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今日の「神殿」と「長」ものみの塔 1999 | 3月1日
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忠実な祭司団
9,10 エゼキエルの幻の祭司級によって予表された「王なる祭司」は,霊的な教えをどのように与えてきましたか。
9 キリスト以前の時代,祭司たちは神殿で骨の折れる仕事をしました。犠牲の動物をほふり,祭壇の上でささげ,仲間の祭司や民に給仕することは,体力を要するきつい仕事でした。しかし,ほかにも大切な仕事がありました。エホバは祭司たちに関してこう命じておられます。「彼らはわたしの民に聖なるものと俗なるものとの違いを教え諭すべきである。汚れたものと清いものとの違いをこれに知らせるべきである」― エゼキエル 44:23。マラキ 2:7。
10 あなたは,油そそがれた者たちが一団として,「王なる祭司」として,清い崇拝のために骨折って働き,謙遜に仕えてきたことを感謝していますか。(ペテロ第一 2:9)彼らは昔のレビ人の祭司団のように,率先して人々を霊的に教え諭し,何が神の目に清くて受け入れられ,何がそうでないかを理解できるよう助けてきました。(マタイ 24:45)そうした諭しは,聖書に基づく出版物や,クリスチャンの集会や大会を通して与えられており,そのおかげで幾百万という人々が神と和解できています。―コリント第二 5:20。
11 (イ)エゼキエルの幻は,祭司たちが清くあるべきことの大切さをどのように強調しましたか。(ロ)終わりの日に,油そそがれた者たちは霊的な意味でどのように清められてきましたか。
11 しかし祭司は,清くあるよう人々を教える以上のことをしなければなりません。自ら清くなければならないのです。ゆえにエゼキエルは,イスラエルの祭司団が精錬される過程をあらかじめ見ました。(エゼキエル 44:10-16)同様に,歴史は,エホバが1918年に『精錬する者として』ご自分の霊的な神殿に座し,油そそがれた祭司級を調べられたことを示しています。(マラキ 3:1-5)霊的に清いとされた人,または以前の偶像礼拝を悔い改めた人は,神の霊的神殿での奉仕の特権にとどまることを許されました。それでも,ほかのすべての人と同じように,油そそがれた個々の人は,霊的に,また道徳的に汚れた者となる可能性があります。(エゼキエル 44:22,25-27)それらの人は,「世から汚点のない状態」を保つよう懸命に努めなければなりませんでした。―ヤコブ 1:27。マルコ 7:20-23と比較してください。
12 油そそがれた者たちの働きを高く評価すべきなのはなぜですか。
12 各自こう自問できるでしょう。『わたしは,長年忠実に奉仕してきた油そそがれた者たちの模範を高く評価しているだろうか。その信仰に倣っているだろうか』。大群衆に属する人は,油そそがれた者たちが地上にいつまでもいるわけでないことを銘記するとよいでしょう。エホバは,エゼキエルの幻の祭司たちに関して,「あなた方はイスラエルで彼らに何の所有地をも与えてはならない。わたしが彼らの所有地なのである」と言われました。(エゼキエル 44:28)同様に,油そそがれた者たちも,この地上に永続する場所を持ってはいません。彼らには天的な相続財産があります。大群衆に属する人は,油そそがれた者たちがまだこの地上にいる間に彼らを支え,励ますことを特権とみなします。―マタイ 25:34-40。ペテロ第一 1:3,4。
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今日の「神殿」と「長」ものみの塔 1999 | 3月1日
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15 (イ)エゼキエルの幻は,大群衆の一員である長老たちと,油そそがれた祭司級との関係を,どのように明らかにしていますか。(ロ)神の地上の組織の中で,油そそがれた長老たちはどのように指導の任に当たってきましたか。
15 ところで今日,油そそがれた祭司級と,大群衆の一員として監督の立場で仕えている年長者との間にはどんな関係があるでしょうか。エゼキエルの幻は,油そそがれた者たちが霊的な指導の任に当たる一方,大群衆の成員である長老たちが支えとなる副次的な役割を担うことを暗示しています。どのようにでしょうか。銘記できる点として,幻の中の祭司たちには,民に霊的な事柄を教え諭す責任が与えられていました。また,訴訟で裁き人を務めるよう告げられています。加えて,レビ人たちは神殿の門で「監督する地位」に割り当てられていました。(エゼキエル 44:11,23,24)明らかに長は,祭司たちの霊的な奉仕や指導に服することになっていました。ですから現代において,油そそがれた者たちが清い崇拝において指導の任に当たってきたのは適切なことです。エホバの証人の統治体の成員が,油そそがれた者の中から選ばれてきたのも,その一例です。それら忠実な油そそがれた長老たちは,数を増す長級を何十年ものあいだ訓練してきました。来たるべき神の新しい世で長級が権威をすべてゆだねられる時のため,その級に属する見込みのある人たちを備えさせているのです。
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