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  • アダム
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 1. 神は,『わたしたちの像に人を造ろう』と言われました。(創 1:26)これは歴史的に見て何と意義ある宣言だったのでしょう。そして,この「神の子」,すなわち人間として最初に創造されたアダムは,歴史の上で何と特異な地位を占めていたのでしょう。(ルカ 3:38)アダムは,エホバの地上における創造のみ業の頂点たる栄光でした。それは,創造の六つの期間の終わりに近かったという時間的な理由だけでなく,さらに重要な点として,『神の像に創造された』からでもありました。(創 1:27)完全な人間アダムが,そして程度はずっと低下しているとはいえアダムの退歩した子孫が,地上の他のすべての生き物よりはるかに優れた知力や種々の能力を有しているのはそのためです。

      アダムはどのような意味で神と似た様に造られましたか

      アダムは,偉大な創造者と似た様に造られていたゆえに,愛,知恵,公正,力など,神の持たれる属性を備えていました。それゆえにアダムは良心を伴う道徳的感覚を有しており,これは地上の生物界においては全く新しい事柄でした。神の像として存在していたアダムは,全地球の管理者となり,海や陸の生き物および空中を飛ぶ鳥を従わせることになっていました。

      アダムは,神に似た特質を持つために,全体にせよ部分にせよ霊の被造物である必要はありませんでした。エホバは地面の塵の粒で人間を形造り,それに生命力を与えて生きた魂とならせ,創造者の像また創造者に似た様を反映する能力をこれに与えました。「最初の人は地から出て塵で造られ」,「最初の人アダムは生きた魂になった」のです。(創 2:7; コリ一 15:45,47)それは西暦前4026年のことで,その年の秋であったと思われます。人類の太古の暦は,秋の10月1日ごろ,つまり太陰暦年の最初の新月から時を数えはじめているからです。―「年」を参照。

  • 動物
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 動物

      (どうぶつ)(Animals)

      人間以外の生きた魂。(民 31:28と比較。)ヘブライ語ベヘーマーは大型の四つ足の生き物,普通は家畜を指しますが,時には野獣を指すこともあります。この語は「家畜」,「獣」,「畜類」などと訳されています。(創 1:26; 9:10; 34:23; 詩 107:38)ヘブライ語レメスは「動く生き物」また「はうもの」を意味し,「動く; はう」という意味の語根ラーマスから派生した語です。(創 6:20; エゼ 8:10; 創 1:28,脚注)さらに,字義通りには「生き物」を意味するヘブライ語ハイヤーも,「野獣」あるいは「野生動物」を指して用いられています。(創 1:28; 3:14; イザ 56:9)これに対応するギリシャ語ゾーイオン(生き物)も,「動物」と訳されています。―啓 4:7; ペテ二 2:12。

      エホバ神はすべての動物を形造られました。各々の科には最初に創造されたその科独自の典型となる動物が存在していました。聖書の記録は神が各々を「その種類にしたがって」造られたことを明確に述べているからです。(創 1:25)この項では特に陸生動物について考慮することにします。

      神が完全な人間に地のさまざまな生き物を支配することを許されたことを考えると,アダムがそれらの生き物に名前を付ける特権を与えられたのも極めてふさわしいことでした。(創 1:26; 2:19,20)人間は動物を服従させることになっていたのですから,人間はそれを管理する立場にあり,その管理に関して常に神に責任を負う者となりました。―ルカ 12:48。

  • 創造,創造物
    聖書に対する洞察,第2巻
    • エホバの最初の創造物は,ご自分の「独り子」(ヨハ 3:16),つまり「神による創造の初めである者」でした。(啓 3:14)エホバは「全創造物の初子」であるこの方を,他のすべてのもの,つまり天にあるものと地にあるもの,『見えるものと見えないもの』を創造された時にお用いになりました。(コロ 1:15-17)ヨハネは霊感のもとに,このみ子,つまり言葉に関して,「すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない」と証言しています。また同使徒は,言葉が肉体となられたイエス・キリストであることを明らかにしています。(ヨハ 1:1-4,10,14,17)この方は擬人化された知恵として,「エホバご自身が,その道の初めとして……わたしを産み出された」と述べたことが記されており,エホバの「優れた働き手」として,創造者なる神との交わりにあずかったことを述べています。(箴 8:12,22-31)エホバと独り子が創造の活動において親しい交わりを持たれたことを考えれば,また,み子が「見えない神の像」であることからすれば(コロ 1:15; コリ二 4:4),エホバが『わたしたちの像に人を造ろう』と言われた時に話しかけておられたのは,神の独り子であり優れた働き手でもある方だったと思われます。―創 1:26。

