-
アラム語聖書に対する洞察,第1巻
-
-
ユダヤ人がバビロニアでの流刑から帰還して何年もの後,祭司エズラはエルサレムに集合したユダヤ人に律法の書を読み,色々なレビ人がそれを民に説明しました。ネヘミヤ 8章8節はこう述べています。「彼らは書,すなわちまことの神の律法を朗読し続け,それは説き明かされ,それに意味を付すことがなされ,こうして彼らはその読むところの理解を得させるのであった」。この説き明かし,もしくは解釈には,ヘブライ語の本文をアラム語に,つまりヘブライ人がバビロンにいた時に恐らく取り入れたと考えられるアラム語で言い換えることが関係していたのかもしれません。また,この説き明かしには,ユダヤ人がたとえヘブライ語を理解したとしても,読まれている事柄の深い意味を理解できるように解説することも関係していたに違いありません。
-
-
ヘブライ語聖書に対する洞察,第2巻
-
-
ネヘミヤ 8章8節は,律法を読む際に行なわれた「意味を付すこと」やその「理解を得させる」ことについて述べています。帰還した流刑囚たちは当時,ヘブライ語を完全には理解しておらず,ある程度アラム語による意訳が行なわれたと言われてきました。しかし,この句は,意味の解説や律法で教えられている事柄の適用を特に強調しているようです。―マタ 13:14,51,52; ルカ 24:27; 使徒 8:30,31と比較。
-