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アロン聖書に対する洞察,第1巻
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注目に値するのは,アロンが三度の逸脱行為をしたどの場合にも,悪行の首謀者として登場してはおらず,むしろ状況から来る圧力や他の人々の影響に負けて方正な道から外れてしまったように思われる点です。アロンは,特に最初の罪過の場合,「よこしまな事柄のために群衆に従ってはならない」という命令の基礎となる原則を適用できたことでしょう。(出 23:2)それでも,その後アロンの名は聖書の中で誉れある仕方で用いられています。しかも,神のみ子は地上で生活していた時,アロンの家系の祭司職の合法性を認めておられました。―詩 115:10,12; 118:3; 133:1,2; 135:19; マタ 5:17-19; 8:4。
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盲目聖書に対する洞察,第2巻
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法を扱う者の腐敗のため公正がしかるべく行なわれないことも盲目という表現で表わされており,律法の中には,わいろ,贈り物,偏見は裁き人を盲目にならせて公正な法の施行の妨げとなるゆえに,そのようなことを避けるように勧めた言葉が数多く見られます。『わいろは視力のさえた者を盲目にします』。(出 23:8)「わいろは賢い者の目を盲目にならせ」ます。(申 16:19)裁き人は,どれほど方正で明敏な人であっても,事件にかかわる人々からの贈り物によって意識的に,あるいは無意識的にも影響されるかもしれません。神の律法は,単に贈り物だけでなく,感情にも人を盲目にならせる作用があることを思慮深く配慮してこう述べています。「あなたは立場の低い者に不公平な扱いをしてはならない。大いなる者を優遇してもならない」。(レビ 19:15)同様に,裁き人は感傷のため,または群衆におもねるために,富んだ人に対する裁きを単に富んでいるという理由で不利にすることも慎むべきでした。―出 23:2,3。
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