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  • 『若い成年の日に自分の創造者を覚えた』少年
    目ざめよ! 1994 | 5月22日
    • 『若い成年の日に自分の創造者を覚えた』少年

      「エイドリアンはいつも親の目の離せない子でした」と,父親は語ります。「4歳の時には家の車を運転して木にぶつけ,皆が会衆の集会に遅れるはめになりました。5歳の時にはカエルを何十匹も集めて家に持ち込んできました。そのカエルを家から出すのに何日もかかりました。わたしたちは聖書のカエルの災いに見舞われた時のエジプト人の家族のように感じました。

      「11歳の時には幹線道路の道端にアライグマの子が3匹いるのを見つけ,鞄の中に入れて学校に持って行きましてね。先生が入ってきた時,教室の中は大騒ぎでした。子供たちはエイドリアンの鞄の周りに集まり,興奮してわいわいがやがやおしゃべりをしていたのです。先生は鞄の中をのぞいてアライグマがいるのを知り,息子とその3匹を車に乗せ,飼い主のいない動物を収容する施設に連れて行ってくださいました。エイドリアンはアライグマの赤ちゃんを失うことを考えて泣いていましたが,その施設を見学して,キツネの赤ちゃんや,身寄りのないほかの動物の赤ちゃんがよく世話されているのを知り,アライグマをそこに置いてきました」。

      父親の話は続きます。「エイドリアンは悪い子ではありませんでした。ただとても活発な子だったんです。あの子の豊かな想像力のおかげで生活が楽しくなりました」。

      母親はエイドリアンの別の面,つまり家族思いで家にいるのが好きで,とても愛情深い少年であったことを示し,次のように語りました。「学校の子供たちは息子のことを,だれにも意地悪をしない人だと言っていました。同じクラスに,知恵遅れではないのですが,知力の少し弱い女の子がいました。その子はエイドリアンと同じスクールバスに乗るんです。ほかの子たちはその子をからかうのですが,その子のお母さんの話によると,エイドリアンはいつもその女の子に敬意を持って接し,特別に親切にしていたそうです。息子には真面目なところがありました。同情心に富んだ考え深い子でした。そういう気持ちを口に出して言うことはあまりなかったのですが,口に出すときには問題の核心を突いていたので,わたしたちは驚いたものです」。

      母親は最後に,「病気になってから息子は急に円熟し,霊性が高まりました」と述べて息子の評価を終えました。

      少年は譲らなかった ― 輸血はしない!

      病気が始まったのは1993年3月,エイドリアンが14歳の時でした。胃の中に進行の速い腫瘍のあることが分かったのです。医師団は生検(生体組織検査)を望みましたが,多量の出血があることを心配し,輸血が必要になるかもしれないと言いました。エイドリアンは輸血を拒否し,譲りませんでした。彼は目に涙を浮かべ,「輸血を受けてしまったら,僕は自分が許せない」と言いました。エイドリアンとその家族はエホバの証人でした。エホバの証人はレビ記 17章10節から12節,および使徒 15章28節と29節に記されている聖書的な根拠に基づいて,輸血を拒否します。

      カナダ,ニューファンドランド州のセントジョンズ市にある「チャールズ・A・ジェーンウェイ医博 小児健康センター」で生検 ― 輸血なしで行なわれる ― を待っている間,エイドリアンは腫瘍学のロレンス・ジャルディン医師から,血の問題について自分の意見を述べるようにと言われました。

      エイドリアンは,「僕の両親がエホバの証人であろうとなかろうと,それは問題ではありません。どちらであっても,僕は輸血をしません」と言いました。

      ジャルディン医師は,「もし輸血を受けないとしたら,死ぬかもしれないということは分かっているの?」と尋ねました。

      「分かっています」。

      「それでも構わないの?」

      「どうしても仕方がなければ」。

      その場にいた母親は,「あなたがそういう立場を取るのはなぜなの?」と聞きました。

      エイドリアンはこう答えました。「お母さん,これは良い取り引きではありません。神に逆らって,いま数年長く生きられたとしても,神に逆らったために復活はできない,地上の楽園で永久に生きることもできないというのは,利口なやり方ではないでしょう」。―詩編 37:10,11。箴言 2:21,22。

