているとおり,地球が『揺らいで』存在しなくなったり,破壊されたりするようなことは決してありません。(詩編 37:29。伝道の書 1:4)この聖句も,地球と太陽との相対的な動きとは何の関係もありません。ガリレオの時代に自由な科学上の議論を妨げていたのは,このような教会組織であって,聖書ではありませんでした。
進化か創造か
15 進化論とは何ですか。それはどのような点で聖書と相いれませんか。
15 しかし,現代科学と聖書とが絶望的なほどに対立していると,多くの人の考えている分野があります。すべての生物は,幾億年も前に存在するようになった単純な生命形態から進化してきたものであるとする進化論を,ほとんどの科学者が信じています。それに対し聖書は,生物の主要な種類は個別に創造されたものであり,それぞれは「その種類にしたがって」のみ繁殖する,としています。そして,人間は『地面の塵から』創造されたと,聖書は述べています。(創世記 1:21; 2:7)これは,聖書に見られる,れっきとした科学上の誤りでしょうか。この点で判断を下してしまう前に,科学の理論として提唱されている事柄ではなく,科学が現に知っている事柄をもう少し細かに調べてみましょう。
16-18 (イ)チャールズ・ダーウィンが観察した事柄で,進化を信じるきっかけとなったものは何ですか。(ロ)ダーウィンがガラパゴス諸島で観察した事柄は聖書の述べていることと矛盾してはいないという点をどのように説明できますか。
16 進化の理論は,19世紀に,チャールズ・ダーウィンによって広められました。太平洋のガラパゴス諸島にいた時,ダーウィンは,フィンチという小鳥が,その生息している島が異なるのに応じてその種もいろいろに異なる,という点に強い印象を覚え,それらすべてはただ一つの先祖の種から派生してきたものに違いない,と推論しました。この観察を一つの根拠として,ダーウィンは,すべての生物は元となるただ一つの単純な形態から来ている,という理論を提唱しました。下等な生き物から高等なものへと進化を推し進める背後の力は,自然選択,つまり適者生存の原理であるとダーウィンは唱えました。進化の仕組みによって,陸生動物は魚類から,鳥類は爬虫類からというようにしてそれぞれに発達してきたと,ダーウィンは主張しました。
17 実際のところ,他から隔絶したそれらの島々でダーウィンが観察したものは,聖書と相いれない事柄ではありませんでした。聖書は,生物の主要な種類そのものの中で変異があり得ることを否定していないからです。例えば,同じ人類の中のあらゆる人種は,最初のただ一組の人間夫婦から出ています。(創世記 2:7,22-24)ですから,それらフィンチの異なった種がある共通の先祖種から生じているとしても,それは特に意外なことではありません。しかし,それらは依然フィンチのままです。タカやワシに進化したわけではありません。
18 フィンチのさまざまな種にしても,あるいはダーウィンが見たほかのどんな生物にしても,サメであれカモメであれ,ゾウであれミミズであれ,すべての生物に共通の先祖があるということの証明となってはいません。それにもかかわらず,多くの科学者は,進化はもはや単なる学説ではなく事実であると断言しています。その説にいろいろ問題があることは認めるが,それでもとにかくそれを信じている,と言う人たちもいます。そのようにするほうが一般に受け入れられるのです。しかしわたしたちは,聖書は誤りであるに違いないと明言できるまでに進化論がじゅうぶん立証されたものであるのかどうかを知る必要があります。
それは証明されているのか
19 化石の記録は進化と創造のどちらを裏付けていますか。
19 進化の理論をどのように試してみることができますか。最もはっきりした方法は,化石の記録を調べて,一つの種類から別の種類への漸進的変化が本当に起きたのかどうかを見ることです。それは本当に起きましたか。多数の科学者が正直に認めているとおり,そのような事は起きていません。その一人フランシス・ヒッチングはこう書いています。「動物の主要グループの間をつなぐ連鎖を見つけ出そうとしても,そのようなものは全く存在していない」。7 化石の記録におけるこのような証拠の欠損があまりにも歴然としているために,進化論者は,漸進的変化というダーウィンの説の代わりとなるものを考え出しました。しかし,真実を言えば,種々の動物の種類が化石の記録の中に突然に出現している事実は,進化を裏付けるというより,むしろ個別的創造を強力に裏付けているのです。
20 なぜ生物の細胞の増殖の仕組みは進化を阻むと言えますか。
20 さらに,ヒッチングは,ある生物が何か他の生物へ進化してゆくのではなく,むしろ,増殖の過程によって全く同類のものを生み出すように生体プログラムが組み込まれていることを示して,こう述べています。「生物の細胞はほとんど完ぺきな忠実さをもって自らを複製してゆく。過誤の度合いはきわめて低く,人間製のどんな機械もそのレベルに接近することすらできない。一種の抑制装置さえ組み込まれている。植物はそれぞれ一定の大きさに達すると,それ以上は大きくならない。ショウジョウバエは,これまでに仕組まれたどんな環境のもとでもショウジョウバエ以外のものにはならなかった」。8 科学者たちがこれまで何十年もかけてショウジョウバエに生じさせた数々の突然変異も,ショウジョウバエを何か別のものに進化させることはできませんでした。
生命の起源
21 ルイ・パスツールによって立証されたどんな結論は進化論者にとって難しい問題となっていますか。
21 生命はそもそもどのようにして始まったのでしょうか。これは,進化論者がいまだ答えられないもう一つの面倒な質問です。わたしたちすべてが派生してきたとされる,最初の単純な形態の生命はどのようにして存在するようになったのでしょうか。何世紀か前であれば,これは難問には見えなかったでしょう。当時の多くの人は,ハエは腐った肉から生じ,ぼろきれの山はネズミをひとりでに生み出すと考えていました。しかし,今から100年と少し前,フランスの化学者ルイ・パスツールは,生命はそれ以前に存在していた生命からのみ生じることを明確に立証しました。
22,23 進化論者によると,生命はどのようにして始まりましたか。しかし,事実はどんなことを示していますか。
22 それで,進化論者は,生命の源についてどのように説明するのでしょうか。最も広く受け入れられている説によると,幾億年も前,種々の化学物質と何らかのエネルギーとの偶然の結合が生命の自然発生を誘発しました。パスツールが証明した原理はどうなるのでしょうか。ワールドブック百科事典はこのような説明をしています。「今日地上に存在する化学および物理的条件下で生命は自然には生じ得ないことを,パスツールは示した。しかし,今から幾十億年も前,地球の化学および物理的条件は大いに異なっていた」。9
23 しかし,大いに異なる条件下にあったとしても,無生の物質と最も単純な生命体との間には,とてつもない隔たりがあります。マイケル・デントンは自著「進化論: 危機にひんする学説」の中でこう書いています。「生物細胞と,結晶や雪片など最も秩序だった非生物体との間には,想定し得るかぎりの広大で絶対的な隔たりが存在する」。10 無生の物質が全くの偶然性によって生命体になるというのは,ほとんど不可能なほど望みがたいことなのです。『生命は生命から生じた』,つまりこの場合,生命は神によって創造された,という聖書の説明のほうが説得力があり,事実に即してもいます。
なぜ創造を受け入れないのか
24 進化論にはさまざまな難問が伴うにもかかわらず,大多数の科学者が依然その説に執着するのはなぜですか。
24 進化論にはさまざまな難問が内在しているにもかかわらず,今日,創造を信じるのは非科学的であり,まともなことではないとさえされています。これはなぜでしょうか。フランシス・ヒッチングのような権威者でさえ,自ら進化論の弱点を正直に指摘していながら,それでも,創造という考えを退けているのはなぜでしょうか。11 創造と結び付いた考えは「超自然的原因者に正面から依り頼む」ことであるので,進化論は,そのすべての弱みがあるにしても,今後とも唱道されてゆくことであろう,というのがマイケル・デントンの説明です。12 言い換えれば,創造という考えは創造者を持ち込むことであるから受け入れられない,というのです。確かにこれは,奇跡の問題に関して遭遇したのと同じ,つまり奇跡は奇跡的だからあり得ないと言うのと同じ循環論法です。
25 科学的に見た場合,進化論のどのような弱点は,生命の起源を説明する面でそれが創造という見方にはっきり代わり得るものでないことを示していますか。
25 加えて,進化論そのものには,科学的な観点から見てすこぶる薄弱な面があります。マイケル・デントンはさらにこう述べています。「基本的に言って,歴史的な足取りを再構築しようとする理論であるから,[ダーウィンの進化説]は,通常の自然科学の場合のように,実験や直接の観察によってその確かさを立証することができない。……しかも進化論は,生命の起源や知能の起源など,一連の特異な事柄を扱っている。それら特異な事柄は繰り返して起きることがなく,実験的調査研究に付することも全くできない」。13 真実のところ,進化論は,非常に広く受け入れられてはいても,難問や欠陥を数多く抱えているのです。それは,生命の起源に関する聖書の記述を退けなければならない理由を何ら提出していません。創世記の最初の章は,それら『繰り返して起きることのない特異な事柄』が,幾千幾万年に及ぶ創造の『日々』の期間中にどのように生じたかについて,全く道理にかなった記述を提出しています。a
洪水についてはどうか
26,27 (イ)大洪水に関して聖書はどんなことを述べていますか。(ロ)洪水の水の一部はどこから来たに違いありませんか。
26 聖書と現代科学とがぶつかり合う点として多くの人が指摘するもう一つの事柄があります。創世記には,何千年か前,人間の邪悪さが甚だしかったために,神がそれら人間を滅ぼし去ることを定められたことが記されています。しかし神は,義にかなった人ノアに,大きな木製の船,箱船を建造するよう指示を与えました。その後に神は,人類に洪水をもたらしました。ノアとその家族だけが,すべての動物の代表種と共に,それを生き残りました。その洪水は非常に大々的なものであったため,「全天下の高い山々がことごとく覆われるように」なりました。―創世記 7:19。
27 地球全体を覆いつくすほどの水がどこから来たのでしょうか。聖書そのものが,その答えを提出しています。創造の過程の初期,大気の大空が形成され始めた時,『大空の下の水』と『大空の上方の水』とが存在するようになりました。(創世記 1:7。ペテロ第二 3:5)その洪水が起きた時について,聖書は,「天の水門が開かれた」と記しています。(創世記 7:11)明らかに,『大空の上方の水』が降り注ぎ,その大はんらんの主要な水源になったと考えられます。
28 イエスを含めて,神の古代の僕たちは,大洪水のことをどのように見ていましたか。
28 現代の一般教科書は,全世界的な洪水に関する記述をそのままは受け入れない傾向にあります。それで,このように尋ねなければなりません。この洪水に関することは単なる神話でしょうか,それとも,本当に起きたのでしょうか。この問いに答える前に,後代のエホバの崇拝者たちが,その洪水を確かな史実として受け入れていたことに注目しなければなりません。それらの人々は,それを神話とみなしてはいませんでした。それを本当に起きた事柄と見た人々の中には,イザヤ,イエス,パウロ,ペテロなどがいます。(イザヤ 54:9。マタイ 24:37-39。ヘブライ 11:7。ペテロ第一 3:20,21。ペテロ第二 2:5; 3:5-7)しかし,この全世界的な大洪水については,答えなければならない幾つかの質問があります。
洪水の水
29,30 地球上の水の量に関するどんな事実は,大洪水があり得たことを示していますか。
29 まず初めに,地球全体が洪水の水に覆われたというのはあまりにも強引な考え方ではないでしょうか。決してそうではありません。実際のところ,地球はある意味でいまだに水浸しの状態にあります。地表面の70パーセントは水で覆われており,乾いた陸地は30パーセントにすぎません。しかも,地上の淡水の75パーセントまでは,氷河や極地の氷冠の中に閉じ込められています。仮にそのような氷すべてが解けたとしたら,海水面はずっと高くなり,ニューヨークや東京などの都市は消滅してしまうことでしょう。
30 さらに,新ブリタニカ百科事典はこう述べています。「海洋全体の平均水深は,3,790メートル(1万2,430フィート)と推定されている。この数字は,海面上に出ている陸地部分の平均標高である840メートル(2,760フィート)よりかなり大きい。各区分ごとの表面積に平均水深を掛けてゆくと,世界の海洋の全体積は,海面より上の陸地部分の全体積の11倍にもなる」。14 ですから,仮にすべてをならすとすると,つまり山を平らにして深い海のくぼみを埋めるとすれば,地球全体は数千メートルの深さの海に覆われてしまうでしょう。
31 (イ)そのような洪水が起きるために,洪水以前の地球の状況はどのようであったはずだと言えますか。(ロ)大洪水の前,山々は今よりも低く,海のくぼみは今よりも浅かったとするのは非現実な見方ではないことを何が示していますか。
31 そのような洪水が起きるためには,洪水以前の海のくぼみは今よりも浅く,山脈は今よりも低くなければならなかったでしょう。そのようなことはあり得るでしょうか。この点,一教科書はこう述べています。「かつて幾百万年も前には,今日,世界の山々が目もくらむほどに高くそびえているその場所に,海洋や平原が単調なほどなだらかに広がっていた。……大陸板塊<プレート>の運動は,陸地面を,ごく耐寒性のある動植物しか生存できないような高度にまで隆起させ,あるいは逆に,大きく沈下させて,海面下深くに壮麗な美しさをたたえて静かに横たわらせもする」。15 山脈や海のくぼみは隆起したり沈下したりしますから,山々が現在ほど高くなく,海の大きなくぼみが今日ほど深くなかった時代がかつて存在したことは明らかです。
32 大洪水の水はどうなったに違いありませんか。説明してください。
32 その水は洪水後どうなったのでしょうか。排水されて海のくぼみに入ったに違いありません。どのようにでしょうか。大陸は巨大なプレートの上に位置していると科学者たちは信じています。それらプレートの運動は地球表面の高さを変動させることができます。今日,ある場所では,プレートどうしの境界線に,深さ10キロを超える大きな海底の深みがあります。16 洪水そのものによって引き起こされたともみなせますが,プレートの移動に伴って海底が沈下して大きな溝ができ,そこへ水が流れ込んで陸地の現われたことが十分に考えられます。b
洪水の形跡はあるか
33,34 (イ)科学者たちには,実際のところ大洪水の裏付けともなり得るどんな証跡がすでにありますか。(ロ)科学者たちの証拠の解釈の仕方に誤りがあるかもしれないとするのは無理な見方ですか。
33 仮に,大規模な洪水は起こり得たと見る場合,科学者たちがその形跡を何ら発見していないのはなぜでしょうか。実際にはそれを発見していても,その証跡を何か別の意味に解釈していることが考えられます。例えば,従来の伝統的科学によると,地球表面の多くの箇所は,一連の氷河期に強力な氷河によって形造られてきた,とされています。しかし,氷河活動の証拠のように見えるものの中には,流水作用の結果とみなし得るものもあります。したがって,大洪水の証跡のあるものが誤って氷河期の形跡と読み取られている場合も十分にあり得ます。
34 そのような誤りの例が実際にあります。科学者たちが氷河期に関する学説を発展させていた時期のことについてこう記されています。「[科学者]たちは,均一性という見方にそって,地質史のどの段階にも氷河期を見つけていた。しかし,近年そのような証跡が注意深く再検討されて,それら氷河期の中には退けられたものも多い。かつては氷河による堆積物とされていたものが,解釈し直されて,泥流や海底の地滑り,また混濁流などによってできた層とみなされるようになった。なだれのような混濁流によって沈泥・砂・砂利などが深海の底に運び出されるのである」18
35,36 化石の記録や地質学調査から得られたどんな証拠は大洪水と関連があるかもしれませんか。説明してください。
35 大洪水の別の証跡が化石の記録の中に存在しているように思われます。その記録によると,かつては大型の剣歯トラがヨーロッパで忍びやかに獲物を狙い,現存種のどんなウマより大きなウマが北アメリカを歩き回り,またマンモスがシベリアでえさをあさっていました。ところが,世界全域にわたって幾種もの哺乳類が絶滅しています。それと同時に気象の激変が起きました。シベリアで何万頭ものマンモスが死に,急速に凍結されています。c チャールズ・ダーウィンと同時代の人として広く知られるアルフレッド・ウォーレスは,広範に見られるそうした壊滅は全世界にわたる何か異例な出来事によって引き起こされたものに違いない,と考えました。19 多くの人は,その異例な出来事とは大洪水であると見てきました。
36 「聖書考古学者」誌の一論説記事は次のように述べています。「大規模な洪水の物語は人類文化の中で最も広範にわたる伝承の一つである点に留意することが重要である。……しかし,近東地域の歴史資料に見られる最古の伝承の背景には,多雨期の一つで……何千年も昔にさかのぼる時代の,とてつもない規模の実際の洪水があるのかもしれない」。20 多雨期というのは,地球の表面が現在よりはるかに水気の多かった時代です。世界中の淡水湖は今日よりずっと大きく広がっていました。こうした水気は氷河期の終わりと関係のある一連の大雨が原因である,という理論が提唱されています。しかし,ある時期における地表面の極端なまでの水気は洪水の結果ではないか,という見方をしている人たちもいます。
人類はそれを忘れなかった
37,38 実際の証拠からすれば大洪水があったともみなし得ることを一科学者はどのように示していますか。それが起きたということをどのように知ることができますか。
37 地質学の教授のジョン・マキャンベルはかつてこのように書きました。「聖書的天変地異説[大洪水]と進化論的斉一説との間の本質的な違いは,地質学上の実際のデータをめぐるものではなく,それらデータの解釈をめぐるものである。どのような解釈を好むかは,個々の学徒の背景や前提としている事柄に大きく依存するであろう」。21
