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ギリシャ,ギリシャ人聖書に対する洞察,第1巻
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民主主義の試み ギリシャの大半の都市国家の統治方法に関する知識はあいまいで,かなりよく知られているのはアテネやスパルタの場合だけですが,その統治方法はカナンやメソポタミア,あるいはエジプトのそれとはかなり異なっていたようです。少なくとも,一般に歴史時代と呼ばれる時期のギリシャの都市国家には,王の代わりに執政官,評議会,および市民の総会(エックレーシア)がありました。アテネでは直接民主政(「民主主義」と訳される英語のdemocracyという言葉は,「人民」という意味のギリシャ語デーモスと「支配」という意味のクラトスに由来する)に関する試みが行なわれました。この取り決めでは,市民全体が立法府を構成し,総会で発言し,投票を行ないました。しかし,その“市民”は少数者集団でした。女性や外国生まれの居留者や奴隷には市民権がなかったからです。奴隷は多くの都市国家の人口の3分の1ほどに達していたと考えられており,彼らが奴隷労働に従事していたからこそ,“市民”は政治集会に参加する自由時間を持つことができたに違いありません。ヘブライ語聖書の中の西暦前9世紀ごろのギリシャ人に関する最初期の言及箇所で,ティルスやシドンやフィリスティアによって「ギリシャ人[字義,「ヤワン人」または「イオニア人」]の子ら」に奴隷として売り渡されたユダ人のことが述べられているのは,注目すべきことと言えます。―ヨエ 3:4-6。
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