      生検は3月18日に行なわれました。その検査で,エイドリアンに大きなリンパ腫のできていることが分かりました。その後に骨髄の生検が行なわれ,白血病の恐れがあることも判明しました。そこでジャルディン医師は,エイドリアンが命を取り留められそうな方法としては,輸血を伴うかなり強力な化学療法しかない,と説明しました。しかし,エイドリアンはなおも輸血を拒否しました。そこで輸血を用いない化学療法が始められました。

      ところが,治療の重大なこの段階に入った時に次のような危惧が生じました。それは,児童福祉局が介入して裁判所命令を取り付け,保護監督権と輸血を施す権利を得るのではないかということでした。法律によれば,16歳に達していればだれでも治療に関する決定を自分で下すことができます。16歳未満の人がその権利を得るには,その人は成熟した判断能力のある未成年者と判断されなければなりません。

      ニューファンドランド州の最高裁判所

      それで,7月18日の日曜日の朝,児童福祉局の局長代理が保護監督権を得るための訴訟手続きを実際に開始しました。すぐさま,ニューファンドランド州セントジョンズ市の高名な勅撰弁護士で優秀なデービッド・C・デイ弁護士がエイドリアンの代理人として依頼されました。その日の午後3時半には,ロバート・ウェルズ判事を首席とするニューファンドランド州の最高裁判所が審理を開始しました。

      その午後の裁判の時にジャルディン医師は判事に対し,エイドリアンは血を使用してはならないことを強く確信している成熟した判断能力のある未成年者と考えられること,またエイドリアンには,どの治療にも輸血は含めないという約束をしたことなどをはっきり述べました。ウェルズ判事は同医師に,裁判所が輸血を命令したら輸血をするか,と質問しました。ジャルディン医師は,「いいえ,私としては,するつもりはありません」と答え,エイドリアンが聖書に基づくとこしえの命の希望を脅かされると考えていることにも言及しました。この優秀な医師の誠実な証言は,驚きであると同時に心温まるものでもあり,エイドリアンの両親のうれし涙を誘いました。

      「どうか,僕と僕の願いを尊重してください」

      7月19日の月曜日に審理が再開された際,デービッド・デイは宣誓供述書の写しを提出しました。それは,病状が重くて出廷できないエイドリアンが,輸血や血液製剤を用いないガンの治療に関する自分の願いを述べるために準備し,署名したものでした。その中でエイドリアンはこう述べています。

      「病気になるといろいろなことを考えるものです。その病気がガンであれば,死ぬかもしれませんから,そのことについて考えます。……血や血を用いることには同意しません。絶対に。血を使わなければ死ぬかもしれないことは分かっていますが,これが僕の決定です。だれかに無理強いされているのではありません。ぼくはジャルディン先生をとても信頼しています。約束を守る人だと思います。先生は,これから僕に血を全然使わない集中的な治療を行なうと言ってくださっています。どんな危険があるかについても教えてくださいました。そのこともよく分かります。最悪の事態も理解しています。……もし少しでも輸血されれば,僕は自分がレイプされているように,性的いたずらをされているように感じます。そんなことになったら,僕は体はいりません。そんなことをしたら生きてゆけません。もし血が使われることになるなら,その治療法は望みません。血を使うことには抵抗します」。エイドリアンの宣誓供述書は,「どうか,僕と僕の願いを尊重してください」という訴えで終わっていました。

      エイドリアンは審理の間ずっと病室から出られない状況だったので,ウェルズ判事が親切にも彼に会いに来ました。デービッド・デイも一緒でした。デイ氏はその面接の様子を説明し,エイドリアンが一つのテーマに関して判事に述べた,人の心をとらえて離さない感動的な言葉に言及しました。要約すると,それは次のようなものでした。「僕は自分が重病であることを知っています。死ぬかもしれないことも知っています。お医者さんの中には血が助けになるという人もいますが,僕はそうは思いません。いろいろな危険があることを読んで知っているからです。血が助けになってもならなくても,僕の信仰は血に反対です。僕の信仰を尊重してください。それは僕を敬うことです。僕の信仰を尊重してくださらないなら,僕は権利を侵害されたように感じます。僕の信仰を尊重してくださるなら,僕は威厳をもって自分の病気に立ち向かうことができます。僕にあるのは信仰だけです。病気と闘うのを助けてくれる,僕がいま必要としている最重要なものはその信仰です」。