38 大洪水が確かに起きたことは,人類がそれを決して忘れなかったという事実の中にも見ることができます。世界のいたるところ,アラスカや南太平洋の島々など遠く離れた場所にさえ,洪水に関する昔話が存在しています。コロンブス以前のアメリカ原住民の諸文化,またオーストラリアの原住民<アボリジニ>なども,すべて大洪水に関する民話を有しています。細かい説明に違いのあるものもありますが,この地上が洪水に見舞われて,ごくわずかな数の人間だけが手造りの船に乗って救われたという基本的な点が,ほとんどすべての話に伝えられています。こうして非常に広い範囲に語り継がれているのは,大洪水が歴史上の実際の出来事であったからにほかなりません。d
39 聖書は神の言葉であって人間の言葉ではないということについて,どんな証拠をさらに見ることができましたか。
39 こうして,根本的な面で聖書は現代科学と調和しています。両者が対立するのは,科学者の提出する証拠に問題のある場合です。両者が一致している場合,聖書は多くの点できわめて正確であり,その情報が人間を超越した理知に由来していることを信じざるを得ません。実際,聖書が実証された科学と一致しているということは,それが神の言葉であり,人間の言葉ではないことのいっそうの証拠となります。
[脚注]
a 進化と創造を主題にしたさらに詳しい論議は,1985年,ものみの塔聖書冊子協会発行の,「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」と題する本に掲載されています。
b 「地球と氷河」と題する本は,氷板状になった水がいかに地表面を押し下げるかに注意を促しています。例えば,「もしグリーンランドの氷が消滅するとすれば,この島はやがては2,000フィート(600メートル)ほども跳ね上がるだろう」と同書は述べています。こうした点からすると,突然の全地球的洪水は地殻の幾つもの場所に激動的な影響を及ぼしたものと考えられます。17
c ある推定では500万頭と見られています。
d 洪水に関するさらに多くの情報については,ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,327,328,609-612ページをご覧ください。
[105ページの囲み記事]
「塵で」
ワールドブック百科事典はこう記しています。「生物の体を構成している化学元素はすべて無生の物質の中にも存在している」。つまり,人間を含む生物体を構成する基本元素は土壌の中にも見いだされます。これは,『エホバ神は地面の塵で人を形造られた』という聖書のことばと合致しています。―創世記 2:7。
[107ページの囲み記事]
『神の像に』
人間とある種の動物との間に見られる体制上の類似点を指摘して,両者の関連性の証拠であるとする人々がいます。しかし,人間の知的能力がどんな動物よりもはるかに優れている点を認めなければなりません。人間は将来の計画を立て,自分の周囲の物事を組織する能力があり,愛と高い知能と良心の働きを備え,現在・過去・未来の概念を有していますが,これはなぜでしょうか。進化論は答えることができません。しかし,聖書は答えることができ,こう述べています。「そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された」。(創世記 1:27)人間の持つ知的,道徳的能力また可能性の面から言えば,人間は天の父の反映です。
[99ページの図版]
地球が宇宙空間に掛かっているという聖書の描写は,宇宙飛行士が見てきて報告した事柄とぴったり適合する
[102ページの図版]
聖書は,地球が太陽の周りを回っているのか,太陽が地球を回っているのかに関する言葉を載せてはいない
[113ページの図版]
地表面を平らにして,山脈や海の深みをすべてなくしたとしたら,地球は深い水の層にそっくり覆われることになる
[114ページの図版]
死後,急速に凍結したマンモスの死体が発見されている
[115ページの図版]
ルイ・パスツールは,生命がそれ以前に存在していた生命からのみ生じ得ることを立証した
[109ページの図版/図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
聖書は地球における水の循環について正確な描写をしている
-
-
そのとおりに実現した預言聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第9章
そのとおりに実現した預言
人間は,将来を確実に予告することができません。将来のことを予言しようとする人間の努力は繰り返しみじめな失敗に終わっています。ですから,実際にそのとおりになった数々の預言を収めた本があれば,それはわたしたちにとって興味深いものとなるはずです。聖書はそのような本です。
1 (前書き部分を含む)聖書が多くの預言を収めており,それらがそのとおりに実現している事実はどんなことの証拠ですか。
聖書の数多くの預言が非常に細かな点までそのとおりに実現しているために,それらは成就したとされる出来事の後に書かれたのだとする批評家たちがいます。しかし,そのような批判は当たっていません。神は全能者であられ,物事を預言する能力を完全に備えておられます。(イザヤ 41:21-26; 42:8,9; 46:8-10)そのとおりに実現した聖書の預言は,神による霊感の証拠であって,事後に書かれたことを示すものではありません。では今,そのとおりに実現した顕著な預言の幾つかを調べてみましょう。それは,聖書が神の言葉であり,単なる人間の言葉ではないことのいっそうの証しとなるでしょう。
バビロンへの流刑
2,3 どのような経緯でヒゼキヤ王はバビロンからの使節に自分の王家と領土のすべての財宝を見せましたか。
2 ヒゼキヤは王としてエルサレムで30年ほど治めました。西暦前740年,ヒゼキヤは,北方の隣国イスラエルがアッシリアの手で滅ぼされるのを目撃しました。そして西暦前732年には,神の救いの力を自ら体験しました。その年,エルサレムを征服しようとしてやって来たアッシリアの企てが失敗し,その侵略軍は壊滅的な打撃を被ったのです。―イザヤ 37:33-38。
3 さて今,ヒゼキヤは,バビロンの王メロダク・バラダンのもとから来た使節団を迎え入れています。表向き,それら使者たちは,ヒゼキヤが重病から快復したことを祝うために来ていました。しかし恐らくメロダク・バラダンとしては,ヒゼキヤを,世界強国アッシリアに対抗する同盟に加わらせることができると見ているのでしょう。ヒゼキヤのほうは,そうした考えを払いのけるようなことは何も行なわず,訪ねて来たバビロニア人に,自分の王家と領土のすべての富を見せて回ります。ヒゼキヤ自身としても,アッシリアによる再度の攻撃に備えて同盟を望んでいるのかもしれません。―イザヤ 39:1,2。
4 イザヤは,ヒゼキヤの過ちがどんな悲劇的結末になることを預言しましたか。
4 その時代の傑出した預言者であったイザヤは,ヒゼキヤの行動の軽率さをすぐに見てとります。ヒゼキヤにとって最も確実な守りとなるのはエホバであって,バビロンではないことを知っているのです。それでイザヤは,バビロニア人に自分の富を見せたその行為は悲劇的な結末になるであろうとヒゼキヤに告げます。イザヤはこう述べます。「日がやって来て,あなたの家の中にあるもの,あなたの父祖たちが今日に至るまで蓄えてきたものがすべて,実際にバビロンに運ばれるであろう」。エホバは,「何一つ残されないであろう」とも告げられました。―イザヤ 39:5,6。
5,6 (イ)エレミヤはイザヤの預言を確認してさらに何と述べましたか。(ロ)イザヤとエレミヤの預言はどのように成就しましたか。
5 西暦前8世紀当時,こうした預言は成就しそうもないように見えたかもしれません。しかし,その100年後に状況は変化していました。バビロンはアッシリアと入れ替わって支配的な世界強国となっていました。ユダのほうは宗教的に甚だしく退廃していて,神はもはや祝福を与えてはおられませんでした。そして今,別の預言者エレミヤが霊感を受けて,イザヤの語った警告を再び伝えることになりました。エレミヤはこうふれ告げました。『わたしは[バビロニア人]を来させ,この地とその住民を攻めさせる。……そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない』― エレミヤ 25:9,11。
6 エレミヤがこの預言を語ってから4年後,バビロニア人はユダを自分たちの帝国の一部としました。その3年後には,一部のユダヤ人を捕虜としてバビロンに連行し,エルサレム神殿の財宝の一部をも持ち去りました。それから8年後,ユダは反抗を企てましたが,再度バビロンの王ネブカドネザルによる侵略を受ける結果になりました。この時に,エルサレム市とその神殿は破壊されました。そこにあったすべての富は運び去られ,ユダヤの民そのものも遠く離れたバビロンに連れて行かれて,イザヤとエレミヤが予告したとおりになりました。―歴代第二 36:6,7,12,13,17-21。
7 エルサレムに関するイザヤとエレミヤの預言が成就したことを考古学はどのように確証していますか。
7 「聖地考古学百科事典」は,バビロニアの猛攻撃が終わった時の「[エルサレム]市はまさに徹底的な壊滅状態にあった」と記しています。1 考古学者のW・F・オールブライトはこう述べています。「ユダにおける発掘および地表踏査の結果は,ユダの諸都市が,二度にわたるカルデア人の侵略によって完全に破壊されただけでなく,何世代ものあいだ無人のままに放置されたことを示している。それ以後二度と人の住まなかった町も少なくない」。2 こうして考古学は,この点に関する預言が衝撃的なほど的確に成就したことを裏付けています。
ティルスの命運
8,9 エゼキエルはティルスに対してどんな預言を語りましたか。
8 神の霊感による預言を書き記した古代のもうひとりの人としてエゼキエルがいます。エゼキエルは,西暦前7世紀の終わりから同6世紀にかけて預言者として活動しました。それは,エルサレムの滅亡に至る数年,そしてユダヤ人のバビロン捕囚の初めの十数年の期間に当たります。現代の批評家の中にも,エゼキエル書がおおむねその時期に書かれたという点に同意している人たちがいます。
9 エゼキエルは,イスラエルの北側に隣接していたティルスの滅亡に関する目ざましい預言を記録しました。ティルスは,神の民の友という立場にありましたが,後にそれに敵対するようになった国です。(列王第一 5:1-9。詩編 83:2-8)エゼキエルはこう記しています。「主権者なる主エホバはこのように言われた。『ティルスよ,いまわたしはあなたを攻める。海が波を起こすように,わたしは多くの国々の民を起こしてあなたを攻めさせる。そして,彼らはティルスの城壁を必ず滅びに陥れ,その塔を打ち壊すであろう。わたしは彼女からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする。……またあなたの石や,木工物や,塵を水の中に置くであろう』」― エゼキエル 26:3,4,12。
10-12 エゼキエルの預言は最終的にいつ,またどのように成就しましたか。
10 この事は実際に起きたでしょうか。エゼキエルがこの預言を語ってから数年後,バビロンの王ネブカドネザルはティルスを攻囲しました。(エゼキエル 29:17,18)しかし,その攻囲は決して容易ではありませんでした。ティルス市の一部は普通の陸上(ティルス旧市と呼ばれている部分)にありました。しかし市の別の部分は,岸から800メートルほど離れた島にありました。ネブカドネザルは,この島を13年間攻囲してようやく屈服させました。
11 しかし,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく最終的に成就したのは,西暦前332年のことでした。その年,マケドニアからやって来た征服者アレクサンドロス大王は,アジアにまで侵略の歩みを進めていました。離れ小島にあって守りを堅くしていたティルスは,容易なことではアレクサンドロスに屈しませんでした。アレクサンドロスは潜在的な敵を背部に残すことを望まず,同時にまた,ネブカドネザルのようにティルスの攻囲に多年を費やすことも望みませんでした。
12 この軍事上の問題をどのように解決したのでしょうか。アレクサンドロスは,一種の土手橋もしくは半島堤を島に渡し,自分の兵士たちがそれを伝って進み,島にある都市に攻撃を仕かけられるようにしました。しかし,その半島堤を築くために何が用いられたのかに注意してください。アメリカーナ百科事典はこう述べています。「彼は332年に,自分が破壊しつくしたその都市の本土側の部分の残がいを用いて巨大な半島堤を構築して,島と本土とをつないだ」。比較的短期間の攻囲の後に島側の都市は滅ぼされました。しかも,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく成就したのです。ティルス旧市の『石や木工物や塵』までが『水の中に置かれた』からです。
13 19世紀の一旅行者は古代ティルスの遺跡をどのように描写していますか。
13 19世紀の一旅行者は,古代ティルスの遺跡が当時どのようになっていたかについてこう述べています。「ソロモンやイスラエルの預言者たちに知られていた元々のティルスについては,山側の岩壁にくり抜いた墳墓や,城壁の基部を除けば何のおもかげも残っていない。……アレクサンドロス大王が,この都市に対する攻囲の際,島と本土との間を埋め立てて岬に変えてしまった島の部分にさえ,十字軍の時代以前のものとして見分けのつく遺物は何もない。現今の町は,その全体が比較的に新しいものであるが,かつて島であった部分の北半分を占めており,残る地表面のほとんど全域は全く識別できないがれきで覆われている」。3
次いでバビロンの滅び
14,15 イザヤとエレミヤはバビロンに対してどんな預言を記録しましたか。
14 西暦前8世紀に戻ると,ユダヤ人がバビロンに服従させられる日の来ることを警告した預言者イザヤは,驚がくすべきさらに別のこと,すなわち,バビロンそのものが完全な絶滅に至ることをも予告していました。イザヤはそれをまのあたりに見るかのように精細に予告しています。「いまわたしは彼らに対してメディア人を奮い起こさせる。……そして,もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない」― イザヤ 13:17-20。
15 預言者エレミヤも,バビロンの倒壊について予告しましたが,それはその時代より幾年もたってから起きる事柄でした。そしてエレミヤは,興味深い細かな点をそこに含めていました。「彼女の水の上には荒廃があり,それは必ず干上がる。……バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた。彼らは強固な場所に座りつづけた。その力強さは枯れた」― エレミヤ 50:38; 51:30。
16 バビロンはいつ,だれによって征服されましたか。
16 西暦前539年,精力的なペルシャの支配者キュロスがメディアの軍勢を伴いつつバビロンに向けて軍を進め,ぬきんでた世界強国としてバビロンが支配権を行使する時代は終わりを迎えることになりました。しかしキュロスは,侮りがたいものをそこに見ました。バビロン市は高大な城壁に囲まれ,いかにも堅固に見えました。大河ユーフラテスがその都市の中を流れ,防備にいっそうの重みを添えていました。
17,18 (イ)どのような意味で『[バビロン]の水の上に荒廃』がありましたか。(ロ)バビロンの『力ある者たちが戦うことをやめた』のはなぜですか。
17 ギリシャの歴史家ヘロドトスは,キュロスがこの問題をどのように解決したかを記述しています。「彼は,自分の軍隊の一部を川が市内へ流れ込む地点に配置し,別の一隊をその場所の裏側,水が流れ出て来るところに配置して,水が引いて浅くなるや直ちに川床を伝って町の中へ進み入れ,との命令を与えておいた。……キュロスは,堀割りを使ってユーフラテスの流れをくぼ地[バビロンのそれ以前の支配者が掘った人工の湖]に導いた。そこは当時,沼地であった。こうして川の水位は下がって,自然の川床を歩いて渡れるほどになった。そこですぐ,その目的のためバビロン市の傍ら,川のそばで待機していたペルシャ人たちは流れの中に入った。それは人の股の半ば程度にまで引いていた。こうして彼らは町の中へ侵入した」。4
18 こうしてこの都市は,エレミヤやイザヤが警告していたとおりに陥落しました。しかし,預言が細かな点まで成就したことに注目してください。文字通り『彼女の水の上に荒廃があり,それは干上がり』ました。ユーフラテス川の水位を下げることによってキュロスはこの都市に接近することができたのです。エレミヤが予告していたとおり,「バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた」でしょうか。聖書だけでなく,ギリシャの歴史家ヘロドトスやクセノフォンも,ペルシャ人が襲撃を仕かけた時,バビロニア人がまさに酒宴にふけっていたことを記録しています。5 楔形文字を刻んだ公文書であるナボニドス年代記は,キュロスの軍隊が「戦うことなく」バビロンに入ったと述べていますが,これは,大規模な組織的戦闘を交えなかった,という意味なのでしょう。6 明らかに,バビロンの力ある者たちは,都市の防衛のためにほとんど何も行ないませんでした。
19 バビロンが『人の住まない所となる』という預言は成就しましたか。説明してください。
19 バビロンが二度と『人の住まない所となる』という予告についてはどうでしょうか。この点は西暦前539年にすぐに成就したわけではありません。しかし,やはりこの預言もたがうことなくそのとおりになりました。バビロンは,倒れた後にも度々反抗の拠点となり,ついに西暦前478年,クセルクセスがこの都市を壊滅させました。4世紀の終わり,アレクサンドロス大王はバビロンの再建を企てましたが,その業がいくらも進まないうちに大王は死にました。以来,その都市は衰退の一途をたどりました。西暦1世紀になるまで人々はそこに住んではいましたが,古代バビロンから今日に残るものといえば,イラクにある廃虚の丘だけです。その廃虚が部分的に復元されることがあるとしても,バビロンは観光用の見せ物であるにすぎず,人のにぎわう生気ある都市となることはないでしょう。荒涼たるその遺跡は,バビロンに対する霊感の預言が最終的に成就したことの証しです。
世界強国の行進
20,21 ダニエルは,世界強国の行進に関してどんな預言的な幻を見ましたか。それはどのように成就しましたか。