  • 恐れ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 人間に対する動物の恐れ 創世記 9章2節では,「恐れ」という言葉が,創造された動物に関連して使われています。神はノアとその子らに対して,『あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物に引き続きとどまるであろう』とお告げになりました。ノアとその家族が箱船の中にいた年月の間,箱船の中に閉じ込められていた動物や鳥はそれらの人間に対して恐れを持っており,その恐れがそれらの動物を抑制するのに役立ちました。したがって,大洪水の後,それらの動物が箱船から出た時,エホバはその恐れが存続するという保証の言葉をノアにお与えになりました。このことは人間の経験によって裏付けられています。アメリカ自然史博物館の哺乳動物部門の副主事ジョージ・G・グドウィン博士は,「普通,ひょうは人間を襲わない。しかし,もし怒らせたり,傷つけたりすると,この動物は人間に襲いかかって戦うのである」と語りました。同様に,マンバやキングコブラのような攻撃的性格で知られている毒ヘビも大抵は,もし機会さえ与えられれば,襲いかかるよりもむしろ人間の前から用心深く滑るように逃げて行くのを好むものです。中には,人間が虐待したために,どう猛な性格になってしまった動物もいますが,一般的に言って,抑制力となるこの恐れが今なお働いていることは確かです。これは,創世記 1章26-28節に述べられている神の言葉,すなわち動物は人間が創造されてからは人間に服従することになるという言葉と調和しています。

  • 像(ぞう,かたち)
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 聖書に出て来る像は多くの場合,偶像礼拝と関係がありますが,すべてがそうとは限りません。神は人を創造する際にまず,「わたしたちの像[または影,似姿]に,わたしたちと似た様に人を造(ろう)」と言われました。(創 1:26,27,脚注)神のみ子が,み父は「霊」であると言われたことからすれば,神と人との間に身体的な面で似たところはあり得ません。(ヨハ 4:24)むしろ人は,天の造り主の特質を反映した,もしくは鏡のように映し出した特質を持っています。それは人を動物から明確に区別する特質です。(「アダム」1項を参照。)人は創造者の像に造られましたが,崇拝や崇敬の対象となるように造られたわけではありません。

      アダム自身の息子セツ(ただし,アダムの不完全さをもって生まれた)がアダムに『似た,アダムの像どおり』の子だったのと同様に(創 5:3),アダムは神と似た様であったため,初めは神の地的な子と呼ばれました。(ルカ 3:38)人は不完全になりましたが,人間がもともと神の像に造られたという事実は,ノアの大洪水の後に,人間が刑執行者として行動し,殺人者を死に処することを認めた神の律法の根拠として引き合いに出されました。(創 9:5,6。「血の復しゅう者」を参照。)女性の頭の覆いに関するキリスト教の指示の中で,クリスチャンの男性はそのような覆いを着けるべきではないと言われました。男性は「神の像また栄光」であるのに対し,女性は男性の栄光だからです。―コリ一 11:7。

  • 像(ぞう,かたち)
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 神の長子は,み父の像として存在し,後に人間イエスとなりました。(コリ二 4:4)神が『わたしたちの像に人を造ろう』と言われた時に話しかけておられたのは明らかにそのみ子でしたから,み子がみ父である創造者との間に有していたその似た様は,み子が創造された時から存在していたことになります。(創 1:26; ヨハ 1:1-3; コロ 1:15,16)み子は完全な人間として地上におられた時,人間としての限界の範囲内で,み父の特質や性格を最大限に反映しておられたため,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と言うことができました。(ヨハ 14:9; 5:17,19,30,36; 8:28,38,42)しかし,この似た様は,イエスが霊の命に復活させられ,み父であるエホバ神から「天と地におけるすべての権威」を与えられた時,確かにその度を深めました。(ペテ一 3:18; マタ 28:18)その時,神はイエスを「さらに上の地位」に高められたので,神のみ子はそれ以後,地に来るために天を離れる前よりもはるかに高い度合いでみ父の栄光を反映するようになりました。(フィリ 2:9; ヘブ 2:9)み子は今,「[神の]存在そのものの厳密な描出」であられます。―ヘブ 1:2-4。

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