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  • 義と宣する
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 自分が義にかなっていることを示そうとする試み 人を義と宣することができるのは神だけですから,自分の真価に基づいて,または自分の義に関する他の人々の判断を受け入れることによって自分が義にかなっていることを示そうとする試みは,全く無価値です。ヨブは神を何らかの点で間違っているとして非難したりはしませんでしたが,「神よりもむしろ自分の魂を義と宣した」ために戒められました。(ヨブ 32:1,2)永遠の命に至る道についてイエスに尋ねた,律法に通じたある人は,自分が義にかなっていることを示そうとしたので,イエスから間接的に戒められました。(ルカ 10:25-37)パリサイ人は人の前で自分を義とすることに腐心していたため,イエスから罪に定められました。(ルカ 16:15)使徒パウロは特に,人間はすべて不完全で,罪深い状態にあるゆえ,モーセの律法の業によって自分の義を確立しようとしても,だれ一人義と宣せられることはあり得ないということを示しました。(ロマ 3:19-24; ガラ 3:10-12)むしろパウロは,イエス・キリストに対する信仰こそがそのように人を義と宣するための真の根拠であることを強調しました。(ロマ 10:3,4)霊感を受けて記されたヤコブの手紙は,パウロの述べたことを補足して,アブラハムやラハブの場合のように,そのような信仰を律法の業によってではなく,信仰の業によって生かさなければならないということを示しています。―ヤコ 2:24,26。

  • エリフ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 1. 「ラムの氏族のブズ人,バラクエルの子」。エリフはブズの子孫ですから,アブラハムの遠い親類だったと思われます。(ヨブ 32:1,2,6; 創 22:20,21)エリフは,ヨブとその3人の自称慰め手の間の討論全体を注意深く聴いていたようです。しかし,それらの人たちの年齢に対する敬意のゆえに,彼らがみな話し終わるまで沈黙を守っていました。現代の批評家は,エリフの話は冗長だと言って,エリフに多弁家のらく印を押してきましたが,エリフの述べた言葉は生意気な若者の言葉ではありません。エリフは,知恵を持てるのは高齢者だけというわけではないこと,人を本当に賢くするのは神の霊であることを十分認識していました。ですから,エリフは神の霊に大いに頼りました。そういうわけで,どんな人間の正しさを立証するよりもエホバ神の正しさを立証するほうがはるかに重要であることをヨブが認識していなかったこと,またヨブの3人の友人が実際には神を邪悪であるとしていたことをエリフは正しく識別できたのです。―ヨブ 32:2-9,18。

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