20 西暦前6世紀,ユダヤ人がバビロンに流刑になっていた時期に,別の預言者ダニエルは,霊感を受けて幾つかの注目すべき幻を記録し,世界の物事がそれ以後どのように展開してゆくかを予告しました。その一つの中でダニエルは,何頭かの象徴的な動物を描写し,それらが順次入れ替わって世界舞台に登場して来ることを示しています。そして,ひとりのみ使いの説明によると,それらの動物は,その時代以降の世界強国の行進のさまを予影していました。対決する二頭の獣についてみ使いはこう述べます。「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている。また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない」― ダニエル 8:20-22。
21 この預言的描写は的確に成就しました。バビロニア帝国はメディア-ペルシャによって覆され,そのメディア-ペルシャの勢力は200年後にギリシャ系の世界強国に道を譲りました。そのギリシャ系の帝国は,「大いなる角」たるアレクサンドロス大王をその先鋒としていました。しかしアレクサンドロスの死後,配下の将軍たちが権力を求めて戦い合い,やがてその広大な帝国は四つの小帝国,「四つの王国」に分割されました。
22 世界強国の行進に関する関連した預言の中で,どんな世界強国のことがさらに預言されましたか。
22 ダニエル書の7章にもこれとやや似た幻があり,それもずっと後の時代を見通していました。バビロニア世界強国はライオンとして描かれ,ペルシャは熊,ギリシャは四つの頭を持ち,背中に四つの翼のあるひょうとして描写されました。さらにダニエルはもう一つの野獣を見ます。それは「恐ろしく,すさまじく,際立って強いもの」で,「十本の角」がありました。(ダニエル 7:2-7)この四番目の野獣は,強力なローマ帝国を予表していましたが,そのローマが興隆してきたのは,ダニエルがこの預言を記してから3世紀ほど後のことでした。
23 ダニエルの預言に出て来る四番目の野獣は,どんな点で『他のすべての王国と異なって』いましたか。
23 み使いはローマに関してこう預言しました。「第四の獣について言えば,地に生じる四番目の王国がある。それは他のすべての王国とは異なっているであろう。それは全地をむさぼり食い,それを踏みにじり,打ち砕く」。(ダニエル 7:23)H・G・ウェルズはその著「世界小史」の中でこう述べています。「新しいローマの勢力が台頭して,西暦前2世紀から同1世紀にかけて西側の世界に君臨するようになったが,このローマは,幾つかの点で,それまでに文明世界を制覇したどの大帝国とも異なる存在であった」。7 ローマは共和制の国家として興り,帝王制の国家としてずっと存続しました。それ以前の帝国とは異なり,ローマはだれか特定の征服者によって創建されたのではなく,数世紀をかけたたゆみない発展の結果として成立しました。ローマは,それに先行したどの帝国よりもはるかに長い期間存続し,はるかに広大な領土を配下に置きました。
24,25 (イ)野獣の十本の角はどのようなかたちで登場しましたか。(ロ)野獣の角どうしの間のどんな抗争をダニエルは予見しましたか。
24 しかし,この強大な獣の十本の角についてはどうでしょうか。み使いはこう述べました。「また,十本の角について言えば,その王国から起こり立つ十人の王がいる。そして,それらの後にさらに別の者が起こるが,その者は初めの者たちとは異なっており,また三人の王を辱める」。(ダニエル 7:24)この点についてはどうでしたか。
25 西暦5世紀にローマ帝国は衰退しはじめましたが,別の世界強国がすぐそれに取って代わったわけではありません。ローマは幾つもの王国,いわば「十人の王」に分解したのです。最終的には大英帝国が,それと張り合ったスペイン,フランス,オランダの三つの帝国を打ち負かして主要な世界強国となりました。こうして,後から登場した『角』が「三人の王」を辱めました。
ダニエルの預言は事後に書かれたものか
26 批評家たちは,ダニエル書がいつごろ書かれたと唱えていますか。それはどんな理由によりますか。
26 聖書は,ダニエル書が西暦前6世紀に書かれたことを示しています。しかし,ダニエル書の預言があまりにも厳密に成就しているために,この書は西暦前165年ごろ,つまり,そこに預言として述べられている幾つかの事柄が起きた後に書かれたものであると批評家たちは主張しています。8 そのような主張をする現実の理由は,ダニエルの預言がそのとおりに実現しているからということ以外にはないのに,多くの研究用書物の中では,ダニエル書をこのような後代の作とする見方が既定の事実のようにして提出されています。
27,28 ダニエル書が西暦前165年ごろに書かれたものではない証拠としてどんな事実がありますか。
27 しかし,そのような説については,次の幾つかの事実と比較考量してみることが必要です。まず,この書は,第一マカベア書など,西暦前2世紀のユダヤ教の著作の中で暗に言及されています。またこの書は,西暦前3世紀に翻訳の始まったギリシャ語セプトゥアギンタ訳の中に含められています。9 第三に,ダニエル書の写本断片は,死海写本群の中でもとりわけ多く見つかる文書の中に入っており,それら写本断片は西暦前100年ごろのものと信じられています。10 これは,ダニエル書が書かれたと唱えられている年代からそれほどたっていない時期であり,そのころすでにダニエル書が明らかに広く知られ,重んじられていたということは,それが,批評家たちの主張するよりずっと早い時代に書き終えられていたことの強力な証拠です。
28 さらに,ダニエル書は,西暦前2世紀の筆者には知り得なかったであろう歴史の細部を幾つも含んでいます。その好例はベルシャザル,つまり西暦前539年にバビロンが陥落したさい殺されたバビロンの支配者についてです。バビロンの陥落に関する聖書以外のおもな情報源といえば,ヘロドトス(西暦前5世紀),クセノフォン(西暦前5世紀から4世紀),ベロッソス(西暦前3世紀)の3人です。これら3人のうちのだれもベルシャザルについては知りませんでした。11 これら早い時代の著述家たちが入手し得なかった情報を,西暦前2世紀の筆者が知っていたというのはいかにも考えにくいことです。ダニエル書の5章にある,ベルシャザルに関する記録は,これら他の著作家たちがそれぞれ自分の書を書いた時よりも早い時期に,ダニエルがその書を記したという強力な論拠になります。a
29 ダニエル書はそこに預言として述べられている事柄が起きた後に書かれたというようなことはなぜあり得ませんか。
29 最後の点として,ダニエル書には,西暦前165年よりずっと後に成就した預言も数多く収められています。その一つはさきに述べたローマ帝国に関するものですが,別の預言として,メシアであるイエスの到来を予告した特筆すべき預言があります。
油そそがれた者の到来
30,31 (イ)ダニエルのどんな預言はメシアの出現する時期をあらかじめ告げていましたか。(ロ)メシアの出現するはずの年をダニエルの預言からどのように算定できますか。
30 その預言はダニエル書の9章に記されており,このように述べられています。「七十週[7年を1週とする; すなわち490年]があなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められている」。b (ダニエル 9:24,詳訳聖書)この490年の期間に何が起きることになっていましたか。さらにこう述べられています。「エルサレムを修復して建て直せとの命令の出る時から,油そそがれた者,君たる者の[到来の]時までは,七週[7年を1週],そして六十二週[7年を1週]であろう」。(ダニエル 9:25,詳訳聖書)ですからこれは,「油そそがれた者」であるメシアが到来する時期に関する預言です。それはどのように成就したでしょうか。
31 エルサレムを修復して建て直せという命令は,ペルシャの「王アルタクセルクセスの第二十年」,つまり西暦前455年に『出され』ました。(ネヘミヤ 2:1-9)それから49年(7年を1週として7週)がたった時までにエルサレムの栄光はかなり回復されていました。そして,西暦前455年から483年(7週たす62週)を数えると,西暦29年になります。ちょうどこれは,「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」であり,イエスが,バプテスマを施す人ヨハネからバプテスマを受けた年になります。(ルカ 3:1)その時イエスは公に神の子とされ,ユダヤ国民に良いたよりを宣べ伝える宣教活動を開始しました。(マタイ 3:13-17; 4:23)イエスは「油そそがれた者」すなわちメシアとなったのです。
32 ダニエルの預言によると,イエスの地上での宣教活動はどれほどの期間続きますか。その終わりにどんな事が起きますか。
32 預言はさらにこう述べていました。「そして六十二週[7年を1週]の後に,油そそがれた者は断たれるであろう」。またこう述べています。「また彼は一週[7年]の間,多くの者との強固で揺るぎない契約に入るであろう。そして,その週の半ばに,彼は犠牲と捧げものを終わらせる」。(ダニエル 9:26,27,詳訳聖書)まさにこの言葉のとおり,イエスはもっぱら,生来のユダヤ人である「多くの者」のところへのみ行きました。イエスはときにサマリア人にも宣べ伝えましたが,それは,聖書の一部を信じながらも,ユダヤ教の主流とは別個の派を構成していた人々でした。その後,「週の半ばに」,つまり3年半の伝道の後に,イエスは自分の命を犠牲として与え,こうしてイエスは「断たれ」ました。これは,犠牲と供え物とを伴うモーセの律法の終了を意味しました。(ガラテア 3:13,24,25)こうしてイエスは,自らの死によって,「犠牲と捧げものを終わらせ」たのです。
33 エホバはいつまで,もっぱらユダヤ人とのみ接触を持たれますか。この期間の終わりとしてどんな出来事がありましたか。
33 しかしながら,新しく誕生したクリスチャン会衆は,その後もさらに3年半の間,もっぱらユダヤ人に,次いで,自分たちとゆかりのあるサマリア人に証言しました。しかし西暦36年,1週を7年とする70週が終わった時に,使徒ペテロは導きを受けて異邦人のコルネリオに伝道しました。(使徒 10:1-48)『多くの者との契約』はもはやユダヤ人だけに限られてはいませんでした。救いは無割礼の異邦人にも宣べ伝えられるようになりました。
34 生来のイスラエルがメシアを退けた結果,ダニエルの預言のとおりにどんな事が起きましたか。
34 ユダヤ国民はイエスを退け,しかも陰謀を巡らしてイエスを処刑に至らせたので,西暦70年,ローマ人がやって来てエルサレムを壊滅させた時,エホバはこの国民を保護されませんでした。こうして,ダニエルの言葉の次の部分がさらに成就しました。「また,やって来る別の君の民がこの都市と聖所とを滅ぼすであろう。その終わりは洪水と共にやって来て,終わりにいたるまで戦争があるであろう」。(ダニエル 9:26,後半,詳訳聖書)この二番目の「君」とは,西暦70年にエルサレムを壊滅させた,ローマの将軍ティツスでした。
霊感による預言
35 イエスに関するほかのどんな預言がそのとおりに実現しましたか。
35 このように,ダニエルの70週の預言は驚くほど正確に成就しました。実際のところ,ヘブライ語聖書に記録された預言の多くは1世紀に成就し,その多くはイエスと関連がありました。イエスの誕生する場所,神の家に対するイエスの熱心さ,その伝道活動,裏切られて銀30枚で売り渡されること,イエスの死の様子,その衣を分けるためにくじが投げられたこと ― このような細かな点すべてがヘブライ語聖書の中で預言されていました。それが成就したことは,イエスが間違いなくメシアであることの証明であり,さらにそれは,聖書の預言が霊感によるものであることを重ねて実証するものとなりました。―ミカ 5:2。ルカ 2:1-7。ゼカリヤ 11:12; 12:10。マタイ 26:15; 27:35。詩編 22:18; 34:20。ヨハネ 19:33-37。
36,37 聖書の預言がそのとおりに実現した事実からどんなことを学べますか。この点を知ると,どんなことを確信できますか。
36 確かに,成就するはずであった聖書の預言はことごとく実現しました。多くの事は,聖書が予告していたまさにそのとおりに起きました。これは,聖書が神の言葉である強力な証拠です。それほどまでに正確であったことから考えると,それら預言的なことばの背後には,人間の知恵以上のものが存在していたに違いありません。
37 しかし聖書の中には,これら過去の時代には成就しなかった他の予言のことばもあります。なぜ成就しなかったのでしょうか。それらは,このわたしたちの時代に,さらには,これから将来に成就することになっていたからです。昔の時代に関する預言の信頼性は,これら他の予言のことばも必ずそのとおりに実現することを確信させます。まさしくそのとおりであることを,次の章で学びましょう。
[脚注]
a 第4章,「『旧約聖書』はどれほど信じられますか」の16,17節をご覧ください。
b この翻訳の角かっこ内の語句は,意味を明確にするためその翻訳者によって加えられたものです。
[133ページの拡大文]
成就するはずであった預言はすべてそのとおりに実現した。多くの出来事は,聖書が予告していたまさにそのとおりに起きた
[118ページの図版]
考古学者たちは,ネブカドネザルによるエルサレムの破壊が徹底的なものであったことを発見した
[121ページの図版]
現今のティルスの写真。イスラエルの預言者たちの知っていたティルスはほとんど何の名残もとどめていない
[123ページの図版]
古代バビロンの遺跡を訪ねる旅行者たちは,この都市に対する預言が成就したのを目撃できる
[126ページの図版]
世界強国の行進に関するダニエルの預言があまりにも正確に成就しているため,それらは事後に書かれたものであると,現代の批評家たちは考えている
バビロン
ペルシャ
ギリシャ
ローマ
英国
[130ページの図版]
ダニエルは,メシアがイスラエルに出現する時を厳密に預言した
-
-
あなたが見た聖書預言の成就聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第10章
あなたが見た聖書預言の成就
今日の世界の様相は100年前と比べてどうしてこれほど違っているのだろうか,と考えたことがありますか。ある面では進歩と改善が見られます。多くの土地で,以前には人々を死に至らせていた病気が,今では日常普通に治療されています。何世代か昔の人々が夢にさえ見なかったような生活水準が実現し,今日ではごく普通の人々でもその恩恵に浴することができます。ところがその一方で,今世紀には,史上最悪の戦争が,そして最も甚だしい残虐行為の幾つかが行なわれてきました。人類の繁栄,いや,人類の生存そのものが,人口爆発,汚染の問題,核兵器・生物兵器・化学兵器の全世界にわたる大々的な備蓄などによって脅かされています。どうしてこの20世紀は,それ以前の時代とこのように異なっているのでしょうか。
1 (前書き部分を含む)(イ)この20世紀はそれまでの時代とどのように異なっていますか。(ロ)わたしたちの時代がどうしてこれほど違っているのかを理解する点で何が助けになりますか。
この疑問に対する答えは,あなたが成就を見てこられた聖書の目ざましい預言と関係があります。それはイエス自ら語られた預言であり,また,聖書が霊感によるものである証拠となるだけでなく,世界の状況が劇的な大変化を見る日の近いことを示す預言でもあります。それはどんな預言でしょうか。それがどのように成就しているかを知ることができますか。
イエスの重要な預言
2,3 弟子たちはイエスにどんな質問をしましたか。イエスの答えはどこに見いだせますか。
2 聖書が記している点ですが,イエスの死なれる少し前,弟子たちはエルサレムにある神殿の建物の壮大さについて話し合っていました。弟子たちは,その大きさと,いかにもしっかりした造りに感銘を受けていたのです。しかしイエスはこう言われました。「あなた方はこれらのすべてのものを眺めないのですか。あなた方に真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」― マタイ 24:1,2。
3 弟子たちはイエスのこの言葉に驚きを感じていたに違いありません。それで,後にイエスのところにやって来て,そのことについてさらに知ろうとしてこう尋ねました。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)これに対するイエスの答えは,マタイ 24章のこれ以降の部分と25章にあります。またこの時のイエスの言葉は,マルコ 13章とルカ 21章にも記録されています。明らかにこれは,イエスが地上にいた間に語られた最も重要な預言です。
4 イエスの弟子たちはどんな異なった点について尋ねていましたか。
4 実際のところ,イエスの弟子たちが尋ねていたのはただ一つの点だけではありません。まず,「そのようなことはいつあるのでしょうか」と,つまり,エルサレムとその神殿が滅ぼされるというのはいつのことなのだろうか,と質問しています。さらに,神の天の王国の王としてのイエスの臨在が始まったこと,そしてこの事物の体制の終わりが近いことを示すしるしについても尋ねていました。
5 (イ)イエスの預言にはどのような最初の成就がありましたか。しかしイエスの言葉はいつ全面的な成就を見ますか。(ロ)イエスは弟子たちの質問にまずどのように答えましたか。
5 答えの中で,イエスはこの双方を念頭に入れていました。イエスの言葉の多くの点は,第1世紀に,つまり西暦70年のエルサレムの悲惨な滅びにいたるまでの期間にまさしく成就しました。(マタイ 24:4-22)しかしイエスの預言は,後の時代に,事実,このわたしたちの時代に,より重要な意味を持つことになっていました。では,イエスはどのようなことを語られたのでしょうか。7節と8節に記されている次の言葉を最初に語られました。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛の始まりです』。
6 マタイ 24章7,8節のイエスの言葉は並行するどの預言を想起させますか。
6 明らかに,天の王としてのイエスの臨在の始まりは,地上における非常な騒乱を特色とする時代となります。この点は,啓示の書にある並行する預言,すなわち,黙示録の四騎手の幻によっても裏書きされます。(啓示 6:1-8)それら騎手たちのうち第一の者は,征服を進める王としてのイエスご自身を表わしています。乗用馬にまたがる他の騎手たちは,イエスの統治の開始をしるしづける地上の幾つかの事柄,すなわち戦争や飢きん,また,種々の要因による多くの人々の不慮の死を表わしています。これら二つの預言が今日成就しているのをわたしたちは見ているでしょうか。
戦争!
