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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
塔02 10/1 32ページ

ゆったりしているのは良いことですか

ゆったりしている,つまりおうよう,また穏やかで,寛容であると思われるなら,ほとんどの人は恐らく,自分はほめられている,と考えるでしょう。しかし,ゆったりしていることには別の面があります。聖書には,「愚鈍な者たちの安易さ[または,ゆったりしていること]が彼らを滅ぼすものとなる」とあります。(箴言 1:32)これはどういう意味でしょうか。

他の翻訳聖書では,原語のヘブライ語が「軽はずみな気楽さ」(アメリカ標準訳),「独りよがり」(新アメリカ聖書),「自己満足」(新英訳聖書)といった表現に訳出されています。この意味では,ゆったりしていることは怠惰や不注意につながり,愚行や愚かさにもつながります。

1世紀に,ラオデキアの会衆のクリスチャンは不注意で,自分たちが霊的に欠乏していることに気づいていなかったか,またはその状態に自己満足していました。彼らは独りよがりな態度で,自分たちには「何一つ必要なものはない」と豪語していました。イエス・キリストは彼らを正し,クリスチャンとしての熱意を取り戻すように求めました。―啓示 3:14-19。

安易な自己満足はノアの時代の人々の特徴でもありました。人々は日常的な事柄,つまり「食べたり飲んだり,めとったり嫁いだり」することにかまけていました。「そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでした」。イエスはさらにこう言われました。「人の子の臨在の時もそのようになるのです」。―マタイ 24:37-39。

成就した数々の聖書預言は,わたしたちが「人の子[イエス・キリスト]の臨在」の期間に生きていることを示しています。わたしたちは自己満足,軽はずみ,独りよがりなど,良くない意味でゆったりしないようにしたいものです。―ルカ 21:29-36。

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