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命聖書に対する洞察,第1巻
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「命の巻き物」もしくは神の「書」のことが何回か述べられています。それには,信仰のゆえに天と地のどちらかで永遠の命を授与されることになっている人すべての名が含まれているものと思われます。「世[すなわち,請け戻すことのできる人類の世]の基が置かれて以来」のエホバの僕たちの名が含まれています。ですから,義なるアベルの名はその「巻き物」に記されている最初の名であると思われます。―啓 17:8; マタ 23:35; ルカ 11:50,51。
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名聖書に対する洞察,第2巻
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「命の書」に書かれる名 比喩的に言って,エホバ神は「世の基が置かれて」以来,命の書に名を書いてこられたようです。(啓 17:8)キリスト・イエスはアベルのことを『世の基が置かれた』時に生きていた人として話されたので,その言葉からすると,「世」とはアダムとエバに子供たちが生まれてから存在するようになった,贖い得る人類の世を指すことが分かります。(ルカ 11:48-51)象徴的なその巻き物に最初に記されたのはアベルの名だったと思われます。
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ゼカリヤ聖書に対する洞察,第2巻
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12. 大祭司エホヤダの息子。エホヤダの死後,エホアシュ王はエホバの預言者たちのことばよりむしろ間違った助言のほうに耳を傾け,真の崇拝からそれてゆきました。エホアシュのいとこであったゼカリヤは(代二 22:11),そのことについて民に厳しい警告を与えましたが,彼らは悔い改めるどころか,ゼカリヤを神殿の中庭で石打ちにしました。ゼカリヤは死ぬ間際に,「エホバがこれをご覧になり,代償を求められるように」と言いました。この預言的な求めは聞き入れられ,ユダはシリアに攻められて大損害を被っただけでなく,エホアシュも「祭司エホヤダの子らの血のために」自分の二人の僕に殺されました。ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳では,エホアシュはエホヤダの「子」の血の復しゅうとして殺されたと述べられています。しかし,マソラ本文とシリア語ペシタ訳では「子ら」となっています。ここで複数形が用いられているのは,恐らく,預言者であり祭司でもあった,エホヤダの子ゼカリヤの卓越性と真価とを表わすためでしょう。―代二 24:17-22,25。
イエスが「世の基が置かれて以来流されたすべての預言者の血」は『アベルの血から,祭壇と家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまでがこの世代[イエスが地上で宣教に携わっておられた時のユダヤ人]に対して』求められると預言した際に思いに描いておられたのは,多分,このエホヤダの子ゼカリヤのことでしょう。(ルカ 11:50,51)殺されたとされている場所が一致しています。西暦1世紀当時,ヘブライ語聖書正典の最後の書は歴代誌でした。ですから,『アベルからゼカリヤに至るまで』というイエスの言い方は,「創世記から啓示の書まで」という今日の表現に似ていました。マタイ 23章35節に見られる並行記述では,ゼカリヤはバラキヤの子と呼ばれています。このバラキヤとは,エホヤダとゼカリヤとの間の世代のだれかでないとすれば,またさらに前の先祖の名前でもないとすれば,恐らくエホヤダの別名でしょう。―「バラキヤ」を参照。
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