7 黙示録の二番目の騎手が乗り進むさまによってどのようなことが預言的に表わされましたか
7 これらの預言をもう少し細かに調べてみましょう。イエスはまず,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』と言われました。これは戦争に関する預言です。黙示録の四騎手のうちの第二の者も,同じように戦争を表わしていました。このように述べられています。「別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)さて,人類はこれまで幾千年ものあいだ戦争を行なってきました。それで,なぜこれらの言葉がわたしたちの時代に特別の意味を持つことになるのでしょうか。
8 どのような意味で戦争はしるしの際立った特色となるはずですか。
8 銘記しておくべき点として,戦争それだけでイエスの臨在のしるしとなるわけではありません。そのしるしは,イエスの預言の詳細な点すべてが同じ時代に起きることによって成り立っています。ですが,最初の特色として挙げられているのは戦争ですから,この面が,わたしたちの注意をとらえるような際立ったかたちで成就すると考えられます。そして,この20世紀に起きた戦争がそれ以前の全歴史を通じてまったく類例のないものであることは,だれもが認めなければならないでしょう。
9,10 戦争に関する預言はどのようなかたちで成就しはじめましたか。
9 例えば,以前に起きた戦争の多くも残忍で破壊的なものであったとはいえ,そのどれも,破壊のすさまじさの点で,20世紀に起きた二つの世界大戦とは比べようもありません。最初の世界大戦は合計で1,400万人もの死者を出しました。これは,多くの国においてその総人口を上回る数字です。確かに,「人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された」という言葉のとおりになりました。
10 その預言によると,黙示録の騎手のうちその好戦的な二番目の者に『大きな剣が与えられ』ました。この点はどのように当てはまるでしょうか。次のこと,すなわち,戦争のための兵器がはるかに破壊的になったことです。戦車・飛行機・致死性の毒ガス・潜水艦,また数キロ以上も離れたところで弾頭をさく裂させる特殊火器類などを装備した人間は,自分の隣人たちを殺傷する点でいっそう巧みになりました。そして最初の世界大戦以後,この「大きな剣」はますます破壊的になりました。無線通信器・レーダー・高性能ライフル・細菌兵器および化学兵器・火炎放射器・焼夷<ナパーム>弾・種々の新型爆弾・大陸間弾道弾・原子力潜水艦・高性能航空機・巨大戦艦などを用いるようになったからです。
「苦しみの劇痛の始まり」
11,12 どのような意味で最初の世界大戦は「苦しみの劇痛の始まり」にすぎませんでしたか。
11 イエスの預言の初めの部分は,「これらすべては苦しみの劇痛の始まりです」という言葉で結ばれています。この点は,第一次世界大戦に関してまさにそのとおりになりました。その大戦は1918年に終わりましたが,永続する平和をもたらすことにはなりませんでした。その後まもなく,限定的なものとはいえ,し烈な軍事行動が,エチオピア,リビア,スペイン,ロシア,インド,その他の地で相次ぎました。そして,さらにそれに続いたのがあの忌まわしい二番目の世界大戦です。それは,将兵と一般市民を合わせて5,000万人もの命を奪いました。
12 さらに,平和のための合意や戦闘の小康も時おりあるとはいえ,人類は今なお戦闘状態にあります。1987年に伝えられたところによると,1960年以来合計81の主立った戦争が行なわれ,1,255万5,000人もの男女子供が殺りくされました。1987年には,記録に残る歴史の上でそれまでのどの年よりも多い数の戦争が行なわれました。1 その上,軍備のための支出は現在のところ毎年合計1兆ドル(約130兆円)にも達し,世界の経済をゆがめさせています。2『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』というイエスの預言は今まさしく成就しつつあります。戦争を象徴する赤い馬は全地にわたってその猛烈な疾駆を続けています。しかし,しるしの第二の面についてはどうでしょうか。
食糧不足!
13 イエスはどんな痛ましい状況を予告しましたか。黙示録の三番目の騎手の幻はイエスの預言をどのように裏書きしていますか。
13 『そこからここへと食糧不足がある』とイエスは予告しました。この点が,黙示録の四騎手のうちの第三の乗り手の進む様といかに合致しているかに注意してください。その乗り手についてこう記されています。「そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手にはかりを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の真ん中から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた」。(啓示 6:5,6)そうです,深刻な食糧不足です。
14 1914年以来のどんな大飢きんはイエスの預言の成就となりましたか。
14 幾つかの国で非常に高度な生活水準が達成されている今日の時代に,このような預言が成就しているということがあり得るでしょうか。世界全体を見渡してみると,この点の疑問はなくなるでしょう。歴史的に見ても,飢きんは,戦争や自然の災害によって引き起こされてきました。ですから,災害や戦争が普通以上に多かった今世紀が,幾たびも飢きんに見舞われてきたというのも驚くべきことではありません。地上の幾多の場所が1914年以来そのような災害を被ってきました。ある報告は,1914年以来の大規模な飢きん60以上を数え挙げていますが,それは,ギリシャ,オランダ,ソ連,ナイジェリア,チャド,チリ,ペルー,バングラデシュ,ベンガル,カンボジア,エチオピア,そして日本など,広く世界各地に及んでいます。3 これらの飢きんの中には何年も続いて,幾百万もの死者を出したものもあります。
15,16 今日,別のどんな食糧不足が現実に惨害をもたらしていますか。
15 深刻な飢きんについては多くの場合広く報道されますが,しばらくするとそれはおさまり,生き残った人々はやがて比較的普通の生活に戻ってゆきます。しかしこの20世紀に,別の,さらに不気味なかたちの食糧不足が進展してきました。これはそれほど劇的なものではないために,とかく見過ごされていますが,年々続いています。それは,栄養不良という深刻な災いで,地球人口の5分の1の範囲にまで及び,毎年1,300万から1,800万もの人々を死に至らせています。4
16 言い換えると,この種の食糧不足のため,二日ごとに,原子爆弾によって広島で死んだのとほぼ同じ数の人々が絶えず死んでいることになります。実際,第一次世界大戦と第二次世界大戦で死んだ将兵の数を合わせたよりも多くの人々が,飢餓のため二年ごとに死んでいるのです。1914年以来『そこからここへと食糧不足があった』と言えるでしょうか。まさしくそのとおりです。
地震
17 1914年の後まもなくどんな破壊的な地震が起きましたか。
17 1915年1月13日,最初の世界大戦が始まってまだ数か月のころ,大きな地震がイタリアのアブルッツィ地方を襲い,3万2,610人もの命を奪いました。この大災害は,イエスの臨在の時代に起きる戦争や食糧不足にはさらにほかのものが伴うはずであったという点を思い起こさせます。すなわち,「そこからここへと……地震がある」とも述べられていました。戦争や食糧不足の場合と同様,アブルッツィの地震も「苦しみの劇痛の始まり」であったにすぎません。a
18 地震に関するイエスの預言はどのように成就してきましたか。
18 20世紀は地震の世紀であったと言えます。広報手段の発達により,世界中の人々は,地震による被害の状況についてよく知るようになっています。幾つか例を挙げれば,1920年には中国の一つの地震で20万人が死にました。1923年,日本では一つの地震で9万9,300人ほどが死に,1935年には,別の地震のために現在のパキスタンの地域で2万5,000人,さらに1939年にトルコで3万2,700人が死にました。1970年のペルー地震の死者は6万6,800人に上り,1976年の中国,唐山<タンシャン>の地震では24万人(ある資料では80万人)もの死者が出ました。さらに最近のこととして,1988年にアルメニア地方を襲った強力な地震では,2万5,000人が犠牲になりました。b 確かに,『そこからここへと地震があり』ました。6
「死の災厄」
19 しるしのさらにどんな面がイエスによって予告され,黙示録の第四の騎手によって予示されましたか。
19 イエスの預言のもう一つの面は病気に関することでした。福音書記者ルカは,その記述の中で,イエスが『そこからここへと疫病がある』とも予告されたことを記録しています。(ルカ 21:11)この点も,黙示録の四騎手に関する預言的な幻と合致します。四番目の騎手には“死”という名が付けられています。その者は,『死の災厄や地の野獣』などさまざまな原因で人々に臨む時ならぬ死を象徴しています。―啓示 6:8。
20 どんな目立った流行病は,疫病に関するイエスの預言の成就の一面となりましたか。
20 1918年から1919年にかけて,10億人もの人がスペイン風邪にかかり,2,000万人以上が死にました。この病気が奪った人命の数は,その時の世界大戦による死者の数をさえ上回っています。7 そして,「死の災厄」すなわち『疫病』は,医学上の多くの目ざましい進歩にもかかわらず,今日の世代を悩まし続けています。これはなぜでしょうか。一つには,貧しい国々が科学の進歩の恩恵に必ずしもあずかれないためです。貧しい人々は,もっとお金があれば良い治療を受けられるような病気のために苦しみ,また死んでゆきます。
21,22 富んだ国の人も貧しい国の人も「死の災厄」によってどのように苦しめられてきましたか。
21 例えば,世界中で約1億5,000万人もの人々がマラリアにかかっています。およそ2億人が住血吸虫症に冒されています。シャガス病のために1,000万人ほどの人が苦しみ,約4,000万人が糸状虫症を患い,急性の下痢を伴う種々の疾病のために毎年何百万人もの子供たちが命を失っています。8 結核とらい病は依然,容易ならぬ保健上の問題となっています。はっきり言える点として,この世界の貧しい人々は『そこからここへと見られる疫病』のために苦しめられています。
22 しかし,豊かな人々が免れているわけではありません。例えば,インフルエンザは富んだ人も貧しい人も襲います。1957年に猛威を奮ったインフルエンザは,米国だけでも7万人の人々を死に至らせました。ドイツでは,6人に一人がやがてガンにかかるようになると推定されています。9 性行為を通して感染する種々の疾病も貧富の別なく打撃を与えています。淋病は米国で最も多く報告されている伝染病ですが,その同じ病気が,アフリカの幾つかの地域で人口の18.9パーセントまでを悩ませています。10 梅毒,クラミジア感染症,陰部ヘルペスなども,性行為によって感染する流行性の「疫病」の中に挙げられます。
23 どんな「死の災厄」のことが近年しきりに報道されるようになりましたか。
23 近年では,「死の災厄」であるエイズが「疫病」のリストにさらに加わりました。エイズは恐ろしい病気です。今この本の編集の時点で有効な治療法はまだ見いだされていませんし,その犠牲となる人は増え続けています。WHO(世界保健機関)のエイズ対策特別計画の主事ジョナサン・マン博士はこう述べました。「我々はまた,今日の世界には,ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染者が500万人から1,000万人いると推定している」。11 公表された一推計によると,エイズウイルスは毎分一人の割合で新しい犠牲者を生み出しています。まさしく「死の災厄」です。では,野獣による死に関する預言についてはどうでしょうか。
「地の野獣」
24,25 (イ)預言者エゼキエルはどのような『野獣』について述べましたか。(ロ)イエスは自分の臨在の始まった時代に地上で「野獣」が動き回ることについて何と言われましたか。
24 実際のところ,野獣のことが近ごろ新聞などに取り上げられるとすれば,それは,ある動物種族の生存が脅かされているとか,絶滅にひんしているという場合です。人間が脅かされているというよりは,「地の野獣」のほうが人間からはるかに大きな脅威を受けています。とはいえ,例えばインドのトラなど,ある土地では野生の動物が今なお人間の命を確実に犠牲にしています。
25 しかし聖書は,近年現実の脅威となってきた別の種類の野獣に注意を促しています。預言者エゼキエルは,凶暴な人間を野獣になぞらえてこのように述べました。「彼女の中の君たちは,獲物を引き裂くおおかみのようであり,不当な利得を得るために血を流し,魂を滅ぼす」。(エゼキエル 22:27)「不法が増す」ことについて預言した際,イエスは事実上,ご自分の臨在の期間に,地上でそのような「野獣」が動き回ることを述べておられました。(マタイ 24:12)さらに聖書の筆者パウロは,「終わりの日に」人々が「金を愛する者,……自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者」となることをも述べています。(テモテ第二 3:1-3)1914年以来の状況はこのとおりになってきましたか。
26-28 世界中から寄せられるどんな報道は,「野獣」のような犯罪者たちが地上をうろつき回っていることを示していますか。
26 まさしくそのとおりです。ほとんどどこでも地上の大都市に住んでおられるなら,すでにその点に気づいておられるでしょう。しかし,もし疑問をお持ちなら,次に挙げる最近の新聞からの引用文について考えてください。コロンビア発: 「昨年,警察当局は,約1万件の殺人と2万5,000件の武装強盗事件を記録した」。オーストラリアのビクトリア州発: 「重大犯罪の飛躍的増加」。米国発: 「ニューヨークにおける殺人件数はいつも新記録に向かっている」; 「昨年,デトロイトは,[アメリカ]全国で殺人事件発生率の最も高い都市としてインディアナ州ゲーリーを追い抜いた ― 住民10万人に対して58人である」。
27 ジンバブエ発: 「幼児殺人は危機的な比率を示すようになった」。ブラジル発: 「ここでは犯罪があまりに多く,武器の携帯もあまりに普通のことであるため,暴力事件のニュースはもはや人々の興味を全く引かなくなっている」。ニュージーランド発: 「性的暴行や暴力犯罪は警察にとって引き続き主要な関心となっている」; 「ニュージーランド人相互の間の暴力的傾向は野蛮としか言いようがない」。スペイン発: 「スペインは増大する犯罪の問題と取り組む」。イタリア発: 「シチリアのマフィアはしばらくの後退ののち再び殺人の波を高まらせている」。
28 これらは,本書の発行の少し前に新聞に伝えられていた点のほんの数例にすぎません。確かに,「野獣」が地上をさまよい,人々の安全を脅かしています。
良いたよりを宣べ伝える業
29,30 イエスの預言の成就として,キリスト教世界の宗教的な状況はどのようになっていますか。
29 イエスの臨在の始まった苦難に満ちた時代に,宗教面ではどのような状況が見られるでしょうか。一方においてイエスは,宗教的な活動が増大することをこう預言しました。「多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう」。(マタイ 24:11)他方においては,キリスト教世界全体にわたって神への関心が低くなることを予告して,「大半の者の愛が冷えるでしょう」と言われました。―マタイ 24:12。
30 これは,今日のキリスト教世界で起きている事柄を的確に描写しています。一方において,主流諸教会はどこでも,十分な支持が得られないために衰退しています。かつてはプロテスタントの強い土地であった北ヨーロッパや英国で,宗教はまさに死んだも同然です。それと同時に,カトリック教会も,僧職者の不足に,また支持者の減少に悩んでいます。他方においては,主流ではない種々の宗教グループの波が押し寄せてもいます。東洋的宗教に根ざす新しい宗教熱が高まりを見せる中で,貪欲なテレビ福音伝道師たちは何百万ドルもの資金を強要しています。
31 この時代に真のクリスチャンを見分けるための助けとなるどんな事柄をイエスは予告されましたか。
31 しかし,真のキリスト教,すなわちイエスが人々に知らせ,その使徒たちが宣べ伝えた宗教についてはどうでしょうか。それはイエスの臨在の時代にも存在するはずですが,どのようにしてそれを見分けられるのでしょうか。どれが真のキリスト教かを明らかにする点は数多くありますが,そのうちの一つがイエスの重大な預言の中で言及されています。すなわち,真のクリスチャンは全世界的な宣べ伝える業に携わっているはずです。イエスはこう預言しました。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。
32 マタイ 24章14節に記されるイエスの預言を成就してきたのはどのグループだけですか。
32 現在,この宣べ伝える業は,大々的な規模で進められています! 今日,エホバの証人と呼ばれる宗教グループは,キリスト教の歴史上最も徹底的な伝道活動を行なっています。(イザヤ 43:10,12)1919年にさかのぼりますが,政治に関与するキリスト教世界の主要宗教が,はかない前途しかない国際連盟を擁護していた中にあって,エホバの証人はこの全地球的な伝道運動のための備えをしていました。
33,34 王国の良いたよりは全世界にどの程度まで宣べ伝えられてきましたか。
33 その当時エホバの証人はわずかに1万人ほどしかいませんでした。しかしその人々は,どんな仕事がなされなければならないかを知っていました。そして,その宣べ伝える任務に勇敢に取りかかりました。これらの人々はまた,僧職者と平信徒の区別を設けることが,聖書の命令にも使徒たちの手本にも反していることを悟りました。ですからエホバの証人は,ひとり残らずすべての人が,それぞれ自分の隣人に神の王国について話す方法を学び,こうして彼らは,宣べ伝える人々の組織を成すにいたりました。
34 時の経過とともに,これら宣べ伝える人々は激しい反対にも耐えなければなりませんでした。ヨーロッパでは,幾つかのタイプの全体主義体制のもとで圧迫を受けました。米国やカナダでも,法律上の挑戦や暴徒の行動に立ち向かいました。他の国では,宗教的熱狂者からの偏見や,専制的独裁者たちによる残虐な迫害を乗り越えなければなりませんでした。近年では,浸透する懐疑主義の風潮や放縦な生き方にも対抗しなければなりません。それでも証人たちは業を続け,今日,全世界212の土地で,350万人以上を数えるまでになりました。神の王国の良いたよりがこれほど広範囲に宣べ伝えられたことはかつてありません。まさしく,しるしのこの面の目ざましい成就です。
このすべては何を意味するか
35 (イ)今日における預言の成就は,どのように,聖書が神の霊感によるものであることの論証となりますか。(ロ)イエスが語られたしるしの成就は,わたしたちの時代についてどんなことを意味していますか。
35 疑いなく,わたしたちは,イエスが語られた重要なしるしの成就を目撃しています。この事実は,聖書が本当に神の霊感によるものであることの一層の証拠です。この20世紀に起きるはずの事柄をこれほど早くから予告できた人間はだれもいません。さらに,こうしたしるしの成就は,わたしたちがイエスの臨在している時代に,そして,この事物の体制の終結の時代に生きていることを意味しています。(マタイ 24:3)このことにはどのような深い意味がさらにあるのでしょうか。イエスの臨在にはどのような事柄が含まれているのでしょうか。こうした問いに答えるために,聖書が霊感の書であることを示す別の強力な証拠,すなわち,その驚くほどの内面的調和について知ることが必要です。その点を次に取り上げ,聖書の中心的テーマが今,畏怖を抱かせるほどの最高潮に向かっていかに展開しているかを調べましょう。
