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イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
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これらの事実は,ヨハネ 1章1節の「言葉は神[a god]であった」というような翻訳を支持する確かな根拠となっています。神は初子を通して万物を創造されましたが,“言葉”がその初子として,また神の代弁者として神の被造物の中で卓越した地位を持っていたことは,この方を「神[a god]」,つまり力ある方と呼ぶのが正しいことを示す真の根拠となっています。メシアに関するイザヤ 9章6節の預言は,この方が全能の神ではなく,「“力ある神”」と呼ばれること,またその臣民として生きる特権にあずかる人たちすべての「“とこしえの父”」になることを予告していました。その方のみ父,つまり「万軍のエホバ」の熱心により,予告された事柄が成し遂げられるでしょう。(イザ 9:7)もし,神の敵対者である悪魔サタンが人間や悪霊たちを支配しているゆえに(ヨハ一 5:19; ルカ 11:14-18),「神[god]」と呼ばれるのなら(コリ二 4:4),確かに神の長子が「神[a god]」と呼ばれ,またヨハネ 1章18節の最も信頼できる写本の中でも呼ばれているように「独り子の神」と呼ばれるべき,はるかに大きな理由や正当性があります。
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神の子(たち)聖書に対する洞察,第1巻
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この後のほうの辞典(739-741ページ)は,クリスチャン・ギリシャ語聖書,もしくは“新約聖書”におけるこの語の用法について次のように述べています。「それは『ただ一人もうけられた』という意味である。……[ヨハネ]3章16,18節,ヨハ一 4章9節,[ヨハネ]1章18節では,イエスの関係は単に,ただ一人の子供とその父との関係になぞらえられているのではない。それはただ一人もうけられた子とみ父との関係そのものなのである。……ヨハ 1章14,18節,3章16,18節,ヨハ一 4章9節では,μονογενήςはイエスの特異性,もしくは無類性以上のことを表わしている。これらすべての節で,イエスははっきりと子と呼ばれており,1章14節ではそのような方とみなされている。ヨハネによる書では,μονογενήςはイエスの起源を表わしている。イエスはただ一人もうけられた方としてのμονογενήςなのである」。
これらの言葉や聖書そのものの明白な証拠からすれば,イエスが神の特異な,もしくは無類のみ子であるだけでなく,「ただ一人もうけられた子」でもあり,したがって神により生み出されたという意味で神から出た方であることを示す翻訳に異議を差し挟むべき理由は一つもありません。この点は,使徒たちがこのみ子を「全創造物の初子」,ならびに「神から生まれた方[ゲンナオーの変化形]」と呼んでおり(コロ 1:15; ヨハ一 5:18),またイエスご自身,ご自分のことを「神による創造の初めである者」と述べておられることにより確証されています。―啓 3:14。
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