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旧ユーゴスラビアの国々2009 エホバの証人の年鑑
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1992年には,ヘルツェグ・ノビ市で書籍研究と『ものみの塔』研究のために集まっていた人たちが15人に増えました」。サボーは妻と娘と共によく進歩し,1993年にバプテスマを受けました。現在,風光明媚なこの海岸都市には王国会館が1軒あり,25人の伝道者が交わっています。
1990年代初めに,首都ポドゴリツァで幾人かの伝道者が集会を開いていました。その人数は増えてゆき,1997年には,王国会館のための土地を購入する計画を立てました。兄弟たちが手に入れた土地にはもともと塀が立っていましたが,目隠しになるので残すことにしました。しかし,隣接する建物の地階に住む警察官が,日当たりが悪いので塀を取り除いてくれないかと言ってきました。兄弟たちは,良い関係を保つために塀を取り壊すことにし,代わりにフェンスを設けました。この親切が良い結果になったのです。
隣接するその建物の他の住人が兄弟たちに嫌がらせをしてきた時,警察官は住人に,王国会館を壊すなら起訴されることになる,と警告しました。今ではその敷地に,美しい王国会館と特別開拓者の宿舎,また大会の会場としても使える屋根付き駐車場があります。
ニクシチという町では,それほどうまく事が運びませんでした。兄弟たちは1996年に土地を手に入れましたが,地域住民は王国会館の建設に強く反対していました。兄弟たちは,近所の人が現場に踏み込んできて破壊行為を行なうことのないよう,昼夜を問わず見張りを立てました。ある日,地元の司祭が,銃やこん棒を持つ200人ほどの暴徒を率いて乱入してきました。暴徒は空に向けて発砲し,積み上げた王国会館のレンガを崩してゆきました。警察官はただ傍観するだけでした。
問題を平和裏に解決することができなかったので,兄弟たちは他の土地を探すことにしました。4年後,ふさわしい建物が見つかり,それを改装して王国会館にしました。当初,住民との関係に問題はないように思えましたが,数か月後,王国会館は不審火で焼失してしまいました。しかし,兄弟たちは強い願いを持っていたので,あきらめませんでした。再び仕事に取りかかり,会館をもう一度建てました。それ以来,問題は起きていません。
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[243ページの図版]
ポドゴリツァでの伝道の様子と,その土地の王国会館
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