[脚注]
a 1914年から1918年までの間に,マグニチュード8あるいはそれを上回る地震 ― アブルッツィを襲った地震より強力なもの ― は少なくとも五つありました。しかしそれらは人口の少ない地域で起きたために,イタリアの地震ほどに人々の注意を引くことはありませんでした。5
b これらの災害のあるものについて犠牲者数の報道に多少の相違がありますが,それでも,これらはいずれもきわめて破壊的なものでした。
-
-
聖書の全体的な調和聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第11章
聖書の全体的な調和
約40人もの別々の人が,1,600年以上の期間をかけて書いた,66冊の書の集大成を想像してください。それら筆者はいろいろな土地に住み,全部で三つの言語を用いました。筆者はそれぞれみな個性が違い,能力も背景も異なっていました。それでも,これら多くの人々の記した書物を最後に一つにまとめてみると,実にそれは,初めから終わりまで一つの中心的な主題で貫かれた,一巻の大きな本となったのです。これは普通は想像しにくいことではないでしょうか。しかし,聖書は,まさしくそのような集大成なのです。
1 (前書き部分を含む)どんな目ざましい調和は,聖書が神の霊感によるものであることの証しですか。
正直な態度で研究する人であればだれでも,聖書が,多くの異なった書物を集めたものではあっても,統一のとれた一巻の著作となっていることに必ずや感動を覚えるでしょう。聖書は,その巻頭から巻末まで,不変の性格を持たれる唯一の神への崇拝を促し,また,それを構成するすべての書が一つの全体的な主題にそって発展している,という点で統一のとれた書物を成しています。この全体的な調和は,聖書がまさしく神の言葉である強力な証しです。
2,3 エデンで語られたどんな預言は希望の基となりましたか。どんな経緯でこの預言は語られましたか。
2 聖書の中心主題は,巻頭の書である創世記の初めの数章の中で提出されています。そこに記されているとおり,わたしたちの最初の親であったアダムとエバは全き者として創造され,パラダイスの園,エデンに置かれました。しかし,一匹の蛇がエバに近づき,神の律法に挑戦してその正当性に疑念をさしはさみ,巧妙な偽りによってエバを罪の道へ誘いました。アダムはエバの歩みに従って,同じように神に背きました。結果はどうなりましたか。二人は共にエデンから追放され,死の定めのもとに置かれるようになりました。今日のわたしたちは,この最初の反逆ゆえの苦しみを味わっています。わたしたちはみな,最初の二親から罪と死を受け継ぎました。―創世記 3:1-7,19,24。ローマ 5:12。
3 しかしながら,その悲劇の際に,神は一つの預言を語られ,それは以後の希望の基となりました。その預言は,そこにいた蛇に向けて述べられましたが,アダムとエバの聞いているところで話されましたから,二人はそれについて自分たちの子孫に語り伝えることができました。神はこう言われました。「そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」― 創世記 3:15。ローマ 8:20,21。
4 エデンにおけるエホバの預言の中でどんな登場者のことが述べられましたか。幾世紀にもわたるその展開の中で,これら登場者はどのように相互に影響を及ぼしますか。
4 全体の主題を提示するこの節の中で,4人の登場者のことが述べられている点に注意してください。すなわち,蛇とその胤,そして女とその胤です。これら登場者は,以後数千年にわたる物事の展開の中で主要な役割を演じることになります。一方は女とその胤,他方は蛇とその胤,これら二者の間には不断の敵対関係が存続します。この敵対関係には,真の崇拝と偽りの崇拝,また義の行為と邪悪な行ないとの間の絶えざる闘いも包含されます。ある局面では,蛇が女の胤のかかとを砕いて優勢になるかに見えるでしょう。しかし最後には,女の胤が蛇の頭を砕き,こうして当初の反逆の跡形はことごとくぬぐい去られて,神ご自身の正しさが立証されます。
5 なぜエバは預言された女性ではなかったと言えますか。
5 この女とは,また蛇とはだれでしょうか。そして,それらの者の胤とはだれのことでしょうか。エバは長男カインを産んだ時,「わたしはエホバの助けでひとりの男子を産み出した」と言いました。(創世記 4:1)エバは,自分がその預言された女性であり,この息子がその胤になるのだ,と感じたのかもしれません。しかしカインは,あの蛇のような邪悪な精神の持ち主でした。カインは殺人者となり,自分の弟アベルを殺しました。(創世記 4:8)明らかに,この預言には,神だけが説明できる,さらに深い,象徴的な意味が含まれていました。そして神は,その説明を一時に少しずつ行なってゆかれました。聖書の66冊の書すべては,そのこと,すなわち,聖書の最初の預言の意味を解明する面でそれぞれ何らかの役割を果たしています。
蛇とはだれか
6-8 イエスのどんな言葉は,蛇の背後にいた力ある者を見分ける助けになりますか。説明してください。
6 まず初めに,創世記 3章15節が述べている蛇とはだれのことでしょうか。創世記の記述は,実際の蛇がエデンでエバに近づいたと述べていますが,蛇そのものは人に話すことができません。その背後で何らかの力が働いていて,蛇にそのように行動させていたに違いありません。その背後の力とは何だったのでしょうか。西暦1世紀,イエスがこの地上で宣教活動を行なわれるようになる時まで,背後にあったその力については明らかにされませんでした。
7 ある時イエスは,アブラハムの子孫であることを誇りにしていた,独善的なユダヤ人の宗教指導者幾人かと話しておられました。しかしそれらは,イエスが宣べ伝えていた真理に頑強に反対していた人々でした。そのためイエスは,その人々にこう言われました。「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,偽りの父だからです」― ヨハネ 8:44。
8 イエスの言葉は強力であり,はっきり要点を突いていました。イエスは悪魔のことを,「人殺し」,また「偽りの父」と呼びました。さて,記録に残るいちばん最初の偽りといえば,エデンで蛇が語った偽りです。だれであれその最初の偽りを語った者は,まさしく「偽りの父」であったと言えます。しかも,その偽りはアダムとエバを死に至らせましたから,その遠い昔の偽り者は殺人者でもあったことになります。したがって,エデンの蛇の背後で働きかけていた力ある者は明らかに悪魔サタンであり,エホバはその最初の預言を実際にはサタンに対して語っておられたことになります。
9 サタンはどのようにして存在するようになりましたか。
9 『神が善なる方であるなら,なぜ悪魔のような者を創造したのか』と尋ねる人たちがいます。さきのイエスの言葉は,この問いに答える点でも助けになります。イエスはサタンについてこう言われました。『その者は,その始まりにおいて人殺しでした』。ですから,エバに偽りを語った時,その時以降その者はサタンとなりました。サタンという語は「反抗者」という意味のヘブライ語から来ています。神がサタンを創造したわけではありません。以前は忠実であったみ使いのひとりが,自分の心の中で間違った欲望が育つのを許し,こうして自らサタンになったのです。―申命記 32:4。ヨブ 1:6-12; 2:1-10; ヤコブ 1:13-15と比較してください。
蛇の胤
10,11 蛇の胤を見分けるためにイエスと使徒ヨハネの言葉はどのように助けになりますか。
10 しかし,『蛇の胤(すなわち子孫)』についてはどうでしょうか。なぞのこの部分を解くのにも,イエスの言葉が助けになります。イエスはそれらユダヤ人の宗教指導者にこう言われました。「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです」。これらのユダヤ人は,自ら誇りにしていたとおりアブラハムの子孫でした。しかし,その邪悪な行動のゆえに,それらの人々は,霊的な意味で,罪の創始者たるサタンの子供たちとなっていました。
11 使徒のヨハネは,1世紀の終わりごろに記した書の中で,だれがサタンである蛇の胤に属しているかをはっきり説明しました。こう書いています。「罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪をおかしてきたからです。……神の子供と悪魔の子供はこのことから明白です。すなわち,すべて義を行ないつづけない者は神から出ていません。自分の兄弟を愛さない者もそうです」。(ヨハネ第一 3:8,10)人類史全体にわたってこれらサタンの胤が大いに活動してきたことは明白です!
女の胤とはだれか
12,13 (イ)女の胤がアブラハムの子孫から出ることを,エホバはアブラハムにどのように啓示されましたか。(ロ)胤に関するその約束はだれに受け継がれましたか。
12 では,『女の胤(すなわち子孫)』とはだれでしょうか。これは,かつて提出された中で最も重要な質問の一つです。というのは,最終的にサタンの頭を砕いて,いちばん初めの反逆のもたらした害悪を一掃して元どおりの状態に戻すのは,この女の胤であるからです。西暦前20世紀の昔,神は,その胤がだれであるかに関する重要な手がかりを,忠実な人アブラハムに啓示されました。アブラハムの大いなる信仰のゆえに,神は,アブラハムから生まれる子孫について一連の約束を行なわれました。その約束の一つは,『蛇の頭を砕く女の胤』がアブラハムの子孫の中から出ることを明らかにしていました。神はアブラハムにこう語られました。「あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである」― 創世記 22:17,18。
13 年月の経過に伴って,アブラハムに対するエホバの約束は,アブラハムの息子のイサクに,次いで孫のヤコブに繰り返し語られてゆきました。(創世記 26:3-5; 28:10-15)やがてヤコブの子孫は12の部族を構成し,そのうちの一つであったユダ部族が次のような特別の約束を受けました。「笏はユダから離れず,司令者の杖もその足の間から離れることなく,シロが来るときにまで及ぶ。そして,もろもろの民の従順は彼のものとなる」。(創世記 49:10)こうして明らかに,約束の胤はユダ部族から出現することになりました。
14 どんな国民が組織されて胤の到来に備えることになりましたか。
14 西暦前16世紀の終わりに,イスラエルの12部族は,神の特別な民として一つの国民を構成することになりました。そのことのために,神はイスラエルと厳粛な契約を結び,その民に一つの法典を授けました。その主要な目的は,約束の胤の到来のために一つの民を備えさせることでした。(出エジプト記 19:5,6。ガラテア 3:24)その時以来,約束された女の胤に対するサタンの敵意は,神の選ばれた民に対する諸国民の敵がい心というかたちで表わされてきました。
15 アブラハムの子孫のうちどの家系が胤を生み出すかについてどんな最終的な手がかりが与えられましたか。
15 どの家系が約束の胤を生み出すのかに関する最終的な手がかりは,西暦前11世紀に与えられました。そのとき神は,イスラエルの二代目の王ダビデに語りかけ,約束の胤がダビデの家系から来ること,またその者の王座が『定めのない時までも堅く立てられる』ことを約束されました。(サムエル第二 7:11-16)その時以後,約束の胤は正式にダビデの子とも呼ばれるようになりました。―マタイ 22:42-45。
16,17 イザヤは胤がもたらす祝福をどのように描写しましたか。
16 その後の年月,神は預言者たちを起こして,来たるべき胤に関する霊感の情報をさらに与えました。例えば,西暦前8世紀にイザヤはこう書きました。『わたしたちのためにひとりの子供が生まれ,わたしたちにひとりの男子が与えられた。君としての支配がその肩に置かれる。そして彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう。ダビデの王座とその王国の上にあって,君としてのその豊かな支配と平和に終わりはない』― イザヤ 9:6,7。
17 イザヤはこの胤についてさらにこう預言しました。「立場の低い者たちを必ず義をもって裁き,地の柔和な者たちのために必ず廉直さをもって戒めを与える。……おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて……それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。(イザヤ 11:4-9)この胤を通して何と豊かな祝福がもたらされるのでしょう!
18 ダニエルは胤に関するどんな情報をさらに記しましたか。
18 西暦前6世紀には,ダニエルがこの胤についてさらに預言を記しました。ダニエルは,人の子のような者が天に現われる時のことについて予告し,「その者には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるためであった」と述べました。(ダニエル 7:13,14)ですから,到来するこの胤は,天に立てられる王国を受け継ぎ,王としてのその権威はこの地上全域に及ぶことになります。
なぞは解かれる
19 み使いが啓示したとおり,マリアは胤の到来に関してどんな役割を担うことになりましたか。
19 西暦紀元がまさに始まろうとしていたころ,この胤が一体だれであるかがついに明らかにされました。西暦前2年,ひとりのみ使いが,ユダヤ人の若い女性で,ダビデの子孫でもあったマリアに現われました。み使いは,マリアがきわめて特異な赤子を産むことを伝えてこう述べました。「これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼に与え,彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして,彼の王国に終わりはありません」。(ルカ 1:32,33)こうして,「胤」の到来は久しく待望されてきましたが,それもついに終わりを迎えることになりました。
20 約束の胤とはだれでしたか。その人物はイスラエルでどんな音信を伝えましたか。
20 西暦29年(ダニエルによってずっと以前から指摘されていた年)に,イエスはバプテスマを受けました。その時,聖霊がイエスの上に下り,神はイエスをご自分の子として認めました。(ダニエル 9:24-27。マタイ 3:16,17)それから3年半の間,イエスはユダヤ人に対して証しをし,「天の王国は近づいた」とふれ告げました。(マタイ 4:17)その期間にイエスの行なった事柄は多くの点でヘブライ語聖書の預言の成就となり,イエスがまさしく約束の胤であることに対する疑問の余地はすべてなくなりました。
21 だれが約束の胤かについて初期クリスチャンはどんなことを理解していましたか。
21 初期のクリスチャンはこの点をよく理解していました。パウロはガラテアのクリスチャンたちにこう説明しています。「さて,その約束はアブラハムとその胤に語られました。それが大勢いる場合のように,『また多くの胤に』とではなく,一人の場合のように,『またあなたの胤に』と述べてあり,それはキリストのことなのです」。(ガラテア 3:16)イエスは,イザヤが予告したとおり,「平和の君」となります。イエスが最終的にご自分の王国に来られるとき,義と公正は全世界的な規模で確立されることになります。
では,『女』とはだれか
22 エデンにおけるエホバの預言の中で言及された女性とはだれでしたか。
22 イエスがその胤であるなら,その昔エデンで言及された女とはだれでしょうか。蛇の背後にいた強力な者は霊の被造物でしたから,この女性も霊的なものを表わしていて,実際の人間ではないとしても不思議ではありません。使徒パウロはある天的な「女」について語りつつ,「それに対し,上なるエルサレムは自由であって,それがわたしたちの母です」と述べました。(ガラテア 4:26)他の幾つもの聖句は,この「上なるエルサレム」がその当時すでに幾千年も存在していたことを示しています。この女性とは,霊の被造物から成るエホバの天の組織であり,イエスは,「女の胤」としての役割を果たすため,この組織から地上に送り出されました。このような霊的な意味での「女」だけが,「初めからの蛇」の幾千年もの敵意に耐えることができます。―啓示 12:9。イザヤ 54:1,13; 62:2-6。
23 エデンで語られたエホバの預言の意味が少しずつ解明された様子はなぜ注目に値しますか。
23 遠い昔に語られた創世記 3章15節の預言の展開を簡単に概観してみましたが,これは,聖書の壮大な調和に関する強力な証しです。西暦前20世紀,11世紀,8世紀,そして6世紀の出来事や,それぞれの時代に述べられた事柄を総合し,さらに西暦1世紀に起きた事や述べられたことと照らし合わせて初めてこの預言の意味が理解できる,というのはまさに注目すべき点です。偶然にそうなったはずはありません。このすべての背後にあって物事を導いてきた方がおられるに違いありません。―イザヤ 46:9,10。
これがわたしたちに意味するもの
24 約束の胤がだれかに関する理解はわたしたちにとってどんな意味を持ちますか。
24 このすべては,わたしたちに何を意味しているでしょうか。まず第一に,イエスは「女の胤」の主要な方です。創世記 3章15節に記された遠い昔の預言は,その胤のかかとが蛇によって『砕かれる』ことを予告していましたが,そのことは,イエスが苦しみの杭の上で死なれたことによってそのとおりになりました。その傷は長くは続きません。それで,蛇が成功したように見えても,イエスの復活によってそれはすぐ敗北に変わりました。(第6章で見たとおり,これが確かに起きたことについては圧倒的な証拠があります。)イエスの死は,正しい心を持つ人々のための救いの基盤となりましたから,この胤は,神がアブラハムに約束されたとおりの祝福をもたらしはじめています。しかし,イエスが天の王国から自分の地上の領域全体を治めるという預言についてはどうでしょうか。
25,26 啓示に示されているとおり,「女の胤」と蛇との間の敵対関係にはどんな論争が関係していましたか。
25 啓示 12章に記録されている生き生きした預言的幻の中で,この王国の設立は,天における男児の誕生というかたちで描かれています。この王国において,約束の胤は,「だれか神のようであろうか」という意味のミカエルという称号のもとに権力を行使します。そしてミカエルは,「初めからの蛇」を天から永久に放逐することによって,何者もエホバの主権に正当に挑戦し得ないことをはっきり示します。こう記されています。『こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされた』。―啓示 12:7-9。
26 このことは,天にとっては安どとなりますが,地にとっては苦難となります。「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した!」 このような勝利の叫びが上がりました。さらにこう記されています。「このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。―啓示 12:10,12。
27 サタンが天から放逐されるという預言はいつ成就しましたか。なぜそのことが分かりますか。
27 この預言はいつ成就することになっていたのでしょうか。実際のところ,弟子たちが『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』についてイエスに尋ねた際に提起したのは,まさにその疑問でした。(マタイ 24:3)第10章で取り上げて,すでに見たとおり,天の王国の権威を帯びたイエスの臨在が1914年に始まったことについては圧倒的な証拠があります。以来わたしたちは,『地にとっては災いである』と言われたとおりのことを経験してきました!
