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神のご意志を行なうなら決して見捨てられることはないものみの塔 1989 | 2月1日
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マリボルからルツェルンへ向けて出発する前に,ドイツからさらに多くの開拓者が到着しました。その中に,ドイツのマクデブルクにあるベテルで8年間奉仕していたアルフレッド・シュミットがいました。1年後に私はアルフレッドの妻になりました。
ユーゴスラビアの開拓者はほとんど全員がルツェルンの大会に出席できました。それは私にとって初めての大会で,ルツェルン市の感じのよさにも感激しましたが,それに加えて,スイスの兄弟たちが示してくださった愛と気遣いには圧倒される思いでした。その時は,自分が20年後にそこで開拓奉仕をすることになろうとは知るよしもありませんでした。
種々の制限のもとでの奉仕
スイスからユーゴスラビアへ戻って間もなく,私たちは真の迫害を経験するようになりました。私たちは逮捕されてベオグラードの主要な刑務所に拘禁されました。ユーゴスラビアにおける業に責任を持つ兄弟は,私たちへの訪問許可を申請しましたが,却下されました。しかし,その兄弟は私たちに聞こえるように非常に大きな声で看守と話をしたので,私たちはその声の響きだけでとても励まされました。
数日後,私たちは手錠を掛けられてハンガリー国境まで連行されました。文書やお金は没収されていました。こうして私たちは実際に無一文で,しかし刑務所からのお土産として体にいっぱいしらみを付けてブダペストに着きました。
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神のご意志を行なうなら決して見捨てられることはないものみの塔 1989 | 2月1日
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私たちはドイツの旅券を持っていましたから,ユーゴスラビアへ帰ることはできましたが,短期間の滞在しか認められませんでした。その後は逮捕を免れるために毎晩異なった場所で寝なければならず,約6か月間そのような生活をしました。そして1938年の後半に,スイスのベルンにある協会の事務所から手紙があり,スイスに来ることができるかどうか試してみるようにとの指示を受けました。ナチの軍隊はすでにオーストリアを占領しており,政治的な圧力は増大していました。事実,ユーゴスラビア政府はすでに幾人かのドイツ人の開拓者たちをナチスに引き渡していました。
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神のご意志を行なうなら決して見捨てられることはないものみの塔 1989 | 2月1日
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[25ページの図版]
1938年,ユーゴスラビアのイスラム教徒の住む地区,モスタルで開拓奉仕をするアルフレッド・シュミットとグレーテ・シュミット
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