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「精力的に励みなさい」ものみの塔 1986 | 1月15日
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2 (イ)救いはどうして自分の労によって獲得できるようなものではないのですか。(ロ)ルカ 13章24節のイエスの言葉は,救いに必要な事柄をどのように示していますか。
2 救いは,集会に出席することや,他の何らかの方法を用い,自分の労によって獲得できるものではありません。それは神からの無償の賜物なのです。それでもエホバ神は,永遠の命という神からの賜物を得るには,わたしたちの側に努力が必要であることを示しておられます。(ローマ 6:23)それはどんな努力でしょうか。その一つは,自分の奉仕において精力的に励むことです! そのように努力する動機は,純粋な感謝の気持ちでなければなりません。神のみ子イエス・キリストは,かつて一人の男の人から,「主よ,救われつつある者は少ないのですか」という質問を受けたことがありました。イエスの答えは,その質問をした人だけではなく,わたしたちを含め,救いに関心を持つ他のすべての人を包含しました。イエスはこう答えられたのです。「狭い戸口を通って入るため,精力的に励みなさい。あなた方に言いますが,入ろうと努めながら入れない者が多いからです」― ルカ 13:23,24。
3 (イ)その男の人の質問が一風変わっていたのはなぜですか。(ロ)イエスはその答えの中に,どのようにわたしたちのことを含めておられますか。
3 名前の記されていないこの人がした質問は一風変わっていました。「私は救われる少数の人々の中に入っていますか」,あるいは「どうすれば私は救われるでしょうか」と尋ねたのではなく,「救われつつある者は少ないのですか」と尋ねたのです。限られた数の人々だけが救いに値するというユダヤ人の哲学がこのような思弁的な質問を生じさせたのかもしれません。a その人が好奇心を抱いた理由はともかくとして,イエスはその質問を抽象理論の次元から,実際的な適用 ― 個人的な適用の次元にすぐさま移し変えられました。その質問をした人に,救いのために必要な事柄を考えさせるよう仕向けられたのです。しかしそれ以上に,「[あなた方は]精力的に励みなさい」というイエスの言葉は複数形なので,その言葉はわたしたちの崇拝の方法について深く考えるようわたしたちをも促すはずです。
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「精力的に励みなさい」ものみの塔 1986 | 1月15日
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a 救われる人々の数は,ラビの間で神学上の議論が盛んに行なわれた問題でした。聖書に関する一参考文献は,「ラビたちの考え出した奇抜で秘術的な思いつきの一つに,救われる人の数を,あちこちの聖句の文字の数値で定めようとする試みがあった」と述べています。
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