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マリア聖書に対する洞察,第2巻
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8日目にマリアは,エホバの律法に従って息子に割礼を受けさせました。40日目より後には,規定された捧げ物をするため夫と共にその子をエルサレムの神殿へ連れて行きました。その律法では,若い雄羊か若いいえばと,あるいはやまばとの犠牲が求められていました。羊をささげることのできない家族の場合,やまばと2羽か若いいえばと2羽をささげなければなりませんでした。マリアが「やまばと一組もしくは若いいえばと二羽」をささげた事実から,ヨセフが資力の乏しい人であったことが分かります。(ルカ 2:21-24; レビ 12:1-4,6,8)義にかなった人であったシメオンは,年老いて死ぬ前に救い主を見ることを許してくださったエホバをたたえました。そして,マリアの方を向くと,「そうです,長い剣がまさにあなたの魂を貫くでしょう」と言いました。それは,マリアが文字通りの剣で貫かれるという意味ではなく,予告された苦しみの杭の上での息子の死に関連して苦痛や苦悩を経験することを示唆していました。―ルカ 2:25-35。
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いえばと聖書に対する洞察,第1巻
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種々の聖書翻訳は一般に,犠牲と関連のある聖句の中でのみ,ヘブライ語ヨーナーを「いえばと」と訳しています。そのような聖句の中ではいつも,「やまばと」(ヘ語,トーリーム)のことも言及されています。「若いいえばと」という表現(新世,欽定,改標)は,ヘブライ語で字義的には「いえばとの子(ら)」を意味します。やまばとと共に,いえばとも焼燔の捧げ物に用いる犠牲として受け入れられました。(レビ 1:14)貧しいために罪科の捧げ物として雌の子羊や子やぎをささげる資力のない人は,はと一組を差し出すこともできました。(レビ 5:5-7)子供を出産した後の婦人の浄めの儀式における若い雄羊の捧げ物には,罪の捧げ物として1羽のいえばと(さもなければ,1羽のやまばと)が添えられることになっていましたが,雄羊を差し出す能力がない場合には,「二羽の若いいえばと」を用いることができました。(レビ 12:6-8)(イエスの誕生後になされたマリアの浄めの場合がそうでした; ルカ 2:22-24)漏出が治った人の浄めの捧げ物には,一組のいえばとかやまばとが含められることになっていました。(レビ 15:13,14,28,29)ナジル人が行なう汚れからの清めに関連しても,これらの鳥が受け入れられました。―民 6:10。
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