識別力をいっそう培うことができますか
識別力とは,「一つの事柄と他の事柄との違いを区別するために用いる知的な力もしくは能力」のことです。また,「判断力の鋭さ」あるいは「物事もしくは観念の相違をわきまえ知る力」とも言えます。これらは,ウェブスター・ユニバーサル辞典の定義です。識別力が望ましい特質であることは明らかです。その価値についてはソロモンのこの言葉から分かります。「知恵があなたの心に入り,知識があなたの魂に快いものとなるとき……識別力があなたを保護するであろう。それは,悪い道から……あなたを救い出すためである」― 箴言 2:10-14。
確かに,識別力があれば,それが助けになって,今日あらゆる面に見られる「悪い道」に誘い込まれずにすみます。また,ほかにも多くの益が得られます。例えば親は,よく子供から,「ちっとも分かってくれないんだから」と言われることがあります。少し探りを入れて識別力を働かせる親は,子供の悩みの種になっている感情や問題をくみ上げる方法を知っています。(箴言 20:5)識別力のある夫は早合点するのではなく,妻の話に耳を傾けて妻の考えや気持ちを洞察します。妻も夫に対して同じようにします。このようにして,「家は知恵によって築き上げられ,識別力によって堅く立てられることにな(り)」ます。―箴言 24:3。
識別力があれば,それを役立てて様々な状況にうまく対処することができます。箴言 17章27節は,「自分のことばを控える者には知識があり,識別力のある人は霊を冷静に保つ」と述べています。識別力のある人は性急ではなく,何にせよ考えもせずに慌てて事に当たるということはしません。行動を起こす前に,どういう結果になり得るかを慎重に考慮します。(ルカ 14:28,29)識別力のある人は,「思慮ある口」を用いて言葉を慎重に選ぶので,そうでない場合より他の人との平和な関係を楽しむことができます。(箴言 10:19; 12:8)しかし,最も大切なこととして,識別力のある人は自分の限界を謙遜に認め,人間にではなく神に導きを仰ぎます。これはエホバに喜ばれることであり,このことも識別力を培うべき理由となります。―箴言 2:1-9。ヤコブ 4:6。
イスラエルの示した識別力の欠如
識別力を働かせ損なう危険性については,イスラエルの初期の歴史における出来事の中に見ることができます。霊感を受けた詩編作者は,当時を回想してこう述べました。「エジプトにいたわたしたちの父祖たちは,あなたのくすしいみ業に対して少しも洞察力を示しませんでした。彼らはあなたの豊かな,大いなる愛ある親切を思い出さず,海で,紅海のそばで反逆の振る舞いをしました」― 詩編 106:7。
モーセがイスラエルをエジプトから導き出した時にはすでに,エホバは力あるその世界強国に十の災厄を臨ませることにより,ご自分の力と,ご自分の民を解放する決意とを示しておられました。ファラオがイスラエル人を去らせた後,モーセは民を紅海のほとりに導きました。ところが,エジプトの軍隊がイスラエル人を追って,やって来ました。あたかも,イスラエル人はわなに掛かったかのようになり,新たに見いだした自由も風前の灯火のように思えました。そのため,「イスラエルの子らはひどく恐れ,エホバに向かって叫びだした」と,聖書の記録は述べています。そして,彼らはモーセに食ってかかり,「わたしたちをエジプトから導き出したりして,何ということをしてくれたのです。……わたしたちにとっては,荒野で死ぬよりエジプト人に仕えているほうがましなのです」と言いました。―出エジプト記 14:10-12。
わたしたちには,イスラエル人が恐れたのも無理はない,と思えるかもしれません。もっとも,それは彼らがすでにエホバの力の十の際立った表明を見ていたことを度外視すればの話です。彼らは,モーセが約40年後に,「エホバは,強い手と伸ばされた腕をもって,また大いなる恐れとしるしと奇跡とをもってわたしたちをエジプトから携え出してくだ(さった)」と述べて彼らに思い起こさせた事柄を,じかに知っていたのです。(申命記 26:8)したがって,詩編作者が書いているとおり,イスラエル人はモーセの指導に反抗した時,「少しも洞察力を示しませんでした」。それでも,エホバは約束を守り,エジプトの軍勢に徹底的な敗北を被らせました。―出エジプト記 14:19-31。
わたしたちの信仰も,もしわたしたちが疑念を抱いて,あるいは優柔不断な状態で試練を迎えるなら,同様に弱まってしまうかもしれません。識別力があれば,エホバのほうがわたしたちのどんな反対者よりもはるかに偉大であることを忘れず,常に物事を全体との関連で正しく見ることができます。また,識別力は,エホバがこれまでにしてくださったことを思いに留める上でも助けになります。さらに,わたしたちは識別力により,エホバは「ご自分を愛する者すべてを守っておられ(る)」という事実を決して見失わないよう助けられます。―詩編 145:18-20。
霊的な識別力を得る
識別力は,年を取るにつれて自動的に身に着くものではありません。培わなければならないのです。識別力の優れていることで国際的な名声を博した人である賢王ソロモンは,こう述べました。「知恵を見いだした人,識別力を得る人は幸いだ。それを利得として得ることは銀を利得として得ることに勝り,それを産物として得ることは金そのものにも勝るからである」。(箴言 3:13,14)ソロモンはどこからその識別力を得たのでしょうか。エホバからです。ソロモンは,どんな祝福を望むかとエホバから尋ねられた時,「あなたの民を裁き,善悪をわきまえるために,従順な心をぜひこの僕にお与えください」と答えました。(列王第一 3:9)そうです,ソロモンは助けてくださるエホバに頼っていたのです。ソロモンが識別力を願い求めたので,エホバはそれをソロモンに格別豊かにお与えになりました。どんな結果になったでしょうか。「ソロモンの知恵はすべての東洋人の知恵と,エジプトのすべての知恵とに勝って膨大」でした。―列王第一 4:30。
