-
イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
-
-
イエスは人間になる以前に“言葉”として存在していた間,地上の人々に対するエホバの代弁者を務める機会は恐らく多かったものと思われます。幾つかの聖句ではエホバが人間にあたかも直接話しておられるかのように言及されていますが,他の句は神が代表者であるみ使いを通して話されたことを明らかにしています。(出 3:2-4を使徒 7:30,35と比較。また,創 16:7-11,13; 22:1,11,12,15-18と比較。)そのような事例の場合,大抵は神が“言葉”を通して話されたと考えるのは筋の通ったことです。神はエデンでそうなさったと思われます。というのは,神がそこで話されたと言われている3回のうち2回は,だれかが神と共にいたことを記録がはっきり示しているからです。それはみ子であったに違いありません。(創 1:26-30; 2:16,17; 3:8-19,22)ですから,イスラエルを導いて荒野を通らせたみ使い,そして『エホバの名が彼の内にある』ので,その声にイスラエル人がしっかりと従わねばならなかったみ使いとは,神のみ子,つまり“言葉”だったのかもしれません。―出 23:20-23。ヨシュ 5:13-15と比較。
-
-
ミカエル聖書に対する洞察,第2巻
-
-
ミカエル
(Michael)[だれか神のようであろうか]
1. 聖書の中でガブリエル以外に名前を挙げられている唯一の聖なるみ使い。「み使いの頭」と呼ばれている唯一のみ使い。(ユダ 9)この名前が最初に出て来るのはダニエル 10章で,そこではミカエルが「主立った君のひとり」として描写されています。彼は「ペルシャの王土の君」の反対を受けていた下位のみ使いを助けるためにやって来ました。ミカエルは「あなた方[ダニエルの民]の君」,「[ダニエル]の民の子らのために立つ大いなる君」と呼ばれました。(ダニ 10:13,20,21; 12:1)これはミカエルが,荒野でイスラエル人を導いた者であることを暗示しています。(出 23:20,21,23; 32:34; 33:2)この結論を裏付けているのは,「み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの体について論じ合った」という事実です。―ユダ 9。
-