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    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • ラッセル兄弟は他の取り決めを設けることには関心がなく,自称クリスチャンたちの間に存在する分派主義に少しでも貢献することには強く反対しました。

      それと同時にラッセル兄弟は,主の僕たちがヘブライ 10章23節から25節の諭しに調和して集まり合うことの必要性を十分認識していました。彼は個人的に旅行し,「ものみの塔」誌の読者を訪問して築き上げ,その地域に住む同じ思いを持つ他の人たちと引き合わせました。早くも1881年に彼は,定期的な集会を開いている人たちに,集会場所をものみの塔事務所に知らせるよう求めました。彼は常に連絡をとり合うことの価値に気づいていたのです。

      しかし,ラッセル兄弟は自分たちが「地的な組織」を作ろうとしているのではないことを強調し,むしろ「『名が天に記されている』我々は,かの天的な組織だけを支持する(ヘブライ 12:23。ルカ 10:20。)」と述べました。キリスト教世界の汚れた歴史のため,“教会組織”と言うと,たいてい分派主義,僧職者による支配,宗教会議で作り出された信条に従うことを条件とする会員の地位などが連想されました。それでラッセル兄弟は,自分たちのことを述べる際には“交わり”という語のほうが良いと考えました。

      ラッセル兄弟は,キリストの使徒たちが会衆を設立し,それぞれの会衆に長老たちを任命したことをよく知っていました。しかし同兄弟は,目に見えない仕方であるとはいえキリストが再び臨在しておられ,ご自分と共に相続人となる人々の最終的な収穫を自ら導いておられる,と信じていました。当初ラッセル兄弟は事情を考慮して,収穫の時の間は1世紀のクリスチャン会衆に存在していた長老の取り決めは必要ないと考えていました。

      とはいえ,聖書研究者の数が増えるにつれ,ラッセル兄弟は自分の期待とは違った仕方で主が事を運んでおられることに気づきました。見方を調整しなければなりませんでした。しかし,何に基づいて調整するのでしょうか。

      拡大する交わりの初期の必要にこたえる

      「ものみの塔」誌(英文),1895年11月15日号の誌面のほぼ全体は,「適正に,また秩序正しく」という論題のために用いられました。その中でラッセル兄弟は次の点を率直に認めました。「使徒たちは聖なる者たちの集まりにおける秩序に関して,初期教会に多くのことを述べている。しかしながら,教会がその歴史の終わりに非常に近づいており,収穫の時は分ける業の時であるため,我々はその賢明な諭しを幾分重要性の低いものとみなし,その諭しに対して多少無頓着だったようである」。その諭しに対して新たな見方をするようになったのはなぜでしょうか。

      その記事は次のような四つの事情を挙げていました。(1)明らかに,個々の人の霊的な進歩はまちまちである。すべての人が同じように誘惑や試練や苦難や危険に対処する用意ができているわけではない。したがって,賢くて思慮深い監督,つまり経験と能力があり,すべての人の霊的な福祉の世話をすることに深い関心を抱き,真理をもって人々を教えることのできる男子が必要である。(2)『羊の装いしたる狼』から群れを守らなければならないことが分かった。(マタイ 7:15,欽定)群れは,真理の徹底的な知識を得るよう,援助を受けて強められなければならない。(3)群れを保護する長老たちを任命する取り決めがないと,一部の者たちがその立場に自ら就き,群れを自分のものとみなすようになる,ということが経験から分かった。(4)秩序正しい取り決めがないと,真理に忠節な人々が,異議を唱える少数の人たちに影響されて,自分たちの奉仕は望まれていないと考えかねない。

      以上の点を考慮して,「ものみの塔」誌はこう述べました。「すべての会においてその中から,群れを『養い』かつ『監督する』長老たちが選ばれるべきであるという使徒たちの諭しを,我々はいささかも躊躇することなく,人数の多少にかかわらず各地の教会cに勧める」。(使徒 14:21-23; 20:17,28)各地の会衆はこの聖書からの健全な諭しにきちんと従いました。これは,使徒たちの時代のものと一致した会衆の組織を確立する上での重要な一歩となりました。

      しかし,当時の理解の仕方に合わせて,長老たち,および長老を補佐する執事たちの選出は会衆の選挙によって行なわれました。毎年,あるいは必要な場合にはもっと頻繁に,奉仕する可能性のある人たちの資格が考慮され,選挙が行なわれました。それは基本的に言って民主的な手順でしたが,安全装置として機能するよう意図された制限によって抑制されていました。会衆の全員は,聖書的な資格を注意深く復習し,自分自身の意見ではなく,主のご意志であると信じる事柄を選挙によって表明するよう勧められました。選挙に加わる資格は「十分に聖別された」人たちにしかありませんでしたから,み言葉と主の霊に導かれている場合には,集団としての彼らの選挙は問題に関する主のご意志の表明とみなされました。ラッセル兄弟はあまり意識していなかったかもしれませんが,彼がこの取り決めを推薦したことには,高位の僧職者階級とのいかなる類似点も避けるという彼の決意だけでなく,十代のころ組合教会に属していたという彼自身の経歴も,ある程度の影響を与えていたようです。

