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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2014
塔14 4/1 4–7ページ
男性が天を見上げ,両手を神に向けて広げている

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あなたは祈りますか

『もし神が,わたしの考えや必要などすべてを知っておられるのであれば,なぜ祈る必要があるのか』と思う人もいるでしょう。そう思うのはもっともなことです。神はわたしたちが「まだ求めないうちから,……どんなものを必要としているかを知っておられる」とイエスは言いました。(マタイ 6:8)古代イスラエルのダビデ王も,そのことを認め,「わたしの舌に言葉が上る前から,ご覧ください,エホバよ,あなたは既にそれをすべてご存じなのです」と書きました。(詩編 139:4)そうだとしたら,祈ることによって神に頼る必要などないはずです。では,その点を確かめるために,祈りについて聖書が何と述べているか,調べてみましょう。a

「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」。―ヤコブ 4:8

祈るなら神を身近に感じることができる

聖書によれば,エホバb神はすべてのことをご存じであるとはいえ,ご自分を崇拝する人についての情報収集にだけ関心を抱いておられるのではありません。(詩編 139:6。ローマ 11:33)無限の記憶力をお持ちですが,個人についてのデータを機械的に保存するコンピューターのような存在ではないのです。実のところ,わたしたちに,ご自分を身近に感じてほしいと思い,わたしたちの内奥の考えに強い関心を抱いておられます。(詩編 139:23,24。ヤコブ 4:8)イエスが弟子たちに,祈ることを勧めたのは,そのためです。人の基本的に必要とするものをよくご存じである天の父に祈るよう勧めたのです。(マタイ 6:6-8)わたしたちは,創造者である神に自分の考えを伝えれば伝えるほど,神を身近に感じるようになります。

時には,何を祈り求めたらよいのか,はっきり分からないこともあるでしょう。そのような場合,神は,わたしたちの言い表わせない感情をさえ察し,その状況や事情を完全に把握して,わたしたちの必要を満たすことができます。(ローマ 8:26,27。エフェソス 3:20)わたしたちは,神がわたしたち個人の生活に介入してくださっているのに,気づかない場合もあります。しかし,それに気づくと,神を身近に感じます。

神はすべての祈りにこたえてくださるか

聖書は,全能の神がご自分の忠実な僕の祈りにおこたえになることを保証していますが,ある種の祈りには耳を傾けられない理由も示しています。例えば,神は,古代イスラエルで暴虐がはびこっていた時代に,預言者イザヤを遣わして民に,「たとえあなた方が多くの祈りをしようとも,わたしは聴いてはいない。あなた方のその手は流血で満ちている」とお告げになりました。(イザヤ 1:15)明らかに,神の律法を軽視する人や動機が良くない人は,神に祈りを聞いていただけるとは期待できません。―箴言 28:9。ヤコブ 4:3。

それとは反対に,聖書は,「何であれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださる」と述べています。(ヨハネ第一 5:14)これは,神を崇拝する人の願いなら何でも自動的に聞き入れられる,という意味でしょうか。いいえ,そういう意味ではありません。使徒パウロの例を挙げましょう。パウロは神に,「肉体(の)一つのとげ」を取り除いてくださるよう3回懇願しました。(コリント第二 12:7,8)パウロは慢性的な目の疾患に悩まされていたのかもしれません。きっと大きなストレスだったことでしょう。癒やしの賜物を与えられていて死人を復活させることさえできたのに,自分自身は病を忍ばなければならなかったのです。(使徒 19:11,12; 20:9,10)パウロは,請願に対するこたえが望みどおりのものではなくても,神からのこたえを感謝して受け入れました。―コリント第二 12:9,10。

「わたしたちは神に対してこのような確信を抱いています。……ご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださるということです」。―ヨハネ第一 5:14

聖書中の人物の中には,祈って奇跡的なこたえを与えられた人も確かにいます。(列王第二 20:1-7)とはいえ,そのような例は,聖書時代においてさえ,決して普通のことではありませんでした。信仰を抱いていた人でも,自分の祈りを神が聞き入れてくださらないように思えた時には,不安になりました。ダビデ王は,「エホバよ,いつまでわたしをお忘れになるのですか。永久にですか」と尋ねました。(詩編 13:1)しかし,それまで幾度もエホバに救われたことから,忠実な人ダビデは,エホバを信頼すると断言しており,その祈りの中で,「わたしは,あなたの愛ある親切に依り頼みま(す)」とも述べています。(詩編 13:5)今日,神を崇拝する人たちも,ダビデと同じように,自分の請願を神が聞き入れてくださるまで,たゆまず祈らなければならないかもしれません。―ローマ 12:12。

神は祈りにどのようにおこたえになるか

神はわたしたちの真の必要を満たしてくださる。

子を気遣う親であっても,子どもの求める物を,求めた時に与える,とは限りません。それは,もっともな理由があるからでしょう。神も,わたしたちの願いを,わたしたちの望む方法では,また期待する時には,聞き入れることをされないかもしれません。それでも,わたしたちは,愛情深い父親のような創造者が,わたしたちの真の必要を,適切な時に適切な方法で満たしてくださる,と確信できます。―ルカ 11:11-13。

