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    聖書に対する洞察,第2巻
    • モーセの時代にイスラエル人はエジプトの奴隷となっていました。彼らはヤコブの存命中に自らの意志でエジプトに行きましたが,ヤコブの息子である首相のヨセフが死んだ後,奴隷にされてしまいました。ですから,彼らは言ってみれば,ただで奴隷として売られたようなものでした。エホバは請け戻しや長子の優先権に関する族長社会の律法に調和して,モーセとアロンの口により,ファラオにこう言われました。「イスラエルはわたしの子,わたしの初子である。ゆえにわたしはあなたに言う,わたしの子を去らせて,わたしに仕えさせよ。だが,もしこれを去らせることを拒むようであれば,見よ,わたしはあなたの子,あなたの初子を殺すことになろう」。(出 4:22,23)この解放のために請け戻しの代価など支払う必要はなく,エジプトには何も与えられませんでした。しかも,イスラエル人が自分たち奴隷の主人であったエジプト人のもとを去った時,『エホバはその民がエジプト人の目に好意を得るようにされたので,彼らはその求められる物をこれに与えました。こうして民はエジプト人からはぎ取りました』。(出 3:21; 12:36)かつてイスラエル人は奴隷にされる戦争捕虜としてではなく,自由民としてファラオの承認を得てその地に入りました。イスラエル人が奴隷にされたのは不当なことでしたから,エホバはそれまでの労働の報酬を受けられるようにしておられたものと思われます。

  • 贖い
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 請け戻すこと,または解放すること ヘブライ語の動詞パーダーは「請け戻す」という意味の語で,これと関連のある名詞ピドヨーンは「請け戻しの価」を意味します。(出 21:30)これらの語は請け戻しの価によって成し遂げられる解放を強調しているように思われるのに対し,カーファルは代価の質もしくは内容や,公正のはかりを釣り合わせる効力を強調しています。人を奴隷状態から(レビ 19:20; 申 7:8),他の苦しい状態,あるいは過酷な状態から(サム二 4:9; ヨブ 6:23; 詩 55:18),または死や墓から(ヨブ 33:28; 詩 49:15)解放したり,請け戻したり(パーダー)する場合があります。エホバがイスラエル国民をエジプトから請け戻してご自分の「私的な所有物」にされたことや(申 9:26; 詩 78:42),何世紀も後に同国民をアッシリアやバビロンでの流刑状態から請け戻されたことがしばしば言及されています。(イザ 35:10; 51:11; エレ 31:11,12; ゼカ 10:8-10)ここでもやはり,請け戻すことには代価,つまり交換することが関係していました。エホバはイスラエルをエジプトから請け戻すに際して,その代価がエジプトによって支払われるようにされたものと思われます。イスラエルは実際上,神の「初子」でしたから,ファラオがイスラエルを解放することをかたくなに拒むなら,ファラオの初子,および人間と動物とを問わず,全エジプトの初子の命が要求されることになる,とエホバは警告なさいました。(出 4:21-23; 11:4-8)同様に,キュロスがバビロンを倒してユダヤ人を流刑状態から解放したことに対する返報として,エホバは,「[ご自分の民]のための贖い[コーフェルの変化形]としてエジプトを,[彼らの代わりに]エチオピアとセバ」をお与えになりました。ゆえにペルシャ帝国は後日,それらの地域を征服し,こうして『イスラエル人の魂の代わりに国たみが与えられ』ました。(イザ 43:1-4)このような交換は,「邪悪な者は義なる者のための贖い[コーフェル]である[または,となる]。不実な行ないをしている者は廉直な者たちの代わりとなる」という,霊感による宣言とも一致しています。―箴 21:18。

  • 神の子(たち)
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「イスラエルはわたしの子」 自分は神で,エジプト人の神ラーの子であると考えていたファラオに対して,エホバはイスラエルのことを「わたしの子,わたしの初子」と呼び,「わたしの子を去らせて,わたしに仕えさせよ」と,そのエジプト人の支配者に要求なさいました。(出 4:22,23)ですから,イスラエル国民は神の選ばれた民,つまり『すべての民の中から特別な所有物』とされた民族だったので,神はこの国民全体をご自分の「子」とみなされました。(申 14:1,2)エホバはすべての命の源であられるという意味だけでなく,とりわけアブラハム契約にしたがってこの民を産み出されたという意味で,その民を「創造された方」,「形造られた方」,ならびにその「父」と呼ばれており,彼らはこの方の名によって呼ばれました。(詩 95:6,7; 100:3; イザ 43:1-7,15; 45:11,12,18,19; 63:16と比較。)神はかつて彼らを「腹の時から助け」ましたが,これは彼らが一民族として発展し始めた当初のことを指しているものと思われます。神はこの民を取り扱う仕方や律法契約によって彼らを『形造り』,国家的な特徴や機構を作り上げました。(イザ 44:1,2,21。エゼ 16:1-14にあるエルサレムに対して使われた神の表現と比較。また,ガラ 4:19およびテサ一 2:11,12にあるパウロの表現と比較。)父が自分の子のためにするように,エホバは彼らを保護し,担い,矯正し,また養われました。(申 1:30,31; 8:5-9。イザ 49:14,15と比較。)この国民は「子」でしたから,そのみ父の賛美に資する者となるべきでした。(イザ 43:21; マラ 1:6)さもなければ,イスラエルは子としての身分を有名無実なものとして示すことになったでしょう。(申 32:4-6,18-20; イザ 1:2,3; 30:1,2,9)それは,イスラエル人の中のある人々が不面目なことを行なって,『ベリアルの子ら』(申 13:13その他の句で,「どうしようもない者たち」と訳されているヘブライ語を字義通りに訳した表現。コリ二 6:15と比較)と呼ばれたとおりです。それらの人々は「背信の子ら」となりました。―エレ 3:14,22。エレ 4:22と比較。

      神はこのように国家的な意味で,また彼らとの契約関係のゆえに,イスラエル人を子らとして扱われました。このことは,神がご自身を彼らの「造り主」と呼んだだけでなく,同時に彼らを「買い戻す方」,ならびにその「夫たる所有者」とさえ呼ばれたことからも分かります。この後者の表現は,イスラエルが神の妻としての関係にあったことを示しています。(イザ 54:5,6。イザ 63:8; エレ 3:14と比較。)イスラエル人が「わたしたちの父」と言ってエホバに呼びかけたのは,自分たちの契約関係を念頭に置くと共に,神のことを自分たちを国民として形造った責任のある方として認めていたためだったようです。―イザ 63:16-19。エレ 3:18-20; ホセ 1:10,11と比較。

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