      「千年期黎明」の一巻を成す「新しい創造物」(1904年発行)と題する本の中で長老の役割と長老の選出方法が再び詳しく論じられましたが,その際,使徒 14章23節に特別な注意が向けられました。『彼らを長老に叙任し』(欽定)という言葉は「挙手によって彼らを長老に選出し」と訳すべきであるという見解の根拠として,ジェームズ・ストロングとロバート・ヤングが編纂した聖書語句索引が引用されました。d 聖書翻訳の中には,長老たちは『選挙によって任命された』と述べているものさえあります。(ヤングの「聖書の字義訳」。ロザハムの「エンファサイズド・バイブル」)しかし,だれがその選挙を行なうべきだったのでしょうか。

      選挙は会衆全体が行なうべきであるという見解を採ったからといって,必ずしも期待どおりの結果が得られたわけではありません。選挙を行なう人たちは“十分に聖別された”人でなければならず,選出される人たちは聖書的な資格に本当にかなっており,兄弟たちに謙遜に仕えました。しかし,往々にして選挙は,み言葉と神の霊よりも個人的な好みを反映したものとなりました。例えばドイツのハレでは,自分たちが長老になるものと考えていた特定の人たちが,望んでいた立場を得られなかった時に大騒動を引き起こしました。ドイツのバルメンでは,1927年の候補者の中に協会の活動に反対する人たちが含まれており,選挙の際に挙手が行なわれている間じゅうかなりの叫び声が飛び交ったため,無記名投票に切り替えなければなりませんでした。

      これらの出来事が生じる幾年か前の1916年に,ラッセル兄弟は深い懸念を抱き,こう書きました。「選出が行なわれる時期に,幾つかのクラスではひどい事態が生じている。教会の僕たちが支配者や独裁者になろうとしており,場合によっては,恐らく自分や特定の仲間たちが長老や執事に選出されるようにするため,集会の司会者の立場を占めてさえいる。……中には,自分と仲間にとって特に都合の良い時に選挙を行なって,ひそかにクラスを利用しようとする者もいる。また,ある者たちは自分の仲間で集会を満員にしようとして,あまり見たことのない人々を連れ込む。それらの人々は定期的にクラスに出席することなど毛頭考えていないのに,単に友情の行為として仲間の一人を選出するためにやって来る」。

      彼らは選挙をもっと円滑に民主的な方法で行なう方法を学ぶだけでよかったのでしょうか。それとも,彼らがまだ気づいていない,神の言葉に基づく事柄があったのでしょうか。

      良いたよりが宣べ伝えられるように組織する

      ラッセル兄弟はまさに当初から,クリスチャン会衆の各成員に課された最も重要な責任の一つは福音宣明の業であるということを認識していました。(ペテロ第一 2:9)「ものみの塔」誌は,「エホバがわたしに油をそそぎ,……良いたよりを告げるようにされた」というイザヤ 61章1節の預言的な言葉が当てはまるのはイエスお一人ではなく,霊によって油そそがれた追随者全員であると説明しました。「ジェームズ王欽定訳」では,その聖句を引用したイエスの言葉が,『福音を宣べさせんとて我に油そそぎたまえり』と訳されています。―ルカ 4:18。

      早くも1881年には,「ものみの塔」誌に「1,000人の伝道者を求む」という記事が載せられました。これは,多少にかかわらず可能な時間(30分あるいは1時間,2時間,3時間)を用いて聖書の真理を広める業にあずかるようにという,会衆の各成員に対する呼びかけでした。扶養家族がなく,自分の時間の半分以上を専ら主の業のために費やすことのできる男女は,聖書文書頒布者<コルポーター>という福音宣明者として働くよう励まされました。年によって人数はかなり変動しましたが,1885年までには,聖書文書頒布者<コルポーター>としてこの業にあずかっている人は約300人になっていました。ほかにも,もっと限られた範囲で参加した人たちがいました。聖書文書頒布者<コルポーター>たちには,業を行なう方法について提案が与えられました。しかし,畑は広大だったので,少なくとも当初,彼らは自分たちで区域を選び,多くの場合,最善と思えると別の場所に移りました。そして,大会に集まったときに,自分たちの奉仕を調節するために必要な調整を行ないました。

