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早い時期に真理を求めた人たち2017 エホバの証人の年鑑
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「一心に耳を傾けました」
現在90代のバブツァ・ジェジェラバは,スフミで最初に真理を受け入れて速く進歩した人たちの1人です。1973年の初めのことでした。彼女は言います。「ある日わたしは,4人の女性が活発に論じ合っていることに気づきました。2人は修道女で,後で分かったのですが,もう2人はエホバの証人でした」。1人はウラジミル・グラジュクの妻リューバで,もう1人はウクライナから来たとても熱心な開拓者イタ・スダレンコでした。
バブツァ・ジェジェラバ,1979年と2016年
バブツァはその会話を耳にした時の気持ちを,「わたしは一心に耳を傾けました」と述べています。神にお名前があると聞いたとき,バブツァはすかさずその会話に加わり,そのお名前が聖書のどこにあるかを尋ねます。彼女がたくさんの質問をしたので,その話し合いは3時間も続きました。
バブツァは証人ともう会えなくなってしまうのではないかと心配して,「わたしをここに残してどこかへ行ってしまうのですか」と言いました。
「いいえ,そんなことはしません。今度の土曜日にまた来ます」と姉妹たちは答えます。
土曜日になって2人の姉妹が本当にやってきたので,バブツァは大変喜びました。すぐに聖書研究が始まります。その研究が終わるころ,バブツァは神の民とのつながりを確実に保つ必要を改めて感じ,「やっと見つけたこの人たちを失うわけにはいかない」と考えました。
バブツァはあることを思いつきます。「リューバが結婚していることは分かっていました。それで,イタも結婚しているか尋ねたところ,独身とのことでした。それで言いました。『わたしのアパートに来て,一緒に住まない? ベッドは2つあるし,その間にはランプもある。その明かりの下で聖書を開けば,夜でも聖書について話し合えるわ!』」イタはその招きに応じ,バブツァのアパートに引っ越しました。
バブツァは当時のことをこう振り返ります。「夜眠れない時など,学んだことをよく思い巡らしました。ふと疑問が生じ,イタを起こして言いました。『ねぇ,イタ,聖書を出して。質問があるの』。イタは目をこすりながら,『いいわよ,バブツァ』と答えてくれました。そして,聖書を開いて教えてくれたのです」。イタが来てから3日後,バブツァは良いたよりを宣べ伝える業に加わりました。
バブツァにはナテラ・チャルゲイシビリという親友がいました。バブツァはこう言います。「豊かな財産が妨げとなって彼女は真理を受け入れないのではないかと思っていたのですが,うれしいことに,わたしは間違っていました。最初に話した時から,彼女の心は真理で燃えていました」。まもなく2人とも,友人や同僚,近所の人たちに,自分たちの見いだした希望を熱心に伝えていました。
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集会は信仰の成長を助ける2017 エホバの証人の年鑑
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バブツァ・ジェジェラバは西ジョージア全体を広く旅しました。「あちらこちらに親戚がいたので,わたしが頻繁に旅行に出てもだれも不審に思うことはありませんでした。2年ほどすると,わたしはズグジジで20人以上の人と,そしてチホロツクの町で5人と聖書を研究していました。その全員がバプテスマを受けたのです」。
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集会は信仰の成長を助ける2017 エホバの証人の年鑑
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バブツァはジョージア語の文書が全くない中で聖書研究を司会する難しさをこう振り返ります。「わたしの持っていた聖書と出版物はすべてロシア語でした。それで多くの場合,研究生のために資料を翻訳することが必要になりました」。バブツァは辞書だけを頼りにして,雑誌の記事をジョージア語に翻訳しました。マタイの福音書全体を翻訳することまでしました。
勇気ある証人たちは小さな謄写版を使って自宅で文書を複写した
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