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羊飼い,牧者聖書に対する洞察,第2巻
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時折,数人の羊飼いに世話される幾つかの群れが,夜のあいだ同じ羊の囲いに入れられ,一人の戸口番がその番をすることもありました。翌朝,羊飼いたちがやって来てそれぞれ自分の群れに呼びかけると,羊は自分の羊飼いに,その羊飼いだけに反応しました。羊飼いは群れの前を歩き,群れを放牧地まで導きました。(ヨハ 10:1-5)W・M・トムソンは,19世紀にシリアとパレスチナで個人的に観察した事柄に基づいてこう書きました。「[羊]は非常におとなしく,非常によく訓練されているため,この上ない従順さで羊飼いに付いて行く。羊飼いは囲いから,あるいは村の中の小屋から羊を導き出し,自分の好きなところに連れて行く。そういう場所にはたくさんの群れがいるので,それぞれが別の道を通る。羊のために牧草地を見つけるのは羊飼いの仕事である。したがって,羊を誘うかのように両側に広がる囲いのない穀物畑に迷い込むことなく,あとに付いて来るよう羊を教えることが必要になる。群れから離れてさまよう羊は必ず苦しい目に遭う。羊飼いは時々,不意に声を上げて自分の存在を羊たちに知らせる。羊は羊飼いの声を知っており,あとに付いて来る。しかし,よその人が呼ぶなら,羊たちは急に止まって,驚いたように頭を上げる。もし繰り返し呼ばれるなら,羊たちはそっぽを向いて逃げてしまう。よその人の声は知らないからである。これは寓話を飾る空想などではなく,純然たる事実である。私は何度も実験してみた。羊飼いが前を行くのは道を示すためだけでなく,それが安全に通れる道かどうか確かめるためでもある」―「聖地と聖書」,J・グランデ改訂,1910年,179ページ。
同様に,J・L・ポーターは,自著「バシャンの巨大都市とシリアの聖なる場所」の中でこう述べています。「羊飼いたちは都市の門から自分の群れを導き出していた。羊飼いや羊の全体が見える場所にいた我々は,少なからぬ関心をもってその様子を見守り,その物音に耳を傾けていた。数千頭の羊とやぎが,密集した無秩序な集団となって集まってきた。羊飼いたちは,羊とやぎが全部出て来るまで一緒に立っていた。それから彼らは別れて,それぞれ別の道を進みながら甲高い独特の呼び声を発した。羊たちはその声を聞いた。それらの集団はまず,何らかの内部の動揺によって揺さぶられるかのように揺れ動いた。次いで,先頭のほうが羊飼いたちの進む方向に動き出し,それぞれの列がどんどん長くなっていった。ついには,元の無秩序な集団が,指導者のあとに付いて行く羊たちの長い流れと化した」― 1868年,45ページ。
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声聖書に対する洞察,第1巻
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イエスの声を聞く イエス・キリストはご自分のことを「りっぱな羊飼い」であると話されました。その方の羊は「その声を聴き,……羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。……よその者たちの声を知らないからです」。(ヨハ 10:2-5,11)キリストの「羊」である人たちは,彼らが聖書の中にキリストの言われたこととして記録されている事柄を真実として認め,認識するという意味でその声を『知っています』。彼らは,「よその者たち」つまり偽りの羊飼いの教えを認めようとしません。聖書の中に述べられているキリストの命令に従うという意味でその声を『聴きます』。(ヨハ 15:10,15)キリスト・イエスは神の主要な代表者であり,常にエホバの声を聴き,エホバの指示されることを話されるので,キリストに従う人はエホバと結び合わされることになります。―ヨハ 5:19; ヨハ一 2:6。
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