      デイ氏はエイドリアンについて幾らか自分の感想を述べています。「彼は自分の危険な病気を忍耐強く,冷静かつ勇敢に扱う能力を備えた依頼人だった。この少年の目には決意があった。声は控え目であったが確信がこもっていた。その態度には勇気が反映されていた。何よりも,彼の言葉と身体言語によって,確固たる信仰が私に伝わった。この少年の顕著な特徴は信仰であった。彼は仮借ない病気によって,子供らしい夢と大人の現実との間に橋をかけることを余儀なくされた。そのための助けとなったのは信仰である。……彼は率直でためらうことがなく,誠実だったと思う。……両親が彼に圧力をかけ,彼の医療に血を用いさせまいとしている可能性はないかとも考えた。……この少年が,血を用いない医療を望むことを表明するに当たって自分自身の意見を述べたので,私は得心した」。

      別の時にデイ氏は,エイドリアンにとって「命そのものよりも貴い価値があった」信仰について語り,次のように付け加えました。「これほどの問題に直面しても確固としているこの若者を見ていると,私の生活上の煩いは皆,取るに足りないものに思えてくる。この少年のことは,私の記憶に永久に刻み込まれることだろう。彼は並外れた勇気と洞察力と知力を備えた,成熟した判断能力のある未成年者である」。

      判決 ― エイドリアンは成熟した判断能力のある未成年者

      7月19日の月曜日に審理は終わり,ウェルズ判事は判決を下しました。それは後日,「ヒューマン・ライツ・ロー・ジャーナル」誌の1993年9月30日号に掲載されました。以下はその抜粋です。

      「児童福祉局長の申し立ては次の理由により却下された。この子供は保護を必要とする状況にはいない。輸血もしくは注入を目的とした血液や血液製剤の使用が不可欠であることは実証されておらず,本件独特の状況において,それらの使用は有害なものとなり得る。

      「状況の変化によって別の命令を出す必要が生じない限り,彼の治療に血液や血液製剤を用いることは禁止する。この少年は,成熟した判断能力のある未成年者と宣言されており,血液や血液製剤を用いない医療を受けることを願う当人の意思は尊重されるべきである。……

      「この“若者”が非常に勇敢であることには何の疑いもない。彼には愛情豊かな,よく世話をする家族の支えがあると思う。彼は多大の勇気を持って自らの窮境に立ち向かっていると思う。どんな目的のためであれ,血液製剤を体内に入れてそれを用いるのは間違いであるというのは,彼の宗教信条の一部なのである。……私は昨日,A(エイドリアン)が作成した宣誓供述書を読み,証言をした母親の話を聞き,A自身と話す機会を得た。

      「私は彼が次のことを心から信じていると得心した。つまり,血を取り入れるのは間違いであり,我々が問題にしている状況において血を取り入れるよう強制されることは,彼の体の侵害であり,プライバシーの侵害であり,彼の存在全体の侵害であること,それは,結果がどうあろうと,自分が経験しなければならない恐ろしい試練に対処する力と能力に大きな打撃を加えるほどのものであるということだ。

      「患者は,治療がうまくゆく何らかの望みが,何らかの確かな望みが少しでも生じるように,化学療法や他のガン療法について協力的かつ積極的な考え方をすべきであるとか,自分の固い信念に反する事柄を強制される患者の,医療に対する適合性は著しく低下するなどの医師の意見は,非常に道理にかなったものであると私は思う。……

      「Aに生じた事柄は,この少年が耐えているような事柄に,また彼が直面しなければならない,そして現に直面しているような事柄に直面してもいないし耐えてもいない15歳の子供の場合には考えられないほど,この少年を成熟させたと思う。この少年の経験ほど苛酷な経験を私は知らないが,彼とその家族の支えとなっているものの一つは彼らの信仰であると推測される。この事件は,15歳の子供に対して普通に期待できる状態,もしくはその普通の成熟度以上にこの少年を成熟させたと思う。私が今朝話をした少年は,この悲惨な経験のゆえに,普通の15歳の子供とは非常に違っていたように思う。