男性が聖書を読んで,こたえを見いだそうとしている

助けてほしいという嘆願に対する神からのこたえは,聖書から読み取ることができる場合もある

神がこたえてくださっていても,気づかないかもしれない。

では,抱えている問題からの解放を求めて祈っている場合は,どうでしょう。『奇跡的なこたえを与えられていないので,エホバは全く聞いてくださってはいない』と考えるべきでしょうか。いいえ,そのような場合には,神が支えてくださっていることに自分は気づいていないのではないか,と考えてみるのは良いことです。例えば,まさに適切な時に,思いやりのある友人が,できることをして助けてくれたかもしれません。(箴言 17:17)もしかしたらエホバが,助けを差し伸べるようその気遣う友人の心を動かしてくださったのではないでしょうか。また,助けてほしいという嘆願に対する神からのこたえは,聖書から読み取れる場合もあります。試練に対処するのに必要な洞察が,聖句やその記述から得られることもあるのです。―テモテ第二 3:16,17。

夫婦が花束とカードを携えて,家に独りでいる病気の友人を見舞いに来ている

神は,ちょうどよい時に,思いやりのある友人を用いて助けてくださることもある

神はご自分の民に,個人的な問題を取り除くのではなく,対処するのに必要な力をお与えになる場合が少なくありません。(コリント第二 4:7)イエスが天の父に,つらい試練を免れさせてほしいと懇願した時などは,その一例です。神の名がそしられることになるのを恐れてそう懇願した時,エホバはひとりの天使を遣わしてイエスを強めるようになさいました。(ルカ 22:42,43)同様に,わたしたちが切に励ましを必要とする時にも,神はわたしたちの親しい友を用いて,励ましの言葉をかけてくださる場合があります。(箴言 12:25)そうしたこたえは気づきにくいので,自分の祈りがどのように聞き届けられているかに,もっと目ざとくなければならないかもしれません。

神の最適とされる時まで待たねばならない場合もある。

聖書によれば,全能の神は謙遜な人に,「しかるべき時に」恵みを施されます。(ペテロ第一 5:6)ですから,真剣な願いに対する神からのこたえが遅いように思えても,それをエホバの関心の欠如と考えてはなりません。人間のことを気遣っておられる創造者はわたしたちの請願を,極めて高い見地から,人にとって最善と分かっている事柄に照らして評価してくださっているに違いありません。

「神の力強いみ手のもとにあって謙遜な者となりなさい。そうすれば,神はしかるべき時にあなた方を高めてくださるのです」。―ペテロ第一 5:6

例えば,幼い息子がいて,自転車が欲しいと言っているとしましょう。あなたはその願いを無条件でかなえますか。もし自転車にはまだ乗れないと思えるなら,購入しないでしょう。しかし,やがては,願いをかなえてやるのが最善だと分かった時,そうすることでしょう。同じように神も,わたしたちが祈っているなら,しかるべき時にわたしたちの「心の願い」をかなえてくださいます。―詩編 37:4。

エホバは耳を傾けてくださっている

聖書は真のクリスチャンに,祈りの重要性に対する確信を失わないよう強く勧めています。しかし,それは『口で言うほど易しくはない』と思う人もいることでしょう。確かに,悩みの種を抱えていたり何らかの不公正を忍んでいたりすると,神からのこたえを待ち切れないように感じるかもしれません。そのような場合には,たゆまず祈るべきことについてのイエスの教えを思い起こすとよいでしょう。

イエスは,ある裁判官がずるい人だったにもかかわらず,ある貧乏なやもめがその人のもとに行っては,公正がなされるようにしてほしいと訴えつづけた,という例えを話しました。(ルカ 18:1-3)その裁判官は,初めのうち助けようとはしませんでしたが,しまいには,「彼女が公正な裁きを得られるようにしてやろう。そうすれば,とことんまでやって来てわたしをこづきまわすようなことはないだろう」と自分に言いました。(ルカ 18:4,5)その裁判官が当のやもめに注意を払ったのは,その女が「こづきまわす」,原語によれば裁判官の「目の下を打つ」つまり「評判を損なう」ことのないようにするためでした。c もし,ずるい裁判官でも自分の評判を気にして貧乏なやもめを助けるのであれば,気遣いの深い神ならなおのこと,「日夜ご自分に向かって叫ぶ」者のために公正がなされるようにしてくださるはずです。イエスの言ったとおり,神は「彼らのため速やかに公正が行なわれるようにして」くださいます。―ルカ 18:6-8。

「求めつづけなさい。そうすれば与えられます」。―ルカ 11:9。

わたしたちは,助けや恵みを求めることに疲れるとしても,あきらめるべきではありません。たゆまず祈ることによって,自分の生活の中に神のみ手の働きを見たいという願いの純粋さを示せます。また,請願に対する神のこたえを認識するようになり,そうして神を身近に感じるようになります。そうです,『信仰を抱いて願い求めつづければ,エホバがそのふさわしい祈りにこたえてくださる』と確信してよいのです。―ルカ 11:9。

a 祈りを神に聞いていただきたい人は,神のご要求にかなうよう誠実に努力しなければなりません。そうするなら,この記事で論じられているように,祈りの力を経験することができます。詳しくは,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」という本の第17章をご覧ください。

b エホバとは,聖書中に啓示されている,神の名です。

c 聖書時代のイスラエルの裁判官たちは,やもめや孤児に特別の配慮を払うよう,神から求められていました。―申命記 1:16,17; 24:17。詩編 68:5。

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