      聖書文書頒布者<コルポーター>の奉仕が始まったのと同じ年に,ラッセル兄弟は無償配布用の幾つかの冊子(または小冊子)を印刷させました。中でも際立っていたのは,最初の4か月間で120万部も配布された「考えるクリスチャンのための糧」でした。この印刷と配布の取り決めに関する仕事のため,必要な細かい事柄の世話をする目的で「シオンのものみの塔冊子協会」が設立されました。ラッセル兄弟は,自分が死んだ場合にも業が途絶えないようにするため,また業に用いられる寄付の取り扱いを容易にするため,協会の登記を申請し,協会は1884年12月15日に正式に登録されました。こうして,必要とされる法的機関が存在するようになりました。

      必要が生じるにつれ,ものみの塔協会の支部事務所が他の国や地域にも開設されました。まず1900年4月23日,英国のロンドンに,そして1902年,ドイツのエルバーフェルトに開設され,2年後には,地球の裏側,オーストラリアのメルボルンに支部が設けられました。本書執筆の時点で,全世界に99の支部があります。

      大量の聖書文書を供給するのに必要な組織的な取り決めが形を整えつつあったとはいえ,当初,それらの文書を公に配布する地元の取り決めを設けることは会衆に任されていました。ラッセル兄弟は1900年3月16日付の手紙の中で,この点に関する自分の見方を述べました。「アレキサンダー・M・グラハムとマサチューセッツ州ボストンの教会」宛のその手紙には,こう書かれています。「皆さんもご存じのとおり,主の民の各会に,自らの判断に基づいて自らの物事を管理するよう任せ,干渉ではなく単に助言によって提案を差し伸べる,というのが私の断固たる考えです」。このことには,集会だけでなく,野外宣教の行ない方も含まれていました。それで,ラッセル兄弟は兄弟たちに幾らかの実際的な助言を与えた後,結びに「これは提案にすぎません」と述べました。

      中には,協会からのもっと明確な指導を必要とする活動もありました。「創造の写真劇」の上映に関して,地元での上映のために劇場などの施設を借りる気持ちがあるか,また借りることができるかどうかについて,各会衆に決定が委ねられました。とはいえ,器材を都市から都市へ移動する必要があり,スケジュールを合わせなければならなかったので,それらの点に関しては協会が中心となって指導を与えました。各会衆は地元での取り決めを世話する劇委員会を設けるよう勧められましたが,すべてがきちんと円滑に進むよう,協会から派遣された監督者が細かな点に十分の注意を払いました。

      1914年,そして1915年が経過する間,それら霊によって油そそがれたクリスチャンたちは自分たちが抱く天的な希望の成就を切に待ち望んでいました。それと同時に,彼らは主への奉仕に忙しく携わるよう励まされました。たとえ彼らが肉体を着けて過ごす残された時は非常に短いと考えていたとしても,良いたよりの伝道を秩序正しく行なうためには,わずか数百人だったころ以上の指導が必要である,ということが明らかになりました。その指導は,J・F・ラザフォードがものみの塔協会の2代目の会長になってから間もなく,新たな局面を迎えました。1917年3月1日号の「ものみの塔」誌(英文)は,今後,聖書文書頒布者<コルポーター>や会衆の牧羊の働き人eの働く区域はすべて協会の事務所から割り当てられる,と発表しました。一つの都市または郡において地元の奉仕者と聖書文書頒布者<コルポーター>が一緒にそのような野外奉仕を行なっている場合には,地元で任命された地域の委員会によって両者に区域が分割されました。この取り決めは,1917年から1918年にかけて数か月間だけ行なわれた「終了した秘義」の実に驚異的な配布に役立ちました。また,キリスト教世界を強力に暴露した「バビロンの倒壊」という主題のパンフレット1,000万部の電撃的な配布を成し遂げるためにも重要な役割を果たしました。

      その後まもなく,協会の管理役員たちは逮捕され,1918年6月21日に20年の刑を宣告されました。良いたよりの伝道は事実上停止してしまいました。彼らが最終的に天の栄光のうちに主と結ばれる時が来たのでしょうか。

      数か月後に戦争は終わり,翌年には,協会の役員たちが釈放されました。彼らはまだ肉体を着けていました。彼らはそうなるとは期待していませんでしたが,神がこの地上で自分たちに行なわせようとしておられる仕事がまだあるに違いないと結論しました。