28,29 地上の状況のどんな大変化が今後に展望されますか。どうしてそれが間もなく起きることが分かりますか。
28 しかし,注意してください。あの天からの叫びは,サタンにとってもはや『時が短い』ことを発表しています。ですから,創世記 3章15節にある,いちばん初めの預言は,誤ることなくその最高潮へ向かって進展しています。蛇とその胤,また女とその胤がそれぞれだれであるかはすべて明らかにされました。女の胤は『かかとを砕かれ』はしましたが,すでに回復しています。間もなく,神が位につかせて,いまや統治を開始している王キリスト・イエスのもとにサタンを(そしてその胤を)打ち砕くことが始められます。
29 このことは,地上の状況が徹底的に変化することを意味しています。サタンの胤であることを示している者たちはサタンと共に除き去られることになります。詩編作者はこう預言しました。「ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない」。(詩編 37:10)これはまさしく根底からの変化です! その時,詩編作者がさらに述べた次の言葉も成就します。「しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」― 詩編 37:11。
30 懐疑的な見方をして,聖書が霊感によるものであることや,神の存在をさえ疑う人々は,なぜ現実に即していないと言えますか。
30 こうして,「平和の君」は,ついに人類に平和をもたらします。イザヤ 9章6,7節にあるとおり,これこそ聖書の約束です。この懐疑主義的な時代に,多くの人は,このような約束を非現実的なものとするでしょう。しかし,人間は,これに代わるどんなものを差し伸べているでしょうか。何も差し伸べてはいません! それに対し,この約束は,聖書の中にはっきりと述べられているものであり,その聖書は間違えることのない,神の言葉です。現実に即していないのは,むしろ懐疑的な見方に陥っている人々です。(イザヤ 55:8,11)それらの人々は神を,すなわち霊感を与えて聖書を記させた方,すべての中で最も偉大な実在者を無視していることになります。
[151ページの図版]
聖書の最初の預言は堕落した人類にとって希望の基となった
[154ページの図版]
西暦前20世紀,エホバは,約束の胤がアブラハムの子孫から出ることを約束された
[155ページの図版]
西暦前11世紀,ダビデ王は,約束の胤が自分の王統から出ることを知った
[156ページの図版]
西暦前8世紀,イザヤは,胤のもたらす祝福について予告した
[157ページの図版]
西暦前6世紀,ダニエルは,約束の胤が天の王国で支配することを予告した
[159ページの図版]
西暦1世紀の始まるころ,マリアは,自分の産む子イエスが成長して約束の胤となることを知った
-
-
高い知恵の源聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第12章
高い知恵の源
「エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています」。(詩編 104:24)そうです,広大な宇宙の荘厳さから,小さな花の繊細な美しさにいたるまで,創造物は,それを創造された方のたぐいない知恵の証しです。この20世紀の科学技術も,神のみ業と比べるとき,その輝きを失います。聖書が神の言葉であるなら,人間の能力を超えた知恵のしるしを示しているはずです。実際にそのとおりでしょうか。
1 (前書き部分を含む)(イ)神のたぐいない知恵の証拠をどこに見いだせますか。(ロ)聖書は知恵に関してどんな助言を与えていますか。
聖書は,知恵の大切さを強調して,こう述べています。「知恵は主要なものである。知恵を得よ。あなたの得るすべてのものをもって理解を得よ」。(箴言 4:7)聖書はまた,わたしたち人間がしばしば知恵に欠けることを認めて,こう促しています。「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に……与えてくださるのです」― ヤコブ 1:5。
2 人はどうしたら知恵を増し加えることができますか。
2 神はどのような方法で『寛大に知恵を与えてくださる』のでしょうか。一つには,聖書を読み,聖書から学ぶようにと励ますことによってです。聖書の箴言の書はこう勧めています。『我が子よ,あなたがわたしのことばを受け入れ,わたしのおきてを自分に蓄え,そして,知恵に注意を払うなら,あなたはエホバへの恐れを理解し,まさに神についての知識をも見いだすことであろう。エホバご自身が知恵を与えてくださるからである』。(箴言 2:1,2,5,6)聖書の差し伸べる助言を自分に当てはめて,それがいかに実際に効果のあるものかを知るとき,聖書が確かに神の知恵を表わしていることが分かるのです。
知恵の言葉
3,4 (イ)金銭に対する愛のむなしさについて聖書は何と述べていますか。(ロ)金銭の価値について助言した中で,聖書はつり合いの取れたどんな見方を示していますか。
3 前述の点をさらによく知るために,幾つかの聖句を調べてみましょう。次のような知恵の言葉について考えてください。「富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り(ます。)……金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです」。(テモテ第一 6:9,10)この言葉と,今日の世界 ― 少なくとも西側諸国に見られる ― 金銭の追求を主要な目標とする見方とを比べてください。不幸なことに,多くの人は自分の追い求めていた富を手にしても,依然としてむなしく感じ,満たされない気持ちでいます。ある臨床心理学者はこう述べています。「第一人者<ナンバーワン>になり,物質的に豊かになっても,それによって充足感や満足感が得られるわけではなく,真実に人々から尊敬され,愛されていると感じるわけでもない」。1
4 現実にかなった見方として,金銭的なものには完全に背を向けてよいと述べているのではありません。聖書は実につり合いの取れた知恵を示して,こう述べています。『金が身の守りであるように,知恵も身の守りである。しかし知識の利点は,知恵がそれを所有する者たちを生きつづけさせることにある』。(伝道の書 7:12)こうして聖書は,金銭が重要ではあっても,決して最重要なものではないことを悟るようにわたしたちを助けています。それは目的を果たすための手段にすぎず,それを正しく用いる知恵を欠くなら,金銭の価値は限られたものでしかありません。
5,6 (イ)悪い交わりを避けるようにという聖書の助言はなぜ賢明なものですか。(ロ)『賢い者たちと共に歩む』ことからどのように益を受けられますか。
5 聖書の次の一文も真実です。「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」。(箴言 13:20)接する仲間が人にどれほど強い影響を与えるかをお考えになったことがありますか。若者たちは,仲間からの圧力に負けて,酔酒,麻薬の乱用,不道徳行為などに巻き込まれています。わたしたちも,粗野な言葉を使う人たちと一緒にいると,自分もやがてそのような言葉遣いをしていることに気づきます。誠実でない人たちと交際を続けていると,その人自身も不誠実な考え方になりがちです。確かに,「悪い交わりは有益な習慣を損なう」と述べる聖書の言葉のとおりです。―コリント第一 15:33。
6 他方,良い交わりは人に良い感化を与えます。『賢い者たちと共に歩む』ことによって,わたしたちはさらに賢くなることができます。悪い習慣と同じように,良い習慣も人にうつります。この点でも,交際する仲間を注意して選ぶようにと聖書が勧めているのは知恵の表われです。
7 忠告を与えるものとして聖書は特異な存在であると言えるのはなぜですか。
7 聖書は,このように導きとなる言葉を数多く収めて,わたしたちの生活に指針を与えます。人に忠告を与えるものとして,聖書は特異な存在です。その助言は常に有益です。それは決して単なる理論ではなく,わたしたちに害になるようなことは決してありません。聖書の助言は非常に広い範囲に及ぶものであり,この点で他に並ぶものはありません。その助言を自分の生活に当てはめて,それがいつでもいかに良い結果になるかを知る人は,聖書が知恵の源としてかけがえのないものであることを認識するようになります。
知恵に基づく原則
8 聖書の中で具体的に述べられていない状況に面する場合でも,聖書はどのように助けになりますか。
8 しかし,聖書の中で具体的には述べられていない状況に面したときはどうでしょうか。たいていの場合,指針となる幾つかの包括的な原則を見いだすことができます。例えば,多くの人は,生活上ときに起きることとして,喫煙の習慣をどう見るべきかという問題にぶつかります。たばこはイエスの時代の中東では知られていませんでしたから,それについて聖書は何も述べていません。それでも,この点で賢明な判断を下す助けとなる幾つかの適切な原則が聖書の中にあります。
9-11 聖書の原則は喫煙の問題に関して賢明な判断を下す点でどのように助けになりますか。それらの原則に従うことはどんな益になりますか。
9 たばこを吸うのは心地よいことのように言われていますが,実際のところそれは,汚染物質を濃縮させたかたちで肺に吸い込むことにほかなりません。たばこを吸う人は自分の体を,そしてまた自分の衣服や周囲の空気を汚染させます。加えて,喫煙には惑溺性があります。自分ではたばこをやめたいと思っても,なかなかそれをやめられない人が多くいます。この点に留意しつつ,喫煙の問題について賢明な結論を下す助けを聖書に求めることができます。
10 まず,惑溺性の問題について考えましょう。パウロは食物に関して論じた中でこのように述べました。「わたしは,いかなるものにもその権威のもとに置かれたりはしません」。(コリント第一 6:12)パウロには,どんな食物であれそれを食べる自由がありました。しかし同時に,当時のある人々が非常に傷つきやすい良心の持ち主であることも知っていました。そのためパウロは,他の人たちをつまずかせないためにやめることが必要であるのに,そのことができないほどある特定の食物に“耽溺したり”はしない,と述べたのです。たばこを吸う ― あるいは,かみたばこをかむ ― ことをやめられない人がいるとすれば,その人は紛れもなく『その権威のもとに置かれて』います。ですから,食物に関してパウロの述べたことは,たばこをのむことについても良い指針となります。自分を何か個人的な習慣の奴隷にならせてはいけないのです。
11 第二に,汚染の問題について考えてください。『肉と霊のあらゆる汚れから自分を清めようではありませんか』と聖書は勧めています。(コリント第二 7:1)喫煙は明らかに,肉体を汚すこと,もしくは汚染することです。この汚染が決して容易ならぬものであることは,世界保健機関が伝えるとおり,それが毎年100万人以上の人々を早死にさせている事実にも見られます。肉の汚れから離れて清くあるようにという聖書の原則に従うなら,喫煙のみならず,麻薬やその他の汚れによる深刻な健康上の問題からも守られることになるでしょう。
有益な言葉
12 聖書の助言が常にわたしたちの身体,感情面の福祉と結び付いているのはなぜですか。
12 聖書の助言に従うことは,身体面でも益になります。それは不思議なことではありません。聖書の助言は神から来ています。創造者として,神は,わたしたち人間の造りを,またわたしたちに何が必要かをつぶさに知っておられます。(詩編 139:14-16)神の助言は常に,わたしたちの身体,感情面の福祉と結び付いています。
13,14 偽りを語ってはならないという聖書の助言に従うことはなぜ知恵の道ですか。
13 この点は,偽りを語ってはならないという助言にも見られます。偽りは,エホバの憎まれる七つの事柄の中に数えられており,啓示の書も,神の新しい世に場所を与えられない者の中に偽り者を挙げています。(箴言 6:19。啓示 21:8)にもかかわらず,うそや偽りを述べることは広い範囲に及んでいます。あるビジネス雑誌はこう述べています。「米国は現在,詐欺,欺き,またそれに類する悪弊の広がりという点で,その歴史上最悪のものを経験している」。2
14 偽りを語るのはごく普通のことになっているとはいえ,それは,社会にとってもその当人にとっても有害です。特約寄稿家<コラムニスト>クリフォード・ロングレーの述べる次の言葉は当を得ています。「うそをつくことは,現実と知的認識との間のあの本質的な一体感を破壊することによって,うそをつく者とつかれた者の双方を,人の存在の最も深いところで傷つけることになる」。3 アメリカ精神医学ジャーナル誌はこう述べています。「うそが,その害を受ける側の人に及ぼす心理的影響はときに破壊的である。人生における重要な決定が,真実であると信じた偽りの情報に基づいてなされることにもなる。うそは,それを語った者の側にも悪影響を及ぼすであろう」。4 聖書の賢い助言のとおり,真実を語ることのほうがはるかに優れています!
