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いえばと聖書に対する洞察,第1巻
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『エホバがアブラムと契約を結ばれた』際のアブラハムの捧げ物に関する記述の中で用いられているヘブライ語ゴーザールは「若いいえばと」を指すものと理解されています。(創 15:9,18)これは,後にイスラエルに与えられた律法が規定している犠牲の中で,いえばととやまばとが常に関連づけられているからです。申命記 32章11節では,同じヘブライ語が「巣立ちびな」と訳されています。いえばとは疑いなく,ノアがささげた初期の犠牲の一部となっていたに違いありません。その犠牲には「すべての清い飛ぶ生き物の……幾らか」が含まれていたからです。―創 8:20。
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祭司聖書に対する洞察,第1巻
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初期の時代において 族長時代には家長が家族のための祭司として奉仕し,家長が死ぬとその務めは長子に受け継がれました。例えば,ごく初期の時代に,ノアは祭司の立場で自分の家族を代表していました。(創 8:20,21)家長のアブラハムは大家族を持っており,その家族と共に各地を旅行し,さまざまな宿営地で祭壇を築き,エホバに犠牲をささげました。(創 14:14; 12:7,8; 13:4)神はアブラハムについてこう言われました。「わたしが彼を親しく知ったのも,彼が自分の後の子らと家の者たちとに命じてエホバの道を守らせ,こうして義と公正を行なわせるためであ(る)」。(創 18:19)イサクとヤコブも同じ型に従いました。(創 26:25; 31:54; 35:1-7,14)また,イスラエル人ではないものの,アブラハムの遠縁に当たると思われるヨブも,「もしかすると,わたしの息子たちは罪をおかし,その心の中で神をのろったかもしれない」と言って,自分の子供たちのためにエホバへの犠牲を定期的にささげました。(ヨブ 1:4,5。ヨブ 42:8も参照。)しかし聖書は,これらの男子を明確にコーヘーンもしくはヒエレウスと呼んでいるわけではありません。一方,家長でありモーセのしゅうとであったエテロは,「ミディアンの祭司[コーヘーン]」と呼ばれています。―出 2:16; 3:1; 18:1。
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