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エホバ聖書に対する洞察,第1巻
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エホバはまた,ご自分の最初に創造された霊の子に,それ以後の霊と物質双方の創造の業すべてにご自分と共にあずかる特権を与え,惜しみなくこの事実が知られるようにさせ,その結果,ご自分のみ子が誉れを受けられるようにして,愛を示されました。(創 1:26; コロ 1:15-17)ですから,エホバは競争が起きる可能性を力なく恐れたりはせず,かえってご自身の正当な主権(出 15:11),ならびにご自分のみ子の忠節と専心に対する全き確信を表明されました。エホバはご自分の霊の子たちに各自の務めを遂行する上での相対的な自由を許し,時には彼らが特定の割り当てを遂行する方法に関する自分たちの見方を述べることさえ許しておられます。―王一 22:19-22。
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イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
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もし物質宇宙の年齢に関する現代の科学者の推定がほぼ正確であるとすれば,霊の被造物としてのイエスは最初の人間が創造される何十億年も前から存在していたことになります。(ミカ 5:2と比較。)長子であられたこの霊者は,み父により他のすべてのものを創造する際に用いられました。(ヨハ 1:3; コロ 1:16,17)それらのものの中には,エホバ神の天的な家族の他の幾千万もの霊の子たち(ダニ 7:9,10; 啓 5:11),それに物質宇宙とその中で最初に造り出された被造物も含まれることになりました。論理的に言って,エホバはこの長子に対し,『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造ろう』と言われたのです。(創 1:26)これら他の創造されたものはすべて,神の長子である「彼を通して」創造されただけではなく,神の初子であり,「すべてのものの相続者」である「彼のために」創造されたのです。―コロ 1:16; ヘブ 1:2。
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命聖書に対する洞察,第1巻
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人間は創造された時,神の像に,神と似た様に造られました。(創 1:26,27)もちろん,これは物理的な像や姿を意味してはいません。というのは,神は霊であられ,人は肉だからです。(創 6:3; ヨハ 4:24)それは,人間には「理性のない動物」とは違って(ペテ二 2:12),推論する力があり,愛,公正の感覚,知恵,力などのような,神の属性に似た特質が備わっていたという意味でした。(コロ 3:10と比較。)人間には自分が存在する理由や自分に対する創造者の目的を理解する能力がありました。したがって,人間は動物とは違い,霊性を発揮する能力が与えられていました。自分の創造者を認識し,崇拝することができたのです。こうした能力から,アダムの内には一つの必要が生じました。文字通りの食物以上のものが必要であり,霊的な滋養物を取り入れなければなりませんでした。アダムは精神的,身体的な福祉のために霊性を発揮しなければならなかったのです。
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人,男聖書に対する洞察,第2巻
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人はどんな意味で「神の像に」造られていますか
神は人間の創造という神の目的をご自分の「優れた働き手」に明らかにした際,『わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人[アーダーム]を造ろう』と言われました。(創 1:26,27; 箴 8:30,31。ヨハ 1:1-3; コロ 1:15-17と比較。)聖書は,神が人を野獣や家畜や魚の像に創造したとは述べていないことに注目してください。人は「神の像に」造られました。人は「神の子」でした。(ルカ 3:38)神の体の姿や形については,「いまだだれも神を見たことがありません」。(ヨハ一 4:12)地上にいる人はだれも,栄光に満ちた天的な神の霊の体がどのようなものかを知りません。ですから,人間の体を神の体になぞらえることはできません。「神は霊であられる」のです。―ヨハ 4:24。
人は男も女も,神が持たれる道徳的な特質,つまり愛や公正を持つ者として創造されたという点で「神の像に」造られています。(コロ 3:10と比較。)また,動物に勝る能力や知恵も有しているので,美と芸術,話すこと,推論すること,およびそれに類する思いや心の作用など,神が楽しみ味わう事柄を味わうことができますが,動物にはそれができません。さらに,人は霊性,つまり神を知り,神と意思を通わせる能力を持っています。(コリ一 2:11-16; ヘブ 12:9)そのような理由で,人には,神を代表する者となって,空と地上と海中の様々な形態の生き物を従わせる資格が備わったのです。
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力,強力な業聖書に対する洞察,第2巻
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力の特別な表明が必要な時 最初の人間は,エホバ神が自分の創造者,つまり唯一の親であり命の与え主であることを知っていました。神は人間に,ある程度の力,つまり知的な力と身体的な力を授け,なすべき仕事を与えました。(創 1:26-28; 2:15)そのような力の行使は,創造者の意志に調和していなければなりません。したがって,知恵,公正,愛など,神から付与された他の特質によって制御されなければなりません。
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罪聖書に対する洞察,第2巻
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神の目的の中で人間の占める場所 人間は「神の像」に創造されました。(創 1:26,27)人間は他の創造されたものすべてと同様,神のご意志によって存在し,また創造されました。(啓 4:11)神が人間に仕事を割り当てられたということは,人間は地上で神の目的のために仕えなければならないということを示すものです。(創 1:28; 2:8,15)霊感を受けた使徒の言葉によれば,人間は「神の像また栄光」(コリ一 11:7)となるために,したがって神の栄光を反映するような行動をして創造者の特質を反映するために創造されました。人間は神の地的な子として天のみ父に似ている,もしくはみ父のようであるべきです。そうでないとすれば,そのことは神が親であるという事実に反するもの,もしくはその誉れに傷を付けるものとなるでしょう。―マラ 1:6と比較。
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魂聖書に対する洞察,第2巻
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人間の魂 動物という創造物に関して使われているのと全く同じヘブライ語の表現,すなわちネフェシュ ハイヤー(生きた魂)が,アダムのことを言う場合にも用いられています。つまり,神が地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられると,『人は生きた魂になりました』。(創 2:7)人は動物という創造物とは異なっていましたが,その違いは,人がネフェシュ(魂)だったのに対し動物はそうではなかったという理由によるのではありません。むしろ,人だけが「神の像に」創造されたというのがその理由であることを記録は示しています。(創 1:26,27)人は創造された時に,神の特質に似た道徳上の特質や,動物よりもはるかに優れた力と知恵を与えられました。したがって人は,あらゆる形態の下等な生物を服従させることができました。(創 1:26,28)人の体は,動物の体よりも複雑であると共に,より多くの機能を有していました。(コリ一 15:39と比較。)同様に,アダムはとこしえに生きる見込みを ― 失いましたが ― 有していました。これは,人よりも下等な生き物に関しては全く触れられていない点です。―創 2:15-17; 3:22-24。
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言葉聖書に対する洞察,第1巻
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この言葉,つまりロゴスは神の唯一直接の創造物,つまり神の独り子でしたから,神が「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造(ろう)」と言って話しかけておられた,神の親密な仲間だったようです。(創 1:26)したがって,ヨハネはさらに続けて,「この方は初めに神と共にいた。すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない」と述べました。―ヨハ 1:2,3。
他の聖句も,“言葉”が神の代理者で,他のすべてのものはこの代理者を通して存在するようになったことを明示しています。「父なるただひとりの神がおられ,この方からすべてのものが出ており……また,ひとりの主,イエス・キリストがおられ,この方を通してすべてのものがあ(る)」のです。(コリ一 8:6)神のみ子であられる“言葉”は「神による創造の初めである者」でした。また,この方は,「全創造物の初子です。なぜなら,他のすべてのものは,天においても地においても,……彼によって創造されたからです」と説明されています。―啓 3:14; コロ 1:15,16。
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