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目ざめよ! 1999
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聖書の見方

友人間での貸し借り

「邪悪な者は借りはするが,返さない。しかし,義なる者はいつも恵みを示し,贈り物をする」― 詩編 37:21。

「金は貸し借りしないのがいちばんだ。金を貸せば,その金ばかりか友人まで失くしてしまう」と,古来の知恵を繰り返して書いたのは,英国の劇作家ウィリアム・シェークスピアです。確かに,人間関係を作り上げる要素の中で,金銭の貸し借りほど破壊性を宿す要素はほかにないと言えるかもしれません。周到な計画と誠実な意図をもってしても,物事はいつも期待したとおりに運ぶとは限りません。―伝道の書 9:11,12。

借りた人は,状況が変化したために返済の義務を果たすのが困難になるか,または不可能になるかもしれません。貸した人は,貸したお金が急に必要になるという状況に立たされるかもしれません。そのようなことが起きると,シェークスピアが指摘したように,友情や人間関係が危うくなる恐れがあります。

もちろん,借りるほうの人はそうするもっともな理由があるのかもしれません。大きな事故かまたは失業によって経済事情が悪くなり,借金するよりほかに道はないと考えるかもしれません。聖書は,困っている人を助ける力があるなら,そうするようにと勧めています。(箴言 3:27)これにはお金を貸すことも含まれるかもしれません。しかし,そのような貸借関係を結ぶクリスチャンは自分の責任をどのようにみなすべきでしょうか。

考慮すべき原則

聖書は金銭問題のガイドブックではないので,貸し借りに付随する事柄を一つ残らず詳細に取り上げているわけではありません。利息を取るかどうか,取るならいくら取るかなどの問題は,当事者に任されています。a しかし聖書は,貸す人あるいは借りる人の態度や行動を律する明確で愛のこもった原則を設けています。

借りる人に当てはまる原則を考えてみましょう。使徒パウロは,「互いに愛し合うことのほかは,だれにも何も負ってはなりません」と,クリスチャンに説き勧めています。(ローマ 13:8)パウロはここで適用範囲の広い原則を述べていますが,この助言は確かに,借金を背負い込まないようにという警告と取ることもできます。場合によっては,借金するよりはしないでやっていくほうが良いときもあります。なぜでしょうか。箴言 22章7節は,「借りる者は貸す人の僕となる」と説明しています。借りる人は,借金を返すまでは返済の義務があるということを銘記しておく必要があります。原則からすれば,その人の資産は完全にその人のものではありません。借りる人は,同意事項に従って借金を返していくことを,自分の生活の中で最優先させなければなりません。さもないと,難しい事態が生じるでしょう。

例えば,借金がきちんと返済されずに時が過ぎていくなら,貸した人はいら立つかもしれません。借りた人が,服を買ったり,外食したり,休暇に出かけたりすれば,貸した人はそうした行動に疑念を抱くかもしれません。憤りがつのらないとも限りません。借りた人と貸した人との間に,ひいてはその両者の家族の間にまで緊張した関係が生じるか,それよりももっと悪くなる恐れがあります。もし借りた人が約束したことを固く守らないならば,そのような残念な結果になる可能性があるのです。―マタイ 5:37。

しかし,自分の力ではどうすることもできない状況が借りた人に急に生じて,約束を果たせなくなってしまった場合はどうでしょうか。そういう事情であれば,借金は帳消しになるでしょうか。いいえ,それで借金が帳消しになることはありません。義なる人は「自分にとって悪いことを誓いましたが,それでも変えません」と,詩編作者は言いました。(詩編 15:4)このような場合,借りた人が取るべき誠実で賢明な処置は,貸した人に状況をすぐに説明することでしょう。そうすれば,双方が合意の上で代わりの取り決めを設けることができます。このようにして平和を保っていけば,エホバ神に喜ばれます。―詩編 133:1。コリント第二 13:11。

実のところ,借りた人の人柄は,借金の扱い方によく表われます。借金を返すことにむとんちゃくな態度が見られるなら,それは他の人に対する気遣いに欠けていることの表われです。そのような態度の人は実際には,自分が利己的であること,つまり自分の欲望や願いを第一にしていることを示しています。(フィリピ 2:4)故意に,また計画的に借金を返済しようとしないクリスチャンは,神のみ前での自分の立場を危うくします。貪欲で邪悪な心はその人の行動に表われるかもしれません。―詩編 37:21。

貸す人

借りる人に主な責任があるとはいえ,貸す人に当てはまる原則もあります。聖書は,困窮している人を助ける力があるなら,そうするようにと述べています。(ヤコブ 2:14-16)しかし,それはお金を貸す義務があるという意味ではありません。依頼者がたとえ霊的な兄弟であってもそれは変わりません。「災いを見て身を隠す者は明敏である」と,聖書は述べています。―箴言 22:3。

洞察力のある人は,貸し借りに関連した落とし穴が現実のものであることを知っており,分別もあるので,借用の依頼に対してはどんな場合でも慎重に考慮します。その依頼は妥当なものでしょうか。依頼者はそのことについて熟考したでしょうか。その人はきちんとした,良い評判のある人ですか。合意書に進んで署名する気持ちがあるでしょうか。(エレミヤ 32:8-14と比較してください。)借金を返す心構えが本当にありますか。

負債を返済できない可能性があるからといって,困窮している人の申し入れをクリスチャンは断わるべきだというのではありません。クリスチャンが他の人に負っている個人的な責務は,確かな商習慣よりもはるかに重要なものです。「だれであろうと,生活を支えるこの世の資力があるのに,自分の兄弟が窮乏しているのを見ながら,その兄弟に向かって優しい同情の扉を閉じるなら,その人にはどのようにして神の愛がとどまっているでしょうか」と,使徒ヨハネは問いかけています。そうです,クリスチャンには,『言葉や舌によらず,行ないと真実とをもって愛する』務めがあります。―ヨハネ第一 3:17,18。

しかし,場合によっては,困っている兄弟にお金を貸さないことにする人もいるかもしれません。それよりも物を贈るか,または別の形で助けの手を差し伸べたいと思うこともあるでしょう。返済の計画が取り決めどおりに運ばなくなった場合も,貸した人は同様の精神をもって憐れみ深く行動することを望むかもしれません。借りた人の状況が変わったことを考慮に入れて,支払い期日を延期するか,支払い金額を減らすか,あるいは帳消しにすることさえ考えるかもしれません。こうしたことは各人が個人的に決定すべき事柄です。

クリスチャンは,神がすべてをご覧になっていること,そして神がわたしたちの行状や資産の用い方に対して言い開きを求められることを忘れないようにすべきです。(ヘブライ 4:13)「すべての事を愛をもって行ないなさい」という聖書の助言は,確かに友人間での貸し借りにも当てはまります。―コリント第一 16:14。

[脚注]

a 貸したお金に対して利息を取るかどうかについての詳細は,「ものみの塔」誌,1991年10月15日号,25-28ページをご覧ください。

[18ページの図版]

「両替商とその妻」(1514)クウェンティン・マサイス作

[クレジット]

Scala/Art Resource, NY

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