      彼らは信仰の厳しい試みを経験したばかりでしたが,「ものみの塔」誌(英文)は1919年に,「恐れなき者は幸いなり」という主題の,人を鼓舞する聖書研究によって彼らを強めました。その続きには「奉仕の機会」という記事がありました。しかし兄弟たちは,その後の数十年間に広範な組織上の発展が生じるとは思ってもいませんでした。

      群れに対するふさわしい模範

      ラザフォード兄弟は,時がいかに短いとしても,秩序正しく一致のうちに業が前進し続けるためには群れに対するふさわしい模範が不可欠であるということを確かに認識していました。イエスはご自分の追随者を羊と呼ばれました。羊は羊飼いに従います。言うまでもなく,イエスご自身が立派な羊飼いです。しかしイエスは,ご自分の民の従属の羊飼いとして,年長者つまり長老たちをお用いになります。(ペテロ第一 5:1-3)それらの長老たちは,イエスから割り当てられた業に自ら参加し,またそうするよう他の人を励ます人でなければなりません。長老たちは真に福音宣明の精神を持っていなければなりません。ところが,「終了した秘義」の配布が行なわれた時期に,一部の長老たちはしりごみしてしまい,中には他の人が業にあずかるのを思いとどまらせようとして声高に意見を述べる者さえいました。

      「黄金時代」誌の発行が始まった1919年に,このような状況を正すための非常に重要な措置が講じられました。同誌は,人類の諸問題の唯一の永続的な解決策である神の王国を広く知らせるための強力な道具となるはずでした。この活動にあずかることを望む各会衆は,協会に“奉仕組織”として登録を申請するよう勧められました。そして,奉仕の主事として知られるようになった主事が,年ごとの選挙とは関係なく,協会によって任命されました。f 主事は地元における協会の代表者として業を組織し,区域を割り当て,野外奉仕に会衆が参加するよう励ますことになっていました。こうして,民主的に選出された長老や執事と共に,別のタイプの組織上の取り決めが機能し始めました。それは,地元の会衆の外にある,任命を行なう権威を認め,神の王国の良いたよりの伝道を一層重視する取り決めでした。g

      その後の期間,王国宣明の業には,抗し難い力に動かされたかのように大きな弾みがつきました。1914年およびそれ以降の出来事は,主イエス・キリストが古い体制の終結について述べられた重要な預言が成就しつつあることを明らかに示していました。その点を考慮して1920年に「ものみの塔」誌は,マタイ 24章14節で予告されていたとおり,今は「古い事物の秩序の終わりとメシアの王国の設立」に関する良いたよりをふれ告げるべき時である,と指摘しました。h (マタイ 24:3-14)1922年,オハイオ州シーダーポイントでの聖書研究者の大会から帰る出席者たちの耳には,「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」というスローガンが鳴り響いていました。さらに,1931年にエホバの証人という名称が採択された時,真のクリスチャンの役割に一層明確に注意が向けられるようになりました。

      エホバがご自分の僕たちに,彼らすべてがあずかれる業を割り当てられたことは明らかでした。熱烈な反応が見られました。この業に全時間を費やすため,多くの人が生活を大幅に調整しました。限られた時間だけを費やす人々の中にも,週末には一日じゅう野外奉仕を行なう人がかなりいました。当時のエホバの証人の多くは,1938年と1939年の「ものみの塔」誌や「通知」に載せられた励ましにこたえ応じ,毎月60時間を野外奉仕に費やすよう良心的に努力しました。

      それらの熱心な証人たちの中には,会衆の長老である,エホバの謙遜で献身的な僕たちが大勢いました。しかし,1920年代から1930年代の初めにかけて,場所によっては,あらゆる人が野外奉仕に参加するという考えに対してかなりの抵抗も生じました。民主的に選出された長老たちが,会衆外の人々に伝道する責任について述べた「ものみの塔」誌の内容に対して声高に異議を唱えることも少なくありませんでした。それらのグループの中では,この点について神の霊が聖書を通して諸会衆に述べる事柄を聴くまいとしたため,神の霊の流れが阻害されました。―啓示 2:5,7。

      このような状況を正すため,1932年に幾つかの措置が講じられました。一部の目立った長老たちの気分を害するかどうか,あるいは会衆と交わっているある人々が去るかどうかということは,主要な関心事ではありませんでした。むしろ,兄弟たちはエホバを喜ばせ,エホバのご意志を行なうことを願っていました。そのために,同年8月15日号と9月1日号の「ものみの塔」誌(英文)は「エホバの組織」という主題を際立たせました。

