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  • 力,強力な業
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 神は創造の第六「日」が終わって,「造るために神が創造を行なったそのすべての業を休(まれ)」ました。(創 2:2,3)神はそれら創造の業を休まれましたが,それ以来神の力が休止した,もしくは静止しているというわけではありません。地に関する創造が完了してから4,000年余りたったころ,神のみ子は,「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」と述べました。(ヨハ 5:17)エホバは霊の領域に関してのみ活動してこられたのではありません。聖書には,人類に対する神の力の表明や神の力ある業に関する数々の記録が収められています。神は「静かにして……ずっと自制心を働かせて」おられることもありましたが,行動すべき時になると,「みなぎる偉力」をもって精力的に行動してこられました。―イザ 42:13,14。詩 80:2; イザ 63:15と比較。

  • 安息日
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 神の休みに入る 創世記 2章2,3節によると,神は創造の六日目,つまり第6期に続いて,創世記 1章に述べられているように,地球に関する創造の業を終えて,『七日目に休まれました』。

      使徒パウロはヘブライ 3章と4章で,荒野にいたユダヤ人が信仰の欠如と不従順のゆえに神の休み,すなわち安息に入れなかったことを示しています。(ヘブ 3:18,19; 詩 95:7-11; 民 14:28-35)ヨシュアの指導のもとに約束の地に入った人たちは休みを経験しましたが,それはメシアのもとで享受できる全き休みではありませんでした。その休みは予型的なもの,つまり実体の影にすぎませんでした。(ヨシュ 21:44; ヘブ 4:8; 10:1)しかしパウロの説明によれば,「神の民のために安息の休みが残っています」。(ヘブ 4:9)従順になり,キリストに信仰を働かせる人たちは,そうすることによって「自分の業」から,すなわち自分が義にかなっていることを証明しようとして以前に行なっていた業からの「安息の休み」を楽しみます。(ロマ 10:3と比較。)このようにパウロは,神の安息つまり休みがその当時もまだ続いていて,クリスチャンがそれに入っていたことを示しており,これは神の休みの日が幾千年にも及ぶものであることを示唆しています。―ヘブ 4:3,6,10。

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