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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ベト・ホロン」

ベト・ホロン

(Beth-horon)

上ベト・ホロンと下ベト・ホロンという二つの町は,ヨッパおよび沿海平野からアヤロンの谷を上ってベテル,またはギベオンやエルサレムに至る古代の道路沿いという,戦略的に重要な地点に位置していました。今日,その場所には,上方にはベート・ウル・エル・フォーカー(ベト・ホロン・エルヨン),下方にはベート・ウル・エ・タハター(ベト・ホロン・タハトン)という現代の村が二つあります。それで上ベト・ホロンはエルサレムの北西約16㌔,また下ベト・ホロンは上ベト・ホロンの西北西2.5㌔に位置し,いずれも丘の頂上にあります。

最初にこれらの場所を建てた(または築いた)のは,エフライムの娘もしくは孫娘シェエラであるとされています。(代一 7:22-24)これらの町はエフライム族の南の境界の一部を成していて(ヨシュ 16:3,5),ベニヤミン族の境界は『下ベト・ホロンの南にある山』まで来ていたと述べられています。(ヨシュ 18:13,14)ですからどちらの町もエフライムの相続地の中にぴったり収まる位置にあったようです。恐らく一方の町だけと思われますが,ベト・ホロンはその後レビ人のコハトの子らに与えられました。―ヨシュ 21:20,22; 代一 6:68。

これらの町は,沿海平野から丘陵地に至る主要道路沿いに位置していたため,しばしばそこからは戦いに向かう軍隊が通って行くのが見えました。イスラエル人が征服を行なった時代に,ヨシュアはギベオンに戦いをしかけるために連合した5人のアモリ人の王を撃ち破り,「ベト・ホロンの上り坂を通って彼らを追跡し」ました。ここでエホバは大きな雹の石を降らせて,「ベト・ホロンの下り坂」を通って逃げて行く多くのアモリ人を打ち倒されました。(ヨシュ 10:6-12)「ベト・ホロンの下り坂」は,上ベト・ホロンから下ベト・ホロンに至る下り坂を指していると考える人もいます。この二つの場所の高度差は約240㍍あります。

後のサウル王の治世中に,「ベト・ホロンの道」はフィリスティア人の略奪隊がミクマシュから襲撃する際に用いた三つの経路の一つとなりました。(サム一 13:16-18)ソロモン王はこの双方の町を建て,またはそれに防備を施し,城壁,扉,かんぬきなどを設けて強化しましたが,恐らくそれは,これらの町がエジプトやフィリスティアからの侵略を阻止するのに役立つと考えたからでしょう。(代二 8:5)レハベアムの治世中にユダに侵入したエジプトのシシャクは,自分が征服した,または自分の支配下にあると主張する町の一つに「ベト・ホロン」を挙げました。(王一 14:25; 代二 12:2-9)ユダのアマジヤ王がエドム人と戦う前にエフライム人の傭兵隊を解雇した時,サマリアを首都とする北王国から来たこれらの兵士たちは,ユダの諸都市をベト・ホロンに至るまで襲撃して,解雇されたことに対する激しい怒りを表わしました。―代二 25:5-13。

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