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ベツレヘム聖書に対する洞察,第2巻
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ベツレヘムの以前の名称は,エフラト(もしくは,エフラタ)だったようです。ヤコブは,「エフラトつまりベツレヘムへの道の途中に」ラケルを葬りました。(創 35:19; 48:7)ヤコブの子ユダの初期の子孫の中に,「ベツレヘムの父サルマ」(代一 2:51,54)と,「ベツレヘムの父エフラタの長子フル」(代一 4:4)のことが述べられています。こうした表現は,これらの人が,後にベツレヘムを占有するようになったイスラエル人の父祖であることを示しているのかもしれません。(「エフラタ」2項を参照。)イスラエル人がカナンに入った時,ベツレヘムはユダの領地内に含められました。とはいえ,ベツレヘムはユダの諸都市を列挙したどの箇所にも特に名を挙げられておらず,当時のベツレヘムの大きさや顕著さを示唆するものも全くありません。ゼブルンの領地内にもベツレヘムがあったので(ヨシュ 19:10,15),ユダのベツレヘムのほうは普通,エフラトに言及することによって,あるいは「ユダのベツレヘム」と呼ぶことによって区別されました。―裁 17:7-9; 19:1,2,18。
ダビデとイエスの出生地,ベツレヘムの今日の風景
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フシャ聖書に対する洞察,第2巻
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フシャ
(Hushah)
ユダの部族のエゼルの「子」,またはエゼルが『父となった』つまり『始祖となった』都市。(代一 4:1,4)フシャが都市を示しているのであれば,それはダビデの力ある者たちの一人であるシベカイの郷里であったようです。シベカイは多分,メブナイとも呼ばれていました。(代一 27:11。サム二 23:27; 代一 11:29と比較。)フシャを都市名とみなし,ベツレヘムの西約6㌔の所にあるフーサンと同定する人もいます。
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