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  • ヨハネ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • イエスはバプテスマを受けたあと約40日間,荒野におられました。イエスが戻って来られた時,ヨハネは自分の弟子たちにイエスを,「世の罪を取り去る,神の子羊」として指し示しました。(ヨハ 1:29)翌日,アンデレともう一人の弟子,多分ゼベダイの子ヨハネは,神のみ子に紹介されました。(ヨハ 1:35-40)こうして,バプテスマを施す人ヨハネはイスラエルの羊の囲いの忠実な「戸口番」として,自分の弟子たちを「りっぱな羊飼い」に引き渡し始めました。―ヨハ 10:1-3,11。

  • 羊
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 家畜の羊は,羊飼いがいないと無力で憶病です。羊は迷ったり散ったりして,完全に敵のなすがままにされてしまいます。(民 27:16,17; エレ 23:4; エゼ 34:5,6,8; ミカ 5:8)羊は導かれるまま,羊飼いのあとに忠実に付いて行きます。羊飼いの声を聞き分け,その羊飼いだけに反応することができるようになります。(ヨハ 10:2-5)J・ハートリー著「ギリシャおよびレバント地方における研究」(ロンドン,1831年,321,322ページ)の次のような一節はこの点を示す好例です。

      「昨夜,私はヨハネ 10章3節に注目したので……羊に名前を付けることはギリシャでも普通に行なわれているのかと召し使いに尋ねてみた。それは普通のことで,羊飼いが羊の名前を呼ぶと羊は羊飼いに従う,と召し使いは話してくれた。今朝私は,この言葉が確かに真実であることを立証する機会を得た。羊の群れのそばを通りかかった時,下男に尋ねたのと同じ質問を羊飼いにしてみたのである。羊飼いの答えも同じだった。それから私は,羊飼いに羊を1匹呼んでみるように頼んだ。羊飼いがそうすると,羊はすぐさま牧草地と仲間から離れ,うれしそうな様子で羊飼いの手のほうに駆け込んできた。その羊の即座に応じる従順さは,それまでに他のどんな動物にも見たことのないものだった。よその人には付いて行かず,むしろその人からは逃げるという言葉は,この国の羊にも当てはまる。……羊飼いの話では,彼の羊の多くはまだ野生のままで,自分たちの名前を覚えていないが,教えればみんな覚えるようになるということだった」。―「羊飼い,牧者」を参照。

  • 羊飼い,牧者
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 時折,数人の羊飼いに世話される幾つかの群れが,夜のあいだ同じ羊の囲いに入れられ,一人の戸口番がその番をすることもありました。翌朝,羊飼いたちがやって来てそれぞれ自分の群れに呼びかけると,羊は自分の羊飼いに,その羊飼いだけに反応しました。羊飼いは群れの前を歩き,群れを放牧地まで導きました。(ヨハ 10:1-5)W・M・トムソンは,19世紀にシリアとパレスチナで個人的に観察した事柄に基づいてこう書きました。「[羊]は非常におとなしく,非常によく訓練されているため,この上ない従順さで羊飼いに付いて行く。羊飼いは囲いから,あるいは村の中の小屋から羊を導き出し,自分の好きなところに連れて行く。そういう場所にはたくさんの群れがいるので,それぞれが別の道を通る。羊のために牧草地を見つけるのは羊飼いの仕事である。したがって,羊を誘うかのように両側に広がる囲いのない穀物畑に迷い込むことなく,あとに付いて来るよう羊を教えることが必要になる。群れから離れてさまよう羊は必ず苦しい目に遭う。羊飼いは時々,不意に声を上げて自分の存在を羊たちに知らせる。羊は羊飼いの声を知っており,あとに付いて来る。しかし,よその人が呼ぶなら,羊たちは急に止まって,驚いたように頭を上げる。もし繰り返し呼ばれるなら,羊たちはそっぽを向いて逃げてしまう。よその人の声は知らないからである。これは寓話を飾る空想などではなく,純然たる事実である。私は何度も実験してみた。羊飼いが前を行くのは道を示すためだけでなく,それが安全に通れる道かどうか確かめるためでもある」―「聖地と聖書」,J・グランデ改訂,1910年,179ページ。

      同様に,J・L・ポーターは,自著「バシャンの巨大都市とシリアの聖なる場所」の中でこう述べています。「羊飼いたちは都市の門から自分の群れを導き出していた。羊飼いや羊の全体が見える場所にいた我々は,少なからぬ関心をもってその様子を見守り,その物音に耳を傾けていた。数千頭の羊とやぎが,密集した無秩序な集団となって集まってきた。羊飼いたちは,羊とやぎが全部出て来るまで一緒に立っていた。それから彼らは別れて,それぞれ別の道を進みながら甲高い独特の呼び声を発した。羊たちはその声を聞いた。それらの集団はまず,何らかの内部の動揺によって揺さぶられるかのように揺れ動いた。次いで,先頭のほうが羊飼いたちの進む方向に動き出し,それぞれの列がどんどん長くなっていった。ついには,元の無秩序な集団が,指導者のあとに付いて行く羊たちの長い流れと化した」― 1868年,45ページ。

  • 声
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イエスの声を聞く イエス・キリストはご自分のことを「りっぱな羊飼い」であると話されました。その方の羊は「その声を聴き,……羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。……よその者たちの声を知らないからです」。(ヨハ 10:2-5,11)キリストの「羊」である人たちは,彼らが聖書の中にキリストの言われたこととして記録されている事柄を真実として認め,認識するという意味でその声を『知っています』。彼らは,「よその者たち」つまり偽りの羊飼いの教えを認めようとしません。聖書の中に述べられているキリストの命令に従うという意味でその声を『聴きます』。(ヨハ 15:10,15)キリスト・イエスは神の主要な代表者であり,常にエホバの声を聴き,エホバの指示されることを話されるので,キリストに従う人はエホバと結び合わされることになります。―ヨハ 5:19; ヨハ一 2:6。

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