      「彼は人を納得させる意見を言えるほど十分に成熟しており,実際そのような意見を私に述べた。……彼の願いを考慮に入れるのは……妥当であるということも得心できたので,そのようにする。彼は血液製剤を用いないことを願っており,そして私は,もし局長が当法廷の命令のもとに何らかの方法でこの願いに反することを行なうとすれば,彼の最善の益は明らかに,また極めて現実的な意味において,不利な影響を被るということも得心している。……さらに,万一彼が実際にこの病気で死亡する ― そうなる可能性は高い ― とすれば,彼の宗教上の信条を鑑みるに,極めて悲惨で痛ましく,少しも望まれない精神状態のもとで死亡することになるだろう。私はこれらのことをすべて考慮に入れた。……

      「すべての状況を考慮に入れた結果,私はAの治療に血液製剤を用いることを求める請求を棄却するのが妥当と考える」。

      ウェルズ判事に対するエイドリアンのメッセージ

      自分の死の近いことを悟ったこの年若い少年がロバート・ウェルズ判事に送ったメッセージはたいへん心のこもったものです。デービッド・デイ氏はそれを次のように伝えました。「今日,判事が病院からお帰りになった後,私は少しの時間,依頼人と話しました。もし私が依頼人に代わって判事に彼の心からの深い感謝の気持ちをお伝えしないとしたら,私は自分の義務を怠ることになると思います。彼はあなたがこの問題を迅速に,かつ思いやりを持って,極めて公平に扱ってくださったことをありがたく思っており,心の底から判事殿に感謝しております。私はこのことが記録にも残されることを願っております。ありがとうございました」。

      この話の最後の部分はエイドリアンの母親に語ってもらうことにします。

      「裁判が終わってからエイドリアンがジャルディン先生に,『僕はあとどのくらい生きられるのでしょうか』と尋ねました。先生は『一,二週間だね』とお答えになりました。固く閉じた息子のまぶたから,涙が一粒こぼれ落ちるのが見えました。私が息子を抱き締めると,息子は,『お母さん,やめて。僕,お祈りしているんだ』と言いました。少したってから,『エイドリアン,このことをどう思っているの?』と聞くと,『お母さん,僕は死んだって将来生きることになるんだ。あと2週間しか生きられないんだったら,その2週間を楽しく過ごしたい。だからお母さんも元気にしていてくれなくっちゃ』と言うんです。

      「息子はカナダのジョージタウンにあるものみの塔の支部に行きたいと言いました。そして実際にそこを訪れ,一人の友達とそこのプールで泳ぎました。ブルー・ジェイズ軍の出場する野球の試合も見に行き,何人かの選手と一緒に写真も撮りました。一番大切なことは,エイドリアンがエホバ神に仕えるため心の中で献身していたことでした。そして,その象徴として水のバプテスマを受けたいと思うようになりました。そのころには病状が悪化していたので息子は病院へ戻り,もうそこから出ることができませんでした。それで看護婦さんたちが,ご親切にも物理療法室のステンレス製のタンクを使えるようにしてくださいました。息子はそこで9月12日にバプテスマを受け,翌9月13日に亡くなりました。

      「息子の葬式は,その葬儀場でそれまでに行なわれた葬儀のうちで最大規模のものでした。看護婦さんやお医者さん,患者の親御さんたち,級友の皆さん,近所の人たち,息子が交わっていた会衆や他の会衆の大勢の霊的な兄弟姉妹たちが出席してくださいました。数々の試練に耐えているときに見えてきた息子のすばらしい特質,また形成途上にあったクリスチャンとしての人格の一部である親切や思慮深さなどは,親である私たちも全く気づかないものでした。霊感を受けた詩編作者は,『子らはエホバからの相続物である』と述べました。確かにこの子はそうでした。わたしたちは間もなく地上の楽園に確立されるエホバの義の宿る新しい世で息子に会うのを楽しみにしています」。―詩編 127:3。ヤコブ 1:2,3。

      わたしたちは,エイドリアンがヨハネ 5章28節と29節のイエスの言われた約束の成就にあずかることを楽しみにして待ちたいものです。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」。

      エイドリアン・イェイツは,自分の今の命を延ばせると考えられた輸血を退けることによって,神を第一にした多くの若者たちの一人であることを示しました。

  • 『普通を超えた力』を持つ若者たち
    目ざめよ! 1994 | 5月22日
    • 『普通を超えた力』を持つ若者たち

      あなたは若者です。まだ12歳です。愛する家族がいます。楽しい学校の友達がいます。浜辺や山に出かけて遊びます。夜空に輝く満天の星を眺めて畏怖の念に打たれます。あなたの人生はこれからです。

