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アルタクセルクセス聖書に対する洞察,第1巻
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アルタクセルクセス・ロンギマヌスは祭司エズラやネヘミヤにもエルサレムへ旅行する許可を与えました。(エズ 7:1-7; ネヘ 2:1,7,8)古代の歴史家はこの王のことを概して優しい寛大な性格の持ち主と考えています。このことは,その治世の第7年(西暦前468年)に同王の取った処置と一致します。その時,ロンギマヌスは,小麦,ぶどう酒,油,塩などの食糧はもとより,銀や金,それに神殿で使う器類を備える布告を出して,エズラの「願いをみな」かなえさせました。(エズ 7:6,12-23; 8:25-27)このように寛大な寄進が行なわれたことは,エズラ 6章14節で神殿を『建てて完成する』ことに寄与する命令を出した人物の一人として,キュロスやダリウスと共にアルタクセルクセスが含められている理由を説明するものとなります。もっとも,神殿の実際の建設は47年前の西暦前515年に完了していました。エズラは王のその勅令により,(王の律法のみならず)神の律法をも教えるよう執政官や裁判官を任じたり,必要な場合には違反者に死刑を執行したりする権限をさえ授けられました。―エズ 7:25,26。
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捕囚聖書に対する洞察,第2巻
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ユダヤ人の間で地方の会堂の取り決めが発達するにつれ,メディア,ペルシャ,およびバビロニア全域のユダヤ人の流刑囚の各地の共同体では,聖書の写しの必要性が増大しました。エズラが「モーセの律法の熟練した写字生」として知られていたことは,エホバの律法の写しがユダから運ばれており,その複製が作られていたことを示唆しています。(エズ 7:6)それら過去の世代の貴重な巻き物には「詩編」も含まれていたに違いありません。また,詩編 137編や,恐らく詩編 126編も捕囚の期間中,またはその後まもなく作られたと考えられます。いわゆるハレル詩編の6編(113-118編)は,残りの者がバビロンから帰還した後に行なわれた盛大な過ぎ越しの祝いの際に歌われました。
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