      同誌の記事は,本当にエホバの組織に属する人は皆,この時期に行なわれなければならないとみ言葉が述べている業を行なっているはずである,とはっきり指摘しました。また,それらの記事は,クリスチャンの長老の立場とは選挙によって就くことのできる職ではなく,霊的な成長によって達する状態であるという見解を支持しました。特に強調されたのは,イエスの追随者が『みな一つになる』ように,つまり神とキリストに結びつき,そのようにして神のご意志を行なう点で互い同士一致するように,というイエスの祈りでした。(ヨハネ 17:21)どんな結論に達しましたか。2番目の記事が示す答えによると,「残りの者に属する人は皆,エホバ神のみ名と王国の証人でなければならない」のです。監督の仕事は,公の証言にあずかるために道理にかなった範囲でできる事柄を行なわない人や,行なうことを拒む人に委ねるわけにはゆきません。

      これらの記事の研究の終わりに,諸会衆は自分たちの賛同を表わす決議を採択するよう勧められました。こうして,長老と執事になる男子を会衆が年ごとに選出することは廃止されました。他の場所と同様に北アイルランドのベルファストでも,かつて“選出長老”だったある人々は会衆を去り,彼らと同じ見解を持つ他の人々も行動を共にしました。その結果,人数は少なくなりましたが,組織全体が強められました。残った人々は,証言するというクリスチャンの責任を喜んで担う人々でした。依然として民主的な方法を用いていたとはいえ,諸会衆は選挙で長老を選ぶ代わりに,公の証言に活発にあずかっている霊的に円熟した男子から成る奉仕委員会iを選出しました。それに加えて会衆の成員は,集会を主宰する司会者,および書記と会計係を選挙で選びました。これらの男子はみな,エホバの活発な証人でした。

      今や,会衆を監督する仕事は,自分の立場ではなく,神のみ名と王国について証言するという神の業を行なうことに関心を抱く男子,自らその業に参加して良い模範を示す男子に委ねられ,神の業は一層円滑に前進するようになりました。当時は理解されていなかったことですが,なすべき多くの事柄,つまりそれまでに行なわれた以上に広範な証言の業,予想していなかった集める業がありました。(イザヤ 55:5)エホバがその業のために彼らを備えさせておられたことは明らかです。

      彼らと共に,地上でとこしえに生きるという希望を抱く少数の人々が交わり始めていました。j しかし聖書の予告によると,来たるべき大患難のあいだ保護される見込みを持つ大いなる群衆(または大群衆)が集められることになっていました。(啓示 7:9-14)1935年に,この大いなる群衆の実体が明らかになりました。1930年代に行なわれた監督たちの選出に関する変更により,組織は,大いなる群衆を集めて教え,訓練するという業を世話するために一層良い備えができました。

      大部分のエホバの証人にとって,このように業が拡大されたことは胸の躍るような事態の進展でした。彼らの行なう野外宣教に新たな意義が加えられたのです。しかし,中には熱心に宣べ伝えない人もいました。そうした人たちはしりごみし,ハルマゲドン後にならないと大いなる群衆は集められないと主張して,自分たちの不活発さを正当化しようとしました。とはいえ,大部分の人は,エホバに対する忠節と仲間の人間に対する愛を実証する新たな機会があることに気づきました。

      大群衆に属する人々はどのようにして組織の構造の中にふさわしい場を得たのでしょうか。彼らは,霊によって油そそがれた者たちの「小さな群れ」に神の言葉が割り当てた役割を教えられ,その取り決めと調和して喜んで働きました。(ルカ 12:32-44)また,霊によって油そそがれた者たちと同様に,自分たちにも他の人に良いたよりを伝える責任があることを学びました。(啓示 22:17)彼らは神の王国の地上の臣民となることを望んでいたので,自らの生活の中でその王国を第一にし,その王国について他の人に熱心に語るべきでした。大患難の際に保護されて神の新しい世に入る人々に関する聖書の描写と合致して,彼らは,「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と『大声で叫びつづける』人々でなければなりません。(啓示 7:10,14)1937年,大群衆に属する人々の人数が増え始めるとともに,主に対する彼らの熱意が明らかになったので,彼らも会衆を監督する責任の荷を担う手助けをするよう招かれました。

      しかし彼らは,組織はエホバのものであり,いかなる人間のものでもないということを思い起こさせられました。霊によって油そそがれた者たちの残りの者とほかの羊の大群衆に属する人々の間に分裂があってはなりませんでした。両者はエホバへの奉仕において兄弟姉妹として共に働くべきなのです。イエスが,「わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります」と言われたとおりです。(ヨハネ 10:16)この言葉の現実性が明らかになりつつありました。

      それまでの比較的短期間に,組織内で驚くべき進展が見られました。しかし,霊感を受けたみ言葉に述べられているエホバの方法と十分に調和して会衆の物事が行なわれるようにするため,なすべきことがほかにもあったでしょうか。