ソロモンの経験は,識別力を求めてどこに行くべきかを示しています。ソロモンのように,わたしたちもエホバに頼るべきです。どのようにでしょうか。エホバはみ言葉聖書を備え,わたしたちが聖書からエホバのお考えを洞察できるようにしてくださっています。わたしたちは聖書を読む時,霊的な識別力という建築用ブロックの得られる貴重な知識の採石場で石を切り出しているのです。聖書を読んで蓄えた情報について黙想するようにしましょう。そうした情報は,正しい決定を下すために使うことができます。そうすれば,知覚力が発達し,わたしたちはやがて『理解力の点で十分に成長した者』となり,「正しいことも悪いことも見分けられる[もしくは,識別できる]」ようになります。―コリント第一 14:20。ヘブライ 5:14。コリント第一 2:10と比較してください。
興味深いことに,わたしたちはエホバがソロモンにお与えになった識別力から今でも益を得ることができます。どのようにでしょうか。ソロモンは知恵を格言の形で言い表わすことに熟達しました。それらの格言は,神の霊感を受けて記された知恵のカプセルとも言うべきものです。それら言い習わされた言葉の多くは聖書の箴言の書に保存されています。その書を研究することは,ソロモンの識別力から益を得るのに役立ち,また自分自身が識別力を育む上での助けにもなります。
わたしたちは聖書研究の助けとして,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌などの手引き書を使うことができます。「ものみの塔」誌は116年余にわたり,心の正直な人々にエホバの王国を告げ知らせてきました。「目ざめよ!」誌とその前身の雑誌は1919年以来,世界の様々な状態について解説してきました。これら二つの雑誌は,聖書の真理を考察し,漸進的に霊的な啓発を与えています。そのおかげで,わたしたちはキリスト教世界で教えられている事柄にせよ,わたしたち自身の思考の型に見られるものにせよ,誤りを識別できるのです。―箴言 4:18。
もう一つ,識別力を伸ばす上で助けになるのは,良い交わりです。ソロモンの格言の一つに,「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」という言葉があります。(箴言 13:20)残念なことに,ソロモン王の息子レハベアムは,その生涯の重大な岐路に立った時,この格言を思い起こしませんでした。レハベアムの父の死後,イスラエルの諸部族は彼のもとに来て,重荷を軽くしてくれるよう要求しました。最初にレハベアムが年長者たちに相談したところ,年長者たちは識別力を示し,レハベアムに民の声を聞き入れるよう勧めました。次にレハベアムは若者たちのところに行きました。若者たちはイスラエル人に対して威嚇的な答えを述べるようレハベアムに勧め,経験も識別力も足りないことを示しました。レハベアムは若者たちの言うとおりにしました。結果はどうなったでしょうか。イスラエルは反逆し,レハベアムは自分の王国のかなりの部分を失ってしまいました。―列王第一 12:1-17。
識別力を伸ばすのに不可欠なのは,聖霊の助けを求めることです。聖書筆者のネヘミヤは,エジプトでの捕らわれから解放されたイスラエル人をエホバがどのように扱われたかを振り返り,「あなたの良い霊を,あなたは賜わって彼らを慎重な者とならせ(られました)」と述べています。(ネヘミヤ 9:20)エホバの霊はわたしたちをも慎重な者となるよう助けます。識別力を与えるエホバの霊を祈り求める時には,エホバは「すべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださる」のですから,確信をもって祈るようにしてください。―ヤコブ 1:5。マタイ 7:7-11; 21:22。
識別力と洞察力
使徒パウロは諸国の人々に真理を宣べ伝える際に識別力を示しました。例えば,アテネにいた時など,パウロは「歩きながら,[人々の崇敬の対象となっているものを]注意深く見て」いました。パウロは偶像に囲まれており,パウロの内なる霊はいら立つようになりました。ここにおいて,パウロは決定を迫られました。無難な道を選んで沈黙を守るべきでしょうか。それとも,身に危険が及ぶとしても,自分が強くいら立ちを感じた偶像礼拝の悪習について率直に語るべきでしょうか。
パウロは識別力をもって行動しました。それまでに,「知られていない神に」という刻銘のある祭壇を目にしたことがあったので,パウロは機転を利かせ,人々の偶像に対する信心深さを認めてから,その祭壇を糸口にして「世界とその中のすべてのものを造られた神」のことへと話を進めました。そうです,エホバは彼らの知らない神だったのです。パウロはそのようにして,その件での人々の感じやすさを考慮に入れ,すばらしい証言をすることができました。どんな成果があったでしょうか。かなりの数の人が真理を受け入れました。その中には,「アレオパゴス裁判所の裁判官デオヌシオ,ダマリスという名の女,またそのほかの者たちも」いました。(使徒 17:16-34)パウロは識別力を働かせる点で本当にすばらしい模範です。
確かに,識別力は容易に,あるいは自然に身に着くものではありません。しかし,辛抱強さを示し,祈り,真剣に努力し,思慮分別のある人たちと交わり,聖書を研究して黙想し,エホバの聖霊に頼るなら,あなたも識別力を培うことができるのです。