      ところがガンにかかっていることが分かりました。60歳になってもこういう知らせはショックです。12歳なら打ちのめされてしまうものです。

      リネイ・マルティネス

      12歳のリネイ・マルティネスにとってもそのように思えました。この少女の希望は地上の楽園で永遠に生きることでした。この希望はエホバの証人である両親から受けた聖書の訓練によって強められました。彼女自身も,地球が永久に存続し,永久に人が住むように創造され,温和な人たちは地を永久に受け継ぐということを,聖書で読んで知っていたのではないでしょうか。―伝道の書 1:4。イザヤ 45:18。マタイ 5:5。

      この少女は,米国カリフォルニア州フレズノ市のバリー子供病院に入れられました。腎臓の感染症と思われる病気でそこに入院したのです。ところが検査の結果,白血病であることが判明しました。リネイの担当医たちは,赤血球と血小板を輸血する方針を固め,化学療法が直ちに開始されました。

      リネイは,血液も血液製剤も望んでいないこと,聖書のレビ記と使徒たちの活動の書に記されているとおり,神はそれを禁じておられると教わったことを伝えました。「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです」。(使徒 15:28,29)彼女の両親はこの立場を保つ娘を支援しましたが,リネイは,これは自分の決定であり,自分にとってとても大切なことであるという点を強調しました。

      医師たちはリネイおよびその両親と何度も話し合いました。それでもある日の午後,もう一度やって来ました。リネイはその訪問について次のように述べています。「わたしは痛みがとてもひどくて弱っていました。それに,だいぶ血を吐いていました。お医者さんたちは,少しだけ言い方を変えていましたが,でも前と同じ質問をしました。わたしはもう一度,『血や血液製剤は望みません。エホバ神のご意志を行なうということをエホバに約束したので,ほかに方法がないのでしたら,その約束を破るより,死ぬほうがましです』と言いました」。

      リネイは続けてこう述べています。「先生方は次の日の朝もまた来られました。血小板の数値は下がっていましたし,相変わらずの高熱でした。今度は,わたしの話を聴いてくださる先生がおられて,たくさんお話しすることができました。先生方はわたしの立場を好ましく思っていなかったのに,君は12歳にしてはしっかりしている,と言ってくださいました。その後,掛かりつけの小児科の先生が来られ,残念だが,化学療法と輸血以外に君を助ける方法はない,とおっしゃいました。そして,あとでまた来ると言って帰られました。

      「先生が帰られてから,わたしはひどく泣き出しました。先生はわたしが生まれた時からずっとわたしの面倒を見てくださったからです。ですから,先生に裏切られたように思えました。そのあと先生が来られた時,わたしは自分が先生の言葉をどう感じたか,先生はもうわたしのことなんかどうでもいいと考えておられるような気がした,とお話ししました。先生はびっくりされ,すまなかった,君を傷つけるつもりはなかったと言われました。そしてわたしの顔を見ながら,『いいかいリネイ,もしそうするしか方法がないとしたら,君とは天で会うよ』とおっしゃいました。眼鏡をはずし,目に大粒の涙を浮かべ,君を愛しているよ,と言って抱き締めてくださいました。わたしは先生に感謝し,『ありがとうございます。わたしもガレスピー先生を愛していますが,わたしは復活して地上の楽園で生きることを希望しています』と言いました」。

      その時,二人の医師と一人の弁護士が来て,リネイの両親に,リネイ一人に話したいのでご両親には席を外してもらいたい,と頼んだので,両親は病室を出ました。医師たちはその話し合いの間中,深い思いやりと親切を示しました。そしてリネイのはきはきとした話し方と深い確信に感銘を受けました。

      リネイだけになってから,医師たちはリネイが白血病にかかっていて先が長くないことを説明し,「でも輸血をすれば長く生きられるよ。輸血を拒否すると,あと数日しかもたない」と言いました。

