-
門,門口聖書に対する洞察,第2巻
-
-
“谷の門” 市の城壁の南西部では,“谷の門”がヒンノムの谷へ通じていました。ヨセフスの言及している「エッセネの門」はここか,またはその近くにあったのではないかと思われます。(ユダヤ戦記,V,145 [iv,2])ウジヤは市の防備を強化する計画の一環として,この門のそばに塔を建てました。(代二 26:9)ネヘミヤが,損壊した城壁の検分のために出て行ったのはこの“谷の門”からで,ヒンノムの谷を通って東に進んでから,キデロンの谷を上り,最後にこの同じ門から再び市内に入りました。(ネヘ 2:13-15)名前が明記されているわけではありませんが,“谷の門”は奉献式の行列が出発した地点のように思われます。一方の集団は“灰の山の門”を過ぎて城壁を時計と逆方向に回り,もう一方の集団は“隅の門”や“焼きかまどの塔”を過ぎて時計方向に回りました。―ネヘ 12:31-40。
“灰の山の門” この門は“陶片の門”としても知られ,多くの聖書では,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳に基づいて“糞の門”と呼ばれています。(ネヘ 2:13; 12:31; エレ 19:2)ネヘミヤの説明によると,この門は“谷の門”の1,000キュビト(445㍍)東のところにあったようです。(ネヘ 3:13,14)この門は市の城壁の南東の隅にあり,ヒンノムの谷の,テュロペオンの谷につながる場所の辺りに通じていました。偶像礼拝において自分の子らを火で焼いてバアルにささげた者たちが,ヒンノムの谷にあるトフェトまで行こうとして通ったのはこの門でした。(エレ 19:1-6)そこはまた,エレミヤがイスラエルの年長者や祭司のある者たちを連れて通った門で,エレミヤはそのあとエルサレムに対する災いをふれ告げ,他の神々に仕えたことで神が民を砕かれることを例証するために土器の瓶を砕きました。―エレ 19:1-3,10,11。
-