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ライオン聖書に対する洞察,第2巻
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西暦前537年にイスラエル人が故国に帰還した時,エホバはその途上で彼らをライオンや他の肉食獣から保護されました。(イザ 35:8-10)彼らの故国そのものでも,70年の荒廃の期間中にライオンや他の肉食獣が増えていたに違いありません。(出 23:29と比較。)しかし,エホバがご自分の民を見守られたおかげで,イスラエル人とその家畜は,アッシリアの王がサマリアの諸都市に住まわせた異国の民のようにライオンのえじきになることはなかったようです。(王二 17:25,26)それゆえ,イスラエル人の観点からは,ライオンは事実上,雄牛のようにわらを食べていました。つまり彼らとその家畜に何の危害も加えませんでした。(イザ 65:18,19,25)しかし,メシアの支配のもとでは,その回復の預言がより大規模に成就します。かつては獣のような動物的で荒々しい気質を持っていた人でも,もっとおとなしい仲間の人間と折り合うようになり,危害を加えたり傷つけたりすることはありません。文字通りかつ比喩的な意味で,ライオンと家畜の間に平和が存在することでしょう。―イザ 11:1-6。「獣,象徴的な」を参照。
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平和,平安聖書に対する洞察,第2巻
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人間と動物との間の平和 エホバ神はイスラエル人に対して,もし従順であるなら,「わたしはその地に平和を置き,あなた方はまさに横たわり,これをおののかせる者はいない。わたしは害をもたらす野獣をその地から絶やす」と約束されました。(レビ 26:6)このことは,野生動物がそれぞれの生息地の境界内にとどまり,イスラエル人やその家畜に害をもたらさないことを意味していました。一方,もしイスラエル人が不従順であるなら,エホバはその土地が外国の軍隊によって侵略され,荒れ廃れるにまかされます。そうなれば人口が減り,野生動物は増え,以前に人が住んでいた地域にまで入って来て,生き残っている人々や家畜に危害を加えることになるでしょう。―出 23:29; レビ 26:22; 王二 17:5,6,24-26と比較。
野生動物に関連してイスラエル人に約束された平和は,エデンの園で最初の男女が享受していたものとは異なっています。というのは,アダムとエバは動物に対する完全な支配力を持っていたからです。(創 1:28)それとは対照的に,預言では,同様の支配力がキリスト・イエスだけに属するとされています。(詩 8:4-8; ヘブ 2:5-9)したがって,平和が人間と動物との間に再び行き渡るのは,『エッサイの切り株から出た小枝』,また神の「僕ダビデ」であるイエス・キリストの統治下でのことです。(イザ 11:1,6-9; 65:25; エゼ 34:23-25)最後に引用したこれらの聖句には比喩的な適用もあります。というのは,そこで述べられている,おおかみと子羊などの動物同士の平和が古代イスラエルにおいて文字通りの成就を見なかったことは明らかだからです。ゆえに,有害で獣のような気質の人々が凶暴な行ないをやめて,自分たちよりもおとなしい隣人たちと平和に暮らすことが予告されていたのです。しかし,神の民の間に行き渡る平和な状態を比喩的に描写するために動物が預言的に用いられていることは,キリスト・イエスの統治下では,エデンでそうであったのと同様に,文字通りの動物たちの間にも平和があるということを暗示しています。
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