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ナフタリ聖書に対する洞察,第2巻
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イザヤの預言 イザヤ 9章1節では多分,アッシリア人の手から受けたその屈辱のことが述べられているのでしょう。『その薄暗さは,その地が圧迫の下に置かれたとき,人がゼブルンの地とナフタリの地を侮べつをもって扱ったずっと以前の時のようではない』と記されています。次いでイザヤは,侮べつの念をもって扱われていたもの,つまり「海ぞいの道,ヨルダンの地方,諸国民のガリラヤ」に後日,誉れがもたらされることを示唆しています。そして,さらに,「闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。深い陰の地に住んでいた者たちには,光がその上に照り輝いた」と述べています。(イザ 9:1,2)マタイはまさしくこの言葉を引用し(4:13-17),「世の光」であるキリスト・イエスとその活動に当てはめました。(ヨハ 8:12)イエスはナフタリの領地内のカペルナウムを「ご自身の都市」とされたので(マタ 4:13; 9:1),ある意味でイエスをナフタリに属する者とみなすことができました。ですから,ナフタリに関して,彼は「優美な言葉を出してゆく」と述べたヤコブの預言的な言葉も,イエスに当てはめるのは妥当なことでした。(創 49:21)神のみ子は確かに「優美な言葉」を出され,イエスを捕縛するために遣わされた下役たちでさえ,「あのように話した人はいまだかつてありません」と感嘆の声を上げるほどだったのです。―ヨハ 7:46。
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