      「もし輸血をすれば,どのくらい長く生きられるんですか」とリネイは尋ねました。

      「3か月か6か月くらいは生きられる」という答えです。

      「6か月で何ができるでしょうか」とリネイが尋ねます。

      「君は元気になって,いろいろなことができるようになる。ディズニー・ワールドにも行けるし,ほかにもいろんな場所を見ることができるよ」。

      リネイは少し考えてから,「わたしはこれまで12年,ずっとエホバにお仕えしてきました。エホバに従うならエホバは楽園での永遠の命を与えると約束しておられます。6か月の命のために,今エホバに背を向けるつもりはありません。死ぬまで忠実でありたいと思います。そうすれば,エホバはご予定の時にわたしを死人のうちから復活させ,永遠の命を与えてくださいます。そうなると,何でも自分のしたいことをする時間がいくらでもできます」。

      医師たちと弁護士が感銘を受けたことは見て分かりました。彼らはその少女をほめて外へ出,リネイの両親に,お嬢さんは大人のように考え,大人のように話すので,自分で決定を下せます,と述べました。彼らはバリー子供病院の倫理委員会に,リネイを成熟した判断能力のある未成年者とみなすことを勧めました。医師,他のヘルス・ケアの専門家,フレズノ州立大学の倫理学教授などによって構成されるこの委員会は,リネイが自分のための医療に関して自分で決めることは許されるという決定を下しました。彼らはリネイを,成熟した判断能力のある未成年者と判断したのです。裁判所命令を要請することはありませんでした。

      1993年9月22日,長くて苦しい夜は明け,リネイは午前6時半に母親の腕の中で死の眠りに就きました。その夜の気高さと静けさは,その場に立ち会った人たちの脳裏に焼きつけられました。追悼式には482人が出席しましたが,その中には,リネイの信仰と忠誠に感銘を受けた医師,看護婦,学校の教師なども含まれていました。

      リネイの両親と友人たちは,バリー子供病院の医師と看護婦と管理者が深い洞察力を示してこの未成年者の成熟度を認め,その決定を下すために裁判所の介入を必要としなかったことについて,深い感謝を表わしました。

  • 『普通を超えた力』を持つ若者たち
    目ざめよ! 1994 | 5月22日
    • リサ・コサック

      トロントの子供病院でリサが過ごした最初の夜は,悪夢どころの騒ぎではありませんでした。リサは午後4時に入院手続きをすませ,その後すぐに一連の検査を受けました。その日の夜は11時15分まで自分の病室に入れませんでした。夜中になって ― そうですね,このあとのことはリサに話してもらいましょう。「夜中になって,看護婦さんが入って来て『あなたに少し輸血をしなければいけないの』と言いました。わたしは大声を上げました。『わたしはエホバの証人ですから輸血はできません。それは知ってますね! 知ってますね!』 看護婦さんは,『ええ,知ってるわよ』と言ったかと思うとすぐにわたしの静脈注射の針を引き抜いて,荒っぽく血液を注入しました。わたしは驚いてしまって大声で叫び続けました」。

      不慣れな環境の中,病気でおびえている12歳の少女に対して,しかも真夜中だというのに,何と冷淡で残酷な仕打ちをするのでしょう。リサの両親は,親切で協力的な医師が見つかることを願いながら,リサをトロントの子供病院へ連れて来たのです。ところが娘は真夜中に輸血をされて,胸の張り裂けるような思いをすることになりました。リサも両親も,血液や血液製剤は神の律法を犯すもので用いてはならない,とする立場を取っていたにもかかわらず,そのようなことが行なわれたのです。―使徒 15:28,29。

      翌朝,病院は輸血を行なう裁判所命令を要請しました。デービッド・R・メイン判事を裁判長とするその裁判は五日間続きました。裁判は病院の一室で行なわれ,リサは五日間出廷しました。リサの病気は急性骨髄性白血病と言い,医師たちは治癒率30%と証言しましたが,大体は致命的な病気です。医師たちが指示したのは,輸血を幾度も施すことと,極度の痛みと体を衰弱させる副作用の伴う集中的な化学療法でした。

      裁判の四日目にリサが証言を行ないました。彼女に尋ねられた一つの質問は,夜中に無理やり輸血をされてどう思ったかということでした。彼女は,自分が実験用の犬のように思えたこと,強姦されているような気がしたこと,ある人たちは相手が未成年だと何をしても構わないと思っていること,などを説明しました。リサはほかの人の血が自分の中に入ってゆくのを見るのがたまらなく嫌でした。自分がエイズや肝炎や他の感染症にかかるのではないかと考えていました。しかし,一番心配だったのは,自分の体内にほかの人の血を入れてはならないという神の律法を破るなら,エホバがどう思われるかということでした。リサは,もしこういうことがまた起こったら,「自分がどんなにひどい怪我をするとしても,懸命に闘い,静脈注射装置のポールを蹴り倒し,その装置を引き裂いて,血の入った袋に穴を開けます」と述べました。