      神権組織

      “神権政治”とは“神による支配”を意味します。諸会衆はそのような支配を受けていたでしょうか。諸会衆はエホバを崇拝するだけでなく,会衆の物事を導いてくださるようエホバに頼っていたでしょうか。それらの点に関して,霊感を受けたみ言葉の中で神が述べておられる事柄に十分従っていたでしょうか。1938年6月1日号と15日号の「ものみの塔」誌(英文)に掲載された,2部から成る「組織」という記事は,「エホバの組織は決して民主的なものではない。エホバは至上の方であられ,エホバの統治もしくは組織は全く神権的なものである」とはっきり述べました。とはいえ,当時の各地のエホバの証人の会衆では,集会や野外奉仕の監督の任に当たる人々の大半を選ぶ際に民主的な手順が依然として用いられていました。さらに変更が加えられるのは適切なことでした。

      しかし,使徒 14章23節が示すところによると,会衆の長老たちは,選挙の場合のように『手を差し伸べる』ことによって職に任じられるべきだったのではないでしょうか。「ものみの塔」誌に掲載された「組織」と題するその記事の第1部は,この聖句に関する以前の理解が間違っていたことを認めました。1世紀のクリスチャンの間での任命は,会衆の全成員が『手を差し伸べる』ことによって行なわれたのではありません。むしろ,『手を差し伸べた』のは使徒たち,および使徒たちから権威を与えられた人たちであるということが示されました。それは,会衆の選挙に参加することによってではなく,資格ある人の上に手を置くことによってなされました。手を置くことは確認や承認や任命の象徴でした。k 初期クリスチャンの諸会衆が資格ある男子を推薦することもありましたが,最終的な選出や承認は,キリストから直接任命された使徒たち,あるいは使徒たちから権威を与えられた人たちが行ないました。(使徒 6:1-6)「ものみの塔」誌は,使徒パウロが聖霊の導きのもとに監督の任命に関する指示を与えているのは,責任ある監督たち(テモテとテトス)に宛てた手紙の中だけであるという事実に注意を引きました。(テモテ第一 3:1-13; 5:22。テトス 1:5)諸会衆に宛てられた霊感を受けた手紙の中には,そのような指示を含むものは一つもありませんでした。

      では,当時,会衆での奉仕の立場への任命はどのように行なわれたのでしょうか。「ものみの塔」誌は神権組織に関して分析を行ない,以下の点を聖書から示しました。エホバはイエス・キリストを「会衆の頭」に任命された。主人であるキリストは再来の時に,ご自分の「忠実で思慮深い奴隷」に「自分のすべての持ち物」に対する責任を委ねる。その忠実で思慮深い奴隷を構成するのは,キリストの共同相続人となるために聖霊によって油そそがれ,キリストの指導のもとに一致して仕えている,地上にいるすべての人である。キリストはその奴隷級を,諸会衆に対して必要な監督を行なうための代理者としてお用いになる。(コロサイ 1:18。マタイ 24:45-47; 28:18)霊感を受けた神の言葉に明示されている指示を祈りのうちに適用し,その指示を用いて,だれが奉仕の立場に就く資格を持つのかを決定するのは,奴隷級の義務となります。

      キリストが用いることになっていた目に見える代理者は忠実で思慮深い奴隷である(そして,すでに考慮した現代の歴史上の事実によれば,その“奴隷”は法的機関として,ものみの塔協会を用いている)ため,「ものみの塔」誌は,神権的な手順を踏むには奉仕の立場への任命はこの代理者によって行なわれる必要がある,と説明しました。ちょうど1世紀の諸会衆がエルサレムの統治体を認めていたのと同様,今日の諸会衆も中央からの監督がなければ霊的に繁栄しないでしょう。―使徒 15:2-30; 16:4,5。

      しかし,平衡の取れた見方ができるように,次の点が指摘されました。それは,「ものみの塔」誌が“協会(英語,The Society)”に言及する場合,その語は単なる法的機関ではなく,その法人団体を設立して用いている油そそがれたクリスチャンの一団を意味するという点です。ですから,“協会”という表現は,統治体を含む忠実で思慮深い奴隷を表わしました。

      1938年に「組織」と題する「ものみの塔」誌の記事が出る前でさえ,ロンドン,ニューヨーク,シカゴ,ロサンゼルスの各会衆は,少人数のグループに分会したほうがよいほどの人数に達した時に,僕たち全員の任命を協会に依頼しました。そして,「ものみの塔」誌(英文),1938年6月15日号は他のすべての会衆に,同様の行動をとるよう勧めました。そのために,次のような決議が提案されました。