15,16 他の人たちに愛を示すようにという聖書の助言に従うことはどのような意味でわたしたち自身にも益になりますか。
15 さらに積極的な見方として,聖書は,他の人たちのことを気遣い,愛を働かせ,進んで援助の手を差し伸べるようにと述べています。イエスの次の言葉は広く知られています。「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」― マタイ 7:12。
16 だれもがこの規則に従うなら,この世界はどんなにか良いところとなることでしょう。さらに,米国で行なわれた心理学的な研究にも示されるとおり,人間各人も,そのようにしたほうがさわやかに感じます。研究の対象となった1,700人は,他の人たちを助けようとすることが,自分に静穏な気持ちを持たせ,頭痛や声がれなどストレス性の不調を和らげてくれた,と回答しています。その研究報告はこう結んでいます。「したがって,他の人のことを気遣うのは,自分自身について気遣うのと同じほどに人間の本性的な部分であると思われる」。5 これは,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」という聖書の命令を思い出させます。(マタイ 22:39。ヨハネ 13:34,35と比較してください。)自分自身を愛するのは自然なことです。しかし,感情面で健康であるために,自分自身に対するその愛を,他の人たちへの愛とつり合わせるようにと聖書は述べています。
結婚と性道徳
17 聖書の助言がときに時代遅れのように見えるのはなぜですか。
17 聖書の助言は深い知恵に根ざしていることが認められますが,それはいつでも人が聞きたいと思う事柄を述べているわけではありません。しばしばそれは時代遅れであると言われます。これはなぜでしょうか。聖書の助言は人の長期的な益のためのものですが,それを実際に当てはめるためには,多くの場合,自己鍛錬や克己心が求められるためです。そして,これらの特質は今日多くの人の好むものではありません。
18,19 結婚と性道徳に関して聖書はどのような規準を定めていますか。
18 結婚と性道徳の問題を取り上げましょう。聖書のこの面での規準はきわめて厳格で,一夫一婦婚,つまり一人の夫に一人の妻という関係だけを規定しています。そして,離婚や別居が余儀なくされる極度の場合についても述べてはいますが,結婚のきずなが基本的には人の生涯にわたるものであることを述べています。「あなた方は読まなかったのですか。人を創造された方は,これを初めから男性と女性に造り,『このゆえに,人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』と言われたのです。したがって,彼らはもはや二つではなく,一体です。それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」― マタイ 19:4-6。コリント第一 7:12-15。
19 さらに聖書は,性的な面での親密さが結婚のきずなのうちにのみ限られるべきことを述べています。つまり,結婚のわく外でそのような親密な関係を持つことをいっさい禁じています。こう書かれています。「淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者……はいずれも神の王国を受け継がないのです」― コリント第一 6:9,10。
20 今日聖書の道徳規準はどのような点で甚だしく無視されていますか。
20 今日,このような規準は甚だしく無視されています。社会学者デービッド・メース教授はこう述べています。「今世紀に我々の文化は広範な変化を経験し,古来の多くの習慣や制度が根底から揺り動かされた。結婚のきずなも例外ではなかった」。6 道徳面でのみだらな行為がごく普通に行なわれ,十代の若者同士がデートをして性関係を持つことがしばしば当たり前のことのようにみなされています。“ただ確かめ合うため”と称して結婚前に同棲することもしきりに行なわれています。そして,ひとたび夫婦として結婚したのちにも,不義の情事をもてあそぶ例が少なくありません。
21 結婚と性道徳に関する聖書の規準を広く無視することはどんな結果になっていますか。
21 このように規律の緩んだ道徳の風潮は人を幸福にしましたか。そうではありません。それは,秩序の乱れを ― それも高い代償を伴う乱れを ― もたらし,多くの不幸と破壊された家庭を生み出す結果となったにすぎません。さらに,種々の性行為感染症のまん延が見られ,それらも放縦な道徳状態に直接起因しています。とりわけ,淋病・梅毒・クラミジア感染症の広がりは抑えようもありません。近年では,売春と同性愛行為がエイズの広がりを加速させています。未婚の少女が,自分自身まだ子供の域を抜けきっていないのに子供を産んでいる例も少なくありません。レディーズ・ホーム・ジャーナル誌はこう述べています。「1960年代から70年代の特色となった,セックスに重きを置く風潮がもたらしたものは,人間の限りない幸福ではなく,人間の深刻な悲哀であった」。7
22 道徳の面で最大の幸福をもたらすものは何ですか。
22 そのようなわけで,社会学者カールフレッド・B・ブロデリック教授の次のような注解が聞かれるようになりました。「おそらく我々は,わが国市民の必要に最もよくこたえ,また彼らの権利,すなわち病気にかからず,望まれない妊娠などをしない権利を守るための方策として,婚前禁欲を奨励することが,我々にとってずっと良いのではないかということを考えるまでに成長したのかもしれない」。8 聖書の道徳規準が結局のところ最大の幸福をもたらす,ということが明らかにされたのです。
実際に役立つ原則
23 (イ)結婚生活が不幸なものである場合,離婚が唯一可能な解決法ですか。(ロ)幸福で安定した結婚生活の鍵としてどんな二つの点を挙げられますか。
23 結婚によって結ばれた関係は終生続くように意図されたものですから,どうしたらそれを成功させることができるかを知る必要があります。不幸な結婚関係を続けて惨めな気持ちでいるよりは,それを解消してしまうほうがましだと唱える人たちがいます。しかし,別の道もあるのです。それは,不幸な状態を生じさせている問題を解決するために力を尽くすことです。これは,聖書がわたしたちに助けを差し伸べているもう一つの面です。配偶者に忠実であるべきことについて聖書がどのような助言を与えているかはすでに見ましたが,それらは,幸福で安定した結婚生活のための大切な鍵です。別の鍵は,結婚生活において頭となるのはただ一人であるのを認めることです。聖書は,それが夫でなければならないと述べています。妻は,夫を支え,その地位に挑むことのないようにと諭されています。一方,夫のほうも,利己的に振る舞うのではなく,自分の立場を生かして妻の益を図るように命じられています。―コリント第一 11:3。テモテ第一 2:11-14。
24,25 聖書は夫と妻がそれぞれ結婚生活における本来の役割を果たすことをどのように励ましていますか。
24 夫である人たちに対して聖書はこう述べています。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです」。(エフェソス 5:28,29)愛のある夫は,思いやりを込めて自分の権威を行使します。夫は,自分が頭ではあっても,妻に配慮を払い,妻にも相談すべきことを忘れません。結婚は共同の関係であり,独裁者とその支配下の民のような関係ではありません。
25 妻である人たちへの聖書の助言には次の点があります。「妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」。(エフェソス 5:33)妻は夫の占める立場のゆえに敬意を抱き,夫の愛が妻への配慮に表わされるのと同じように,妻も夫をよく支えることによってその敬意を示します。現代風の考え方に慣れている多くの人にとって,このような助言は受け入れにくいことでしょう。それでも,聖書が勧めるとおりに愛と敬意を基盤とする共同関係は,必ず人を幸福にします。
26 結婚生活に関する聖書の規準は実際に役立ちますか。例を挙げてください。
26 こうした面での聖書の助言が実際に役立つことは,南太平洋地域から寄せられた次の経験にも見られます。ある夫婦は,10年間共に生活した後,自分たちの結婚は失敗であったと思うようになりました。それで,二人は別居の用意を始めました。その時に,妻はひとりのエホバの証人と話すことができ,結婚した夫婦に対する聖書の助言をその証人と一緒に研究しました。夫はこのように報告しています。「妻は聖書の原則を学ぶにつれ,それを自分の生活に当てはめる努力をするようになりました。数週間のうちに幾らか変化が認められるようになりました」。興味をそそられた夫は,妻のその聖書研究に自分も加わることに同意し,結婚した男子に対する聖書の助言を学ぶようになりました。その結果ですか。『今,私たちは真に幸福な家族生活のための基盤を見つけました』と夫は語っています。
27 クリスチャンが経済的貧困にある場合でも,聖書のどんな原則を当てはめることが役立ちますか。
27 貧困の問題に対処してゆく場合にも,聖書の助言は実際に役立つことが実証されてきました。例えば,喫煙や,酒に酔うことはいずれも聖書の原則に反しており,限られた資力の浪費になります。(箴言 23:19-21)さらに聖書は,勤勉さを奨励しています。骨折って働く人は,怠惰な人や絶望してしまう人よりも,自分の家族を養う手段を見つけやすいものです。(箴言 6:6-11; 10:26)そして,「不義を行なう者たちをうらやんではならない」という諭しに注意する人は,貧しさから抜け出ようとして,犯罪や賭け事に頼ったりはしません。(詩編 37:1)そのような方法で金銭上の問題を手軽に解決できるように見えるかもしれませんが,長期的に見れば,その実はすこぶる苦いものです。
28-30 (イ)聖書の原則を実践することはあるクリスチャン女性が貧しさに対処する点でどのように役立ちましたか。(ロ)経済的に貧しい状況にある幾千ものクリスチャンの経験はどんなことの証しとなりますか。
28 このような助言は,ほんとうに貧しい境遇にいる人たちに真の助けとなるでしょうか。それとも,ただの理想論にすぎないでしょうか。この助言は実際に役立つ,というのが答えです。世界中の多くの経験がそれを物語っています。一つだけ例を挙げましょう。アジアのあるクリスチャン女性はやもめで,収入の道がなく,世話すべき小さな息子がいました。聖書はどのようにこの女性とその子供の助けとなったでしょうか。
29 この女性は聖書の勧めるとおり勤勉でした。そして,自分で衣服を仕立てて,それを売るようにしました。彼女は,同じく聖書が勧めるとおり正直で信頼できる人でしたから,間もなく顧客ができました。(コロサイ 3:23)その後,彼女は,自分の家の小部屋を改造して小さな食べ物の店にし,毎朝4時ごろ起きて食べ物を調え,それを売りました。これで収入は増えました。『とは言っても,私たちは簡素に暮らさなければなりません』と彼女は語っていますが,それでも,「命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足する」という聖書の助言を忘れていません。―テモテ第一 6:8。
30 彼女はさらにこう語っています。『私はほとんどぎりぎりの生活をしていますが,恨みがましく思ったり辛い気持ちになったりすることはありません。聖書の真理がいつも積極的な見方を持たせてくれます』。加えて彼女は,イエスの語った注目すべき約束の言葉が自分の場合に真実となってきたのを知っています。イエスはこう言われました。「ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのもの[物質上の必要物]はみなあなた方に加えられるのです」。(マタイ 6:33)自分の生活の中で神に仕えることを第一にしていると,物質上の必要物はいつも何らかの方法で備えられた,というのが彼女の体験です。このクリスチャン婦人の経験は,経済的に貧しい他のクリスチャンたちの無数の経験と共に,聖書の助言が実際に役立つという証しです。
31 聖書の助言に従うとどうなりますか。このことは何の証しですか。
31 この章では,聖書に含まれる非常に豊富な助言や諭しのほんの幾つかを取り上げ,それが現実にどのように当てはまったかについて幾つかの例を見たにすぎません。ここで述べたような経験はほかに幾千も挙げることができます。繰り返し実証されてきた点ですが,聖書に従うとき,人は益を受けます。それを無視するとき,そのことの害を受けます。今昔を問わず,人々への助言を集めたものとして,これほど終始一貫して人に益を与え,あらゆる人種の人々に当てはまるものはほかにありません。このように賢明な助言が単なる民間伝承の知恵であるはずはありません。聖書がそのような知恵の豊かな宝庫であるということも,それが神の言葉である強力な証拠です。
[168ページの拡大文]
人を助けようとする態度はすべての人に益となる
[163ページの図版]
賢い者と共に歩むことによって自分も賢くなるが,愚鈍な者との交際は悪影響を与える
[165ページの図版]
喫煙は聖書の原則に反しているゆえに避けるべき
[171ページの図版]
結婚生活に関する聖書の原則に従う人は幸福のための確かな基盤を持つことになる
[173ページの図版]
聖書の助言を実践することは厳しい貧困の問題に対処する助けとなる
-
-
『神の言葉は生きている』聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第13章
『神の言葉は生きている』
前の章では,聖書の与える助言が種々の問題を解決し,人が過ちを避けるのに役立つことについて学びました。聖書の助言に含まれる,時代を超越した知恵は,それが霊感によるものであることの強力な証拠です。聖書そのものはこう述べています。「聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」。(テモテ第二 3:16)しかし聖書は,単に賢明な助言を与える以上のことを行ないます。神の言葉である聖書は,人を実際に変化させるのです。
1-3 (イ)聖書は人格を変化させる必要性をどのように強調していますか。(ロ)人の人格を変えさせる聖書の力をどんな経験が示していますか。
聖書は本当に人を変化させることができますか。そうです,人格を全く変化させることさえできます。聖書に記される次の助言について考えてください。「その教えとは,あなた方の以前の生き方にかない,またその欺きの欲望にしたがって腐敗してゆく古い人格を捨て去るべきこと,そして,あなた方の思いを活動させる力において新たにされ,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着けるべきことでした」― エフェソス 4:22-24。
2 人が新しい人格を着けるというのは本当に可能でしょうか。確かに可能です。事実,クリスチャンになるとき,人は人格面で劇的な調整を経験する場合があります。(コリント第一 6:9-11)一例として,南アメリカの一少年は,9歳の時に孤児になりました。親の導きを受けずに育ったため,少年は人格上の難しい問題を抱えるようになりました。こう述懐しています。「18歳になるまでに,私はすっかり麻薬の常用癖がつき,それを続けるために盗みを働いて刑務所に入れられたこともありました」。しかし少年のおばがエホバの証人であり,後にそのおばが少年を助けることができました。
3 彼はこう説明しています。「おばは私のために聖書研究の機会を設けてくれるようになり,7か月後には麻薬の常用癖を断つことができました」。少年はそれまでの仲間との付き合いもやめて,エホバの証人たちの中に新しい友を得るようになりました。彼はさらにこう述べています。「定期的な聖書の研究と共に,これら新しい友が私の進歩を助けてくれ,ついに私は献身して神に仕える者となることができました」。そうです,麻薬中毒者で窃盗犯でもあったこの少年が活発なクリスチャンになりました。この大きな変化は聖書の力によって成し遂げられました。確かに,使徒パウロが述べたとおり,「神の言葉は生きていて,力を及ぼし」ます。―ヘブライ 4:12。
知識によって変化する
4,5 コロサイ 3章8節から10節によると,新しい人格を培うために何が必要ですか。
4 聖書はどのようにして人を変化させるのでしょうか。その答えは聖書の次の言葉にあります。「そうしたものを,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,またあなた方の口から出る卑わいなことばを,ことごとく捨て去りなさい。互いに偽りを語ってはなりません。古い人格をその習わしと共に脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされてゆくのです」― コロサイ 3:8-10。
5 聖書についての正確な知識が重要な役割を果たしていることに注目してください。聖書は,どのような性格を除き去るべきか,どのような特質を培うべきかを説明しています。それについて知るだけでも,しばしば人に強い影響を与えます。南ヨーロッパのある若い男性の場合がそうでした。この若者には難しい問題がありました。非常に激しい気性の持ち主だったのです。大人になるまでいつもけんかに明け暮れ,暴力的な気性のはけぐちとしてボクシングを始めました。それでも自分の激しい性格を抑えることができませんでした。軍隊にいた時には,仲間の兵隊を殴って問題を起こしたこともあります。軍隊を離れて結婚しましたが,今度は妻を殴るようになりました。ある時,家族との口論の際に,自分の父親をさえ地面に殴り倒してしまいました。ほんとうに短気で乱暴な若者でした!
