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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 神やイエスを見る 霊の被造物,つまりみ使いは,エホバの光輝を見ることができますが(マタ 18:10; ルカ 1:19),それは人間の目には全く耐えることのできない経験です。というのは,エホバご自身,「人はわたしを見てなお生きていることはできない」とモーセに告げておられるからです。(出 33:20)ヨハネは,「いまだ神を見た人はいない」と言いました。(ヨハ 1:18)ですから,イエスが弟子のフィリポに,「わたしを見た者は,父をも見たのです」とお告げになったとき(ヨハ 14:9),また使徒ヨハネが,「悪を行なう者は神を見たことがありません」と述べたとき(ヨハ三 11),二人とも肉眼によってではなく,使徒パウロが「心の目」と描写したもので神を見ることについて語っていたことは明白です。(エフェ 1:18)心の目で見る人たちとは,神の特質を認識して本当に神を知るようになった人たちのことです。ヨハネが,「愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです」と言えたのはそのためです。―ヨハ一 4:8。

  • 像(ぞう,かたち)
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 神の長子は,み父の像として存在し,後に人間イエスとなりました。(コリ二 4:4)神が『わたしたちの像に人を造ろう』と言われた時に話しかけておられたのは明らかにそのみ子でしたから,み子がみ父である創造者との間に有していたその似た様は,み子が創造された時から存在していたことになります。(創 1:26; ヨハ 1:1-3; コロ 1:15,16)み子は完全な人間として地上におられた時,人間としての限界の範囲内で,み父の特質や性格を最大限に反映しておられたため,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と言うことができました。(ヨハ 14:9; 5:17,19,30,36; 8:28,38,42)しかし,この似た様は,イエスが霊の命に復活させられ,み父であるエホバ神から「天と地におけるすべての権威」を与えられた時,確かにその度を深めました。(ペテ一 3:18; マタ 28:18)その時,神はイエスを「さらに上の地位」に高められたので,神のみ子はそれ以後,地に来るために天を離れる前よりもはるかに高い度合いでみ父の栄光を反映するようになりました。(フィリ 2:9; ヘブ 2:9)み子は今,「[神の]存在そのものの厳密な描出」であられます。―ヘブ 1:2-4。

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