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真珠聖書に対する洞察,第1巻
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例証的な用法 聖書は時に例証的な仕方で真珠の貴さに言及しています。ヨブは真の知恵の比類のない価値について,「袋一杯の知恵は袋一杯の真珠よりも値打ちがある」と言いました。(ヨブ 28:18)イエス・キリストは山上の垂訓の中で,「神聖なものを犬に与えてはなりません。あなた方の真珠を豚の前に投げてもなりません。彼らがそれを足で踏みつけ,向き直ってあなた方をかき裂くことのないためです」と助言されました。(マタ 7:6)イエスが言おうとされたのは,人が犬や豚のように霊的な物事に対する認識のないことを示すなら,そうした人となおも霊的な考えや教えを分かち合おうとすべきではない,ということのようです。そのような堕落した人は,価値のある霊的な事柄を踏みつけ,そうした事柄を彼らと分かち合おうとする人をののしったり,傷つけたりするだけでしょう。イエスはまた,天の王国の貴さを例えで示して,りっぱな真珠を探し求める旅商人が価の非常に高い『一つの真珠』のために『自分の持つすべてのものを即座に売り,それからそれを買った』ことについて話されました。(マタ 13:45,46)イエスはその例えによって,天の王国をかち得ることの真の価値を認識する人なら,それをかち得るためにすべてのものを進んで手放すはずであるということを示されました。―マタ 11:12; ルカ 13:23-25; フィリ 3:8-11と比較。
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豚聖書に対する洞察,第2巻
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例証的な用法 イエスは,霊的な考えや教えの価値を全く認識していない人に霊的なものを分かち与えるのは賢明ではない,ということを例えで説明するために,豚に真珠の価値を認める能力がないという事実をお用いになりました。(マタ 7:6)また放とう息子に関するイエスの例えの中では,若者がどれほど落ちぶれたかを強調するものとして,彼がユダヤ人にとって非常に卑しい職業であった豚飼いの仕事に就かなければならなかったことや,それらの動物の食べる餌でもいいから食べたいと思っていたことが述べられています。―ルカ 15:15,16。
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