      リサの弁護士は,「児童援助協会が保護監督権をあなたのご両親から自分たちに移してほしいと言っているけれど,それについてはどう思うの?」と尋ねました。

      「そうですね。ものすごく腹が立ちます。あの人たちはひどいと思います。両親がわたしをなぐったりしたことは一度もありませんし,わたしを愛してくれています。わたしも両親を愛しています。敗血性咽頭炎になったり風邪などを引いたりすると,いつも両親はわたしの面倒を見てくれました。両親の生活全体はわたしを中心としたものでした。それなのに,ほかの人が来て,賛成できないというだけの理由でわたしを親から引き離すなんて,ひどいと思います。わたしはどうしたらよいのか全く分からなくなります」。

      「あなたは死にたいと思っているの?」

      「いいえ。死にたい人なんて一人もいないと思います。でも,もしわたしが本当に死ぬとしても,わたしはこわがらないと思います。地上の楽園で永遠に生きる希望があることを知っていますから」。

      迫りつつある自分の死と,エホバへの信仰と,血を神聖なものとすることに関する神の律法に従順であろうとする決意についてリサが勇気をもって話すのを見て,涙を流さない人はほとんどいませんでした。

      リサの弁護士は質問を続けます。「リサ,裁判所があなたに輸血を受けるよう命令するということが分かれば,少し気持ちが変わりますか」。

      「いいえ,変わりません。わたしはやっぱりわたしの神に忠実を保ち,神の命令に聴き従うつもりですから。神はどんな裁判所やどんな人よりもずっと優れた方です」。

      「リサ,あなたはこの問題について判事がどんな判決を下すことを望んでいますか」。

      「そうですね。この問題については,わたしを親のところに返して,両親がわたしの保護監督権を取り戻せるような判決を下していただきたいと思います。そうなればうれしいです。家に帰って楽しい環境の中で過ごすことができます」。

      実際にメイン判事はそのような判決を下しました。その判決の抜粋を次に記します。

      「Lは当裁判所に対して,もし自分に輸血を施そうとするなら,全力を振り絞ってその輸血と闘う,と落ち着いてはっきり述べた。自分は叫んだり暴れたりし,自分の腕から注入器具を引き抜き,ベッドのわきにある血液バッグを処分するつもりだと述べた。私は彼女が実際にそうすると思う。私はこの子をそうした厳しい試練に遭わせるどんな命令を出すことをも拒否する」。

      真夜中の強制的な輸血に関して,同判事はこう述べました。

      「私は15条(1)に従い,彼女の宗教および年齢ゆえに差別扱いを受けたと認定しなければならない。そうした状況のもとで輸血がなされたのであるから,第7条によれば,彼女の身体の安全に関する彼女の権利は侵害された」。

      リサ自身から判事が受けた印象には興味深いものがあります。

      「Lは美しい,極めて聡明な,自分の考えをはっきり言い表わす,礼儀正しい,神経のこまやかな,そして最も重要なこととして勇気ある人である。彼女は年齢をはるかに超えた知恵と円熟性を身につけており,親ならだれもが自分の子供に望む積極的な属性をすべて有していると言っても過言ではない。また考え抜かれた,確固とした明快な宗教信条を持っている。私の見解からすれば,どのような筋から与えられるどれほど多くのカウンセリングも,当法廷の命令をも含め両親や他のだれから加えられる圧力も,彼女の宗教信条を揺るがしたり,変えさせたりすることはできない。L・Kは,威厳と平安な思いとをもってこの病気と闘う機会を与えられるべきである,と私は信じる」。

      「請求を棄却する」。

      リサとその家族はその日のうちに病院を出ました。リサは確かに威厳と平安な思いとをもって病気と闘いました。そして父母の温かい腕に抱かれながら自宅で安らかに息を引き取りました。リサはそうすることによって,神を第一にした他の大勢の若いエホバの証人の隊伍に加わりました。その結果,彼女はそのような若者たちと共に,「わたしのために自分の命を失う者はそれを見いだす」というイエスの約束の成就にあずかることになります。―マタイ 10:39,脚注。

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