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    聖書に対する洞察,第1巻
    • [709ページの図版]

      シロアムの池。水はギホンの泉から流れて来ます

      ヒゼキヤの治世中にアッシリア人が侵攻して来ようとしていた時(西暦前732年),ヒゼキヤ王はエルサレムに供給される水が敵の手に落ちることがないようにするための措置を取りました。(代二 32:2-4)しかし,恐らく別の時のことと思われますが,歴代第二 32章30節の記録の示すところによると,ヒゼキヤは以前からあった水路を通るギホンの流れをふさいで,その水を「“ダビデの都市”」の西側,エルサレムの城塞のかなり内側に引き入れました。この事がどのように成し遂げられたかを物語る証拠が西暦1880年に明るみに出されました。その年に,現在シロアムの池として知られている場所 ― 昔の「“ダビデの都市”」の西側にある ― を終端とする地下水道の壁に彫り刻まれている碑文が発見されたのです。西暦前8世紀のものとみなされるヘブライ語の初期の書体によるその碑文には,岩盤にトンネルを掘ったことに関し,人々が二組に分かれて両端から互いに向かって掘り進んだ様子が記されていました。そのトンネルは,1910年に通り抜けられるようにされた時,長さが約533㍍,高さが平均1.8㍍で,幅は0.5㍍しかない箇所もあることが分かりました。この驚くべき工学上の偉業が,ギホンを水源としてエルサレムに供給される水を保護し保持するための,ヒゼキヤが取った措置の結果であることは明らかなようです。

      [710ページの地図]

      地図: ダビデ王とソロモン王の治世中のギホン

  • ヒゼキヤ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 建築および工学上の業 ヒゼキヤは貪欲なセナケリブの攻撃が今にも始まりそうな事態に,知恵を働かせ,軍事的策略を巡らしました。ヒゼキヤは攻囲された場合に備えて,アッシリア軍が水に不足するよう,エルサレムの都の外の泉と水源をすべてふさぎました。また,都の城塞を強化し,『たくさんの飛び道具と盾を造りました』。しかし,ヒゼキヤが頼みにしていたのはそのような軍備ではありませんでした。というのは,軍隊の長と民を共に集めて,次のように激励しているからです。「勇気を出し,強くあれ。アッシリアの王のゆえに,また彼と共にいるすべての群衆のために恐れてはならない。おびえてはならない。わたしたちと共にいる者は彼と共にいる者よりも多いからである。彼と共にいるのは肉の腕であるが,わたしたちと共にいるのは,わたしたちを助け,わたしたちの戦いを戦ってくださる,わたしたちの神エホバである」。―代二 32:1-8。

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