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  • 「例えを用いないでは話そうとされなかった」
    ものみの塔 2002 | 9月1日
    • 14 隣人愛を示したサマリア人のたとえ話の中で,イエスが要点を伝えるために,「エルサレムからエリコに」至る道路に言及したのは,なぜ意味深いことですか。

      14 次に,隣人愛を示したサマリア人のたとえ話を思い起こしてください。イエスはこのように話を始めました。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中で,強盗たちに襲われました。彼らはその衣をはいだうえに殴打を加え,その人を半殺しにして去って行きました」。(ルカ 10:30)意味深いことですが,イエスは要点を伝えるために,「エルサレムからエリコに」至る道路に言及しました。このたとえ話を語った時,イエスはユダヤにいました。エルサレムからさほど離れていません。ですから,聴いていた人々は話題の道路について知っていたことでしょう。その道路は,危険なことで知られていました。とりわけ,一人旅は危険でした。荒涼とした土地を縫うように続いており,道沿いには強盗の潜む場所が数多くありました。

      15 隣人愛を示したサマリア人の例えに出てくる祭司とレビ人の無関心さを,だれも正当化できないのはなぜですか。

      15 イエスが「エルサレムからエリコに下(る)」道路に言及したことには,注目に値する点がほかにもあります。その物語によれば,最初に祭司,次にレビ人がやはりその道路を通りました。しかし,二人とも,被害者を救助するために立ち止まることはしませんでした。(ルカ 10:31,32)祭司たちはエルサレムの神殿で仕え,レビ人たちはそれを補佐しました。神殿の仕事をしていない時にエリコに駐在する祭司やレビ人は多くいました。エリコはエルサレムから23㌔しか離れていなかったからです。ですから,その道路を旅することがあったに違いありません。また,その祭司とレビ人が「エルサレムから」,したがって神殿から帰る道を進んでいたことにも注意してください。b ですから,『その負傷者が死んでいるようだったので避けた。死体に触れたら,神殿での奉仕に一時的に適さなくなったからだ』と言って,その二人の無関心さを正当化することはできません。(レビ記 21:1。民数記 19:11,16)イエスの例えが聴き手のよく知っていた事柄を反映するものだったことは明らかではないでしょうか。

  • 「例えを用いないでは話そうとされなかった」
    ものみの塔 2002 | 9月1日
    • b エルサレムはエリコより高い所にありました。ですから,「エルサレムからエリコに」行くとしたら,たとえ話で語られているとおり,旅人は「下って行く」ことになります。

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