      「我々,み名のために取り出された神の民の会は,今..............................において,……神の統治は純然たる神権政治であること,キリスト・イエスは神殿におられて,エホバの目に見える組織と目に見えない組織を全面的に託され,統御しておられること,および“協会”は地上における目に見える主の代表者であることを認める。それゆえ我々は,この会を奉仕のために組織し,この会の様々な僕たちを任命するよう“協会”に依頼する。それは,我々すべてが平和と義と調和と全き一致のうちに共に働くためである。我々はここに,より十分に円熟し,それゆえ奉仕のための各々の立場に就くに最もふさわしいと思われる,この会の人々の名簿を添付する」。l

      エホバの証人のほとんどすべての会衆はすぐにこの取り決めに同意しました。ためらいを示した少数の人たちは,やがて王国をふれ告げる業に全くあずからなくなり,そのようにしてエホバの証人ではなくなりました。

      神権的な指導の益

      教え,行動の規準,組織や証言に関する手順などが土地ごとに決められるなら,組織がやがて同一性や一致を失ってしまうことは明らかです。兄弟たちは社会や文化や国の違いによって,たやすく分裂してしまうかもしれません。一方,神権的な指導が行なわれるなら,霊的な進歩によってもたらされる益は全世界の会衆すべてに滞りなく確実に浸透するでしょう。そのようにして,イエスがご自分の真の追随者たちの間に行き渡るようにと祈られた純粋な一致が存在するようになり,イエスの命じられた福音宣明の業が十分に成し遂げられるでしょう。―ヨハネ 17:20-22。

      しかし一部には,J・F・ラザフォードはこの組織上の変更を推し進めることによって証人たちに対する支配を強めようとしているにすぎないとか,この手段を用いて自分自身の権威を主張しているなどと唱える人たちもいました。本当にそうだったのでしょうか。ラザフォード兄弟が強い信念の持ち主だったことに疑問の余地はありません。彼は,真理であると信じる事柄のためには,力強く,また妥協することなく率直に話しました。さらに,人々が主の業よりも自分自身を重視していることに気づくと,かなりぶっきらぼうに事態を扱うこともありました。しかし,ラザフォード兄弟は神のみ前で全く謙遜な人でした。それは,1974年に統治体の成員となったカール・クラインが後に次のように書いたとおりです。「朝の崇拝の際のラザフォード兄弟の祈りは,私が同兄弟を慕うようになった理由(となっています)。兄弟は非常に力強い声をしていたにもかかわらず,神に呼びかける際には,あたかも幼い男の子がお父さんに話しているかのような声で話しました。それはエホバとの優れた関係を明らかにするものでした」。ラザフォード兄弟は目に見えるエホバの組織の同一性に関して全き確信を抱いており,エホバがご自分の僕たちに与えておられる霊的な食物や導きから各地の兄弟たちが十分な益を得るのを,だれにも,またどんなグループにも絶対に妨げさせまいとしました。

      ラザフォード兄弟は,ものみの塔協会の会長として25年間奉仕し,組織の業の前進のために全精力を傾けたとはいえ,エホバの証人の指導者ではありませんでしたし,指導者になりたいとも思いませんでした。同兄弟は,亡くなる少し前の1941年,ミズーリ州セントルイスの大会で,指導の問題について話し,こう述べました。「私は,人間が自分たちの指導者になることに関する皆さんの考えを,この場におられる外部の方々に知っていただきたいと思います。外部の方々に銘記していただくためです。事が生じて発展し始めると,その都度,大勢の支持者を有する指導者である人間がいると言われます。聴衆の中に,ここに立っているこの私がエホバの証人の指導者だと考えている方がおられるなら,“はい”と答えてください」。それに対して,聴衆は水を打ったように静まり返り,静けさを破るのは幾人かの聴衆の力のこもった否定の声だけでした。話し手が続けて,「ここにいる皆さんが,私は主の僕の一人にすぎず,私たちは神とキリストに仕え,一致のうちに肩を並べて働いていると信じておられるなら,“はい”と答えてください」と言うと,出席者は一斉に大声できっぱりと「はい!」と答えました。翌月,英国の聴衆も全く同じ反応を示しました。

