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サタン聖書に対する洞察,第1巻
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主権に関する論争が持ち上がる サタンがエバに近づいたとき(蛇を介して話すことにより),実際には,エホバの主権が正当で義にかなったものかどうかに関して挑戦しました。彼は,神が不当にも女から何かを差し控えているのだとほのめかしました。また,彼女がその禁じられた木の実を食べたら死ぬと言った神は偽り者であると言明しました。さらにサタンは,神から自由になり,独立し,神のようになれると彼女に信じ込ませました。このようにしてこの邪悪な霊の被造物は,エバの目に自分を神よりも高いものとしました。またその時エバは自分を惑わしている者の正体を知らなかったらしいとはいえ,サタンはエバにとって神となりました。彼はこの行動により,それら男と女を自分の指導と支配の下に置き,エホバに対抗する神として立ち上がりました。―創 3:1-7。
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罪聖書に対する洞察,第2巻
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人間として最初に罪人となったのは女でした。彼女は,1匹の蛇を意思伝達の媒体として用いた,神の“敵対者”に誘惑されましたが(「完全」[最初に罪をおかした者とティルスの王]を参照),決して官能的な性質の不道徳行為に携わるよう公然と勧められたわけではありません。むしろ,知的な向上や自由と考えられるものに対する欲求をそそるような仕方で誘惑されたのです。その誘惑者は,エバに夫から聞いていたと思われる神の律法をまず復唱させ,次いで神の真実性と善良さを攻撃しました。指定された木から実を取って食べれば,死を招くのではなく,啓発を受け,事の善悪を自分自身で決める神のような能力が得られると主張したのです。誘惑者が述べたこの言葉は,その時までに彼の心が創造者から完全に離反しており,その言葉はあからさまな反対の主張であった上,神に対するそれとない中傷となっていたことを表わしています。誘惑者は神がそれとは知らずに誤ったとして神を非難したのではなく,「神は知っているのです」と言って,神が物事を故意に誤り伝えたとして神を非難したのです。この罪の重大性,そのような不満の忌まわしさは,この霊の子が身を落として,欺瞞に満ちたうそつきとなり,野心に駆られた殺人者となって,自分の目的を達成しようとした仕方を見れば分かります。というのは,聴き手である人間にそのとき示唆した事柄の致命的な結果を彼は明らかに知っていたからです。―創 3:1-5; ヨハ 8:44。
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主権聖書に対する洞察,第1巻
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アダムとエバは「善悪の知識の木」の実を取ることにより,反逆をあらわに示しました。宇宙の主権者であられる創造者は,その木に関する律法を定められた時,全くご自分の権限内で行動しておられました。主権者ではなく創造された人間であったアダムには限界があり,アダムはその事実を認める必要があったからです。宇宙の平和と調和を保つには,理知あるすべての被造物が創造者の主権を認め,それを支持しなければなりません。アダムはその木の実を食べないことによって,この事実に対する認識を表わすことができたでしょう。人々で満ちる地の父親となる人間として,アダムはどんなに小さな事柄においても従順と忠節を示すべきでした。次の原則が関係していたのです。「ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり,ごく小さな事に不義な人は多くのことにも不義です」。(ルカ 16:10)アダムはそのような完全な従順を示せるだけの能力を持っていました。その木の実自体に本来悪いものが備わっていたということはないようです。(禁じられていたのは性関係ではありませんでした。神は二人に対して,『地に満ちよ』と命じておられたからです。[創 1:28]聖書が述べているように,それは実際の木の実でした。)その木が何を表わしていたかということは,エルサレム聖書(1966年)の創世記 2章17節の脚注の中で十分に説明されています。
「この知識とは,神がご自分のために取っておかれる権利であり,人が罪を犯すことによって取得する権利である。3章5,22節。したがって,それは堕落した人間が持っていない無限の知識ではない。また,それは道徳的識別力でもない。というのは,堕落する前の人間がすでにそれを持っていたし,神は理性のある人間にそれを拒むはずがないからである。その知識とは何が善で何が悪かを自分で決定し,それに従って行動する力のことであり,人間が創造された者という自分の立場を認めようとしない,完全な道徳的独立を求める権利のことである。最初の罪は神の主権に対する攻撃,すなわち誇りの罪であった」。
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