-
アベル聖書に対する洞察,第1巻
-
-
神はアベルの捧げ物に好意を示されましたが,カインの捧げ物に対しては好意を示されませんでした。その是認と否認がどのように表明されたかについて記録は示していません。しかし,二人にはそれがはっきりと分かったに違いありません。ある人たちは,アベルの捧げ物は「自分の羊の群れの初子の中から,その脂ののったところ」と具体的に述べられているのに対し,カインの捧げ物は最良の実りであったとは書かれていないという点を指摘しています。アベルは,創世記 3章15節に出てくる血を流すことになっていた胤に関する神聖な約束について黙想するなどして,生き物の血を流すことがより価値の高い捧げ物であると考えたのでしょうか。アベルの時代から何世紀も後に,神はご自分の完全なみ子の犠牲を表わすために,きずのない子羊の犠牲を用いました。(ヨハ 1:29)しかし,そうした事柄の多くは,アベルが理解することができないものでした。神がアベルの捧げ物だけを是認された理由は,後の時代の書物の中で明らかにされています。使徒パウロは,ヘブライ 11章4節で,アベルを最初の信仰の人として挙げ,その信仰ゆえに彼の捧げ物がカインの捧げ物より「さらに価値のある」ものとされたことを示しています。これとは対照的に,ヨハネ第一 3章11,12節は,カインの心の態度が悪かったことを示しており,カインが後に神の助言と警告を退けたことや,自分の弟アベルを計画的に殺害したことは,その点の裏書きとなっています。
-
-
聖書聖書に対する洞察,第1巻
-
-
内容 この“書の中の書”の内容は過去を明らかにし,現在を説明し,将来を予告しています。それは,初めから終わりを知っておられる方でなければ著わすことのできない事柄です。(イザ 46:10)聖書はまず最初に天地創造から説き起こし,次いで地が人間の住みかとして整えられてゆく過程の出来事を大まかに述べています。それから,人間の起源に関する実に科学的な説明をしています。つまり,生命はどのようにして生命授与者からのみもたらされるかを明らかにしているのです。これは,今や著者としての役割をお持ちになる創造者でなければ説明できない事柄です。(創 1:26-28; 2:7)次いで,人間の死ぬ理由に関する記述と共に,聖書全巻を貫いている最も重要な主題が紹介されています。約束の胤であるキリストの治める神の王国によるエホバの主権の正しさの立証とエホバの目的の最終的な成就というその主題は,「女の胤」に関する最初の預言の中に織り込まれていました。(創 3:15)「胤」に関するこの約束に再び言及されたのは,それから2,000年以上もたってからのことですが,神はアブラハムに,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」とお告げになりました。(創 22:18)それから800年余の後,アブラハムの子孫であったダビデ王に,改めて保証の言葉が与えられました。その後も時の経過と共に,エホバの預言者たちがこの希望の火を赤々と燃え立たせました。(サム二 7:12,16; イザ 9:6,7)ダビデの後,1,000年余を経て,またエデンで最初の預言がなされてから4,000年余の後,約束の胤,「その父ダビデの座」に就く正当な相続人,イエス・キリストその人が現われました。(ルカ 1:31-33; ガラ 3:16)この「至高者の子」は「蛇」の地的な胤によって砕かれて死に,アダムの子孫の失われた命の権利を買い戻すための贖いの価を提供し,こうして人間が永遠の命を得ることのできる唯一の手だてとなられました。その後,イエスは高く上げられ,そこで,『初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれた』者をついには永久に滅ぼすため地に投げ落とす,定められた時を待つことになりました。こうして,創世記の中で発表され,その後ずっと聖書の残りの箇所で展開され,詳述されてきたこの壮大な主題は,「啓示」の書の終わりの数章の中で,エホバの王国によって成し遂げられるその崇高な目的が明らかにされると共に,輝かしい最高潮を迎えます。―啓 11:15; 12:1-12,17; 19:11-16; 20:1-3,7-10; 21:1-5; 22:3-5。
-
-
契約聖書に対する洞察,第1巻
-
-
エデンの約束 創世記 3章15節によれば,エホバ神はエデンの園においてアダムとエバと「蛇」のいるところで,ご自分の目的を預言的な意味を込めて話されました。
