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忌むべきもの,忌むべきこと聖書に対する洞察,第1巻
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それゆえ,創世記 43章32節には,エジプト人にとってヘブライ人と共に食事を取るのが「忌むべきこと」(「憎悪すべきもの」,欽定; 「嫌悪を催させる」,聖ア)であったと書かれており,創世記 46章34節では,「羊を飼う者はすべてエジプトにとって忌むべきもの[「憎悪すべきもの」,欽定; 「嫌悪を催させる」,聖ア]とされている」と記されています。G・ローリンソンによれば,この嫌悪の念は外国人全般,とりわけ羊を飼う者に対するエジプト人の侮べつの感情に基づいていました。出エジプト記 8章25-27節でも,エジプト人が特定の動物(特に牛)を神聖なものとして崇拝することを十分に承知していたモーセは,イスラエル人に荒野へ退去して犠牲をささげることを認めるようファラオに主張しています。彼らの犠牲は「エジプト人が忌まわしく思うもの」だったからです。(「宗教資料および世俗資料から見たエジプトとバビロン」,1885年,182ページ)エジプト人のそのような規準がエホバ神によって定められたものでも是認されたものでもなかったのは言うまでもありません。―「憎悪すべきもの」を参照。
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エジプト,エジプト人聖書に対する洞察,第1巻
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イスラエルのささげる犠牲を『エジプト人は忌まわしく思う』はずだ,とモーセが主張したのはなぜですか
エジプトでは非常に多くの異なった動物が至る所であがめられていたのですから,モーセがファラオに対して,イスラエルを荒野へ行かせて自分たちの犠牲をささげられるようにして欲しいと訴えて,「エジプト人が忌まわしく思うものをその目の前で犠牲としてささげるとすればどうなるでしょうか。彼らはわたしたちを石打ちにするのではないでしょうか」と述べた言葉には迫力や説得力があったに違いありません。(出 8:26,27)後日,イスラエルが実際にささげた犠牲の大半は,エジプト人にとっては大いに不快なものだったであろうと思われます。(エジプトでは太陽神ラーが天の雌牛から生まれた子牛として表わされることもあった。)一方,「神々(男神,女神)」の項で示されているように,エホバはエジプトに対する十の災厄によって「エジプトのすべての神々に対して」裁きを執行し,それらの神々を大いに辱めると共に,ご自分のみ名がエジプトの全地で知られるようにされました。―出 12:12。
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