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エルサレム聖書に対する洞察,第1巻
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ローマ軍が撤退したためにもたらされたエルサレムの解放感は長続きしませんでした。それはゼデキヤ王の治世の終わりごろ,バビロニア人がエジプト人に対処するため一時的に撤退した時と同様でした。ティツス将軍の率いる,兵力を増強したローマの軍勢が西暦70年に戻って来て,今度は過ぎ越しを祝う人々で混雑していた同市を攻囲しました。ローマ兵は攻囲土塁を急造し,昼夜を問わず脱走を防ぐため,切れ目なく続く壁,もしくは柵を市全体の周囲に築きました。これもイエスの預言を成就するものとなりました。(ルカ 19:43)市内では,対立する諸党派が反目し合い,戦って,多量の食糧が焼き捨てられ,市を出ようとして捕らえられた人たちは裏切り者として殺害されました。こうした事柄の情報源であるヨセフスによれば,やがて飢きんが容易ならぬものとなり,人々は干し草の束や革を食べ,果ては我が子をさえ食べるほどになりました。(哀 2:11,12,19,20; 申 28:56,57と比較。)ティツスが何度か出した和平提案は市のかたくなな指導者たちによりその都度退けられました。
ローマによるユダヤ征服を記念したセステルス青銅貨。表はウェスパシアヌス皇帝,裏の銘は“IVDAEA CAPTA”(捕らわれたユダヤ)
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エルサレムはローマ人によって滅ぼされる聖書に対する洞察,第2巻
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イエスは何が起きるかを予告して,『あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに城塞を築く日が来る』と言われました。(ルカ 19:41-44)また,『エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい』とも言われました。―ルカ 21:20,21。
西暦66年,ユダヤ人の反乱に対して,ケスティウス・ガルスの率いるローマ軍がエルサレムに侵攻しました。しかし,ヨセフスが述べるとおり,ガルスは「突如配下の部隊を呼び戻し,……予測に全く反して,同市から退却した」のです。これによって,クリスチャンはエルサレム市外へ逃げる機会を得,実際そのようにしました。まもなくティツス指揮下のローマ軍が再び攻めて来ました。今度彼らは「先のとがった杭で……城塞を」築き,全長7.2㌔に及ぶ柵を周囲に巡らしました。およそ5か月にわたる攻囲の末にこの都市は徹底的に破壊され,神殿は廃墟と化しました。3年後の西暦73年,ローマ軍はユダヤ人の最後のとりでとなったマサダ山頂の要塞を攻め落としました。
マサダ山頂の要塞の跡地
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