-
神に近づく聖書に対する洞察,第1巻
-
-
信仰,正しい業,および犠牲によって近づく カインとアベルが捧げ物によって神に近づいたことに関する記述は,神に近づくための必要条件が信仰と正しい業であることを示しています。したがって,カインは『善いことを行なうようになる』までは,神に受け入れてもらえませんでした。(創 4:5-9; ヨハ一 3:12; ヘブ 11:4)後に,エノシュの時代になって,「エホバの名を呼び求めること」が行なわれ始めましたが,それは誠実な態度で行なわれたのではなかったようです。(創 4:26)というのは,アベルの後,信仰の人として次に指摘されているのは,エノシュではなく,エノクだからです。このエノクが『神と共に歩んだ』ことは,エノクが神に近づくのを認められたことを示しています。(創 5:24; ヘブ 11:5)しかし,ユダ 14,15節に記されているエノクの預言は,当時,神に対する不敬な態度がはびこっていたことを示唆しています。―「エノシュ,エノス」を参照。
-
-
エノシュ,エノス聖書に対する洞察,第1巻
-
-
セツの子で,セツが105歳の時に生まれました。エノシュは90歳の時にケナンの父となり,全部で905年間生きました。(創 5:6-11)エノシュの名前は歴代第一 1章1節とルカ 3章38節の系図にも挙げられています。この人の時代に『エホバの名を呼び求めることが始まり』ました。(創 4:26)これは,エノシュが生まれる105年以上前にアベルが行なったような,信仰と清い崇拝のうちにエホバを呼び求めることではなかったようです。ヘブライ語学者の中には,この聖句を,「冒とく的な仕方で始まった」,あるいは「そのとき冒とくが始まった」と読むべきであると主張する人もいます。エノシュの時代に関して,エルサレム・タルグムはこう述べています。「人々が誤りを犯すようになり,自らのために偶像を作って,その偶像を主の名で呼んだのは,その世代であった」。人々はエホバのみ名を自分自身や他の人間に当てはめ,それらの者を通して崇拝において神に近づくふりをしたのかもしれません。そうでなければ,人々は神のみ名を偶像のような対象に当てはめたのかもしれません。
-
-
偶像,偶像礼拝聖書に対する洞察,第1巻
-
-
エデンで反逆が起きて以来,偶像礼拝を全く行なわない立場を保ったのは人類の中のごく少数の人々だけでした。アダムの孫エノシュの生涯中,人々は一種の偶像礼拝を習わしにしたようです。『そのときエホバの名を呼び求めることが始まりました』。(創 4:26)しかし,このことは何年も前に義なるアベルが行ない,そのために自分の兄カインの手による殉教の死を遂げた時のように,信仰を抱いてエホバのみ名を呼び求めたということではなかったようです。(創 4:4,5,8)エノシュの時代に始まったのは,エホバのみ名を誤用したか,あるいは不当な仕方で当てはめた,間違った形式の崇拝であったと思われます。人々はエホバのみ名を自分自身や他の人間に当てはめた(人々はそれらの者を通して崇拝において神に近づくふりをした)か,そうでなければ神のみ名を偶像のような対象(目に見えない神を崇拝しようとする際の見える有形の助けとみなされるもの)に当てはめたかのどちらかです。
-