この約束と預言に関係している者たちの実体については,使徒ヨハネに与えられた幻により,「蛇」は悪魔サタンであることが啓示 12章9節で知らされています。義なる人々にとって待望久しい「女」の胤の実体はアブラハムの「胤」,つまりイエス・キリストであることを証拠は示しています。(ガラ 3:16; マタ 1:1)その「胤」は蛇によってかかとを砕かれることになっていました。イエス・キリストは殺されましたが,その死は永続する打ち傷とはなりませんでした。神はイエスを死からよみがえらせたからです。しかし,今度はその「胤」が蛇の頭を砕いて,永遠に打ち負かすことになっています。
この契約に関係している「女」とはだれでしょうか。神の敵となったエバでないのは確かです。霊の被造物である悪魔サタンを打ち負かす,つまり「無に帰せしめる」ためには,その「胤」は人間ではなく,霊者でなければなりません。(ヘブ 2:14)イエスはお生まれになった時には人間であり神の子でしたが,バプテスマをお受けになった時,神はイエスの上に聖霊を送り,イエスをご自分の子として認められました。イエスはこの時,霊によって生み出された神の子となられました。(マタ 3:13-17; ヨハ 3:3-5)後に,イエスは復活させられた時,「霊において生かされ」ました。(ペテ一 3:18)では,人間のみどりごの時のイエスではなく,この霊によって生み出された神の子の「母」となったのはだれでしたか。使徒パウロは,アブラハム,サラ,イサク,ハガル,およびイシュマエルが象徴的な劇に登場し,その中でイサクはパウロ自身も含め,天的な希望を持つ人々を表わしていたと語っています。次いでパウロは,それらの人々の「母」とは「上なるエルサレム」であると述べています。イエス・キリストはそれらの人々をご自分の「兄弟たち」と呼んで,彼らがご自分と同じ母を持っていることを示しておられます。(ヘブ 2:11)このことは,創世記 3章15節の「女」の実体が「上なるエルサレム」であることを示す根拠となっています。―ガラ 4:21-29。
その約束の条件には時の経過することが暗示されており,その期間に「蛇」は「胤」を生み出し,二つの「胤」の間には敵意が生じます。この約束が述べられてからおよそ6,000年がたちました。キリストの千年統治の直前に,「蛇」は無活動の底知れぬ深みに投げ込まれ,その千年が終わった後に蛇は永久に断ち滅ぼされます。―啓 20:1-3,7-10; ロマ 16:20。
-
-
系図聖書に対する洞察,第1巻
-
-
エデンで裁きが行なわれた際,神は蛇の頭を砕く「女の」胤に関する約束をお与えになりました。(創 3:15)これがもとでその胤は人間の家筋から出るという考えが生じたのかもしれません。もっとも,すべての国の民を祝福するための手だてとなるのはアブラハムの胤であることが彼に告げられるまで,胤が地的な家系をたどって出て来るということは明言されていませんでした。(創 22:17,18)このために,アブラハムの家系の系図は群を抜いて重要なものとなりました。聖書はアブラハムの血統のみならず,ノアの息子であるセム,ハム,ヤペテから出たすべての国民の血統についても記している唯一の記録です。―創 10:32。
-
-
神々(男神,女神)聖書に対する洞察,第1巻
-
-
散らされた人々は,どこであれ自分たちの偽りの宗教を携えて行き,新たな用語や新たな言語を使い,また新たな場所でそれぞれの宗教を奉ずるようになりました。人々が散らされたのはペレグの時代のことでした。ペレグは大洪水後,1世紀ほどたった後に生まれ,239歳で死にました。ノアとその子セムは二人共ペレグよりも長生きをしたので,この離散は,大洪水のような初期の出来事に関する事実を人々が知っていた時期に起きたことになります。(創 9:28; 10:25; 11:10-19)その知識は離散した人々の記憶の中に何らかの形で残っていたに違いありません。このことを示唆しているのは,古代文明人の神話が,わい曲された多神教的な形態であるにせよ,聖書の記録の様々な箇所と同じことを述べているという事実です。ある神々が蛇を打ち殺す者として描かれている伝説もありますし,また多くの古代民族の宗教には,地上で横死を遂げてから生き返らされて恩恵を施す者としての役目を与えられた神に対する崇拝も含まれていました。これは,そのような神が実際には,間違って“約束の胤”とみなされた,ある神格化された人間だったことを示唆しているのかもしれません。(創 3:15と比較。)種々の神話は,神々と地上の女たちとの情事やその混血の子孫の英雄的な行為について述べています。(創 6:1,2,4; ユダ 6と比較。)地上には世界的規模の洪水に関する伝説のない国民はほとんどないと言ってもよいほどで,同様に塔の建設に関する記述のこん跡も人類の種々の伝説の中に見いだされます。