      地域によっては,神権組織の益をすぐに実感できました。他の地域ではもっと時間がかかり,円熟した謙遜な僕でなかった人々はやがて除かれて,他の人が任命されました。

      それでも,神権的な手順が一層十分に確立されるにつれ,エホバの証人はイザヤ 60章17節に予告されていた事柄を経験して歓びました。その箇所でエホバは,神の僕たちの間に存在するようになる改善された状態を比喩的な言葉遣いで描写し,こう述べておられます。「わたしは銅の代わりに金を携え入れ,鉄の代わりに銀を,木の代わりに銅を,石の代わりに鉄を携え入れる。わたしは平和をあなたの監督たちとして任命し,義をあなたに労働を割り当てる者たちとして任命する」。ここに述べられているのは,人間が行なう事柄ではなく,むしろ,神ご自身が行なわれる事柄であり,それに服するときに神の僕たちが受ける益です。彼らの中には必ず平和が行き渡り,義に対する愛が,仕えるよう彼らを駆り立てる力となるに違いありません。

      ブラジルの支部の監督の妻モード・ユーリがラザフォード兄弟に寄せた手紙には,こう書かれていました。「『塔』,[1938年]6月1日号と15日号の『組織』という記事を読んで,エホバに用いられて忠実に奉仕しておられる兄弟にどうしても一言エホバへの感謝をお伝えしたいと思いました。その二つの号の『ものみの塔』誌に概略が示されたとおり,エホバは目に見えるご自分の組織のためにすばらしい取り決めを設けてくださったからです。……“女権”とか,[エホバ神とイエス・キリストの代わりに]その地方特有の見解や個人的な判断を人に押し付けてエホバのみ名に非難をもたらす非聖書的な手順とかいうような,“井の中の蛙的な支配”が終わって,本当にほっとしています。確かに,『協会が組織内のすべての人を“僕”と呼ぶようになったのは最近』にすぎませんが,私は兄弟が,その前も長年にわたり,兄弟たちとの手紙のやり取りの中で,ご自分を『主の恩寵による,皆さんの兄弟また僕』と呼んでおられることを存じております」。

      この組織上の調整に関して,英国諸島の支部はこう報告しました。「この調整は実に驚くべき良い成果を上げました。この調整に関するイザヤ 60章の詩的・預言的な描写は非常に美しいものですが,その描写は誇張ではありません。真理にいる人は皆,この調整について話しており,その話題で持ち切りでした。全般に活気に満ちた雰囲気,統制の取れた戦いを喜んで推し進めようとする態度が行き渡っていました。世界の緊張が高まる中で,神権支配には喜びが満ちていました」。

  • 組織の構造の発展
    エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
    • [207ページの囲み記事]

      なぜ変更が加えられたのか

      C・T・ラッセルは,主の民の様々なグループの長老の選出に関する見解に変更を加えたことについて質問を受けた際,こう答えました。

      「まず第一に,私は決して不謬性を主張しなかったと断言できる。……我々は知識において成長することを否定するものではなく,主の民の様々な小さなグループの長老または指導者に関する主のご意志を,今では少し異なった光に照らして見ていることも否定しない。我々が犯した判断上の誤りは,早い時期に真理に入り,自然にそれら小さな会の指導者となった親愛なる兄弟たちに期待をかけ過ぎたことである。愚かにも我々は彼らに関して理想的な見方を抱き,真理の知識は彼らを謙遜にさせる上で非常に大きな影響を及ぼし,自分が取るに足りない者であることを彼らに認識させるだろうと考えたり,彼らが何を知っていようと,何を他の人に話すことができようと,それは神の代弁者としてでのことであり,神が彼らを用いておられるからであると考えたりしていた。我々は理想として,それらの人たちはまさに言葉どおりの意味で群れの模範となるだろうと期待し,真理を伝える面で同等,あるいはより優れた能力を持つ一人もしくは複数の人を小さな会に導き入れるのは主の摂理であり,彼らは愛の精神に導かれ,敬意を込めて互いを尊び,キリストの体である教会の奉仕にあずかるよう助け合い,勧め合うだろうと考えていた。

      「我々はそのことを念頭に置き,聖別された主の民が今この時にふさわしい一層大きな恩寵と真理を味わっているゆえに,彼らが初期教会の使徒たちの略述した方法に従う必要はないと結論した。我々が犯した過ちは,神の監督のもとに使徒たちが略述した取り決めは他の者が設け得るいかなる取り決めよりも優れていること,また我々すべてが復活の際に変えられて完璧かつ完全になり,主人と直接交わるようになるまで,教会全体には使徒たちの定めた規定が必要であることを理解していなかった点にある。

      「親愛なる兄弟たちの間に多少の競争の精神が見られ,奉仕ではなく職として集会の指導者の立場を占めたがる人や,生来の能力が同等で,真理の知識や霊の剣を用いる能力の点でも同等な他の兄弟たちを疎外して指導者としての成長を妨げたがる人が少なくないことを目にするにつれ,我々の過ちは徐々に明らかになった」―「シオンのものみの塔」誌,1906年3月15日号,90ページ。

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