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  • アブ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • その後,70年に及んだバビロンでの流刑の期間中,この第5の月は,ユダヤ人がエルサレムの神殿の滅亡を思い起こし,断食をして嘆き悲しむ時となりました。(ゼカ 7:3,5; 8:19)また,エズラがユダヤ人にエホバの律法を教え諭すため,復興したエルサレムに戻ったのも,アブの月のことでした。―エズ 7:8,9,25。

  • エタニム
    聖書に対する洞察,第1巻
    • エタニムに起きた出来事 聖書には巻頭の書から年代に関する情報が載せられており,また年齢についての最初の言及がアダムの生涯に関連しているので,エタニムと呼ばれる月を1年の初めの月とする古代の習慣からすると,アダムの生涯はこの月に始まったと考えることができるように思われます。(創 5:1-5)ノアが,箱船の中で10か月余りを過ごした後,箱船の覆いを取りのけ,洪水の水が地面からはけたのを見たのは,第1の月(後にエタニムと呼ばれた月)の一日でした。(創 8:13)それから1,300年以上たって,エタニムの月に,ソロモンはエルサレムの完成した神殿を奉献しました。(王一 8:2; 代二 5:3)西暦前607年にエルサレムが滅びた後,ユダの完全な荒廃を印づけるものとなったのは,エタニムの月に総督ゲダリヤが殺された結果,残っていたイスラエル人たちがエジプトへ逃げたことでした。(王二 25:25,26; エレ 41:1,2)こうした出来事は,ゼカリヤ 8章19節で言及されている「第七の月の断食」が行なわれる理由と関係がありました。その時から70年後,まさにその同じ月までに,解放されたイスラエル人の流刑囚たちはエルサレムにおいて神殿の再建を始めるため,バビロンから帰還していました。―エズ 3:1,6。

  • 断食
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 年に4回行なわれたユダヤ人の断食 ユダヤ人は多くの断食を設け,断食を年に4回行なっていた時期もありました。それは西暦前7世紀のエルサレムの攻囲と荒廃に関連した悲惨な出来事に注目するためだったようです。(ゼカ 8:19)年に4回行なわれた断食は次の通りです。(1)西暦前607年タンムズ9日にバビロニア人がエルサレムの城壁を破ったことを記念するためのものと思われる,「第四の月の断食」。(王二 25:2-4; エレ 52:5-7)(2)神殿が滅ぼされたのはユダヤの第5の月アブのことで,「第五の月の断食」はこの出来事を思い起こさせるものとして行なわれたようです。(王二 25:8,9; エレ 52:12,13)(3)「第七の月の断食」は,ゲダリヤの死を,あるいはゲダリヤが暗殺された後に残っていたユダヤ人がバビロニア人を恐れてエジプトに下った時にこの地が完全に荒廃したことを,悲しい気持ちで思い起こさせるために行なわれたようです。(王二 25:22-26)(4)「第十の月の断食」は,すでにバビロンにいた流刑の身のユダヤ人が,エルサレム陥落の悲報を受けたことと関係があったのかもしれません。(エゼ 33:21と比較)あるいは,この断食は西暦前609年のその月の10日目にネブカドネザルがエルサレムに対する攻囲を首尾よく開始したことを記念したものかもしれません。―王二 25:1; エレ 39:1; 52:4。

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