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    聖書に対する洞察,第1巻
    • エルサレムの西南西44㌔の所にあったラキシュは,ユダの丘陵地帯を守る主要な要塞でした。預言者はエレミヤ 34章7節で,ネブカドネザルの軍勢が「エルサレム,ユダの残されたすべての都市,ラキシュ,アゼカに対して戦いをしていた」のは,「防備の施された都市であるこれらの都市が,ユダの都市の中で残されていたものだったからである」と述べています。ラキシュでの発掘調査により,同市が数年の期間内に二度火によって滅ぼされたことを示す証拠が明らかになりました。その滅びはバビロニア人による二度の攻撃(西暦前618-617年と609-607年)を表わしていると考えられています。その後,そこは長期間,人の住まない所となっていました。

      二度目に焼失した時の焼け跡から見つかった21個のオストラカ(文字の刻まれた陶片)は,同市がネブカドネザルの最後の攻撃を受けて滅ぼされる少し前に行なわれた通信を表わすものと考えられています。ラキシュ書簡として知られるこれらの書簡は,不安に満ちた危機的な一時期の状況を反映しており,ユダの部隊の残っている前哨基地からラキシュの軍司令官ヤオシュにあてて書かれたものだったようです。(第1巻,325ページの写真)その第4書簡には次のような一文が含まれています。「ヤハウェがまさしくこの日に,我が主に良い訪れをお聞かせになりますように。……我々は我が主の与えておられるすべての指示にしたがって,ラキシュからの合図を見守っております。なぜなら,アゼカは見えないからです」。(「古代近東テキスト」,J・B・プリッチャード編,1974年,322ページ)これは,先に引用したエレミヤ 34章7節で述べられている状況を実によく表わしており,アゼカがすでに陥落したこと,あるいは少なくとも出されるはずの合図の火か煙を出せなくなっていたことを示唆しているようです。

  • アゼカ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ネブカドネザルの率いるバビロンの軍隊がユダ王国をじゅうりんした時(西暦前609-607年),エルサレムそのものが倒壊する前に,最後に陥落した二つの都市は,防備の施されたアゼカとラキシュでした。(エレ 34:6,7)ラキシュ書簡と呼ばれる,文字の記されたオストラカ(陶片)が発見されて,そのことを明確に裏付ける証拠が明らかにされました。その第4書簡には,前哨部隊からラキシュの軍司令官にあてて書かれたと思われる伝言が含まれていました。その一部は次の通りです。「我々は我が主の与えておられるすべての指示にしたがって,ラキシュからの合図を見守っております。なぜなら,アゼカは見えないからです」。(「古代近東テキスト」,J・B・プリッチャード編,1974年,322ページ)この手紙はバビロニア人の攻撃を受けた時期に書かれたと思われますが,もしそうであるとすれば,アゼカはすでに陥落していたので,その要塞からの信号は得られなかったということになります。

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