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  • 目ざめよ! 1990
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目ざめよ! 1990
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聖書の見方

人間の生命はいつ始まりますか

米国テネシー州第5裁判区にとって1989年9月21日は異例の日となりました。巡回裁判所はその日に,7個の凍結された胎芽の管理権をめぐる争いに関して判決を言い渡したのです。同裁判所は,離婚しようとしている親のどちらに管理権があるかを決定しなければなりませんでした。しかしそのためにはまず,もう一つの論争に決着をつける必要があります。それは,胎芽を財産とみなすべきか,それとも人間とみなすべきかという点でした。

パリに住む世界的に有名な遺伝子学者ジェローム・ルジューン教授は同法廷で,人間にはそれぞれ受胎の瞬間に起こる独特の始まりがあり,「受胎の時から,人は人である」と証言しました。言い換えれば胎芽は,3細胞期(受精卵)に始まって,同教授が法廷に告げたように「非常に小さな人間」なのです。―下線は本誌。

受精卵は成人と同じ権利をもって扱われるべきだと言いたいわけですか,と質問されたとき,ルジューン博士はこう答えました。「そういうことを言っているのではありません。私はそのことを判断する立場にはないからです。私が言いたいのは,受精卵は人間だということです。この人間が他の人間と同じ権利を持っているかどうかは判事が告げるでしょう。……しかし,遺伝子学者である私は,この人間が人間かどうかと聞かれれば,これは生命であり人間として存在しているゆえに,一個の人間であると答えます」。

同裁判所がおもにルジューン博士の反証しがたい証言に基づいて下した結論の中には,次のような三つの顕著な点がありました。

◻ 「受精時から人間の胎芽の細胞は差異のある独特の分化した細胞であり,最高度の区分を備えている」。

◻ 「人間の胎芽は財産ではない」。

◻ 「人間の生命は受胎の時に始まる」。

これは人間の生命の始まりについて聖書が述べていることと一致しているでしょうか。

生命は受胎の時に始まる

エホバ神は「命の源」であられ,『わたしたちはその方によって命を持ち,動き,存在しています』。(詩編 36:9。使徒 17:28)では,創造者は人間の生命がいつ始まると言っておられるでしょうか。その方は,妊娠後のごく初期の成長段階においてさえ,子供の命を貴重なものとみなしておられます。裁判所が前述の決定を下す3,000年以上前に,神はご自分の預言者ダビデに霊感を与えて次のように書かせました。

「あなたはわたしをわたしの母の腹の中に,仕切られた状態にして保たれました。わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです。わたしが[胎内で]ひそかに造られたとき,わたしが地の最も低い所[胎内の暗い状態を描写した詩的表現]で織り成された[織物の色糸のように体内に縫い付けられた静脈や動脈のことを言っている]とき,わたしの骨はあなたから隠されてはいませんでした。あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました」― 詩編 139:13-16。

成長する生命は受胎の瞬間から,まるで1冊の本,それも非常に大きな本に詳述された指示に従っているかのように,ある型を正確に守ってゆきます。ルジューン博士はこう言います。「受精卵の中にある情報を仮に判読してコンピューターに入力したとすると,コンピューターは次に起こる事柄を予測するようになるだろう。この情報はあまりにも膨大なので人知では測り知れない」。

胎児の命は貴重なもの

ですから胎内で成長する胎児は,単なる組織の塊などでは決してありません。それはたいへん貴重なものです。それゆえに神は,人が胎児に傷を負わせる場合,その人に責任を問うと述べておられるのです。出エジプト記 21章22節と23節にある神の律法はこのように警告しています。「人と人とがつかみ合いをして,妊娠している女を傷つけ,その子供が出てしまうが致命的な事故には至らない場合,その者はその女の所有者が負わせるところにしたがって必ず損害の賠償を課せられる。裁く者たちを通してそれを払わねばならない。しかし,もしも致命的な事故に至ったならば,魂には魂……を与えなければならない」。

この聖句については,婦人に起こる事柄がこの律法のおもな論点であるかのような訳し方をしている聖書も幾つかあります。しかし,原語のヘブライ語本文が注意を向けているのは,母親か子供のいずれかに及ぶ致命的な事故です。a したがって,望まれない子供の誕生を避けるために人為的に起こす中絶は,人間の命を故意に絶つ行為です。

中には,胎芽は子宮外では自らの命を維持することができないので人間ではないと論じる人もいるかもしれませんが,これは無意味な論議です。たとえ生後数分しかたっていない新生児であっても,それが人間であることを疑う人はいません。それでも,その子が戸外に裸のまま放置されるならどれくらい生き続けるでしょうか。自分ではどうすることもできず,自らの命を維持する能力に欠けている点で胎芽や胎児とそれほど変わるところがありません。新生児は,住まい,温かさ,食物などを必要としています。こうした支えや助けや援助は,母親のような大人だけが与えることのできるものです。

ですから前述の判決は,人間の生命が受胎の時に始まるという聖書の見方と調和します。胎児の生命は,やっかいな異物として故意に取り除いてしまえるようなささいなものではありません。人間の生命は母胎を離れてからだけでなく,母胎の中にいる間も神聖なのです。

[脚注]

a 「致命的な事故」という名詞(ヘブライ語,アーソーン)と「妊娠している女」との間に明確なつながりはありません。ですからその致命的な事故には,婦人だけでなく,胎内にいる「その子供」も当然含まれると考えられます。

[26ページの図版のクレジット]

Windsor Castle, Royal Library. © 1970 Her Majesty The Queen

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