6,7 聖書の正確な知識は,南ヨーロッパの一青年が人格を変化させるのにどのように役立ちましたか。
6 しかしやがて,この青年はエホバの証人と聖書を勉強し,次のような助言についても知るようになりました。「だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。……できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい。わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい」。(ローマ 12:17-19)この聖句から,青年は,自分の暴力的な気質がどんなに大きな弱点であるかを悟りました。青年はボクシングをやめました。それが平和なクリスチャン人格とは相いれないことに気づいたからです。それでも引き続き自分の暴力的な性向と懸命に闘わなければなりませんでした。
7 しかし,聖書の原則についてさらに多くの知識を得たことが助けになりました。それは青年の良心を練り清め,次いでそれが青年の短気さを抑制する力になりました。この青年が聖書研究の面でいくらか進歩した後のある時,一人の見知らぬ人が何かのことでいきり立ち,大声で青年を罵倒しました。青年は,いつもの激しい怒りが自分の中でわき上がって来るのを感じました。しかし同時に,別のものも感じました。一種の恥じらいの気持ちです。それが,怒りの情に屈しないように青年を守ったのです。『悪に悪を返す』のではなく,自分の感情を抑えることができました。今この青年は,聖書からの正確な知識によって人柄を変え,新しい人格を着けた人となっています。
神を知る
8 (イ)新しい人格はだれの像にかたどって造られますか。(ロ)新しい人格を形造らせる正確な知識にはだれについての知識も含まれるべきですか。
8 確かに,行なうべき正しい事柄が何かを知ってはいても,肉の弱さに屈してしまう人が多くいます。明らかに,善悪について正確な知識を得るだけでは十分でありません。さきに挙げた二人の場合,ほかの何かがその変化を助ける力になっていました。それは何でしょうか。先ほど引用した聖句はこう述べていました。「新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされてゆくのです」。(コロサイ 3:10)アダムがもともと神の像にかたどって造られたのと同じように,新しい人格も神の像にかたどって造られる,という点に注目してください。(創世記 1:26)したがって,それら二人の青年を助ける力となった正確な知識には,神についての知識も含まれていたはずです。このことはイエスの次の言葉を思い出させます。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。
9 神についての知識は,人格上の変化を遂げる面でどのように助けになりますか。
9 神についての知識は,人格上の変化を遂げる面でどのように助けになるのでしょうか。それは,自分を変化させたいという動機を与えます。聖書の研究を通して神を知るようになると,神の持たれる数々の特質について学び,神が示してくださった愛を理解するようになります。次いでそれは,わたしたちを導いて神への愛を抱かせます。(ヨハネ第一 4:19)そのときわたしたちは,イエスが第一で最大のおきてであるとされた,「あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」という言葉に従うことができるようになります。(マタイ 22:37)神への愛が,神に喜びとなる新しい人格を身に着けたいという願いを抱かせます。そのためにどれほど苦闘しなければならないとしても,いっそう神に似た者になりたいという願いがわいてくるのです。
深く根ざした弱さ
10,11 北アメリカの若い女性が人格を変化させてゆくのに正確な知識はどのように役立ちましたか。
10 ある場合,それは本当に苦闘となります。北アメリカのある若い女性は,自分の生き方を変化させるために非常に厳しい闘いをしなければなりませんでした。子供のころに性的虐待を受け,暴力的な家庭に育った関係で,彼女はやがて麻薬に頼るようになりました。しかし,麻薬は値段が高く,その費用を稼ぐために売春婦として身を売りました。旅行者を襲って金品を奪うことまで行ない,自分の家より刑務所や賭博場で過ごすほうが長いほどでした。
11 エホバの証人と出会った時,この女性は,何度もの妊娠中絶の後に一人の私生児の母親となっていました。それでも彼女は,聖書からの話に引かれ,聖書の勉強を始めました。すぐに彼女は神との関係を築いて,その生き方を正そうとするようになりました。
12,13 ひとたび植え込まれた正確な知識がどのように変化の力となるかを説明してください。
12 とはいえ,古い人格が深く根ざしていたために,それは厳しい闘いとなりました。ある時には,良い意図で述べられた助言に憤慨して聖書の勉強をやめ,元の汚れた生活に戻ってしまいました。それでも,自分の中に植えられた聖書の真理を忘れられなかったこの女性は,その時の自分について今こう認めています。「ときどき私は罪悪感にさいなまれ,ペテロ第二 2章22節の,『犬は自分の吐いたものに戻り,豚は洗われてもまた泥の中で転げ回る』という聖句が頭の中をよぎりました」。
13 やがて,こうした知識が,もう一度努力してみようという決意をこの女性に抱かせました。こう述べています。「私はエホバに対して自分のとびらを開き,助けを求めて何度も祈るようになりました」。依然きびしい苦闘を続けなければならなかったとはいえ,今度は新しい人格がさらに深く根づいてゆきました。ある時,一時的な弱さに負けて再び酒に酔い,不道徳なことをしてしまいました。しかしこのたび,それ以後の彼女の反応は,真に変化しつつあることを示していました。彼女は自分のしたことに嫌悪を抱きました。「たくさん時間をかけて祈り,勉強しました」と述べています。ついに神の言葉が,この女性の生き方に力を及ぼし,この人は活発なクリスチャンとなって,誉れある清い生活を送るようになりました。以来数年になりますが,彼女は,かつての乱れた麻薬に浸る放縦な生活から離れた全くの別人となっています。
神の言葉によって変化した民
14,15 (イ)神からのどんな力が聖書を通して働きますか。(ロ)今日真のクリスチャンの特徴としてどんな点がありますか。
14 謙遜な人々の生活に働く聖書の力は,聖書が単なる人間の著作ではないことを物語っています。霊感による神の言葉として,聖書は神の霊が働く一つの経路でもあります。イエスに奇跡を行なわせたのと同じ神の霊が,今日のわたしたちを助けて,良くない特質を克服し,クリスチャンとしての人格を培わせるのです。実際のところ,愛・喜び・平和・辛抱強さ・親切・善良・信仰・温和・自制など,クリスチャンが培わなければならない基本的な特質は,聖書の中で,「霊の実」と呼ばれています。―ガラテア 5:22,23。
15 今日,この霊は,ただ幾人かの人にではなく,「エホバに教えられ」,神からの『豊かな平安』を持つ幾百万もの人々の上に働いています。(イザヤ 54:13)それはどんな人々でしょうか。イエスはその人々を見分ける一つの方法を示して,こう言われました。「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:35)クリスチャン愛は霊の実の一つであり,クリスチャンの新しい人格の主要な部分です。イエスが言われたとおりにこの愛を示している人たちがいますか。
16,17 「エホバに教えられ」て『豊かな平安』を持つ人々を見分けるのに役立つ新聞の注解を幾つか挙げてください。
16 では,北アメリカのニュー・ヘイブン・レジスター紙に寄せられた手紙からの次の一文をお読みください。「私もそうであったように,皆さんも彼らの改宗活動にいら立ちや怒りを覚えたことがあったにしても,彼らの献身ぶりと健全さ,また人間味のある振る舞いや健康的な生活の面ではっきり模範となっていることについては称賛せざるを得ないだろう」。ドイツのミュンヒェナー・メルクーア紙が次のように述べたのも,この同じグループの人々についてでした。『彼らは[ドイツ]連邦共和国にあって最も正直かつ最もきちょうめんな納税者である。彼らが法規をよく守る人々であることは,車の運転の仕方や犯罪の統計にも示されている』。
17 これら二つの新聞はどんな人々のことを述べているのでしょうか。それは,アルゼンチン,ブエノスアイレスのヘラルド紙が論じているのと同じグループの人々です。同紙はこう書きました。『エホバの証人は,多年にわたり,我が国が明確に必要とする,勤勉で,まじめで,つつましく,神を恐れる市民であることを実証してきた』。アメリカン・エスノロジスト(民族学者)誌に掲載された,ザンビアからの社会学的研究の報告もその同じグループの人々について述べています。こう書いています。『エホバの証人たちは,安定した結婚関係を維持する点で他の宗派の成員よりも良い成果を上げている』。
18,19 イタリアと南アフリカのエホバの証人についてどんなことが述べられていますか。
18 イタリアのラ・スタンパ紙も,やはりエホバの証人について取り上げて,こう述べました。「彼らは,望み得るかぎり最も忠節な市民である。税金逃れをせず,自分たちの利益のために不都合な法律の網をくぐろうともしない。隣人への愛,権力を求めないこと,非暴力的な態度,私事における正直さなどの道徳上の理想は(たいていのクリスチャンにとっては,説教壇から説かれるだけの“日曜日のおきて”にすぎないが),彼らにとっては“日常の”生き方の中に入っている」。
19 南アフリカの一大学教授は,人種に関するこの国の法律のために自らも差別を経験した人ですが,エホバの証人のことを,「聖書の高い規準によって教育されて,真の意味で“色の違いが見えなくなった”人々」と呼びました。このことの意味を同教授はさらにこう説明しています。『単に人の皮膚の色を見るのではなく,内面においてどのような人かを見る人たちである。今日,エホバの証人は,ただ一つ,本当の全人類的兄弟関係を形成している』。
20 エホバの証人が他の人々とはっきり異なっているのはなぜですか。
20 これらの注解は,聖書に対して自分の心を開き,神の霊の働きを受けている一群の人々が存在することを示しています。全地で神の王国の良いたよりを宣べ伝えるように言われたイエスの命令に従っている人々についてさきに調べましたが,それがこれらと同じ人々であるというのは注目すべき点です。(マタイ 24:14)エホバの証人がこれらの点で際立っているのはなぜでしょうか。多くの点で証人たちも他の人々と少しも異なりません。証人たちにも同じ肉の弱さがあり,同じ経済上の問題を抱え,基本的に必要とするものも同じです。しかし,一つのグループとして,これら証人たちは神を愛し,聖書の述べる事柄を誠実に受け入れ,それが自分たちの生活に力を及ぼすようにしています。
21 今日の憎しみに満ちた世界にエホバの証人のような人々が存在している事実は何の証拠ですか。
21 世界の200以上の土地に,合わせて何百万人ものエホバの証人がいます。その中には,想像し得るかぎりさまざまな人種・言語・社会的背景の人々がいます。それでも証人たちは,平和で一致した国際的な兄弟関係を保っています。エホバの証人は,どこの国に住んでいようともその国の善良な市民ですが,彼らは,何よりもまず神の王国の臣民であり,その王国の良いたよりを他の人々に伝える面で全員が非常に活発です。この,分裂して憎しみに満ちた世界にエホバの証人のようなグループが存在すること自体,まことに注目すべきことです。彼らが存在している事実は,神の霊が今日なお人類世界に活動している強力な証しです。またそのことは,聖書がまさに『生きていて,力を及ぼす』ことの証拠です。
[177ページの拡大文]
聖書は本当に人々を変化させる
[181ページの拡大文]
神についての知識は,神に似る者になりたいという願いを抱かせる
-
-
聖書とあなた聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
-
-
第14章
聖書とあなた
現代の批評家は,聖書は非科学的で矛盾しており,単なる神話を集めたものにすぎない,と唱えます。それに対しイエスは,「あなた[神]のみ言葉は真理です」と言われました。(ヨハネ 17:17)実際の証拠は,批評家たちよりもイエスの見方のほうに裏付けを与えています。多くの事実は,聖書が歴史の記録として真実であることを示しています。さらに,聖書の著しい内面的調和,その預言の真実さ,知恵の奥深さ,人の生活に対する感化力などのすべては,聖書が,書き記された神の言葉であることの論証となります。使徒パウロも記しているとおり,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益』です。―テモテ第二 3:16。
1 (前書き部分を含む)(イ)聖書について事実は何を裏付けていますか。(ロ)聖書が神の霊感による言葉であるということにはどんな意味が含まれますか。
聖書が神の言葉であって人間の言葉ではないということには,非常に深い意味が含まれています。それは,神が人間に対してご自分の意思を確かに伝えてこられたことを意味しています。そして神は,わたしたちの持つ多くの疑問に答え,わたしたちの抱える多くの問題に解決策も示してこられました。それはまた,聖書に描かれる将来の見通しが確かなものであることをも意味しています。神の王国は今日実際に支配しており,やがてそれは,この地上からすべての不義,圧制,苦しみを除き去るために行動します。
2 聖書が神の言葉であることを知ったなら,当然何を行なうはずですか。
2 それで,このような情報に接しられた今,あなたはどうされるでしょうか,とお尋ねいたします。聖書が神の言葉であることを理解されたなら,少なくとも,聖書をさらに調べてみようと思われるはずです。詩編作者は,そのようにする人に臨む幸福を約束して,こう記しています。『幸いなるかな,邪悪な者の計り事に歩まなかった人は。かえって,その人の喜びはエホバの律法にあり,その律法を昼も夜も小声で読む』― 詩編 1:1,2。
援助を受け入れる
3,4 (イ)聖書そのものも例を示していますが,聖書の中に理解できない箇所がある場合どうすべきですか。(ロ)人々が聖書をより深く理解できるよういつでも進んで助けを差し伸べようとしているのはだれですか。
3 聖書を読んでおられる時,意味をよく理解できない箇所にぶつかることもあるでしょう。(ペテロ第二 3:16)聖書の「使徒たちの活動」の書に記されている一つの出来事は,そのような場合のあることを示しています。イエスの死後まもないころ,一人のエチオピア人は,聖書のイザヤ書の預言を読んでいました。クリスチャンの福音宣明者フィリポは,その人に出会った時,「あなたは自分の読んでいる事柄がほんとうに分かりますか」と尋ねました。そのエチオピア人は,ちょうど意味のつかめない箇所があったため,フィリポを招いて,それを理解できるように助けてもらうことにしました。―使徒 8:30,31。
4 米国のある女性もこれと似たような状況にありました。その人はいつも聖書を読んでいましたが,聖書の重要な教えで,自分ひとりで読むだけでは理解できずにいた部分が多くありました。しかし,エホバの証人と討議してみて初めて,神の王国の重要性や,その王国が人類にもたらす数多くの祝福などを含め,聖書の基礎的な真理を知ることができました。あなたも証人たちを招いて助けを求めてごらんになれば,聖書の中であなたが読んでおられる事柄をさらに深く理解できるよう,エホバの証人は喜んで援助を差し伸べるでしょう。
聖書の助言を当てはめる
5 聖書によると,どんな歩みが人を幸福にしますか。
5 わたしたちは,単に聖書を読むだけでなく,聖書から読んだ事柄にしたがって行動するようにも促されています。(詩編 119:2)さらに聖書はこう勧めています。「あなた方はエホバが善良であることを味わい知れ。そのもとに避難する強健な人は幸いだ」。(詩編 34:8)実際のところ,聖書は,神を試してみるようにと励ましているのです。神の定めておられる原則にしたがって生活してみてください。こうして,あなたに何が最善かを神は知っておられるという信頼を示してください。そのようにして初めて,これが本当に正しい道であることを理解されるでしょう。神に対してそのような信頼を抱く人は本当に幸福です。
6 聖書の規準にしたがって生きようとするのは今日でも実際的ですか。説明してください。
6 不正直で,不道徳で,暴力的なこの世界で聖書の原則にしたがって生きてゆくことなどだれにもできない,と言う人たちがいます。しかし,真実のところ,多数の人がそのようにしているのです。それはどんな人々でしょうか。アフリカの一青年はそのようにしている人々を見つけました。その青年は次のような手紙を書きました。「私はこれまで数年の間,ここジンバブエで真にキリストの模範に従おうとしているのは,あなた方エホバの証人であることを観察してきました。……神の愛とその福音の力を私にともかく確信させてくれたのは,今までのところ皆さんのグループだけです。それは,単に言葉や文書によるのではなく,皆さんの生き方そのものによるのです。非常に大勢の人々が福音を宣べ伝えてはいてもそれにそった生き方をしていない中で,皆さんは福音にしたがって生き,かつそれを宣べ伝えているのです」。
その権威を認める
7 聖書の述べている事柄に反するどんなことが今日広く行なわれていますか。
7 聖書は「教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」,と使徒パウロは述べました。(テモテ第二 3:16)しかし,聖書の述べている事柄は必ずしも広く受け入れられません。例えば,聖書は,同性愛行為を非としていますが,同性愛は受け入れてよい一種の生活様式であるとみなす人たちが多くいます。(ローマ 1:24-27。コリント第一 6:9-11。テモテ第一 1:9-11)聖書はまた,胎児の命も大切なものであり,故意にそれを奪ってはいけないとも述べていますが,全世界で毎年およそ5,000万件もの堕胎が行なわれています。(出エジプト記 21:22,23。詩編 36:9; 139:14-16。エレミヤ 1:5)そのような問題について聖書の述べている事柄を受け入れるのが自分に難しく見える場合はどうでしょうか。
8,9 聖書のある箇所が初めのうち受け入れにくく思える場合,どんなことを銘記すべきですか。いつでもだれの規準を受け入れるべきですか。
8 クリスチャンは,常に神の言葉に従うのが賢明であることを学んできました。それはなぜでしょうか。なぜなら,聖書の述べている事柄に従うのは,結局,どんな場合でもすべての人にとって最善の益になるからです。(箴言 2:1-11)実際のところ,人間の持つ知恵はいたって限られたものです。人は,自分の行動の最終結果をなかなか見通すことができません。預言者エレミヤは次のことを認めました。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」― エレミヤ 10:23。
9 この評価の正しさは,わたしたちの周囲を見渡すだけですぐに分かるでしょう。世界を悩ましている問題のほとんどは,人が神の言葉からの助言に従わなかったことの直接の結果です。人類の,苦もんに満ちた長い歴史は,人間が道徳上の問題に関して自分ではうまく決定できないことを示しています。神はわたしたちを無限に上回る知恵を持たれます。わたしたち人間の知恵に頼るのではなく,むしろこの方の述べる事柄を受け入れるべきではないでしょうか。―箴言 28:26。エレミヤ 17:9。
だれも完全ではない
10,11 (イ)聖書の規準にしたがって生きようとするとき,わたしたちの今の状態や周囲の世界のどんな事実が問題になりますか。(ロ)聖書はどんな交わりを求めるように励ましていますか。そのような交わりをどこに見いだせますか。
10 聖書は,わたしたちに助けの必要な別の面に注意を促しています。わたしたちすべてには,受け継いだ罪の傾向があります。「人の心の傾向はその年若い時から悪い」。(創世記 8:21。ローマ 7:21)この問題は,聖書の原則に従おうとしない世界に住んでいることによっていっそう増大しています。ですから,聖書を理解するためだけでなく,学んだ事柄をそのとおりに行なうための助けも必要です。そのようなわけで聖書は,神の規準にしたがって生きようとしている人々と交わるようにと励ましています。詩編作者はこう書きました。「わたしは悪を行なう者たちの会衆を憎みました。わたしは邪悪な者たちと共に座りません。……わたしは集合した群衆の中でエホバを賛美するのです」。詩編の別の箇所はこう述べています。「兄弟たちが一致のうちに共に住むのは何と良いことであろう。それは何と快いことであろう」。―詩編 26:5,12; 133:1。
11 エホバの証人にとって,共に集まり合うことは崇拝の肝要な部分を成しています。証人たちは毎週幾つかの集会を開き,そのほかにも定期的に大会を開催し,そのような場で共に聖書を学び,聖書の原則が自分たちの生活にどのように当てはまるかを討議します。証人たちは,全世界的な「仲間の兄弟全体」の集まりを構成し,その中にあって一人一人は,聖書の高い規準を守ってゆくための励みと助けを与えられます。(ペテロ第一 2:17)エホバの証人の集会の一つに出席して,そのような緊密な共同社会があなたにもどのように助けになるかを見てごらんになるのはいかがでしょうか。―ヘブライ 10:24,25。
神の言葉によって生きる
12 聖書が神の言葉であるのを知ることにはどんな祝福がありますか。
12 ですから,聖書が神の言葉であることを知るのは祝福であり,同時にまたそれには責任も伴います。わたしたちの日常の行動のために,ほかでは見いだすことのできない導きを得られるのは確かに祝福です。さらに,わたしたちを贖って,永遠の命の希望を抱かせるために,ご自身のみ子を与えてくださった神の愛についても学べました。(ヨハネ 3:16)イエスが現在王として支配しておられ,地上から悪を除き去るために間もなく行動されることも理解するようになりました。そしてわたしたちは,神ご自身が約束された,義の宿る「新しい天と新しい地」の到来を確信を抱いて待望しています。―ペテロ第二 3:13。
13 聖書を神の言葉として受け入れるなら,当然どんな責任も伴いますか。
13 しかし,聖書を研究して,そこに述べられている事柄をしっかり心に留める責任のあることも忘れないでください。神ご自身がこう勧めておられます。「我が子よ,わたしの律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行なうように」。(箴言 3:1)大多数の人が,聖書を単なる人間の言葉と見るとしても,わたしたちは勇気を持ち,「すべての人が偽り者であったとしても,神は真実であることが知られるように」するべきです。(ローマ 3:4)神の知恵があなたの生活を導くものとなりますように。「心をつくしてエホバに依り頼め。……あなたのすべての道において神を認めよ」。(箴言 3:5,6)こうして賢明な態度で神の言葉に注意を払うことは,現在,また将来とこしえにわたって,あなたの生活に有意義な影響を与えるでしょう。
-