-
-
神々(男神,女神)聖書に対する洞察,第1巻
-
-
エジプトでは母子崇拝も非常に人気がありました。イシスはしばしば,幼子ホルスをひざに抱いた姿で描写されています。その彫像は,キリスト教世界のある人々が時々,知らずにあがめてきた聖母子像と大変よく似ています。(第2巻,529ページの写真)ホルス神に関しては,蛇の頭を砕く胤に関するエデンの約束がわい曲されて伝えられたことを示す証拠があります。(創 3:15)ホルスは,ワニを踏みにじったり,ヘビやサソリをつかんだりした姿で描かれていることがあります。ある記述によれば,ホルスが死んだ父オシリスのあだを返そうとした時,オシリスを殺害したセトは蛇に化身しました。
-
-
頭(あたま)聖書に対する洞察,第1巻
-
-
砕く,もしくは打ち砕く 「伝道の書」には,死をもって終わりを迎える老齢の人に生じる影響を隠喩を使って表現した箇所があります。(伝 12:1-7)人が死ぬと,鉢のような頭蓋骨の中の脳とその機能が駄目になることが『黄金の鉢が砕かれる』という言葉で描写されています。死,もしくは滅びは,『頭を打ち砕く』という表現で表わされています。(詩 68:21; 74:13,14)聖書の最初の預言(創 3:15)は,「女の胤」がかかとを砕かれた後,蛇の頭を砕くことを述べています。他の聖句によれば,その預言が成就する時,悪魔サタンである蛇は底知れぬ深みに入れられ,そこで千年間動けない状態にされ,その後まもなく「火の湖」で,つまり「第二の死」を被って永久に滅ぼし尽くされます。―啓 20:1-3,7,10,14; 12:9。
-
-
ヘブライ人聖書に対する洞察,第2巻
-
-
聖書の証拠とよく合う3番目の見解は,「ヘブライ人」(イヴリー)という語は,エベル(エーヴェル)という名前,すなわちセムのひ孫で,アブラハムの先祖の一人であった人の名前に由来するという見方です。(創 11:10-26)エベルについては,セムからアブラハムまでの家系をつなぐ人物としての家族関係以外,何も知られていないのは事実です。エベルの名がその子孫によってそれほど際立った仕方で使われる根拠となるような顕著な行為や他の個人的な特徴は何も記録されていません。とはいえ,セムのことが「エベルのすべての子らの父祖」として述べられている創世記 10章21節で,エベル一人が特に取り上げられていることは注目に値します。エベルという名が当人の死後,何世紀も後に,ある民族もしくは地域を指して使われたことは,西暦前15世紀のバラムの預言からも明らかです。(民 24:24)また,その名前は父称として使われているので,イスラエル人は創世記 10章1-32節に記録されている,ノアの「家筋」の特定の者と結び付けられていると言えるでしょう。
-
-
ヘブライ人聖書に対する洞察,第2巻
-
-
それで,セムに申し渡されたノアの祝福の言葉が特にエベルの子孫に成就することを示す神からのしるしとして,系図上の一覧表の中でエベルのことが取り上げられているのはもっともなことと言えるでしょうし,その後の事実はイスラエル人がその祝福の主要な受益者になったことを示しています。また,エベルについてこのように特に言及することは,創世記 3章15節のエホバの預言の中で述べられている約束の胤の家系を示すという目的にもかなっており,そのように言及されることによりエベルはセムとアブラハムとを結び付ける特別な人物になりました。このような関係は,「ヘブライ人の神」というエホバの名称ともよく調和するはずです。
-
-
かかと聖書に対する洞察,第1巻
-
-
創世記 3章15節の記録に残る最初の預言は,「蛇」が「女の胤」のかかとを砕くことを予告しました。かかとの打ち傷は痛みはしますが,人を一生にわたって無力にすることはありません。「胤」であるイエス(ガラ 3:16)は,大いなる蛇,悪魔サタン(啓 12:9)の地上の手先によって殺されましたが,3日目に,み父エホバがイエスを復活させた時,この『かかとの打ち傷』から回復されました。―使徒 2:22-24; 10:40。
-